読書 > 『西漢通俗演義』を抄訳(第31-35回)

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第31回 韓信に說き、張良 劍を賣る

張良が正体を詐り、韓信にあう

張良假作淮陰人打扮,來到韓信門首,見一老吏鞠躬施禮,求見韓將軍,那老吏便問:「先生自何而來?」良曰:「某乃淮陰人,與韓將軍同鄉,特來相見。」老吏遂內報知韓信,韓信自思:「我在淮陰貧賤時,並無朋友,我到此已久,亦未見一故舊,今日如何有同鄉相訪?」正沉吟間,張良已立於階下。韓信月明之下,見其人清標俊雅,有些面熟,不敢遽問,就迎接上廳,各施禮畢,序賓主而坐。便問:「賢公從何而來?有何貴幹?高名貴姓?」

張良は(韓信の同郷の)淮陰のひとに扮して、韓信の門前にきて、面会をもとめた。老吏「どこからきたの」。張良「わたしは淮陰のひとで、将軍と同郷です」。老吏が韓信に告げる。韓信は思った。「淮陰で賎しいとき、友達はいなかった。咸陽にきて久しいが、ひとりも旧友がこない。なんで今日、同郷のひとが来るものか」と不思議がった。
韓信が月明かりのもとで見ると、訪問者は清標・俊雅、やや見覚えのある顔なので、(同郷と詐ったことは)問わず、家にあげた。「どこから来たの?名前は?」

良答曰:「某雖將軍同鄉,久出在外。先世曾遺下主劍三口,真希世之珍,不敢言價,但追求天下英雄豪傑,先觀其人,次賣此劍。已將兩口賣與兩個人,止這口劍,未遇其主。聞將軍與某同鄉,為天下英傑,特來賣此寶劍,不是虛譽,實出本心。早間伺候半日,知將軍公出未回,今薄暮特來相謁。此劍:暗臨黑水蛟龍泣,潛倚空山鬼魅驚。埋藏千萬年,價值數千金。若遇奇男子,錚然自有聲。何須出囊錢?物各歸主人。君若得此劍,威令滿乾坤!」
韓信見張良誇美這口劍,又識己為豪傑,心下甚喜,便起身近前曰:「韓信自歸楚以來,無人識某為何如人,今見先生持寶劍而見諭,深蒙過獎,信何敢當?願求寶劍一觀。」

張良「将軍と同郷で、久しく国外にいた。祖先から3本の珍しい剣を伝えられており、値段がつかない。天下の英雄・豪傑を求め、まず人となりを見てから、剣を売っている。2本は売れたが、まだ1本が残っている。将軍が同郷の英雄なので、剣を売りに来た。半日も待たされたが、公務から帰ったところを会えた」
韓信は、豪傑として扱われたので嬉しく、張良に近寄って、「私は楚を出てから、知人が尋ねてきたことがない。いま先生は宝剣を持ってきた。見せてください」

同郷人じゃないでしょ、と釘を刺したのだ。しかし、相手の素性が怪しくても、素直に剣を愛するというのが、政治的なセンスのない、生粋の将軍という感じがする。キャラがよく出ている。


良遂遞與韓信,信接到手,拔劍觀看,燈光之下,寶氣沖霄,霜鋒射鬥:韓信平日最愛劍,今日見此寶劍,十分愛慕,因恨囊橐空虛,不敢問價,但云:「公有寶劍三口,那兩口得價幾何?」良曰:「適問曾說,先觀其人,次後賣劍,不論價值多寡,如得其人,即將寶劍相贈,何須言價?久聞將軍天下豪傑,以此特來相見,寶劍有主矣!」韓信起謝曰:「寶劍雖蒙見惠,但信為人恐未相稱。」良曰:「若不相稱,雖與萬金,亦不敢以輕售也。」

韓信が燈光のもとで剣を見ると、すばらしい。韓信は日頃から最も剣を愛するから、この剣がほしくなったが、カネがないので、敢えて値段は問わない。「先に売れた2本はいくらでした?」。張良「さきに人を見て、つぎに剣を売ると言ったでしょう。人物ならば剣をタダで贈ってる。あげるよ」。韓信は起ちて謝し「私なんかでいいの?」。張良「剣にふさわしい人物でなければ、万金でも売らない」

信大喜,吩咐家僮置酒相款,因問:「此寶劍可有名乎?」良曰:「俱各有名:一口是天子劍,一口是宰相劍,一口是元戎劍。天子劍乃是『白虹紫電』,宰相劍乃是『龍泉大阿』,元戎劍乃是『幹將莫邪』。夫『白虹紫電』,乃是吳王劍名,懸於壁上,邪魅遁形,諸怪斂跡,真寶劍也!『龍泉太阿,乃是宿煥見牛斗宿中常有雲氣,自下而上,光芒掩昧,煥隨於有光去處掘地,得二石匣,中藏寶劍二口,一名『龍泉』,一名『太阿』,而牛鬥之間,無複光芒矣。『幹將莫邪』乃闔廬所造,雌雄二劍,雖出人力所為,實按天時,應星宿,合陰陽,觀爐火,十數年方鑄成此劍,磨碣有法,修造有度,非止一日,遂名『幹將莫邪』。然吾之寶劍,非特此耳,觀人象德,各有所宜。如有天子八德,而後得佩此劍,給以翌聖化也。」信曰:「何謂天子八德?」良曰:「八德乃仁、孝、聰、明、敬、剛、儉、學也。」信曰:「宰相劍,亦有德也?」張良曰:「宰相如無八德,亦難佩帶此劍。」信曰:「何謂宰相八德?」良曰:「忠、正、明、辨、恕、容、寬、厚是也。」信曰:「天子宰相二劍,既聞命矣;然不知此劍為元戎劍,亦有德乎?」良曰:「元戎劍豈可無德?」信曰:「請言之。」良曰:「廉、果、智、信、仁、勇、嚴、明是也。」

韓信は喜び、酒を準備させる。「この宝剣の名は?」。張良「3本の剣に名があって、天子剣・宰相剣、これは元戎剣だ」……剣の説明をタラタラと。

韓信が、ほめ言葉によって買収される

信曰:「先生寶劍真為天下奇絕。但不知那兩口劍,賣與何人,亦可得聞乎?」良曰:「天子劍前賣與豐澤劉沛公矣。」信曰:「先生見沛公有何徵驗,將此劍賣與他?」良曰:「大德當陽,龍顏特異,神母夜號,芒碣雲瑞,爰立赤幟,五星聚會,大度寬仁,出乎其類。此公有天子福德,前在芒碣山斬白蛇,已將此劍賣與他。」信曰:「宰相劍賣與誰?」良曰:「賣與沛縣蕭何。」信曰:「有何證驗?」良曰:「翌運元勳,經綸漢室,不事幹戈,全仗仁義,約法蘇民,漕河廣濟,布衣同心,起自豐沛。此公有宰相大才,前在關中除秦苛法,約法三章,已賣與他。」

韓信「先の2本の宝剣、天子剣・宰相剣は、だれに売ったか聞いてもいいすか」。張良「天子剣は、沛公の劉邦に」。韓信「なぜ沛公に?」。張良「見た目だね」。韓信「宰相剣は?」。張良「宰相剣は、沛県の蕭何に」。韓信「なぜ蕭何に?」。蕭何「法三章とか」

信聽罷笑曰:「先生已將寶劍賣與漢工、蕭相國,可謂得人矣!今將此元戎劍,欲賣與小子,但信素無重名,又無為將八德,不亦負此劍乎?」良曰:「據將軍所學所養,雖古孫吳穰苴,不能過也,但未遇識主耳。昔千里馬未遇伯樂,雜於槽櫪之間,遭入奴隸之手,與常馬等也。及一遇伯樂,知其為千里麒驥。長嘶大鳴,追電絕塵,為天下之良馬也。故古人有雲:『向北長鳴夭外遠,臨風斜控日邊還。』即今將軍碌碌人後,未遇識主,不知其為元戎也!苟得遇識主,言聽計用,樞動天地,變化風三,坐鎮中原,出警入蹕享九襲之榮,極人臣之貴,則非今日之碌碌也。」韓信見張良說到此處,不覺長呼慨歎,觸動念頭,便道:「聞先生之言,如照肝膽,信在此日久,一籌未展,百計難言。前屢次上表,霸王不聽,今欲遷都,大事去矣!信不久亦歸故里,苟延歲月耳!」

韓信は笑うのをやめ、「先生は宝剣を、漢王・蕭何に売った。お似合いである。しかし元戎剣を私にくれても、釣り合わない」。張良「いえいえ、韓信は……な優れた人間ですよ。覇王のもとで不遇だが、今日の地位で終わるひとじゃない」。韓信は大喜びして、「先生の言うことは、私がずっと考えていたことだ。覇王に上表しても、聞いてもらえず、

その上表を張良が盗み見たから、韓信の考えと一致したことを言えるのは当然なんだけど、その事実は伏せておいて。

遷都したから大事が去った。もう帰郷するつもりだった」

良曰:「將軍差矣!良禽相木而棲,賢臣擇主而佐,以將軍之抱負,豈可按跡衡門,為淮陰一釣叟耶?」信又長歎曰:「先生今晚來見,語言動人,議論出眾,非獨賣劍,決有深意也,我於月明之下,燈燭之前,細觀舉動,先生非韓國之張子房乎?」子房離席起謝曰:「久慕重名,不敢遽見,今晚拜候,實有深意,將軍看破,豈容自隱?小子便是張良。」韓信大笑,握良手曰:「先生天下豪傑,人中之龍也!我欲棄此歸漢,但不知先生有何見諭?」良曰:「漢王實是長者,暫屈褒中,終成大事,將軍肯從愚見,我有一物與將軍為蟄。」
貴似連城和氏璧,奇如照殿夜明珠,休言呂望千條計,不及區區一紙書!未知書上是何說話?且看下回分解。

張良「それは違うよ。賢臣は主君を選ぶものだ」。韓信は長嘆して、「先生の言葉に動かされた。剣によって買収されたんじゃない。決意した。こっそり月下で見たとき気づいたのだが、先生は韓国の張子房ではないか」。張良「会いたかった韓信にやっと会えた。見破られたら隠す必要はない。私は張良です」。韓信は手を握り、「覇王を棄てて漢に行きたいのだが、どうしたらいい?」。張良「漢王はまことの長者。漢中に押しこめられても、やがて大事を成すはず」
さて何氏の璧のようなお宝も、張良が取り出した小さな紙切れ(蕭何との割り符)には及ばない。さて紙切れには何が書いてあるのか。150820

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第32回 霸王 江中に義帝を弑す

韓信が、漢中にむかう

卻說張良以賣劍為由,說韓信歸漢,遂於衣襟下取角書一封,遞與韓信:「我昔日別漢王蕭何時,曾與約下,如薦舉元帥來,可憑此角書為記,如有角書,須當重用。公可將此書收好,不可失落,有誤大事。」信又問曰:「先生已將棧道燒絕,卻從何路可入褒中?」良在書袋中取出地理圖一本來,付與韓信曰:「此圖乃山僻小路,從斜岔入陳倉口,轉近孤雲嶺、雨腳山,繞到雞頭山,徑下褒中,近二百里,將軍他日破三秦,當從此出。此地漢人亦不知,將軍當秘之,不可輕示於人也。」

張良が韓信に紙片をあたえた。「漢王・蕭何と別れるとき、約束してきた。私が推薦した元帥は、この紙片を持っている。必ず重用しなさいと。なくさないでね」。韓信「先生は桟道を焼いた。どうやって漢中にいくの」。張良は袋から地図を出した。「この道から行ける。漢人も知らない道だから、秘密にせよ。軽々しく地図を人に見せるな」

この道を使って、韓信が秦地を陥落させるわけですね。分かりますw
史実では、韓信はふつうに漢中に従軍してくる。この張良に口説かれるくだりは、すべて『西漢演義』の創作。盛り上げている。


角書、地理圖,韓信收拾在身,又問曰:「先生今往何處去?」良曰:「吾今看霸王遷都後,效蘇秦遊說六國,著他反楚,以分霸王之勢,使無復西顧之意,則將軍得任意下三秦,據咸陽,而圖天下也。」信曰:「某亦早晚就行,但看事譏如何,到彼時自有處也。」韓信亦無家小,止有門吏二名在外扼門,家童二人優侍。張良遂與韓信同榻,過了一宿。次日,別韓信出離咸陽,往各國說諸侯去,韓信預備行裝,寫了家書,吩咐家僮,打發盤費,往淮陰看視家小不題。

韓信は、紙片(割り符)と地図をもち、「張良先生はどこにいくの?」と問う。張良「覇王が遷都したのを見てから、蘇秦のように遊説して、覇王に対抗する勢力をつくる。覇王は、漢王への警戒を解いているから、その隙に三秦をおとしなさい」。韓信は家族がいないから、門吏2名に外を見張らせ、家童2人に張良をもてなさせた。
張良は、韓信と1泊してから別れて、諸侯に説きにゆく。韓信は旅装をして、家童に「故郷で家族にあう」と言って、咸陽を去った。

ここで『通俗漢楚軍談』巻4が終わり。韓信が仲間になった、というのが物語のおおきな区切りとなる。以降は、覇王と漢王の戦いに収束していく。


覇王が義帝を彭城から追い出す

卻說范增在彭城,守催義帝幸郴州。帝曰:「君,出令者也;臣,奉君之令而宣化者也。昔項羽立我為君,以屬天下之望,以此諸侯悅服,而得入關中,我已有約,但先入關者為王。今羽背約自立為王,封天下諸侯,意欲遷我於郴州,廢置而不用,何異於首居其下,足居其上,冠履倒置,甚非臣體,爾為項羽亞父,當極言苦諫,以正其過可也,乃助彼為惡,是亡秦之續耳!爾心獨不愧乎?」
范增俯伏在地曰:「臣增屢次苦諫,項王不聽,今又差季布守催,指日離咸陽,要來彭城建都。臣亦兩難,不過惟君所使耳,」帝曰:「爾為項羽心腹之人,正當苦諫,豈可委於從命,而略無可否?此乃阿附小人,非大臣以道事君之體也!」增惶恐無地,只得具書奏知霸王。

范増は彭城にいて、義帝を彬州にゆかせる。義帝「君主が命令を出し、臣下が命令を聞く。むかし項羽は私を君主としたのに、なぜ項羽が私に命令して、彬州にいかせるのか。范増は項羽の亜父なんだから、ちゃんと注意しろ。項羽の悪さは、暴秦と同じだぞ。心に慚じないのか」
范増は地に伏せて、「私がいっても聞きません。さらに先に季布を使わし、覇王は咸陽を離れ、この彭城にきます。(義帝の左遷、覇王の遷都という)2つのことは、私に止められず、言うとおりにするしか」。義帝「あなたは覇王の心腹のひとで、苦諌すべきなのに、覇王にへつらうだけか」
義帝は、覇王に(抗議する)文書を送った。

霸王知義帝不欲離彭城,大怒曰:「懷王乃民間豎子,我家聽立,尊以為王,千載之奇遇矣!卻乃偏使劉邦西行,意欲相為結好,以恩為仇,反有謀害之意。今為義帝,且又妄自尊大,若不剪除,必為後患。」遂使九江王英布,衡山王吳芮,臨江王共敖,潛於大江之中埋伏,卻著范增、季布、桓楚、於英急催啟行,侍至大江,假以出迎,因而殺之,傳佈中外,只說義帝行到江中,遇風,船覆淹死,以隱前情,庶免天下議論。

覇王は、義帝が彭城を離れたがらないと知り、おおいに怒った。「懐王は民間の孺子のくせ。殺さないと後患になる」と。九江王の英布らに、義帝を殺して病死と発表せよと命じた。

霸王計較停當,傳令吩咐四人,急在大江伺候,卻修書上義帝曰:
西楚霸王臣項籍稽首頓首上言:伏以來命破秦,直抵咸陽,子嬰受首,受正國法,仰尊陛丁為義帝,實為天下主也。然彭城路當南北之衝,乃用武之地,甚非陛下所宜居也。今郴州乃湖南名都,左有洞庭,右有彭蠡,山水秀麗,帝王之都也;請陛下幸臨,以觀天下。今乃聽細人言語,不從所請,致使君臣有相疑之私,輦設阻壺漿之望,遮道來迎,終日稽候,一日之費,何止萬金?為民元首,於心何安?復差千戶項臣上書懇啟,惟速賜裁決下情,不勝激切之至。

覇王は、英布らに義帝の殺害を命じつつ、義帝に文書を奉る。
「西楚覇王の項羽が上言します。秦を亡ぼし、義帝は天下の主となられた。彭城は南北の道がぶつかり、用武の地なので、陛下にいて頂くのは良くない。彬州はいいところで、帝王の都に相応しい。ふと聞きましたが、義帝は彭城を動きたくないとか。これは、私と陛下を対立させるための陰謀ですので、万民を安心させるために、早く彬州に行きやがれ」

義帝看罷羽書,與左右商議曰:「項羽屢次差人催並,急如星人,已無人臣之體。若復留連,恐生他變,不若車馬啟行。」義帝即傳令文武大小官員,擇日幸郴州來。只見彭城百姓,遮道伏地,望塵叩首,相聯數百里,或獻茶果,或上歌頌,家家設放香案,盡說:「義帝在此數年,鎮市不擾,鄉村安靜,上下和睦,乃有德之主也!今日遷都,又不知何日再得相見,遂懸望之念!」義帝見百姓戀戀不捨,亦自垂涕。

義帝は覇王の文書を見て、左右に「覇王は移動を急かすが、人臣の礼がない。もし留まればトラブルになるから、行こう」と相談する。義帝は文武の官僚をつれて彬州にいく。彭城の人民は、歌をうたい香をたき、「義帝は有徳の名君だった。残念だなあ」と義帝を惜しんだ。

項羽の敵対者は、みな名君になるという図式。


英布らが義帝を殺す

某日,行至大江口,有白魚阻舟,水浪不能前進,船家就將龍舟纜住,只見大風驟起,將桅折作兩段,幸大舟傍岸無事,其夜,帝方寢,只見五色祥雲,罩台龍舟,香風馥鬱,有一派仙樂自天而降,先有二金重玉女入舟中,低言:「啟請陛下,早幸龍宮,受百官朝賀。」帝曰:「我自赴郴州建都,此地非我居也。」金童曰:「龍宮奉上帝敕命,已設御座,專候車駕,文武百官,具朝服於上清門迎接,陛下不可推辭也。」

大江の岸で、白魚が義帝の船を阻んだ。大風が起こった。大風が起こって、船を壊して進めない。その日の夜、五色の祥雲が船をつつみ、金童(仙女)がささやいた。「陛下は早く龍宮に行き、百官の朝賀を受けなさい」
義帝「私は彬州にゆく。龍宮は私の居場所ではない」
金童「龍宮では、すでに上帝(天帝)の勅命を受け、あなたのために座席を設けております。断ることはできませんよ」

帝曰:「龍宮恐非人世,朕何以居之?」金童曰:「上帝以陛下有君德,宜在高位,因赤帝子當權,福德洪大,陛下當讓此位而居龍宮,以掌水府,會九天列聖,以次推舉,非同小可。陛下請移王步。」帝方欲出龍舟,遙見水光接天,洪濤巨浪,耳聞仙音,不敢登步。趑趄之間,頓然覺來,卻是一夢,舟中更鼓三漏矣。急忙呼左右掌燭詳夢,有近臣奏曰:「適見白魚阻舟,桅被風折,據此夢警,皆非佳兆。陛下大明回舟,再作商議。」帝曰:「不然,車駕已行,大信昭布,如若反覆,則非大體。況大數默定,人不可為,縱有不測,又何懼哉?」不聽近臣之言。

義帝「龍宮は人の世じゃないでしょ。なんで行かねばならんの?」
金童が義帝を押しとどめ、「赤帝の子(劉邦)に位をゆずって、あなたは龍宮に行きなさい」と説得する。近臣が「白魚が船を阻み、大風が起こったのも、龍宮にゆけという兆しでは」というが、義帝はそれでも彬州にゆく。

次日早發舟,望大江而來,行至中流,有英布、吳芮、共敖坐三隻大船,鼓噪大進,順風而下。三人立於船頭大呼曰:「臣等奉項王命來迎陛下,陛下所有玉符金冊,留下與臣等為執照。」義帝大罵曰:「爾等助紂為惡,不通王化,當此大江中流之際,據兵阻行,甚非人臣之禮!」英布等各持刀將船攏近龍舟,直身一躍,眾士卒隨即通過龍舟來,驚得舟中恃從急欲藏躲,被英布等手起刀落,殺死數十人,或有望大江自盡者,或有船倉中藏匿者,帝見此光景,指西北大罵:「項籍逆賊,他日決遭橫死!」遂撩衣望大江一躍而墜,逐浪翻波,不知所向。舟中藏躲者,盡被英布等殺死。

翌日、義帝が大江を望んで、流れのなかを行くと、英布・呉芮・共敖らが、風にのって下ってきた。「覇王の命で、陛下をお迎えします。玉符・金冊を確認させて下さい(没収するから早く出せや)」。義帝は罵って、「お前らは殷紂王(のような覇王)を助けて悪をなすのだな。大江の上で、兵をつかって進路を妨げるのは、人臣の礼じゃない」
英布は、義帝の竜船に飛び移って、殺しまくった。義帝はこれを見て、西北を指して罵った。「項籍(覇王)は逆賊だ。後日、きっと横死するぞ」と。義帝は大江に身を投げ、死体があがらない。竜船に隠れていたものは、みな英布らに殺された。

英布等弒了義帝,方欲回舟,只見南岸上有接義帝的百姓人馬,吶一聲喊,盡道:「英布逆賊,汝信項羽指使,弒了義帝,奪了天下,決不得長久!我等佈告天下,立個盟主,與義帝發喪,誅此無道,以雪天下之恨。」英布欲撐舟近岸敵當,風色不順,急難湊攏,百姓一哄都走了。未知如何?且看下回分解。

英布らが義帝を弑し、船を返す。すると南岸に、義帝の百姓・人馬がおり、声をあげた。「英布は逆賊だ。項羽の指図で義帝を殺し、天下を奪うつもりだ。決して長続きしないぞ。天下に布告して、盟主を経て(劉邦を推戴して)ともに無道を誅し、天下の恨みを雪ごう」と。

項羽が「義帝は病死とせよ」と言ったのに、さっそくバレた。

英布は船を岸に寄せ、百姓の口を塞ごうとしたが、天候が乱れて上陸できない。百姓は哄笑してにげた。そして、どうなるのか。150820

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第33回 韓信 楚に背き咸陽に走る

義帝が百姓に葬られる

英布殺了義帝,聞岸上百姓發喊,欲攏舟上岸,因風色不順,不得傍岸,那百姓一哄都走了。其中三個老人,為首一老人,年八十歲,人稱為董公,為人多讀書,知道理,一鄉最尊他,乃作倡曰:「待英布的人馬回去了,我等務要打撈義帝屍首,帶至郴州,以禮葬埋,卻糾聚幾個壯士,從河南洛陽迎接漢王,做個盟主,與義帝報仇。」眾人應聲曰:「我等願從尊命。」

英布は義帝を殺し、岸上の百姓に非難されたが、上陸できない。百姓はにげた。百姓のなかに3人の老人がいる。1人は80歳の董公であり、読書して郷でもっとも尊敬されてる。「英布が戻るのを待ち、(有徳の名君であった)義帝の遺体を取り返して、彬州で葬ろう。漢王に従って彼を盟主とし、義帝のために報仇しよう」と。衆人「そうしよう」

董公率領眾人急奔下流,僱覓十數個會水的船家,下江跟尋,至是晚,月明之下,忽見水面上,隱隱若有所見,眾船家伏水近前抱住,卻是個人,眾船家撈上岸來,掌起火把看時,顏色如生,並不改變。眾人原不識義帝,又見赤身無一絲衣服,止二足中趾上套二玉環,乃龍形也。董老曰:「此必義帝也;若常人,豈有此玉物耶?」眾人以淨帛遮體,扛至前村,各焚香行禮。至次日,權處棺木殯了,徑投郴州來,有本州官吏裡老人等。抬至原修宮殿中間停放,眾人計議,恐日久霸王知道,決尋事謀害,不若急急葬埋,庶為全美。州官等擇日將義帝葬於郴州。至今人帝墳塚尚在,四時享祭不絕。

董公は衆人をひきい、十数の船頭をやとい、ひそか英布の船に近づく。彼らは義帝の顔を知らない(遺体を区別できない)が、立派な服装をした遺体があった。董公「これが義帝の遺体に違いない。もし常人なら、こんな玉を帯びているはずがない」と。衆人は遺体を回収して棺に入れ、覇王にバレる前に、急いで彬州に運んで葬った。今日に至るまで、義帝の祭祀は絶えていない。

義帝をもちあげることで、項羽をけなす。「今日に至るまで」というのは、見てきたようなウソであり、いきなり物語の外部にはみ出して言及するから、小説としてはやや反則です。反則を犯してまでも、義帝をもちあげたかった。


范増が、彭城への遷都を諌める

英布等弒了義帝,來到彭城會范增等眾人,將前事密說與范增,增懊侮不已,與眾將曰:「義帝乃吾與武信君所立,以服人望,豈想今日弒於江中,甚非人臣之禮,若再遷都彭城,決不足以圖天下矣!我等當急回勸止,不可遷都,庶劉邦不敢東向,若離咸陽,不百日內,劉邦決出褒中,吾輩不能安一日矣!」季布曰:「前韓生亦曾有此言,被霸王烹之。」增曰:「我等眾人各苦諫,決不可遷都。」

英布は義帝を殺すと、彭城にきて范増らに報告した。范増は懊侮して已まず、衆将にいう。「義帝は、私と武信君(項梁)が立てた。人望があったのに弑された。(項羽軍には)はなはだ人臣の礼がない。項羽が(義帝を追い出すことで)彭城に遷都しても、天下を図れない。急ぎ項羽に連絡して、『咸陽にのこれ。咸陽を離れたら劉邦に奪われる』と教えよう」という」
季布「前に韓生が遷都を諌めて、煮殺された」。范増「(韓生の失敗があろうとも)われら衆人が、おのおの苦諌して、断固として遷都を止めるべきだ」

范增留季布修理彭城,卻同眾人赴咸陽來勸止霸王,只見咸陽十分狼狽,各文武官員,通預備行裝,要三二日啟行。范增同英布等進見,備將義帝遇害一一奏知霸王,霸王大喜曰:「除我心腹之患。」范增曰:「心腹之患,不在義帝,實在劉邦也,陛下苦今遷都,不久劉邦決出褒中矣!」霸王曰:「棧道燒絕,吾料劉邦插翅亦不能飛出也。」增曰:「陛下遷都,三秦懈怠,其人決有大志,必蓄養豪傑,與陛下爭衡,出此棧道,反掌之易耳!望陛下不可遷都。」

范増は季布を彭城にとどめて修理させつつ、衆人とともに咸陽にゆく。范増と英布は、覇王に義帝の殺害を報告した。覇王は喜び、「心腹の患を除いた」と。范増「心腹の患は、義帝でなくて劉邦だ。陛下がムリに遷都したら、すぐに劉邦が漢中から出てくる」。覇王「桟道を焼いて絶った。劉邦にハネでも生えねば、出て来られない」。范増「陛下が遷都したら、三秦の警戒はゆるみ、劉邦が関中に出てきやすくなる。遷都するな」

霸王曰:「朕號令已出,文武行裝已備,豈有中止之理,亞父不必過慮,料劉邦無能為也。」英布曰:「事貴先圖,機難遙度,臣恐陛下一離咸陽,人心怠緩,此地決難守也,近日各路諸候,漸有叛夫者,陛下不可不慮也。」霸王怒曰:」朕自會稽起義以來,所向無敵,凡叛去者,皆不才之人,何足為用?遷都之事,朕意已決,再不必多言!如有抗拒者,以韓生為鑒。」范增等長吁口氣,各下殿來,只得各備行裝起行。

覇王「もう遷都の号令を出して、文武は旅装をした。亜父は心配しすぎ」。英布「陛下が洛陽を離れたら、人心は怠け緩み、関中を守りにくくなる。各地の諸侯が叛くのでは」。覇王は怒り、「会稽で起義してから、向かう所に敵なく、オレに叛して去る者は、みな不才の人ばかり。(不才の人が謀反したところで)何ができるものか。もう遷都は決めた。逆らうなら、韓生のように煮る」。范増はため息をつき、遷都を行った。

韓信が陳平から通行証をもらう

卻說韓信自見張良後,此心倦倦不能忘,先將家僮打發回淮陰去,是夜過都尉陳平家拜訪。素日信知陳平有意降漢,因來以言挑之曰:「霸王遷都,漢王決出褒中,咸陽非國家所有也。」陳平曰:「霸王近日殺義帝,遷彭城,烹韓生,自以為是,決不足以久安。漢王長者,他日終成大事。賢公在此碌碌,不若背而去之,得以展大才也。」信曰:「我亦有此心久矣,恐沿路關津難過。」平曰:「此亦不難,我衙門有印信文書,與賢公一紙隨身,所過關口,有此文書,徑自長行,只說入褒中探聽消息。」

さて韓信は張良と会ってから、しきりに「漢王のところに行きたい」と思い悩み、さきに(咸陽で使役する)家僮を(故郷の)淮陰に帰らせた。この夜、都尉の陳平の家を訪ねた。もとより陳平は漢に降る意志があったから、韓信が陳平にいう。「覇王が遷都した。漢王はきっと漢中を出る。咸陽はきっと国家(項羽の楚)の領有でなくなる」。陳平「覇王は、義帝を殺し、彭城に移り、韓生を煮た。命運は長続きしない。漢王は長者だから、彼に従うのがよい。大才を発揮できる」と。韓信「私もずっとそう思っている。しかし関津の通過が難しいのが心配だ」。陳平「難しくない。わが衙門(役所)で印信の文書をつくり、韓信にあげる。関口を通るとき、これを見せれば通過できる」

信拜謝曰:「若得此文書,誠千金之賜也:他日若得寸進,決不敢忘盛德。」平曰:「賢公保重,若他日成事之後,不久亦欲投漢,仍望賢公提拔。」
信拜辭陳平,得了批文,預備行李,拴束停當,吩咐門吏:「我城外訪友,明日方得歸來,汝可用心看守。」匹馬徑出咸陽來。行至關口之時,自范增回關中,見漢王已入褒中,心中憂惶,即差人吩咐,各關津隘口把守得十分嚴密,韓信來到安平關口,只見把關軍士攔住,便問:「將軍往何處去?」韓信隨將批文與眾人驗看,仍到關上見守關總管,各施禮畢,問韓信:「足下何處去?」信曰:「霸王差往三秦,會同整飭兵馬,關防漢兵,著星夜傳報。」即辭眾人出關,急策馬西行不題。

韓信は拝謝した。「その文書をもらえたら、千金の賜です。他日、きっと報います」。陳平「あなたが漢王のもとで出世したら、のちに私も漢王に投じたとき、引き立てをお願いします
韓信は陳平と別れ、荷物をまとめ、門吏に「城外に友を訪ねる。明日、きっと帰る」といい、咸陽を出た。関口は、范増が咸陽にきてから警戒が厳重である。韓信は安平の関口で、「どこにいく」と聞かれた。韓信は陳平にもらった文書を見せた。「覇王が私を三秦につかわした。兵馬を整えて漢兵を防ぐため、星夜に(三秦の章邯らに)連絡にゆくのだ」と。関口を出て、急ぎ西にゆく。

范増が韓信の逃亡を知る

卻說把門二吏,連等了兩日,不見韓信回來,急報知亞父,備說:「韓信一月前有一人,夜晚來相會,說了一夜話,就在信家宿歇,其後將家僮行李打發回籍,今卻匹馬假說訪友,次日就回,下意今已又過了兩日,前後共四日,不見歸來。此必是逃走,不敢不報。」范增聞了這話,便跌腳道:「此人我終日懸念在心,前曾叮囑與項王說:若用此人,須當重用;若不甲此人,須殺了方除後患,不意今日卻走了,決投褒中去,吾心上又生一大病矣!若不迫來,使我曉夜不得安然。」

(咸陽の韓信の家の)門吏は、2日たっても韓信が帰らないから、范増に知らせた。「韓信は、1ヶ月前に夜に客(張良)と会い、夜通し語りあった。つぎに家僮が荷物をまとめて故郷に帰った。韓信は友を訪れるから、翌日に帰るといい、出たきり帰らない。きっと逃走したので、報告しました」
范増はこれを聞き、「心配したとおりになった。私は覇王に『韓信を重用せよ。さもなくば殺して後患を除け』と言ったのに。きっと漢中ににげた。韓信が漢王に仕えたら、私は安眠できない」

隨入內奏知霸王:王怒曰:「此儒夫安敢背我歸漢!」增曰:「韓信極有識見,臣屢次薦舉,陛下只是不用,今被他走了,決歸褒中去,他日為陛下一大患也!」王曰:「彼無文憑,關上必然攔阻,如何得脫?」急差鍾離昧:「領二百輕騎,快與我捉來,碎屍萬段,以警其眾!」
鍾離昧依命追趕,來到安平關,責怪關上官兵:「如何輕放韓信過去,有失關防?」把關總管享道:「韓信有隨身印信批文,為約會三秦緊急公事,某等安敢阻當?今已過關三日矣!將入漢境,明公恐不能追及,不若飛報三秦,遣兵追趕,況餞道燒絕,決難經過,庶可趕上。」鍾離昧曰:「爾眾人所見亦通。」當時作飛檄,即傳報三秦,著兵追趕。

范増が覇王に知らせると、覇王は怒り、「儒夫のくせに敢えてオレに背き、漢に帰するのか」と。范増「陛下が韓信を重用しないから」。覇王「しかし彼が通行証を持たねば、どうして関口を通れるのか」。いそぎ鐘離昧をつかわす。「2百の軽騎で、韓信を捕まえにゆけ」
鐘離昧は安平の関に至り、関上の官兵に問う。「どうして軽々しく韓信を通した。関所を守ってないのか」。関の長官「韓信は印信の文書をおmち、三秦に緊急の連絡があるという。どうして通せんぼできましょう。すでに彼が通過して3日すぎた。きっと漢の国境に入ったから、追及できない。三秦に飛報して追及すべきでしょうが、桟道が焼絶されて通行が難しい」と。鐘離昧「なるほど」。鐘離昧は三秦に飛檄して、韓信を追う兵をやる。

鍾離昧回咸陽,將前事奏知霸王。王曰:「即逃去已遠,料韓信懦夫,成何大事?亦不足掛念!」當傳令著文武大小官員,隨車駕赴彭城建都,卻留呂臣、機公守咸陽。

鐘離昧は咸陽にもどり、覇王に報告した。覇王「もう遠くに逃げただろう。韓信のような懦夫に、なにができる。心配せんでいい」と。呂臣・ショウ公だけを咸陽に残して、覇王は彭城に遷都した。

韓信が道中で捕まりそうになる

且說韓信離安平關,一路直抵散關,照前驗批過關,來到三岔路口,自思此處正是緊要去處,將張良地理圖取出,觀看入褒中去路。看畢,方欲策馬,
只見從東一騎馬飛走前來,手執大牌,吩咐路口兵:「爾等如遇匹馬過來,當追看批文中姓名,如不是韓信,方許放過去。」眾軍士便道:「方才過去一人,匹馬獨行,不曾追問來歷,何不趕上問他一聲?」

韓信は安平関をはなれ、まっすぐ散関にむかう。張良にもらった地図を見て進む。馬にムチ打ち、進もうとすると、東から騎馬がきて道をふさぐ。

ここで、道をふさぐほうに視点が移動して。

手に大牌をもつ指揮官「もし通行するものがいたら、文書に書かれた、姓名を確認するように。韓信でなければ、行かせてよし」と。部下の軍士たち(が韓信を見つけて)「あそこに1人が、独行する。怪しいな。来歴を問わないと」と。

那執牌軍官急趕上韓信,便問:「將軍甚姓名?有何公幹?」信曰:「我姓李,前往褒中探親。」那人曰:「有批文否?」信曰:「有批文在此。」那人務要取看,韓信取公文打開,正欲遞與觀看,卻於背上將主劍拔出,望其人一劍殺死。那關中走出五個人來,就向韓信奔來,韓信匹馬近前,舉主劍將五個軍士盡行殺死,策馬急向西行。未知何日得到褒中?且看下回分解。

大牌をもつ指揮官が、韓信を急追して、「将軍の姓名は?何しにゆく?」。韓信「私の姓は李。漢中に親族を探しにゆく」。指揮官「文書(通行証)を持ってるか」。韓信「ここにあります」。指揮官が文書を見ようとした。韓信は文書をひらきつつ、背の宝剣を抜いて、斬り殺した。駆けつけた5人の見回りの兵を殺して西にむかう。いつ漢中に着けるのか。150821

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第34回 韓信 路を問ひ樵夫を殺す

韓信が樵夫に道をたずね、殺す

韓信殺了報事官並軍士五人,尋思:「倘地方知道,殺死官軍,決然跟從此路而來,被他捉往,卻不誤了大事?」急轉過山口,從僻小夾路向西南而行。兩邊都是山,中間止有一小路,又澗水潺緩,波流有聲,斷岸乾尺,十分險峻,韓信到此,不得馳驟,只得勒著馬,一步步緩行,又不知何處往陳倉渡口去?正在猶豫之間,只見山坡邊,轉過一個樵夫來,韓信便道:「樵夫,那條路往陳倉路上去?」

韓信は軍士5人を殺して、思った。「もし官軍を殺したことがバレたら、きっとこの道を追われて捕まる。せまい小道に入った。険しい道に迷った。すると1人の樵夫がいる。韓信「樵夫よ、陳倉はどうやって行くの?」

那樵夫放下柴擔,用手指著那山路道:「此去繞過這山崗,卻是小松林;過了這林子,下邊便是亂石灘,有一石橋,過了橋,卻是峨嵋嶺,上了嶺,甚難走,須下馬牽著,行過此,方是太白嶺,嶺下有人家,吃了飯過孤雲山、雨腳山,渡了黑水,過了寒溪,便是南鄭。將軍不可夜行,恐有大蟲。」樵夫說了山徑,信將地理圖一對,分毫不差,拜謝樵夫,策馬而行。樵夫便挑柴擔,正欲下山坡去,韓信暗思:」

樵夫は漢中までの道を教えてくれた。「夜にいくと大虎が出るから危ないよ」と。樵夫の教えを地図と比べると、ぴったり一致した。韓信は行こうとしたが、ひそかに考えた。

章邯知我殺軍士,決從這條路趕來,到得這岔路口,倘遇這樵夫,說與他這條小路,卻從這裡趕來,我馬又疲乏,決然被他捉住。不若殺了樵夫,若軍馬趕來,只從棧路上趕,決不知有此路也。」信勒回馬來,便叫住樵夫。樵夫只道再問路徑,回頭來正待相問,被信揪住頭髮,一劍殺了,拖到山凹之下,用土掩埋了。韓信遂乃納頭下馬祝之曰:「非韓信短行,實出不得已也!他日如得地之時,決來與君厚葬,以報其德。」隨灑淚上馬西行。

韓信「章邯は、私が軍士を殺したと知れば、この道から追ってくる。もしこの樵夫にあい、私が道を聞いたことがバレたら、疲れた馬に乗った私は、章邯に追いつかれる。樵夫を殺せば、道が章邯にバレることがない」。韓信は馬を返し、樵夫に声をかける。樵夫はまた道を聞かれると思い、振り向いた瞬間、韓信は樵夫の頭髪をつかみ、斬り殺して死体を埋めた。

馮夢龍『喻世明言』の「鬧陰司司馬貌斷獄」では、韓信はこの悪事によって、寿命が10年ちぢんだ。道を正確に教えてくれ、虎の心配までしてくれた、親切すぎる樵夫だからこそ、韓信の行動の難しさが際立つ。

韓信「これは私の過ちではない。仕方なくやったのだ。後日、この地を得たら、必ず厚く葬って、徳に報いる」と、涙を流して西にゆく。

韓信殺了樵夫,徑過山崗,出了小松林,渡亂石灘,一日,下了太白嶺來,近山有個酒館,下馬入到酒館來,呼酒保擺山肴村醒,方飲數杯,不覺想起樵夫來:「我因恐楚兵追及,不得已殺之,非薄情也。」遂作歌一首,借筆硯在白壁粉牆上題歌曰:

韓信は樵夫を殺してから1日、太白嶺をおりたら、酒屋があった。酒屋で飲み、覚えず樵夫のことを思い出して、「私は楚兵の追及を恐れて、やむを得ず樵夫を殺した。情に薄いのではない」と言い訳して、酒屋の壁に歌を書いた。

『水滸伝』でも宋江がこれをやる。どうせ、この壁の歌から、身元・行く先がバレるという話だろう。このソコツさが、中国の前近代の小説らしさを演出する(とぼくは思います)


陟彼山路難,崎嶇不可測。藤蘿結層巒,狐兔藏幽黑。怪哉此山險,峻權有萬億:去天手可攀,回轉苦筋力。迷黯竟何往?無由問鄉識,忽見採樵人,問君將安適?勒馬立山前,乃云西川國。樵人指要路,按圖無差忒,足知為忠亮,孔雲宜報德。追兵恐忽至,受擒反自賊,斬汝絕蹤跡,實非我薄刻。留汝特山樵.存我為帝翊。我當萬夫望,群殆良不惑,無罪遭霜鋒,我心為君惻。君德終圖報,君後我更植,蒼蒼秋月明,疑照君顏色。

(樵夫をいたむ歌)

酒屋を営む辛奇に、韓信の正体がバレる

韓信題歌畢。只見後邊走出一壯士,看著韓信道:「你背楚歸漢,殺了樵夫,卻來我家題詩,我若拿住你,卻待重賞。」韓信便起身道:「壯士來你既住居漢土,為褒中百姓,如何倒說這話?」那壯士大笑,拜伏在地道:「我祖父乃周臣,姓辛名雷,世居扶風,傳至父辛金,因始皇殘暴,遂移家於太白嶺,以賣酒為生。某名辛奇,不事家產,專好彩獵,嫻熟武藝,一向未遇明主,遂棲跡於此。昨夜夢飛虎自東北高山而來,臥在草蓬之上,覺來知今日必有貴客經過,因不曾出彩獵,等了半日,卻見賢公策馬下山,光臨草店,我在壁裡窺見,知公為非常人也,因出拜見。適來言語冒瀆,望乞恕罪。」

韓信が歌を壁に書き終わると、後ろに壮士がいた。「楚に背いて漢に帰し、樵夫を殺し、うちの壁に詩を書いた。あなたを捕まえて覇王に突き出せば、恩賞がもらえる」と。韓信「壮士は漢中の住人なのに、どうしてそんな話をする(楚漢の情勢を知っている)」。壮士は、「祖父は周臣で、代々ずっと扶風に住み、父は始皇が残暴だからここに移住して、酒屋で生計を立てた。私は辛奇という。武芸をやるが明主に会えないから、ここに隠棲している。昨夜、虎が東北の高山から飛ぶ夢をみた(韓信の到着の予兆だった)。貴客が来ると思って、猟にも出ずに待っていたら、あなたがきた。おちょくってゴメン」

韓信が「ばれた!」と、衝動的に辛奇を斬り殺す可能性だってあった。辛奇は、けっこう危ないことをしたのです。樵夫と同じなのだから、韓信は、辛奇を斬り殺して、酒屋に火を放って逃亡するほうが自然である。


韓信扶起答禮,便問壯士:「據你一表堂堂,又素懷忠烈,見今漢王寬仁大度,招納天下豪傑,何不傾心投之,以圖封侯建節,不失家譜也?」壯士曰:「某懷此心久矣,待公投見漢王,決然貴顯,那時統兵破楚,可暗從此地而來,路僻且近,使三秦不知漢兵從何而下也。」信大喜,握壯士手曰:「此言不可輕泄於人,待我伐楚之時,子可隨我建功,以為鄉尋,不可失也。」壯士遂留信在家住宿。當日母妻俱出草堂拜見。韓信見仕士如此忠誠,亦將自己心事,一一告知,遂相結拜為兄弟。

韓信は、辛奇と意気投合して、「漢王は明主だ。漢王に仕えたらいいのに」と勧めた。辛奇「私も漢王がいいなと思っていた。韓信が漢王に投じて、偉くなるのを待つ。韓信が兵を統べてここを通過するとき、この地を案内する。三秦は、漢兵が(地元の人しか知らない道から)出てくるとは思わない」。韓信は辛奇の手をにぎり、「この言葉は、軽々しく世のひとに洩らすな。私が楚を伐つとき、あなたは(道案内して)功績を立てろ。きっとだよ」と。

さもなくば、韓信が辛奇を殺すからね、という意味の念押しである。

韓信は、辛奇の家に泊まった。辛奇の母・妻と挨拶した。韓信は、辛奇の忠誠さを見て、兄弟の契りを結んだ。

韓信が辛奇と別れ、南鄭に到着

次日,韓信拜辭,便要起身,壯士曰:「前邊是孤三、雨腳山,路徑甚險,極有大蟲,恐尊兄孤身難行,小弟預備器械,送尊兄過了寒溪,便是南鄭地方,小弟才好回來。」韓信拜謝:」不勞遠送。」壯士再三不肯,遂吩咐母妻看守店房,酒保照舊管待過往客人,說道:「我送尊兄過了寒溪便回。」當時收拾行李,拿了一條長槍,帶了弓箭腰刀,隨同韓信直望孤雲而來。一路與信說些兵法,論些武藝,一二日來到寒溪,遠遠的望見南鄭,壯士用手指道:「尊兄可從此處往南鄭去,不遠矣。」

翌日、辛奇が道を教えて、虎の出る場所を教えて、見送ってくれた。道中、兵法・武芸について語り合い、「この道をゆけば、すぐ南鄭(漢王の所在)だよ」と指さした。

虎のこととか、ますます樵夫と重なる。だから、韓信が辛奇を殺さない理由を作るため、家族を会わせるとか、何でも語りあうとか、説得力を持たせたのだ。そして韓信が、劉邦に帰した直後に、秦地を陥落させるという大功を立てることの伏線を張っている。樵夫はかわいそうだったが、辛奇との遭遇・秦地の陥落という、おおきな物語のための段取りだった。


信下馬同壯士入到靠溪一個酒店裡,相對坐下,呼酒保擺下菜蔬,斟酒與壯士飲。信曰:」賢弟回家,早晚打聽我出褒中,可急來相見。」壯士曰:「小弟到家,專望麾蓋,如有消息,星夜前來迎接。」信大喜。兩個又飲了幾杯,壯士曰:」意要送尊兄到褒中,但不曾與老母說知,恐在家懸望,只此拜辭尊兄。」信不忍分手,各各灑淚相別,壯士仍回太白嶺去,韓信便望南鄭來。不知投見漢王,如何舉用?且看下回分解。

韓信は、辛奇と飲み明かして、泣きながら別れた。さて南鄭に到着した韓信は、どうやって漢王に用いられるのでしょうか。150821

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第35回 韓信 褒中に滕公に見ゆ

韓信が、漢王の善政を目の当たりに

韓信辭壯士,策馬入到南鄭,風俗自是不同:老者安閒,少者負勞,行人讓畔,道不拾遺,家家快樂,處處笙歌,田野開闢,桑麻盛茂,韓信甚喜。入得城來,六街三市,衣冠文物,風景殊別,天生方圓有二百里,一望平川之地,更無一尺山路。卻尋個店房安歇下,將行李收拾停當,吩咐店家仔細看守。那店家道:「官人放心!我這店中不比別處,若路上失了物件,亦無人敢拾去,況店中行李,豈有差失?」

韓信は南鄭に至ると、風俗がかわった。老人は安んじ、子供は働かず、道を譲りあい、道の落とし物は拾われず、……善政が行われていた。韓信は店に入って休み、荷物の見張りを頼んだ。店主「安心しなさい。ここは余所とちがい、道の落とし物を盗むひとはいない。まして店のなかで、どうして荷物がなくなろうか」

漢王の善政を示すために、わざとらしく作った逸話。


韓信出得店來,徐步看那漢中:南有劍門之險,東有棧道之阻,前控六路,後據大江,為荊襄之襟喉,實秦隴之要害。民安物阜,土厚風輕。國人嘗云:春有碧桃紅杏,夏有連藕葵榴,東籬菊綻如金,南嶺梅開似雪,美酒嘉魚,香橙晚稻。有石頂關,有瀑布泉,有盤雲塢,有天漢樓,有硅石堂,有四照亭,有峨嵋山、青城山、錦屏山、巫山,有赤甲、白鹽諸景,不能盡看。又信步來到一衙門前,有匾雲:「招賢館」,兩邊具有榜文,上寫一十三件事宜,曉諭軍民人等知悉,如:

韓信が地形と風土を見れば……。韓信が衙門の前にゆくと、「招賢館」という額が掛かっていて、13件の求人要件が書いてある。

一件熟曉兵法,深知韜略,可為元戎者;二件驍勇過人,斬將搴旗,可為先鋒者:三件武藝出眾,才堪驅使,可為散騎者;四件諳曉天文,善占風候,可為贊畫者;五件素知地理,深通險易,可為鄉導者;六件心術公平,為人正直,可掌紀錄者;七件機變精明,動能料事,可與議軍情者;八件語言便利,足能動人,可為說客者;九件精通算法,毫釐不差,可為掌書記者;十件多讀詩書,以備顧問,可為博士者;十一件素明醫學,神靈功巧,可為國手者;十二件善能馳驟,探聽機密,可為細作者;十三件掌管錢糧,出入有經,足可以給軍饋者。凡人於十三件中,曉一件吉,即入招賢館報名,聽候看驗,果稱其實,奏請重用,立賢無方,不拘貴賤,盡心王事,務期報效,懋著功績,不次超擢,封侯拜相,悉在此舉,敬茲告示。

(積極的な人材採用をしているという広告)

韓信が推薦状を隠して夏侯嬰にあう

韓信看罷榜文,便問居民:「掌管招賢者何人?」居民曰:」管招賢者,乃滕公夏侯嬰也。漢王封其人為汝陰侯,為人好賢下士,不拘小節。」信大喜,暗想:「我苦相府見蕭何,以張良角書投獻,是憑張良薦舉,不見我胸中抱負。我且將角書隱下,先見滕公,次見蕭何,備將我平日所學,暴露於外,使他人知我,不用奏知漢王,然後卻獻出角書來,方見我非碌碌因人成事者也。古人曾說難進易退,若進容易,終不得大用,必須始初甚難,次後人不敢輕看。」遂寫了籍貫姓名,來見滕公。

韓信は掲示を見て、居民に問う。「ここで人材採用をしているのは誰か」。居民「滕公の夏侯嬰だ。夏侯嬰は、彼を汝陰侯にして、人材を集めている」と。韓信はひそかに思う。「蕭何に会って、張良の推薦状(割り符)を見せたら、胸中の抱負を示すことができない。推薦状を隠して、まず夏侯嬰に会ってみよう。私が学んできたことを開陳して、他人に私のことを知ってもらえば、コネ採用ではない。夏侯嬰に認められた後に、張良の推薦状を出そう」
韓信は、姓名を書いて、夏侯嬰に面談を申し込む。

夏侯嬰が韓信を面接する

滕公看韓信一表非俗,暗思:「此人亦曾聞其名,原是楚臣,如何不辭千里而來,必有緣故。」便問曰:「賢士從何而來?亦曾出仕否?」信曰:「某楚臣也,項王不能用,因棄暗投明,從咸陽而來。」滕公曰:「棧道燒絕,山路甚險,賢士如何便得到此?」信曰:「志圖報效,不惜路遠,攀藤附葛,緣山而來,所期有在,遂忘勞苦。」滕公曰:「壯哉志也!賢士曾看榜文,果通何科?願求一言,以觀其蘊。」信曰「十三科皆知,但此外一科,未曾開出。」滕公曰:「那一科未曾開出?」信曰:「一件才兼文武,學貫天人,出將入相,坐鎮中原。莫安華夏,百戰百勝,取天下猶如巨掌,堪為破楚元帥,此內少一科也。如欲下問,信當以此為明公言之,乃所優為耳。若其為十三件,不過一節之能,未足以盡信之所知也。」

夏侯嬰が韓信をちらっと見たら、平凡でない。ひそかに「聞いたことがある名だ。楚臣なのに、なぜ千里を辞せず、漢に来たのか。きっと縁故がある」と思った。

夏侯嬰、すごいな。いろいろ見抜いていながら、知らぬふりで、韓信に探りを入れていくのとか、おもしろい。たしかに、なんのアテもなく、わざわざ漢中に来る理由がない。張良が韓信の意見書を読む→張良が韓信に推薦状を渡す、というのは、小説として作りすぎという感じがしないでもないが、韓信がわざわざ漢中に来るには、つよい理由が必要なはず、というのが史書を読んだときの作者の考えなのだろう。その考えを、夏侯嬰に代弁させた。歴史小説はこうやって作る、という手本。

夏侯嬰「賢士はなぜ来たのか。かつて出仕した経験は?」。韓信「私は楚臣ですが、覇王が用いてくれないから、咸陽から出てきた」。夏侯嬰「桟道を焼絶し、山道は険しいのに、どうやって到達できた?」。韓信「志をかなえる場を求めて、気合いで」。夏侯嬰「壮んな志だな。13の求人要件のどれに該当するの?」。韓信「13の全てに該当し、しかもあと1つ追加がある」。夏侯嬰「追加とは?」。
韓信「才は文武を兼せ、學は天人を貫き、出でては將・入りては相、坐りながらに中原を鎮む。華夏を安ずるのみならず、百戰すれば百勝し、天下を取ること猶ほ掌を反すが如く、楚を破るの元帥たりに堪ふ。

自己アピールなので、笑ってはいけない。

掲示されていた13の要件では、私の能力を表現しきれない」

滕公聽罷大驚,急下階以手攀韓信上廳,納頭便拜曰:「素聞賢士之名,未曾識面,今幸千里而來,非獨一人之幸,實天下社稷之幸也。願聞良策,毋吝珠玉。」信曰:「世之為將者,徒知兵法,而不能善用,雖精熟孫吳,日講韜略,亦不足取也。必是知兵而善用,然後為良將也。昔宋國有蓄龜藥,嚴冬大寒,手不凍裂,其家世世在河邊以漂洗綿絮為業,雖三冬冷月,而手不凍裂,以此生意甚盛,卻不傳外人,遇有二客經過,願出銀一百兩,買求此方。其家商量,終日漂洗,不過暫得溫飽,如何積得許多銀養家?不若將方傳與二客。後二客得方,至吳國,適當越王與兵攻吳,天氣嚴寒,吳兵畏寒不能舉,二客遂獻策,卻將龜手之藥,涂於軍士手足之上。吳兵不懼寒冷,一戰勝越,遂成大功。吳王大喜,重賞二客,均一龜手之藥也。宋人用之,止於漂絮;二客用之,足以破敵。即如為將之道,不但須讀兵書,須要善用兵法也。」

夏侯嬰は驚き、手をとって韓信を階上に登らせ、「すげえ。もっと話を聞かせて」と。韓信「兵法を知っていても、使わねば役に立たない。宋ひとが、凍傷に効く薬を持っていても、これを使わず、みすみす凍傷のせいで戦いに負けていたように」

公曰:「賢士以如此大才,在楚不得大用者,何也?」信曰:「昔百里奚在虞不能用而虞亡,在秦能用而秦霸;賢者未嘗無益於國,惟在國君用與不用耳!信在楚屢次上言,楚終不能用,後范增再三薦舉,項王堅執不用;我知項王決不能用也,遂棄楚歸漢,以圖報效。」膝公曰:「賢士在楚不用,固不足以顯其才;若今漢王用之,賢士有何方略乎?」信曰:「若漢王用我,統傾國之師,倡有名之舉,東向伐楚,先取三秦,次收六國,使項王去其羽翼,范增困手束策,不數月而復咸陽如反掌耳!但恐明公不能舉,漢王不能用也。」

夏侯嬰「あなたはそれほど大才があるのに、どうして楚で重用されなかったの?」

圧迫面接だろ、これ。

韓信「百里奚は、虞では能力を発揮できず、虞が滅びて秦に転職したら、秦を覇たらしめた。項羽が私に能力を発揮させなかっただけだ。范増は私を評価してた」
夏侯嬰「もし漢王に重用されたら、どんな仕事ができますか」
韓信「先に三秦を取り、次に六国をおさめ、項羽から人材を去らせ、范増を策で困らせる。数ヶ月のうちに咸陽を得てみせましょう。あなたが私を漢王に推薦してくれないと、できないけどね」

滕公曰:「賢士口出大言,恐無實學!項王暗啞叱咤,萬人皆廢,三年之間,縱橫天下,自古武勇未有如項王者也,賢士言如此容易,不亦失於誇張乎?」信曰:「不然!某冒險而來,跋涉千里,倘無實見,徒費口舌,以大言而欺人,是狂妄而取咎也!由漢人觀之,以項王為不可;在某觀之,曾嬰孩之不若也,何言武勇之貫於古今乎?」滕公曰:「賢士言能如此,亦曾讀韜略乎?」信曰:」為將之才,熟讀詩書,深知成敗,上至天文,下至地理,無一事不知,亦無一物不曉,豈但讀韜略乎?」

夏侯嬰「口ばっかじゃないの?」。韓信「ちがう。わざわざ険しい道を通って漢まできて、ホラを吹いても仕方ないでしょ」。夏侯嬰「じゃあ『韜略』を暗唱してみて」

暗唱の試験なんて、急に話がセコくなった。


滕公即於館內架上取六韜三略數冊,使信背誦。韓信從頭至尾,口若懸河,滔滔不絕;又取陰陽醫卜使信背誦,韓信無一字不記;又將各般兵器作何使用,韓信備將兵器之根源,作用之法則,一一陳說,無一般不知,從早至午,與信議論有千百言,更無差錯。滕公曰:「賢士真天下之奇士,古今所罕有也!」即留管待,又從容相款,胸中不知有多少好學問,愈問愈不窮也。滕公大喜曰:「我明日早朝,奏知漢王,決重用賢士。」信曰:「明公且未可奏知漢王,乞引見蕭相國,二公會約,相同共力推薦,庶漢王知重韓信,得以大用也。」滕公曰:「賢士所見甚明,今晚就與相國會約,請賢士相見,料相國必不敢輕也。」信辭滕公回店不題。

夏侯嬰は館内から『六韜・三略』を持ってきて、韓信の暗唱をチェックした。暗唱が完璧なので、夏侯嬰は感心して、「明朝、漢王にあなたを推薦する」という。韓信「漢王にいう前に、蕭何に会いたい。夏侯嬰と蕭何の連名で、推薦してくれたら、漢王は私を重用するだろう

すごい傲慢だなー。

夏侯嬰「よろしい。今夜、蕭何に言っておくよ」

卻道滕公至近晚,徑赴蕭何府相會,備道:「韓信棄楚來褒中,議論出眾,學問淵源,真天下奇士也。」何曰:「韓信某亦嘗聞其名,此人素貧賤,釣於淮下,寄食漂母,遇惡少叱辱,甘受胯下,一市人皆笑之。後仗劍投楚,楚授以執戟郎官,亦未重用,惟范增屢次薦舉,項王不用。想是因楚不用,遂棄彼就此。但恐漢王亦知其人,不重用也。」滕公曰:「此人可惜未遇,若果重用,決可以建立奇績,料不負所舉也。」何曰:「明日可著來相見。」滕公遂辭何歸宅。不知如何相見?且看下回分解。

夏侯嬰は、蕭何の丞相府にゆき、「韓信は楚を棄ててうちにきた。議論は多く、学問は深く、まことに天下の奇士だ」と。蕭何「韓信の名を聞いたことがある。貧賎だから、洗濯ばあさんに食事を恵まれ、股をくぐって笑いものになった。楚では執戟郎で、重用されなかった。だから漢にきた。漢王が韓信の経歴を知れば、重用しないんじゃないか」。夏侯嬰「もし重用したら、きっと功績を立てるのに」。蕭何「明日、私も会ってみよう」。夏侯嬰は、蕭何と別れて帰宅した。どうなるのか。150821

『西漢演義』は、韓信のために、なんと大量に枚数を割くことか。史実になく、もしくは史実では詳細が分からない事件について加筆する場合、ほとんどが韓信がらみ。韓信という、鼎立の一角を担った名将に対する興味から、物語が膨らんでいる。
冒頭では、敗者である項羽について、もっと話を膨らませるのかと思ったが、「暴秦=項羽」という図式に入りこんでから、魅力が減った。「彭城に遷都してえ」と、ずっと言っている。韓信に関する話が長引き、項羽の時計が止まるので、「遷都してえ」しか言わないキャラに見えてしまう。

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