■『通俗三国志』考(06/10)>第二章の中編
引き続き、第二章 湖南ノ文山と「通俗三国志或問」   ■『易経』に詳しい(3/6) 3点目に指摘できるのが、『易経』への通暁である。 文山は五山(おそらくは天竜寺)の僧であることを前章で確認したが、これは『易経』と彼の繋がりを傍証するものである。 和島芳男氏『中世の儒学』(吉川弘文館1965年)   久須本文雄氏の『日本中世禅林の儒学』では、戦乱の世に京都から地方へと広がった儒学について主要な学問僧の経歴・思想などが解説されており、『易経』と五山僧の具体的な関連を確認するのに大いに役立った。 久須本文雄『日本中世禅林の儒学』三章「室町安土桃山時代」参照。 同氏によれば、当初は「禅法の挙揚と世俗の教化のための方便」であった宋学は、室町前期以降に禅と一体視されて重視されるようになった。『易経』も、倫理の根源と宇宙の根本原理を説いているという側面から、五山で盛んに研究された。 中巌円月・岐陽方秀・桃源瑞仙・月舟寿桂・文之玄昌らが積極的に学んだようだ。   清原・中原・菅原など公家社会の博士家が秦漢以来の古注で四書五経を読んだのに対し、五山の禅僧=儒僧は、新注(宋儒の注釈書)をもとに解釈・研究・講義を行った。 文山が、五山に中世以来蓄積されている訓点が施された儒典に触れたことは想像に難くない。   ■例えば赤壁で 「通俗三国志或問」では、赤壁で東南風が吹いた理由を前述の如く合理的に解釈して見せると同時に、『易経』による解説も試みている。 道術士さながらに孔明が風を起こすという場面は、道教文化のバックグラウンドを持つ中国の民衆を講談で喜ばすために設けられたものである。中国とは異質な文化を持つ日本に『三国志演義』を受容させるために、文山は出来うる限りの尽力したのだ。該当箇所を引用する。 易に曰、天の助くる所の者は順也。(中略)孔明たとひ風を祈らずとも、天もし正しきを助けば、曹操が罪逆を疾んで昭烈の大順を助けざらんや。   「天の助くる所の者は順也」という一節は、おそらく『繋辞上伝』第十二章に由来する。 易曰、自天祐之、吉无不利。子曰、祐者助也、天之所助者順也、人之所助者信也、履信思乎順、又以尚賢也。是以自天祐之、吉无不利。(『繋辞上伝』) 『易経』に関連する資料を通覧した中で、この他に類似した表現は存在しなかった。『繋辞上伝』にある「天之所助者順也」を文山が書き下して「通俗三国志或問」に使用したと見て間違いあるまい。 分厚い本の中で、合致する一文を探すのは、埋蔵金を掘るみたいに楽しかった。埋蔵金を探したことはないんだけど。 今井宇三郎『易経』上・下 新釈漢文大系23明治書院1987年   ■赤壁と『易経』のシンクロ 大有の図 『周易上経』を参照すると、左図の卦形が「大有(火天大有)」という卦名で記されている。この卦形の上九(一番上の位置)にある陽の爻(途切れていない線)には、「天より之を祐く。吉にして利しからざるはなし。象曰く、大有の上の吉なるは、天より祐くればなり」という爻辞(解釈)がある。 その爻辞に附けられた注釈が、『繋辞上伝』第十二章である。   文山が着目した「大有」は、六五(上から二番目)の一陰(中央が切れている線)が君位にあり、他の五陽に応ずる卦形である。 上九の陽爻は、万物衆多を照らす天上の火。天子に日が当たり、四海が富むことを表わし、全体としては「君子を以て悪を遏め、善を揚げて天の休命に順ふ」という卦意がある。   これは、天意を頂いた諸葛亮及び周瑜が「罪逆」を働く曹操を打ち破ったという『三国志演義』の赤壁の戦いのエピソードと符合する。 爻辞の伝は、2の6乗(陰陽の組み合わせ)×6(爻の数)=384通りある。膨大な量の文献から、たった一節のために論旨に適合的な箇所を選定したのは、湖南ノ文山が『易経』に通じていたことと、五山に蓄積された儒学の資料を彼が利用したことを示唆している。   ■『易経』に関してダメ押し! 「大有(火天大有)」は、その卦名に火という語を含む。上九には、世を照らす天上の火という意味が与えられている。 赤壁は火計によって劉備と孫権の連合軍が勝利した戦いであるから、文山はこれを掛けた可能性がある。   劉備は、文山が「漢運のまさに傾かんとするを扶け、再び社稷を興して漢の統を継ぎたまふ」と記す通り、漢帝国の功臣と名目上にしろ継承者という二側面を持った人物である。「大有」の「六五」は、上方に天を頂いている(自らが最上にはない)皇帝という、一見矛盾とも捉えられそうな複雑性を孕み、劉備の境遇を投影することが出来そうである。 『易経』を修得した文山ならではの慧眼である。   ■反省します これを牽強付会というだね。 そもそも、易の解釈自体が詭弁の世界なんだ。何とでも言えてしまう、抽象論の樹海だ。ぼくはそれを引っ張り出してきて、さらに理屈を捏ねくり回した。 自分で言うのは変ですが。けっこう上手く「煙に巻く」ことが出来てると思う。赤壁や劉備との符合も、決して暴論だとは思ってなくて。 ただし、爻辞の伝を全て検討する必要はあったね。赤壁や劉備に例えるのに、もっとぴったりの文章があった可能性はある。そこまでやったら、パーフェクトでした。
  次回は、朱子学(宋学)との関係について。 ちょっと重たくなりそうな話題なので、今回は短めで!
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