■三国志雑感>袁術が事件解決!怪奇190年代の謎(2)
■袁氏相克のメインキャスト(190年現在)
まずは主な登場キャラの確認から。
チーム袁術
  孫堅:荊州に勢力拡大する猛将。権力基盤が欲しくて、チームに参加。
  公孫瓉:美声によって見出された白馬義従の長。自分勝手かも。
  劉備:公孫瓉の学友。関羽と張飛という部下だけは強い。
 
チーム袁紹
  韓馥:袁氏の故吏。冀州にあり、公孫瓉の横暴に手を焼く。
  曹操:洛陽時代よりの袁紹の有能な子分。チーム内のMVP候補。
  張邈:曹操が絶対の信頼を置く親友。反董卓連合の提唱者の一人。
  劉表:荊州を保つことにプライドをかける地方官。
 
 
■190年代の出来事を洗いなおす
袁紹と袁術に分けて、闘争を整理します。
後の世に天下を争う英雄の双璧、曹操と劉備を基準にしてこの時代を見ようとするから、不必要にパニクるのです。その弊害を除きます。
曹操は袁紹の下、劉備は袁術の下の公孫瓉の下。まだ、それだけの男なのだから、今回は控えてもらう。
しっかし、袁紹と袁術の、見やすいアイコンないかな(苦笑)
 
189年 董卓は袁氏の懐柔に失敗。袁紹・袁術とも洛陽を去る。
     (術)嫡流の袁術は、袁氏本拠の荊州南陽郡に堂々と戻る。
     (紹)側腹の袁紹は、基盤がない。韓馥から冀州を譲られる。
190年 反董卓連合結成。
     (紹)名声獲得に熱心だった袁紹が、反董卓盟主の座に。
     (術)孫堅が荊州刺史を殺害。袁術傘下として董卓討伐に参加。
     (紹)荊州刺史に劉表。
191年 (術)袁術旗下の孫堅が、董卓が退いた洛陽に入る。
     (紹)袁紹が冀州牧、曹操が東郡太守となる。
     (術)袁術は公孫瓉と結んで北方で対抗。
     (紹)荊州に乱入した孫堅を、劉表の部下・黄祖が討つ。
     (術)公孫瓉の下の劉備が平原の相となる。
192年 (紹)界橋の戦い、袁紹が公孫瓉を破る。曹操が于毒らを討つ。
     (紹)曹操が兗州牧、劉表が荊州牧に。曹操が黄巾兵吸収。
     (紹)袁紹と曹操が公孫瓉を破る。公孫瓉は幽州に逃げる。
193年 (紹)曹操が袁術を破る。
     (術)袁術が楊州刺史陳温を殺して淮南を占拠。
 
ここで小休止。チーム袁術が押されてます。孫堅は死ぬし、公孫瓉は追いやられるし、袁術自身が本貫の地を追われてしまった。荊州は完璧にチーム袁紹のものになったし。
 
 
■ミニ三国志を目指した男
袁紹と袁術の対立構図に、乱入者が現れます。自称(っていうか努力目標)第3勢力の陶謙です。袁氏のどちらにも頼らずに、独立しようと画策していたように、ぼくには思えます。
彼は、張温に従って涼州征伐に参加した武官。
黄巾・董卓の乱を経て、(生国ではない)ただの赴任地・徐州で権力を確立。下邳で天子を僭称した闕宣と結んで略奪し、張昭ら知識人を口説き、世俗臭のする仏教信者・笮融を厚遇した。
 
徐州という場所が、袁紹と袁術の勢力のちょうど間にあったので、緩衝地帯という性格があったのかも知れない。それゆえに、それほど人徳がない陶謙でも独立していられた。
何しろ目指せオリジナルの野心家。自分のテリトリーに入り込むのなら、袁氏ゆかりの者にも容赦はしない。袁術の下の孫策(孫堅の忘れ形見)たちを迫害したり、袁紹の下の曹操の父を殺したり…あーあ、やってしまった!
 
徐州の悲劇が始まった。曹嵩を殺したために、曹操が徐州大虐殺を行った。
これはチーム袁紹の徐州進出という位置づけでしょう。そのきっかけが、曹嵩殺害だっただけで。
曹操の激情や彼なりの計算を否定するつもりはない。曹操のことだから、袁紹の庇護下にいなくても同じことをしたかも知れない。しかしこの時点で、曹操はチーム袁紹の一員でしかないのです。
曹操の功績は、リーダーの袁紹が吸い上げます。
 
 
■陶謙のコンフェッション
陶謙は野心の巣をボロボロにされて、独立独歩が無理なことを悟った。そこで、曹操に対抗することを決めた。曹操のボスは袁紹。すなわち袁紹の敵と結べば、曹操に対抗できる。これ、すなわち袁術を頼ることとなる!
チーム袁術はSOSを受け取って、メンバーのヒロミ(公孫瓉)に陶謙を助けさせようとする。公孫瓉は、学友の劉備を(田楷とセットで)徐州に送り出した。意気消沈の陶謙は、チーム袁術への参加を表明した。
 
死に際して陶謙は、劉備に国を譲った。劉備は自分が求められたことに喜んだかも知れないけど、国譲りはチーム袁術の一員としての役得であることは抑えておかねば、と思う。
その証拠に、「先主伝」で陳登に徐州牧に就くよう進められたときに、劉備はこう言ってる。「袁術がここよりほど近い寿春にいる。徐州は彼に与えるのが宜しかろう」と。これは謙遜の美徳じゃない。当然のことです笑 チームリーダーが本拠地が不安定で苦しんでるのに、下っ端の劉備が国をもらってる場合じゃない。
善玉菌の劉備が、狂い猿の袁術のチームというのは、感情が受け付けない。ぼくが自分で書いてても変な感じ。でも、陶謙の決断の経緯を辿れば、これは間違いないと思う。
やっと陶謙が告白してくれました笑
  
しかし徐州の豪族・官人らの思惑は、陶謙の事情とは食い違った。
麋竺や孫乾らは、劉備に個人的に傾倒した。チーム袁術とか、関係ない笑 だから彼らは、蜀まで付き従う。
陳登や孔融の名士層は、気分的には袁紹の方針に賛成だったでしょう。だから、袁術が直接徐州に乗り込んでくるのは好ましくない。それよりは、いくらチーム袁術とはいえ、小うるさい戦略を持っていない一介の傭兵隊長(劉備)を徐州のトップに置いておく方がマシだと考えたんじゃないか。だから、袁術を「墓場の骨」と罵ってボイコットしたんじゃないか。
 
 
■劉備が呂布を迎えた理由
呂布が登場します。強すぎるので、物語で扱いにくい。こいつが味方したら勝つ、というセオリーが成り立ってしまって、どうもね。
しかしそんな呂布も、歴史は上手に裁いていく。さすが、小説よりも奇。
 
袁術と袁紹の叔父に、袁隗という人物がいた。袁隗は董卓を官吏に挙げてやった。でも董卓は袁隗を殺した。呂布は、忘恩の徒・董卓を殺したのだから、袁氏兄弟の敵をとったことになる。袁氏にとって、オレは恩人だという自負がある。
長安を脱出した後、厚遇を期待してウロウロする。
だが呂布の方天戟は空振り。袁術は、呂布を門前払いした。袁紹は一度はメンバーとして認めておきながら、刺客を差し向けた。おお呂布。
呂布が可哀想です。
ただ、この自他共に認める天下無双が向かった場所が、袁術と袁紹だったというのが、190年代の権力図を傍証してくれてるみたいで、ぼくは嬉しい。先に門を叩いたのが、新興勢力の支持を得た(と参考にした本に書いてあった)袁術、というのも嬉しい。
 
徐州虐殺によって、チーム袁紹内で台頭した曹操。
そのやり方に反発した張邈(次回詳説)と、曹操の軍師・陳宮。
彼らは呂布を迎えて、曹操の本拠地である兗州を突いた。急いで帰ってきた曹操と戦うこと1年、結局のところ呂布たちは攻めあぐねた。曹操は本拠を守り切った。呂布たちは行くあてがなくなった。
 
曹操への攻撃は、チーム袁紹への攻撃と同意。だったら頼るべきはチーム袁術しかない。陳宮の外交は、袁術に友好を求めてたのでしょう。
陳宮の心の声は、こんな感じかな。
「ホロコーストをやらかすチーム袁紹は、うんざりだよ」
「曹操を追い込んだ実績は、チーム袁術に入るときのアドバンテージ」
「チーム袁術は劣勢だ。孫堅は死んで、公孫瓉は易京に閉じこもってしまった。力のある武将を抱えて加われば、重用されるに違いない」
※張繍を抱えて曹操に下った賈詡の発言から類推。同じ理屈かなあ、と。
 
チーム袁術の拠点で手近に頼れそうなのは、劉備の徐州。呂布と陳宮は徐州に入った。
虎牢関の劉関張vs呂布は『演義』のフィクションだから、劉備と呂布は初対面のはず。呂布は二回も養父を斬ってる、裏切りの常習者。きっと劉備は呂布を城に入れたくなかった。だけど、拒めなかった。劉備はチーム袁術の一員として、彼らを迎え入れるっきゃなかったのでしょう。これが真相じゃないか。いくら関羽や張飛の理解を得ることが難しかったとしても、そんなのは瑣末なこと。義弟たちの説得は寝床でやってくれ。
  
では、呂布と陳宮と共に曹操を攻めた張邈、痛恨の誤算を次回で語ります。

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