表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』列伝52、蜀漢正統論の習鑿歯伝を翻訳

1)桓温の右腕として

紀伝体の歴史書で、はじめて蜀漢に本紀を設けたとされる、習鑿歯です。彼の『漢晋春秋』は、裴松之の注で断片的にしか読むことができないようです。残念・・・
習鑿歯について少しでも知りたい!ということで、列伝の翻訳をやります。

荊州への就職

習鑿齒,字彥威,襄陽人也。宗族富盛,世為鄉豪。鑿齒少有志氣,博學洽聞,以文筆著稱。荊州刺史桓溫辟為從事,江夏相袁喬深器之,數稱其才于溫,轉西曹主簿,親遇隆密。

習鑿歯は、あざなを彦威という。荊州の襄陽郡の人だ。一族は富み盛えて、代々、郷里の有力者だった。
習鑿歯は若いときから志気があり、広く学んで物知りで、文筆の腕前を称えられた。荊州刺史の桓温に辟召されて、従事ととなった。江夏国の相である袁喬は、習鑿歯の器量ととても評価した。袁喬はしばしば桓温に、習鑿歯の才能を褒めて聞かせた。習鑿歯は、桓温の西曹主簿に転じて、とても親しく待遇され、桓温の右腕となった。

天文読みを助ける

時溫有大志,追蜀人知天文者至,夜執手問國家祚運修短。答曰:「世祀方永。」疑其難言,乃飾辭雲:「如君言,豈獨吾福,乃蒼生之幸。然今日之語自可令盡,必有小小厄運,亦宜說之。」星人曰:「太微、紫微、文昌三宮氣候如此,決無憂虞。至五十年外不論耳。」溫不悅,乃止。

ときに桓温は、大きな志を持っていた。

平たく言えば、東晋を簒奪する志です。

桓温は、天文が読めるという蜀の人を呼び寄せ、夜に手を取って、
「東晋の命運は、どれくらい残りが少ないですか」
と質問した。天文者は、
「東晋の祭祀は、方永でしょう」
と答えた。桓温は、抽象的な言葉の意味を図りかね、言葉を飾って聞きなおした。
「あなたが仰るとおり、東晋が永続きするなら、私1人だけでなく、万民にとっての幸福です。しかし占い結果について、全く省略せずに言えば、東晋にとって災厄となるニュアンスが、必ず少しは含まれるはずです。教えてもらえませんか」
「太微、紫微、文昌の3つの星座が帯びている気候は、ご覧の通りです。東晋にとって不吉で、憂い虞れるべきことはゼロです。50年以上も先のことは、私は読み取ることができませんが」
桓温は悦ばず、話を止めた。

少なくとも50年は東晋が続くことが保障された。自分の寿命と照らせば、簒奪は無理である。だから不機嫌になった。

異日,送絹一匹、錢五千文以與之。星人乃馳詣鑿齒曰:「家在益州,被命遠下,今受旨自裁,無由致其骸骨。緣君仁厚,乞為標碣棺木耳。」鑿齒問其故,星人曰:「賜絹一匹,令僕自裁,惠錢五千,以買棺耳。」鑿齒曰:「君幾誤死!君嘗聞前知星宿有不覆之義乎?此以絹戲君,以錢供道中資,是聽君去耳。」星人大喜,明便詣溫別。溫問去意,以鑿齒言答。溫笑曰:「鑿齒憂君誤死,君定是誤活。然徒三十年看儒書,不如一詣習主簿。」

後日、桓温は天文者に、絹1匹と、銭5000文を与えた。天文者は、習鑿歯に会いに来て言った。
「私の家は、益州にあります。桓温さまに命じられて、遠く荊州まで長江を下ってきました。いま桓温さまに、自決せよと伝えられました。私は荊州に、遺体を収容してくれる知人がいません。習鑿歯さんは仁厚がお人です。私の遺体を、棺に入れることだけでも、お願いできませんか」
習鑿歯は、天文者がなぜ桓温の意図をそのように読み取ったのか、聞いた。天文者は言った。
「絹1匹を賜りました。これを使って首をつれという意味です。銭5000文を恵まれました。この金で棺を買えという意味です」
習鑿歯は言った。
「あなたは、死ななくても良いのに、死ぬのですか。あなたはかつて、聞いたことがありませんか。天文が読める人間には、覆らない義があると。桓温さまが絹を下さったのは、あなたを喜ばせるため。銭は、益州への旅費です。桓温さまはあなたに、家のある益州へ帰れと仰っているのです」

「不覆之義」ってなんでしょう。占い結果に責任がない、とか?

天文者は大いに喜んだ。翌日天文者は、桓温に別れを告げた。桓温は、
「どういうつもりで益州に帰るのか(死ねよ)」
と天文者に聞いた。天文者は、習鑿歯の言葉を伝えた。桓温は笑って言った。
「習鑿歯は、キミが誤って死ぬことを憂いた。キミは自決しないことを、誤って生き続けると考えた。オレはいたずらに30年も儒学を学んできたが、主簿の習鑿歯と会話した方が勉強になるな

ナイスな受け答え

累遷別駕。溫出征伐,鑿齒或從或守,所在任職,毎處機要,蒞事有績,善尺牘論議,溫甚器遇之。時清談文章之士韓伯、伏滔等並相友善,後使至京師。簡文亦雅重焉。既還,溫問:「相王何似?」答曰:「生平所未見。」以此大忤溫旨,左遷戶曹參軍。時有桑門釋道安,俊辯有高才,自北至荊州,與鑿齒初相見。道安曰:「彌天釋道安。」鑿齒曰:「四海習鑿齒。」時人以為佳對。

習鑿歯は、別駕に遷った。桓温が外征すると、習鑿歯は従軍したり留守を任されたりした。習鑿歯の仕事ぶりは、いつも緻密でツボを抑えていて、実績をあげた。習鑿歯は、レジュメ作成や議論が上手かったから、桓温は習鑿歯をよく用いた。
ときに清談文章の士である韓伯や伏滔らは、習鑿歯と仲が良く、のちに建康に招かれた。簡文帝もまた、習鑿歯の雅量を重んじた。
習鑿歯が桓温のところに戻ったとき、桓温は聞いた。
「相王(会稽王、桓温の政敵)を例えるなら、どんな人物か?」
習鑿歯は答えた。
「あまりに優れすぎて、例える相手を私は知りません」
この答えは、桓温の期待と大きく違った。習鑿歯は左遷されて、戸曹參軍にされた。
ときに仏僧の道安は、賢くて弁が立ち、才能豊かだった。道安は、北方から荊州に来て、習鑿歯と初めて会った。道安は言った。
「私は、彌天釋の道安です」
「私は、四海の習鑿歯です」
この受け答えを、当時の人は褒めちぎった。

どこが「佳」いのでしょう。「仏道に生きる道安です」「俗世に生きる習ちゃんです」というノリかなあ。
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