雑感 > 樊安公の曹均(曹操の子)の爵位をめぐる小説

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第1回:曹均が南陽攻めに従軍する

ツイッターで流れてきた、曹均の話に、興味を持ちました。
曹均を主人公にした小説(短編にしかならないけど)を書いてみます。曹均に視点を置くと、曹均の死後の話が成り立たなくなるので、曹丕に視点を置きます。
興味を持ったきっかけは、以下の2本の記事です。

樊の安公 【曹均】(三国与太噺)
http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20100801/1280637304
曹均の謎(てぃーえすのワードパッド)
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20141116/1416067285

@Golden_hamster 曰く、魏諷の乱で魏諷側は曹丕に替えて曹均を立てようとした、なんてストーリーがあったかもしんまい。なんの証拠もないけど
@AkaNisin 曰く、僕もその辺の妄想をしたことありますけど、まあ小説の域はでませんでした、、、w
‏@HAMLABI3594 曰く、真実は小説の中にあるw


というわけで、曹均の小説、やってみます。

曹丕・曹均が、南陽に従軍する

建安二(197)年春正月のことである。曹丕は、父の曹操に呼ばれた。
「弓は射られるか」
「四年前、六歳のときに習得しました」
「馬は騎れるか」
「これも四年前、六歳のときに習得しました」
「騎射はできるか」
「二年前、八歳のときに習得しました」

曹丕は、練兵の場に出て、腕前を見せた。
「宜しい。南陽を攻める。従軍せよ」
「ありがとうございます。大人に劣らぬ功績を立てます」
「せいぜい競うがいい」

文帝紀 注引『典論』自序:余時年五歲、上以世方擾亂、教余學射、六歲而知射、又教余騎馬、八歲而能騎射矣。以時之多故、每征、余常從。建安初、上南征荊州、至宛、張繡降。旬日而反、亡兄孝廉子修、從兄安民遇害。時余年十歲、乘馬得脫。

曹丕は十歳にして、初めて戦場に赴くことになった。
このとき、董卓の旧臣の従子・張済が、南陽に入り、劉表と結んだ。張済が死に、従子の張繍が軍を継いだと報せがあった。曹操は、北は袁紹、南は袁術、東は呂布と敵対する。西の方面だけでも、敵対者を除いておこうと考えたのである。

武帝紀:張濟、自關中走南陽。濟死、從子繡、領其衆。二年春正月、公到宛。張繡降、既而悔之、復反。


曹丕は、騎射の技術が評価されたと思い、意気揚々と行軍に加わった。だが、ひとつ年下の異母弟・曹均の姿を見つけて、落胆した。

曹丕との年齢差は、史料からはわからない。
@AkaNisin 曰く、曹操の子の曹均は、兄弟の末席で事績も取り立ててないので地味ですけど、割合に年上の兄弟だったっぽいですよ。曹均は200年に張繍の娘を娶り、219年にはそれなりに成長した息子が3人いて、234年には養子に出せる孫もいました。これを曹丕(187年生)、曹植(192年生)と比べると、曹丕以上はあり得ないにしても、曹植より年下ってのも考えにくいような。
ぼくは、曹丕と張り合わせるために、1つ年下と設定しました。

「なんだ、均、お前も行くのか」
「父の前で騎射をしたら、従軍を許されました」
「お前に騎射ができたか」
「昨年までは、私は兄さまに敵いませんでした。でも私だって、毎日、たくさん練習をしていますから」
「聞き捨てならないな」
曹丕は、あらゆることにおいて、習得の早さに自信があった。だが、昨年、九歳のうちに戦場に出ることは、父に許されなかった。
――「せいぜい競え」とは、均を相手に、という意味だったか。
曹丕は父の思惑を憎み、曹均をも憎んだ。
「足手まといになるな」
曹丕は馬をあやつって、曹均の馬に当てた。曹均の馬はおどろき、あやうく倒れそうになった。だが、たくみな馬術で、態勢を持ち直した。曹丕は余計に怒りがこみあげ、さらに勢いをつけて、体当たりしようとした。
「そこまでだ」
曹丕を叱ったのは、長兄の曹昂である。曹昂は正妻の劉氏の子であり、劉夫人の死後、つぎの正妻の丁氏に養われた。二十歳で孝廉に挙げられた。

武文世王公伝:劉夫人生豐愍王昂、……豐愍王昂、字子脩、弱冠舉孝廉。隨太祖南征、爲張繡所害、無子。

曹昂は、押しも押されもせぬ嫡長子である。ともに母が卑しく、かつ年下の曹丕・曹均から見れば、まったく敵わない相手であった。
「申し訳ありませんでした」
曹丕は謝りながら、おのれの恵まれない境遇を呪った。

曹彬と曹安民が、鄒氏を手配する

曹操軍が淯水に着陣すると、張繍がつかわした賈詡という者が、降伏を申し入れた。曹操はこれを受諾し、南陽の城内に入った。
「戦うつもりできたのに、戦うことなく勝った。兵法においては最良の状況かも知れないが、高ぶった気分が収まらないのも、困ったものだ」
と大笑した。
この遠征には、曹操の弟の曹彬も従っていた。軍団の編成や、糧秣の配分を担当する。曹彬は、兄の性格を知り尽くしており、戦意を持て余した曹操が、余計なことをしないかと恐れた。その曹彬のもとに、ちょうど賈詡が訪れた。
「降伏した軍の再編成について、相談したい」
と言われたので、会ってみれば、賈詡は、「亡き張済の妻で、鄒氏という人がいます。曹操さまのお供にいかがですか」と勧めた。

賈詡が、鄒氏を曹操につなぐのは、『蒼天航路』の設定。

曹彬は警戒して、いちどは断った。
「鄒氏は、夫を亡くしたばかり。なぜ、他人に仕えさせて良いものでしょうか」
「勝者が、敗者の妻子を養うのは、世のならいです」
しつこく賈詡が勧めるので、ついに曹彬は同意した。
「わが子の曹安民という者に、鄒氏を迎えにゆかせます」
と、段取りを決めた。

武文世王公伝:樊安公均、奉叔父薊恭公彬後。建安二十二年封樊侯。二十四年薨、子抗嗣。
とあることから、曹彬は曹均の叔父、すなわち、曹操の弟です。また、武帝紀に「長子昂、弟子安民遇害」とあります。ここから、何の証拠もないけれど、曹彬と曹安民を父子としてみました。曹安民が南陽に従軍したことは明らかですが、曹彬については分かりません。
曹操の弟には、徐州で殺された曹徳がいます。しかし、のちの張繍をめぐるドロドロ劇のために、曹徳やそれ以外の史料にない人物よりも、曹彬と曹安民の親子関係を設定したほうが、おもしろくなるので、このようにしました。


このころ曹操は、張繍軍の再編成を待ち、時間を持て余した。毎日の酒宴にも飽きて、左右の者に、「この城中に、妓女はいるか」と問うた。曹操の衣食にかんする事務は、曹安民が担当である。曹安民が答えた。
「妓女ではありませんが、関中一の美麗な者がおります」
「会ってみたい」
「今夜、向かわせます」

曹安民が衣食を担当して、曹操が「妓女」を求めるのは、李本『三国演義』16回より。毛本でも、曹安民が鄒氏を連れてくるが、衣食の担当とまでは書いてない。また『三国演義』では、曹安民は曹操の「兄」の子となっているから、整合しないw

曹操は鄒氏を気に入って、連日にわたって享楽にふけった。

駐屯軍のなかにいる曹丕は、父の居室から、昼夜をへだてずに女の嬌声が聞こえてくるのを怪しみ、兄の曹昂に聞いた。
「父は何をしていますか」
「私が教えずとも、そのうち知るだろう」
「昨年、父は、天子を許県に迎えました。この連日、父がやっているのは、天子のために必要なことですか。それとも、天子を蔑ろにする行為ですか。それだけでも、いま教えてください」
「どちらとも言えない」
「私は、父が誤りを犯しているような気がします」
「われら曹氏は、ひとり曹操という人物によって、今日の勢力を得た。また、私も、丕も、均も、ひとり曹操という人物によって、生み出された。曹操がどのように振る舞おうと、私たちにとって、つねにそれは正しいのだよ」
諭された曹丕のなかに、対抗心が芽生えた。
「兄は、いつか曹氏を嗣がれますね」
「それに値する力量が、私にあれば良いと願っている」
「はぐらかさないで下さい。兄の立場であれば、ぜったいに曹氏を嗣ぎます。あらゆる古典を読んでも、兄の立場は絶対です。嫡長子が家を嗣がないのは、乱の原因となります」

のちに曹植と争うときも、これが曹丕の行動原理になるので、このように言わせてみました。まだ、十歳のガキが、理屈をこねているだけですけど。

「何を怒っているのか」
二十歳を越えた曹昂は、まだ十歳の曹丕をもてあました。
「曹氏を嗣ぐ者として、兄は、父を諌めなくてよいのですか。曹氏の一員として、私は兄に、後嗣としての自覚を持ってほしい。分かったふりをしてほしくない」
曹丕は泣き出してしまった。
そこに、従兄の曹安民が現れた。どうしたのか、と曹安民が聞くので、曹昂が一連の会話を伝えた。曹安民は、曹丕の頭に手をおいて、なだめた。
「伯父(曹操)に鄒氏を勧めたのは、私だ。原因は私にある。責めるなら、私を責めなさい」
曹丕は、曹安民の手を払いのけ、走り去った。

賈詡の計略が、曹操をねらう

さて張繍は、曹操の振るまいに震怒した。
「賈詡よ。お前が、一族を保全するには、曹操に降るべきだと言うから、私はそれに従ったのだ。しかし、一族を保全するどころか、兄嫁を曹操にもてあそばれ、ひどい侮辱を受けている」
「お気持ちをお察しします」
「賈詡の策は、尽く、狙いを外したな」
「いいえ。それは違います。曹氏を皆殺しにして、張繍さまが勢力を拡大する好機が、まさに訪れたのです」
「でたらめを言うな」
「いま南陽には、曹操のみならず、曹操の子である曹昂・曹丕・曹均。曹操の弟である曹彬と、その子の曹安民が、集まっております。これを一網打尽にすれば、曹氏は滅亡するほかなく、豫州・兗州、そして天子までも、張繍さまのものです」
賈詡は、曹操を急襲する作戦を教えた。
曹操は、鄒氏との歓楽におぼれて、危機にまったく気づかないというところ。曹氏の一族はどうなるのでしょうか。141116

全部で、2回か3回で完結する見通しです。

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第2回:曹昂が死に、曹均が張繍軍を圧倒する

曹操が南陽を脱出する

曹操が、鄒氏を帳中に連れこみ、十日が経った。曹昂は、曹安民とともに、曹操の房室の前を警護した。
「警護は、門前で典韋がやっている。私たちは不要ではないか」
と曹安民が疑っても、曹昂は離れなかった。
「幼い丕に、教えられた気がする。やはり私は、曹氏の後嗣として、父を鄒氏から遠ざけねばならない。張繍が、いつや心を変じて、襲ってくるかも分からない。賈詡も、いまいち信用できない」
「だったら……」
「いや、父は私の話を聞かないよ。だから、私がここで警護をする。安民は、南陽城外の駐屯地に戻ってもいい」
「鄒氏をもたらしたのは、私だ。警護に付き合うよ」
などと話していた。

この夜、賈詡が遣わした胡車児が、音もなく近づき、典韋を暗殺した。
胡車児の合図で、賈詡が、ひそかに曹操の居館に兵を集めた。馬のいななきが聞こえても、曹操は「張繍軍の夜巡だろう」と決めつけ、鄒氏との交合を続けた。
異常に気づいた曹昂は、外の様子を窺い、張繍の起兵に気づいた。
「安民よ、私は父を逃がす。きみは、城外の叔父(曹彬、すなわち曹安民の父)に連絡しろ
「すぐに兵を連れて戻ってくる」

曹安民は、単騎で南陽を脱出して、城外の曹操軍に飛びこんだ。
「張繍が、伯父(曹操)を攻めようとしている」
「なんだと」
曹彬は、耳をすまして、南陽の城内の様子を探った。幸いにして、まだ戦闘は始まっていないようだ。
「二百騎をひきい、突入する。南陽は、もとは敵の居城。兄(曹操)を逃がすことだけを目標とする」
曹彬が召集をかけると、ただちに精鋭が集まった。精鋭に混じって、2人の幼い子が列のなかにいた。曹彬は、「丕、均。来るな、危険だ」と叱った。
「父の危機に駆けつけずして、このたび、何のために従軍したのでしょうか。ぜひとも丕を、加えて下さい」
「騎射を、うまくやれます。必ず役に立ちます」
曹丕・曹均は、曹彬に従って、南陽に突入した。

そのころ城内では、曹昂が、曹操がいる房室の前にいて、「張繍が起兵。お逃げください」と絶叫した。しかし、曹昂の警告が聞こえないかのように、鄒氏の嬌声が、周期的に洩れ続けた。
「父よ、時間がありません」
と言っても、鄒氏の声は止まない。
「失礼します」
曹昂は、房室にとびこむと、曹操の身体を蹴りとばして鄒氏から遠ざけ、剣を抜くや否や、鄒氏を斬った。
「何をする」
曹操が、鄒氏の遺骸を抱きおこして怒ると、曹昂は、「鄒氏も、賈詡の謀略に沿って動いておりました」と決めつけ、「絶影を連れて参りました。私が道を開きますので、逃げなさい」と要請した。
折しも、居館のそとで、張繍軍が声をあげた。

曹操を救うための騎馬・二百は、曹彬と曹安民の父子を先頭にして、居館に殺到した。張繍軍の最後尾に接触するや、たちまち数十騎を打ち破った。張繍軍は、後ろから攻撃を受けて、動揺した。
曹丕と曹均は、左右にぴたりと並走して、みるみる敵を射倒した。弦の音が同時に鳴れば、敵が落馬する音も同時であった。
「うまくなったな」
曹丕は、弟の腕前をほめた。
「とんでもない」
と言うや、曹均は剣を抜き、曹丕のそばに振り下ろした。曹丕は、驚いて身をよじらせた。曹均の剣の腹は、敵軍の矢を払い落とした。
「武の力量は、均のほうが上か」
曹丕は悔しがった。
張繍軍によって火を放たれ、南陽の城市の一角は、まるで昼間のように明るくなった。曹丕・曹均が、矢を連射していると、前方から、
「おーい」
と、曹昂の声を聞こえた。
「兄だ。ぶじに脱出なさったのだ」
曹丕・曹均は、すばやく目をあわせ、喜びを確認しあった。乱戦なので、曹彬・曹安民がどこにいるのか、知ることができない。曹丕・曹均は、
「城門はあちらです」
と声を合わせて呼んだ。救出の軍は、曹昂・曹操を包みこんでから、馬首の方向を転じ、城門を目指して駆けた。曹丕は、武装した兵士に混ざって、裸身の上に、薄い衣を一枚だけ靡かせる男の背を見つけた。
「あれが父か。父の過ちのために、何人の兵を殺すのだろうか」
と、暗い気持ちになった。
曹丕が手を止めて考え込んでいるあいだにも、曹均はどんどん矢を放ち、敵を倒した。とちゅうで矢がなくなると、「使わないなら、借り受けます」と言い、曹丕の背から矢を奪って、せっせと弓につがえた。

曹昂が死に、曹丕が嫡長子となる

曹操が、南陽の城門を抜けた。城壁の上から射られた敵の矢が、絶影の頭をつらぬいた。絶影は速度を失い、やがて足を折った。気づいた曹昂が、
「私の馬に乗りなさい」
と、曹操に騎馬をゆずり、徒歩で敵を迎え撃った。
あとから駆けてきた曹丕・曹均は、曹昂を見つけた。曹昂は、全身に矢を生やして、張繍軍の兵士と切り結んでいる。
曹均は、曹昂に目もくれず、専ら騎射をして駆け去った。
曹丕が「兄よ、兄よ」と呼び、馬を寄せて曹昂を救おうとした。だが曹昂は、「これでいい」と言って笑い、曹丕の馬の尻を叩いた。曹丕は、馬もろとも、曹昂を置き去りにして前方に駆けた。

夜が明けたころ、張繍の追撃がやんだ。
およそ五十騎が、曹操のまわりに集まった。
「曹彬どの、曹安民どの、ともに戦死」
と兵士が報告した。
「そうか」
曹操は、なんの感情も見せずに、淡々と報告を聞いた。曹昂の戦死が伝えられても、曹操は平然としていた。
曹丕は、父に言うべきことが無限にあったが、いざ半裸で座っている父を見ると、何も言えなかった。父に呆れているのか、もしくは敗残の姿をさらす父を、なおも恐れているのか、よく分からなかった。
全ての報告が終わると、曹操が口を開いた。
「今回の戦いでは、失うものが多かったが、得るものもあった。曹均である。曹均は、もっとも多くの張繍軍の兵士を殺した。俺は、長子の曹昂を失ったが、かわりに曹均という才能を発掘することができた」
曹丕は、声をあげて泣いてしまった。悲しいのか、情けないのか、悔しいのか、なんだかよく分からない涙だった。

曹操が許県に帰還すると、正妻の丁夫人が、
「わが子・昴を殺したのは、あなたです」
と言って、ひと月以上も泣き続け、収集がつかなかった。

武帝紀:初,魏王操娶丁夫人,無子;妾劉氏,生子昂;卞氏生四子:丕、彰、植、熊。王 使丁夫人母養昂。昂死於穰,丁夫人哭泣無節,操怒而出之,以卞氏為繼室。

曹丕は、十歳の少年なりに、家のなかの情勢を改めようと思った。そこで、丁夫人の室を訪れ、南陽で曹昂と話したことや、曹昂の最期を教えた。
「兄は納得して、おのれを殺し、父を生かしたに違いないのです。どうか、ご気分を直してください」
曹丕は、努めて微笑んだ。
衰弱した丁夫人は、すでに尽きたはずの精力を、さらに振りしぼり、ひどく泣き叫んだ。 ついに曹操のもとを去って、丁氏の家に帰ってしまった。

曹操は、しばらくは丁夫人の説得にあたった。やがて、関係が戻らないと知ると、曹丕の母・卞氏を正妻に立てた。
曹丕は、両親たちのあいだで何が起きているか知らなかったが、ひとつだけ確実なのは、自分のもとに、
――嫡長子(正妻が産んだ最年長の子)
の地位が転がりこんだことだった。書物を読んでも、ついつい表情が弛んだ。それを見た曹均が、
「兄は、両親の不和が、そんなに嬉しいですか」
と聞いた。曹丕は、1つだけ年下の弟を憎みながら、
「すでに、均と張り合う必要もなくなった」
という優越感を味わい、いっそう表情が緩んだ。

まだ曹植は幼いから、対抗者として浮上してこない。曹丕が、いちばん将来に対して甘い見通しを持っていたのは、この時期かも知れない。っていうか、十歳で後継者争いに心を砕くって、早すぎるけど。後継者争いって言うからおかしいのであって、兄弟のあいだのライバル意識ということで。


張繍の2回目の降伏

建安五(200)年のこと。
この三年のうちに、曹操をめぐる情勢は、かなり変化した。東の呂布をくびり殺し、南の袁術は、のどが渇いて死んだ。北の袁紹との開戦が近かった。

袁紹は張繍に、「曹操を挟撃しよう」と提案した。
張繍は、「袁紹は強く、曹操は弱い。また私は、曹操の親族をたくさん殺した。袁紹に従う以外に、一族を保全する道はない」と考えた。
しかし、賈詡が反対した。
「曹操に従うべきです。曹操は弱いからこそ、われらを重んじる。覇王の志があれば、私怨にこだわりません。曹操に付きましょう」
「賈詡の言うことだからな」
張繍はこれに従い、賈詡を曹操のもとに送った。
賈詡を迎えた曹操は、手を取って喜んだ。
「きみのおかげで、私は天下から覇王として認定され、信頼と尊重を得られる」

繡曰「袁彊曹弱。又與曹爲讎、從之如何?」詡曰「此乃所以宜從也。夫曹公奉天子以令天下、其宜從一也。紹彊盛、我以少衆從之、必不以我爲重。曹公衆弱、其得我必喜。其宜從二也。夫有霸王之志者、固將釋私怨、以明德於四海。其宜從三也。願將軍無疑」繡從之、率衆歸太祖。太祖見之、喜、執詡手曰「使我信重於天下者、子也」

賈詡が、おのれの洞察の正しさを内心で誇っていると、曹操はそれを見透かしたのか、「しかし、ひとつ条件がある」と言った。曹操の条件とは、なんでしょうか。次回につづきます。141116

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第3回:作成中

曹均が、張繍の子をめとる

曹操は、張繍の降伏を許すため、1つの条件を提示した。
「張繍には、娘がいると聞いた。これを俺の子に嫁がせろ」
「その話なら、お受けできるでしょう」
「この話を、単なる政略結婚だと思うな。張繍の娘をめとるのは、曹均だ。もっとも多くの張繍軍を殺した男だ
「意趣返しですか」
「覇者たる者、私怨にこだわらない。賈詡が言ったことだ」
「では、なぜこの条件ですか」
「天下が分裂して、すでに十年が経った。これを再統一する手段は、戦争だろう。しかし、戦争で殺すだけでは、天下は収まらない。戦争が終われば、婚姻で結びつく。故郷も血筋も文化も異なる者が、融合できる方法は、ただひとつ、婚姻でしかあり得ない。いや、異質だからこそ、婚姻が成り立つ」
「もしや……」賈詡が言い淀んだ。
「なんだ、言ってみろ」
「曹司空が、張済の妻・鄒氏を抱いたのも、そのような意図がありましたか」
「いや、ただ好きだった」
曹操は大笑し、賈詡は呆然とした。

曹操は、許都にかまえた居館に、子を並べた。長子の曹丕は、十四歳。横には、母が同じ弟として、十二歳の曹彰と、十歳の曹植が並んだ。

ほんとうは曹彰の年齢は分かりません。

曹丕の向かいには、十三歳の曹均。その他、十歳に満たない弟が数人、曹均の横に並んだ。曹操が宣告した。
「今日は、二つの縁談がある。均は、張繍の娘をめとれ。彰は、孫賁の娘をめとれ。張繍は分かるな。孫賁とは、江東にいる孫策の親族だ」
「お待ちください」曹丕が声をあげた。
「たしかに、長子のお前より先に、弟がめとるのは、不服であろう。しかし、お前の妻は、袁紹から河北を奪ってから、じっくり選んでやる」
「違います。張繍は、われらの仇敵です。まさか、お忘れではないでしょう」
「なんだ、そんなつまらんことか」
「叔父の曹彬どの、従兄の曹安民どの、兄の曹昂。彼らを殺したのは、張繍です、張繍なんですよ」
曹操は立ち上がり、曹植の前に座った。
「植、きみの兄は、いつもこんな風か。ほんとうに、つまらない男に育ってしまった。幼くとも、植のほうが、おもしろみがある」
「いま、植は関係ないでしょう。これは、私ひとりの意見ではありません。南陽で家族を失った、曹氏の一同、のみならず、諸将や兵士たちの思いです」
「それほど言うなら、丕は、呂布の娘でも、めとってみるか。最後まで、袁術に嫁がなかったはずだ。呂布の背中にくるまれて、俺の包囲を突破したという娘だぞ。生きているのかな。もしくは、袁術の娘でもいい。廬江あたりにいると聞いた」
曹丕は、涙をふるった。
「父よ。私は、本気で話をしています」
「俺も本気だが」
曹操ににらまれて、曹丕は萎縮した。

曹操は、張繍の兵を活用し、また孫策が背後を抑えたので、袁紹に勝つことができた。建安九(204)年、曹操は、袁紹の本拠地である鄴県を得た。
曹丕は、軍令をやぶって鄴県に突入し、袁紹の子・袁煕の妻である甄氏を、おのれの妻とした。諸官が、曹丕の違反を訴えたが、曹操は、「敵の妻をめとるとは、丕にしては、よくやった」と笑った。

張繍は北伐

魏略曰。五官將數因請會、發怒曰「君殺吾兄、何忍持面視人邪!」繡心不自安、乃自殺。


魏諷の乱

建安二十二(217)年、曹操が 建安二十四(219)年

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