表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』列伝63外戚、を康帝の褚氏まで翻訳

1)前文、それから羊琇伝

『晋書』外戚伝、やります。

外戚伝の前文

詳觀往誥,逖聽前聞,階緣外戚以致顯榮者,其所由來尚矣。而多至禍敗,鮮克令終者,何哉?豈不由祿以恩升,位非德舉;識慚明悊。材謝經通;假椒房之寵靈,總軍國之樞要。或威權震主,或勢力傾朝;居安而不慮危,務進而不知退;驕奢既至,釁隙隨之者乎!是以呂霍之家,誅夷于西漢,梁鄧之族,剿絕於東都,其餘幹紀亂常、害時蠹政者,不可勝載。至若樊靡卿之父子,竇廣國之弟兄,陰興之守約戒奢,史丹之掩惡揚善,斯並後族之所美者也。由此觀之,幹時縱溢者必以凶終,守道謙沖者永保貞吉,古人所謂禍福無門,惟人所召,此非其效歟!

古来よりの前例を見ると、外戚の人が栄えたのは、外戚が尚ばれたからである。しかし外戚には、禍いをうけた人も多い。なぜ最後まで、政治を勝ち抜いた人が少ないのだろうか。恩をうけて特別待遇をされても、それは外戚本人の人格が優れているからではないからだ。にも関わらず、外戚が調子に乗ると、国にとって害となる。
前漢では呂氏や霍氏が、後漢では梁氏や鄧氏が、政敵を滅ぼして、政治を牛耳った。外戚の害は、その他いちいち数え切れない。
外戚が驕れば、必ず最後には滅ぼされる。外戚が道を守れば、家を保つことができるのだ。

めちゃめちゃ大上段に構えた導入だが、大したことを言っていない(笑)


逮于晉難,始自宮掖。楊駿藉武帝之寵私,叨竊非據,賈謐乘惠皇之蒙昧,成此厲階,遂使悼後遇雲林之災,湣懷濫湖城之酷。天人道盡,喪亂弘多,宗廟以之顛覆,黎庶於焉殄瘁。《詩》雲:「赫赫宗周,褒姒滅之。」其此之謂也。爰及江左,未改覆車。庾亮世族羽儀,王恭高門領袖,既而職兼出納,任切股肱。孝伯竟以亡身,元規幾于敗國,豈不哀哉!若褚季野之畏避朝權,王叔仁之固求出鎮,用能全身遠害,有可稱焉。賈充、楊駿、庾亮、王獻之、王恭等已入列傳,其餘既敘其成敗,以為《外戚篇》雲。

晋王朝の滅亡は、後宮から始まった。恵帝の皇后・賈氏は、恵帝が蒙昧(バカ)であるのをいいことに、武帝の悼皇后・楊氏を殺し、皇太子の司馬遹を殺した。八王の乱の始まりである。
『詩経』が「皇后が力を持ち、褒姒(西周の幽王妃)が国を滅ぼした」と説くが、賈皇后のことを言っている。
東晋では、庾亮や王恭の一族が、高官を独占した。孝伯竟が身を滅ぼしたので、国は敗れてしまった。哀しいことだ。(以下、東晋の歴史が分からんので中略。外戚が国に貢献するイフ物語だ)
賈充、楊駿、庾亮、王獻之、王恭らは、すでに列伝に入っているから、それ以外の外戚について記す。

司馬炎を即位させた、羊琇

羊琇,字稚舒,景獻皇后之從父弟也。父耽,官至太常。兄瑾,尚書右僕射。琇少舉郡計,參鎮西鐘會軍事,從平蜀。及會謀反,琇正言苦諫,還,賜爵關內侯。琇涉學有智算,少與武帝通門,甚相親狎,每接筵同席,嘗謂帝曰:「若富貴見用,任領護各十年。」帝戲而許之。

羊琇は、あざなを稚舒という。景獻皇后の從父弟である。父の羊耽は、官位が太常にまでなった。兄の羊瑾は、尚書右僕射になった。
羊 琇は、若いときに郡の計吏に挙げられ、鎮西の鍾会の軍事に参した。蜀の平定軍に従軍した。蜀を平定すると、鍾会は謀反した。羊琇は鍾会に正面から苦言をぶつけ、諌めた。鍾会を諌めた功績により、羊琇は洛陽に戻ると、關内侯を賜った。
羊琇は学問に精通し、智恵と計略があった。若いとき、武帝(司馬炎)と交流して、とても親しく、隣に座るほどだった。かつて羊琇は、武帝に言った。
「あなたが富貴に(皇帝に)なったら、私を10年ずつ領護に任じて下さい」
武帝は、笑ってこれを許した。

出世した後の約束だ。次の段に見えるように、武帝は司馬氏を嗣げないかも知れない。司馬炎は、当主(司馬師)の甥に過ぎない。望みが薄い。「あなたの即位に尽力するから、褒賞を宜しくね」という、羊琇の契約交渉にも見える。羊琇は、当主(司馬師)の縁者という立場を利用した?


初,帝未立為太子,而聲論不及弟攸,文帝素意重攸,恆有代宗之議。琇密為武帝畫策,甚有匡救。又觀察文帝為政損益,揆度應所顧問之事,皆令武帝默而識之。其後文帝與武帝論當世之務及人間可否,武帝答無不允,由是儲位遂定。及帝為撫軍,命琇參軍事。帝即王位後,擢琇為左衛將軍,封甘露亭侯。帝踐阼,累遷中護軍,加散騎常侍。琇在職十三年,典禁兵,豫機密,寵遇甚厚。

はじめ、まだ武帝が太子に立てられる前、武帝の名声は弟の司馬攸に及ばなかった。文帝(司馬昭)は、ふだんから司馬攸を可愛がり、つねに次の当主に選ぼうとしていた。

司馬攸は司馬炎の弟だが、司馬師の養子である。

羊琇はひそかに武帝のために策をつくし、武帝を助けた。
また羊琇は、文帝の為政の長所と短所を観察した。羊琇は文帝から信頼されて、文帝から相談されたことに答えていた。羊琇は武帝に黙らせて、文帝と自分の会話を聞かせた。
のちに文帝と武帝が、時事の政策や人材について、議論した。武帝の答えは、羊琇の指導のおかげでパーフェクトだった。これにより、文帝は武帝を、太子として定めた。
武帝が撫軍となると、羊琇を參軍事とした。武帝が晋王に即位すると、羊琇は左衛將軍となり、甘露亭侯に封じられた。武帝が禅譲を受けると、羊琇は中護軍に遷り、散騎常侍を加えられた。
羊琇の在職13年間、禁兵を管理して、機密を与った。武帝から羊琇への寵遇は、とても厚かった。

初,杜預拜鎮南將軍,朝士畢賀,皆連榻而坐。琇與裴楷後至,曰:「杜元凱乃複以連榻而坐客邪?」遂不坐而去。

はじめ杜預が鎮南將軍を拝したとき、朝士は祝賀会を終えて、みなで長イスに並んで座った。羊琇と裴楷は、後から来て言った。
「杜元凱(杜預)は、乃複以連榻而坐客邪?」

「而」を順接に読むのか逆接に読むのか、よく分かりません。

羊琇は、長イスに座らずに去った。

琇性豪侈,費用無複齊限,而屑炭和作獸形以溫酒,洛下豪貴鹹競效之。又喜游燕,以夜續晝,中外五親無男女之別,時人譏之。然黨慕勝己,其所推舉,便盡心無二。窮窘之徒,特能振恤。選用多以得意者居先,不盡銓次之理。將士有冒官位者,為其致節,不惜軀命。然放恣犯法,每為有司所貸。 其後司隸校尉劉毅劾之,應至重刑,武帝以舊恩,直免官而已。尋以侯白衣領護軍。頃之,複職。

羊琇は豪侈な性格で、金に糸目をつけず、屑炭で獸の形を作って酒を温めた。西晋の都市貴族は、ゴージャスさを競った。また羊琇は夜遊びが好きで、乱交した。世の人は、羊琇の遊びぶりをそしった。だが仲間内では、羊琇は人気があり、結びつきが強かった。貧しい人には施した。
羊琇は、人事に口を利きをして、仲間を官位に就けた。仲間たちは、羊琇のためには骨身を惜しまなかった。だが仲間たちは、平気で法を犯したから、役人たちにチェックされた。
のちに司隸校尉の劉毅は、羊琇たちを弾劾して、重刑を課すことにした。武帝は羊琇に皇帝にしてもらった旧恩があるから、刑罰を、ただ羊琇を免官するだけに留めた。羊琇は、侯白衣をもって護軍を領した。このころ羊琇は、ふたたび公職に戻った。

及齊王攸出鎮也,琇以切諫忤旨,左遷太僕。既失寵憤怨,遂發病,以疾篤求退。拜特進,加散騎常侍,還第,卒。帝手詔曰:「琇與朕有先後之親,少小之恩,曆位外內,忠允茂著。不幸早薨,朕甚悼之。其追贈輔國大將軍、開府儀同三司,賜東園秘器,朝服一襲,錢三十萬,布百匹。」諡曰威。

齊王攸(司馬攸)が出鎮することになると、羊琇は切実に武帝を諌めた。羊琇は武帝に逆らったから、太僕に左遷された。羊琇は、武帝からの寵愛を失い、憤怨を買った。羊琇は病気になり、辞職を願い出た。

司馬炎の即位を助けた羊琇だが、司馬攸を遠方に飛ばすことには反対した。司馬攸を斉に行かせることが、いかに輿望から遠かったか、よく分かる。

羊琇は特進となり、散騎常侍を加えられた。宮殿に戻って、死んだ。武帝は手ずから詔を書いた。
「羊琇と私は親しく、羊琇の働きぶりは忠允であった。不幸にして早死にしたから、私はひどく悼んでいる。羊琇には、輔國大將軍を追贈し、開府儀同三司とせよ。東園秘器、朝服1襲、錢30萬、布100匹を賜え」
羊琇は「威」とおくりなされた。

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