表紙 > 漢文和訳 > 『宋書』本紀第二「少帝紀」の翻訳

1)北魏とのお付き合い

前回、東晋を滅ぼした劉裕の本紀を読みました。その次の宋の皇帝が、劉義符です。短いので、勢いで訳してしまいます。
宋の文帝のとき、裴松之が『三国志』に註を付けてくれるので、そこまでは見てしまいたい。武帝-少帝-文帝、です。

晩年の子、17歳の皇帝

少帝諱義符,小字車兵,武帝長子也,母曰張夫人。晉義熙二年,生於京口。武帝晚無男,及帝生,甚悅。年十歲,拜豫章公世子。帝有旅力,善騎射,解音律。宋台建,拜宋世子。元熙元年,進為宋太子。武帝受禪,立為皇太子。

少帝は、いみなを義符といい、小字を車兵という。武帝・劉裕の長子である。母は、張夫人という。
晉義熙二(406)年、京口で生まれた。劉裕は、晩年まで男子が生まれなかった。劉義符が生まれたとき、とても喜んだ。劉義符が10歳のとき、豫章公となり、世子になった。
劉義符は、軍旅を経験して、騎射が上手かった。音律を解した。宋国の役所が立てられると、宋の世子となった。
元熙元年、宋の太子に進んだ。劉裕が東晋から受禪すると、皇太子に立てられた。

永初三年五月癸亥,武帝崩,是日,太子即皇帝位。大赦;尊皇太后曰太皇太后。六月壬申,以尚書僕射傅亮為中書監,司空徐羨之、領軍將軍謝晦及亮輔政。戊子,太尉長沙王道憐薨。秋九月丁未,有司奏武皇帝配南郊,武敬皇后配北郊。冬十一月戊午,有星孛于營室。十二月庚戌,魏軍克滑台。

永初三(422)年5月癸亥、劉裕が崩じた。この日、皇太子の劉義符は皇帝になった。少帝である。

17歳の皇帝です。「少帝」とおくり名するには、少し大きくないか?

大赦した。祖母の皇太后を貴び、太皇太后とした。
6月壬申、尚書僕射の傅亮を中書監とした。司空の徐羨之と、領軍將軍の謝晦および傅亮が、劉義符を輔政した。

宋の有力な臣の顔ぶれを、確認することができた。劉裕は、臣下の人材に恵まれないと嘆いてたらしいが・・・彼らは小粒なんだろうか。

6月戊子、太尉で長沙王の劉道憐が薨じた。
秋9月丁未、有司は、劉裕を南郊に祭れと奏じた。武敬皇后を、北郊に祭った。
冬11月戊午、營室で星孛があった。12月庚戌、北魏軍が滑台で克った。

423年、北魏の君主交代

明年春正月己亥朔,大赦,改元為景平元年。文武進位二等。辛巳,祀南郊。虜將達奚仰破金墉,進圍虎牢。毛德祖擊虜敗之,虜退而複合。拓跋木末又遣安平公涉歸寇青州。癸卯,河南郡失守。乙卯,有星孛於東壁。二月丁醜,太皇太后崩。沮渠蒙遜、吐谷渾阿豺並遣使朝貢。庚辰,爵蒙遜為大將軍,封河西王。以阿豺為安西將軍、沙州刺史,封澆河公。辛未,富陽人孫法光反,寇山陰,會稽太守褚淡之遣山陰令陸劭討敗之。

明(423)年の春正月己亥朔、大赦して、景平元年と改めた。文武進位二等。辛巳、劉義符は南郊で祭祀をした。
虜將の達奚仰が、金墉を破り、進んで虎牢を包囲した。毛德祖は、達奚仰を破った。達奚仰は撤退したが、ふたたび合流した。

劉裕のときに洛陽を得たが、北魏に奪われようとしている。

拓跋木末は、安平公の涉歸に、青州を寇させた。癸卯、河南郡は太守を失った。乙卯、東壁で星孛があった。
2月丁醜、太皇太后が崩じた。
沮渠の蒙遜と、吐谷渾の阿豺が、宋に朝貢した。庚辰、蒙遜を大將軍として、河西王に封じた。阿豺を安西將軍、沙州刺史にして、澆河公に封じた。

北魏に敵対する勢力との、遠交近攻かな?

2月辛未、富陽人の孫法光が反し、山陰を寇した。會稽太守の褚淡之は、山陰令の陸劭に討伐させた。陸劭は、孫法光を破った。

三月壬寅,孝懿皇后祔葬于興寧陵。是月,高麗國遣使朝貢。甲子,豫州刺史劉粹遣軍襲許昌,殺虜潁川太守庾龍。乙丑,虜騎寇高平。初,虜自河北之敗,請修和親;及聞高祖崩,因複侵擾,河、洛之地騷然矣。夏四月,檀道濟北征,次臨朐,焚虜攻具。乙未,魏軍克虎牢,執司州刺史毛德祖以歸。秋七月癸酉,尊所生張夫人為皇太后。丁醜,以旱,詔赦五歲刑以下罪人。冬十月己未,有星孛於氐,指尾,貫攝提,向大角,仲月在危,季月掃天倉而後滅。是歲,魏主拓跋嗣薨,子燾立。十二月丙寅,省甯州之江陽、犍為、安上三郡,合為宋昌郡。

423年3月壬寅、孝懿皇后を興寧陵に祔葬した。この月、高麗國が朝貢した。甲子、豫州刺史の劉粹が、許昌を襲った。北魏の潁川太守・庾龍を殺した。乙丑、北魏の騎馬が高平を寇した。

「北虜」って、よく聞く響きなので、この用法から「虜」が使われているのでしょう。北魏では、劉裕を「島夷」と読んだ。宋では、北魏を「虜」と言った。

はじめ北魏が河北で敗れたとき、北魏は宋に和親を求めてきた。劉裕が死んだと聞くと、北魏はふたたび侵擾するようになった。黄河や洛水のあたりの地が、騷然となった。

君主の交代に漬け込む。敵の喪に軍を動かす。儒教文化に照らせば、最悪の態度だ。


夏四月,檀道濟北征,次臨朐,焚虜攻具。乙未,魏軍克虎牢,執司州刺史毛德祖以歸。秋七月癸酉,尊所生張夫人為皇太后。丁醜,以旱,詔赦五歲刑以下罪人。冬十月己未,有星孛於氐,指尾,貫攝提,向大角,仲月在危,季月掃天倉而後滅。是歲,魏主拓跋嗣薨,子燾立。十二月丙寅,省甯州之江陽、犍為、安上三郡,合為宋昌郡。

夏4月、檀道濟が北征して、臨朐に入り、北魏の武具を焼き払った。乙未、北魏が虎牢で勝ち、宋の司州刺史・毛德祖は降伏した。
秋7月癸酉、劉義符は母の張夫人を皇太后とした。丁醜、日照りなので、5年の実刑以下の罪人を赦した。
冬10月己未、氐で星孛があった。流れ星の尾は、攝提の領域を貫き、大角の方を向いた。月の半ばに在危、月末には天倉を掃って、後に滅した。

彗星みたいなものが、半月くらいずっと出てた。中国でも夜空を区切って、星座を作ってる。その座標で説明しているんだが、映像化できるほどにちゃんと調べてません。

この歳、北魏の君主・拓跋嗣が薨じ、子の拓跋燾が立った。

『宋書』は、北魏の拓跋部に、「薨」という動詞を使うんですね!

12月丙寅、甯州にある江陽、犍為、安上の3郡をなくして、合わせて宋昌郡を作った。

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