三国志は、1800年に渡って語り尽くされてきた叙事詩。
しかし、とある映像作品のキャッチコピーみたく「死ぬまで飽きない」もの。
まだまだ枯れる気配すら見せない、三国志の魅力について語ります。
関張演義伝 季漢ノ章 第07
関羽(関平、周倉、関興、関索、関彝)、張飛(張苞、張紹、張遵)
やっぱこの2人は、劉備によく尽した。黄忠なんかと並べたら、関羽さんが怒る笑
子孫は貧弱なんだが、『演義』がどう膨らましたのかも含めて、その活躍を見ておきたい。
関羽(雲長)


 

横浜の関帝廟も神戸の関帝廟も行きました。解説の看板が、正史準拠なのか『演義』のファンタジーなのか、ごちゃごちゃ。そして、どの本を見ても、なぜ彼が商売の神なのか、確信的に解説はできない。「証明不可」も1つの解答のかたちですが。そのくせ、曹操よりも有名になってしまった信仰世界の偉人です。
吉川英治曰く「酒を飲むほど、髯に艶が出る」らしい笑
関羽は「天水山」です。
明清のときに皇帝になり、神にもなったんだから、迷うことなく天の座は「天」でよし。
地の座は、荊州にポツーンと孤立し、樊城攻めは完結できずに進退極まるから、険たる「水」です。水軍を率いてたし笑
同盟先の孫権には「虎の子が、犬コロを娶れるか」と言い、後方の麋芳には「今度あったら死刑だ」と言い、前方の孟達には「余計な手出し無用だ」と叱る。徐晃には「同郷人の誼みで、ちょっと待て」とせっつく。
髯はすごかったし、一騎打ちは強かっただろうか、個人の威が猛々しいというだけのレベル。巨視的には、匹夫の類だろうね。
天の座と地の座の爻が、まるで対応してない(陰陽が2つも変わってる)ことが、本人の実績と後世評のギャップを物語る。
人の座は、「山」です。どっしりと構え、プライドが高い。諸葛亮に「馬超は張飛とはいい勝負ですが、髯殿には敵いません」という手紙をもらうと、嬉しくて見せびらかしてしまう、典型的な自尊タイプ。トップの陽爻が他の2陰を押さえつけ、君臨しています。静的な卦で、価値観のゆさぶりを受け付けません。
陳寿が、「目上には対抗し、目下は可愛がった」と評しているが、目上はプライドを侵す存在だから、攻撃的になっちゃうんだ。
曹操よりも劉備を選んだ理由は、曹操その人が優れており、優秀な人材が多かったからじゃないのか。曹操の下で「オレって2番手以降か」なんて卑屈な日々を過ごすより、劉備の下で「君主はオレ以下。臣下も全員がオレ以下。かっかっか」とやってる方が、関羽の気性に合うんだ。
劉備も人間だから、いくら包容力があるとは言え、露骨に己を見下す人間を扱いづらい。だから、劉備は関羽を遠ざけたかった。下邳の留守を命じ(曹操の捕虜になり)、長阪では別行動で、荊州の保持も彼に任せたんだ。関羽は劉備の指揮命令系統から外れた、独立軍だったと思う。新参で若い諸葛亮の「天下三分」なんて意見は、聞かない。無念の孤独死は、国家の損失には違いなかろうが、実態はただの個人的悲劇だ。080710
張飛(益徳)


 

中国文学の典型、『西遊記』の孫悟空にも通じるとされる、破天荒な愛されキャラ。豪快に酒を飲み、酒を飲むたびに失敗する。徐州の留守番のときは、禁酒セラピーに挑戦し、失敗して呂布に城を奪われた。読者に「飲むな、飲むな、ああ!飲んじゃった」と、低レベルなヒヤヒヤを味わわせてくれる貴重なキャラ笑
天の座は、血生臭い『三国志』を、明るくユーモラスな活劇に変えてくれる役回りから「火」です。
地の座は、目上にへりくだり、益州で劉巴に交際を断られるなどのお茶目な屈辱を味わった逸話から、「沢」にしました。これで劉巴に殴り込みをかけて殺していれば「沢」たり得ないんだが、そこはグッと堪えたようです。
兵卒を鞭で気ままに殺し、下には剛(陽)の態度で臨む人だ。それがボトルネック(死の要因)になるんだが、どこ吹く風。逆に、目上には、柔(陰)なスタンスで敬意を払う。卦の形と張飛の態度を、綺麗に呼応させられました。
劉備に忠誠を誓ったのも、張飛の本性が「弟分」だったからじゃないかな。登場したときは関羽の下に着いてたが、関羽は劉備に信頼されて(煙たがられて)別行動が多い。 劉備と張飛という2人きりいなることも多かったが、それでも関係が崩れなかったのは、関羽を仲介しない長幼の関係が出来上がっていたからだろう。
陳寿が書き残した張飛の武勇伝は、長阪での防戦だ。20騎で残って、劉備を逃がした。「燕人張飛さまが、相手になってやらあ!」と啖呵を切り、曹操軍は手出しが出来なかったことになってる。ただし、せっせと逃げている劉備も燕人なんだから、おかしいね。中山靖王の、とか名乗ってるから気づかないが、激しい気性の代名詞である「燕人」は、使う人を選ぶらしい笑
蜀獲りのとき、厳顔の毅然とした態度に感服するエピソードが、「張飛は単なる暴れ者じゃなく、節度を持った人士だ。意外だろう」として引用される。しかし、開けっぴろげに目上を慕う無邪気さ(幼児性)が、そのまま表れただけで、ぼくは「異なる側面を見た」という気はしない。
最後に、人の座は「火」です。天の座と人の座が同じということは、生きたそのままに、後世人に語り継がれたということになる。しかしぼくの気づいていない多面性があったのかも。
浅いようで底が見えない、分かるようで分からない張飛のパーソナリティは、北方『三国志』でのカッコ良さと夫婦愛の源泉です。元ネタが分かりにくいほど、創作の余地があるんだ。
この観点で対照的なのが、北方氏の描いた関羽。性格の複雑さが周知されているせいでアソビがなく、「どこにでもいる、一般的な関羽になってしまった」という作者のコメントが出てきてしまうのです。そのせいで、関羽は妻も娶り損ねたし笑 080710
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