■三国志雑感>真偽論争はさておき、「後出師表」を読む。(1)
趙雲を殺してしまってるから、偽モノだと言われている「後出師表」です。陳寿も採録していないので、真剣に読んだことがなかったんですが… 学研の『群雄三国志』のオマケとして、せっかく拓本が付いてきたので、定番の真偽の問題には触れず、「文学」としてでもテンション高めに読んでみようと思います。 原文および訳文は、いろんな書籍・サイトに出回ってるので、丁寧な引用はしません。
  ■比べてはいけない 「後出師表」の冒頭は、「先帝慮漢賊不両立」。 いきなり劉備が考えたこととして、「漢賊不両立」という言葉が登場してる。文脈からしたら、疑いの余地なく「賊=魏」なんだが、ぼくには馴染まない。 なんかニュアンスがピンと来ないんだよね。賊というと、数百人レベルでウロウロしている頭領という感じ。 あえて曹叡をそのランクに貶めているのだとしても!劉備がそんな風に思っていたんだろうか。自分のところが「漢」で、曹操さんの後継者が「賊」という、分かり易すぎる二分法は、劉備の頭の中とは違うと思う。 曹操は献帝を使って巧く立ち回ったし、劉備は後ろめたいことを、いっぱいやってきた。2人の間に、相容れないものの、ある種の敬意?が芽生えていたと思うのです。   「前出師表」のときの、先帝は中道崩殂しちゃったという話ならば、まだ肌触りがいい。劉備の「創業」の中身が、とりあえずは触れられていないから。何となくの悲壮感だけ共有できて、「がんばるぞ」となる。 「前出師表」はその後、あくまで諸葛亮の主体的な意志を支柱にして、刻み込まれていく。名文とされる所以です。口から生まれてきた諸葛恪じゃなくても、「読む=泣く=忠臣だ」と言いたくなる。   でも、後出師表では、歩んできた人生の重みや、誠実さが抜け落ちている。「この世には、正邪の2つしかない。1%でもグレーが混ざれば、それは邪じゃ」みたいな、イッちゃってる論法。 彼らが割拠する拠り所である、劉備ですら、闘争心を駆り立てる、アジテーションの道具になっている。劉備は正義で、曹操(曹叡)は取るに足らない「賊」なんだ!と単純化。 勢力の歩んできた経緯とか、冷静な現状の分析がブッ飛ぶとしたら、もう有事のアメリカ大統領の演説みたいなもので。「設定」としては、馬謖がミスって撤退してきた後の声明だから、それでいいのかも知れないけど、、前後の「出師表」の質の違いは、頭に入れておきたいところ。   「前出師表」は、平服で姿勢を正して聞くもの。「後出師表」は、軍服で行進をしながら聞くもの。同じ種類の感動を求めてはいけない。 さらにもう1つ言うなら、「後出師表」に、正しさを求めてはいけない。重複を笑ってはいけない。むやみな誇張と、ウザ過ぎるほどの反覆で、人間は狂気になれるのです笑   っていうか、冒頭の「先帝慮漢賊不両立」の8文字だけで、ずいぶん長々と書いてしまったよ笑   ■アジる孔明、死せる玄徳を偽る 次に諸葛亮さんは「託臣以討賊也」と言いますよ。すなわち、臨終のとき劉備は、「魏を討てと私(諸葛亮)に託した」と。 これ、違うよね。 「劉禅を頼むぞ。キミの才能は曹丕の10倍なんだから。もし劉禅がショボければ、キミが代われ」じゃなかったか? 遺言の中に、魏を討てというニュアンスがゼロだったわけじゃないけど、これは有事用の単純化なのです。諸葛亮は、分かっててやってる。   「私は弱い。敵は強い」と悲壮感を煽り、相手の判断力を乱した後に透かさず、「討って出ずに亡ぶのと、討って出るのは、どっちがいいのか」と、おかしな単純化をブチ上げる。 訳注を付けられた渡辺氏は、ここで使われている「孰与」を「いずれぞ=比較をあらわす」と解説していますが、比較表現が使われている自体が、諸葛亮のコワいところなのです。 異常心理ならば、「弱くても、討って出て、可能性に賭けるっきゃない」と結論するレールが、すでに敷かれている。
  ■すべってる話 「私は眠れず、ろくに食えず、南征しました。これは、私1人が趣味でボランティアをしているのではありません。先帝の賊を討てという遺言に応えるために、やってるのです」 諸葛亮なのか、別の執筆者なのかは知らんが笑、この辺りの自分語りは「前出師表」を踏襲しています。ただ、これを読むと、すでに諸葛亮が浮いている様子が想像できて、可笑しい。 「私が頑張ってるから、あなたも頑張れ!」というのは、ある程度の信頼関係がないと、成立しない論法だと思うんだが。   ■ベーコンピザを食べに行こう 「南征北伐をするのは、間違ってるという意見も頂いております。しかし、劉邦&張良&陳平と比べて、明らかにショボい我が陣営で、討って出ずに天下が得られましょうか」 出ました!論点のすり替えですよ笑 まず天下を狙うべきかどうか、決める。狙うことになったら、どのタイミングで攻めるかを、決める。時期が決まったら、参謀の人事を検討する。論理的に話すなら、そうなる。 まず、拙速な天下統一戦略への批判が出ているのに、諸葛亮は(攻める前提で)軍師の人材の話に移してしまった。おそらく意図的でしょうね。 これを食らった反対者は、まず自国の人材の充実ぶりを説明しなければいけない。 でも、人物評なんて結論が出にくいテーマだ。おまけに、反対論者が自分自身を「私が優れている」という論証までしないと、話が完結してくれない。自慢なんて気持ち悪い人が多いし、儒教道徳にも縛られる。「自慢」していて、もし反論されたら、素でヘコむじゃん。相手は知力100だし! 諸葛亮だって、軍師としてはパッとしない。勇気を出して、それを指摘したところで、「だから、私は非才だと、さっきから何回も言ってるじゃないか」と返されて終了。うーん。   仮に人材談義がうまく行ったとして、もういま北伐する共通認識が出来上がってしまっている。 「一緒に食事に行くのはイヤ」と言ってるのに、「中華とイタリアンならどっちが好きか」なんて話に付き合っているうちに、「じゃああの店のベーコンピザを食べに行こう」という結論になってしまってる笑   「そもそも、デートはNGなんです」ということで、話題を国家戦略の議論まで戻そうとしても、ダメ。 いま「劉備=討魏のフラッグ」と設定されてるから、下手をすると「あなたは先帝を否定するのですか」なんて運ばれる。大逆罪を、でっち上げられる。
  諸葛亮の(事実上の)独裁が可能になった理由は、この巧妙なディベートテクニックなんじゃないかと、思えてくるほどだね。「後出師表」は、涙している場合じゃないよ。脳を使わされまくる笑 もし思考停止して吹き込まれると、「1億総玉砕」の時代に逆戻りだ。 次回へ続きます。
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