読書 > 『西漢通俗演義』を抄訳(第26-30回)

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第26回 霸王 天下の諸侯を封ず

項羽が始皇の陵墓を盗掘する

卻說霸王領兵至驪山,只見:蒼松籠殿宇,古柏映樓台。明堂容萬馬,山勢擁千蛟。石欄盤白玉,神路貫天衢。左右列獅駝虎豹象,東西列文武鐵衣郎。戟門壯麗,為千百年之規模;陵寢巍峨,有億萬載之形勢。

項羽は驪山にくると、始皇の墳墓は、とても立派な建築物である。

霸王下馬到墓前,親監軍卒掘塚。那三軍吶一聲喊,人人奮力,個個爭先,斧聲振地,塵土遮天,鳥獸潛跡,狐狸喪膽。一連三日,大塚已開,不見正穴,百般搜尋,莫知墓所。霸王焦躁,急傳令有知穴者重加賞賜,只見一人高叫:「大王欲知穴道,惟小臣可以開得。」霸王看其人,乃英布也。霸王便問曰:「爾如何知始皇陵寢穴道?」布曰:「臣昔時曾修驪山大工,督管夫役修墓,所以盡知穴道。」

項羽は墓前で下馬して、みずから軍卒を監して(盗みを見張って)掘った。掘っても掘っても、本物の墓所に行き着かない。項羽は焦って、「本物の穴道を見つけたら、賞賜する」と急ぎ令した。「私に任せなさい」といったのは、英布である。項羽「知ってるのか」。英布「驪山の工事を監督したのは私ですから」

英布をうまい使い方をした!


霸王大喜,使命英布率領眾軍卒,自正北向正南,平掘有十丈長,入地有五丈深,遂有空隙處,又掘五六尺深,只見有石牌樓豎著,裡邊都是石城石門,再無土地,兩扇石門緊閉,英布便令軍士扒上城頭,有兩條石龍,一升一降,中間有石管心,用鐵錘打碎,裡面一聲響,管心落地,石門遂開。入到石城,中有大路,皆白石砌就,兩邊俱有欄杆,行有二里遠,方是墓門,惟開裡邊,有大殿、享殿、寢殿,三宮六院,蓋造十分齊整,寢殿中便是始皇靈柩,面前陳設寶貨,周圍堆積金銀六十萬,各樣寶物一百二十件,盡數起出。

英布の案内で掘ると、お宝ザクザク。

欲要擊碎始皇石柩,英布諫曰:「不可,此石槨也,內藏石柩,中有鐵箭鐵炮石子,若走動消息,裡邊箭炮石子打出,決傷軍士,不若仍用土填滿,庶幾無事。」霸王從其言,將金銀主貨載回賞軍。又見阿房宮樓閣華麗,光耀雲霄,聯絡不絕,霸王歎曰:「此秦之所以亡也,費盡天下財力,方成驪山、阿房二宮。我為王,留此故跡無用。」遂命軍士將阿房宮燒燬,相連宮院,盡皆延燒,三個月煙燄不絕。霸王燒盡阿房宮,遍咸陽城中,無一家不驚惶,無一人下怨恨。

項羽が始皇の石棺を撃ち砕こうとすると、英布が諌めた。「だめです。なかに鉄矢・鉄砲・大弩のトラップがあり、少しでも動かせば、軍士を傷つけます。土に埋め戻すしかない」と。項羽は英布に従い、金銀だけ持って帰る。項羽は、驪山・阿房宮の壮麗さを見て、「秦が滅びたのは、建築で財力を使い尽くしたから。オレが王となったからには、この建造物の痕跡は必要ない」と、宮殿を焼かせた。3ヶ月、日が消えない。咸陽の城中に延焼して、みな驚き怨んだ。

18諸侯を封じる

眾諸侯屯軍日久,各有思歸之念,因與范增計議曰:「我等長在此屯注,霸王又無封爵之賞,各地方倘有變亂,何以處之?」增曰:「我正欲奏知王上,不意諸公乃有此議。」隨同諸人來見霸王,進言曰:「天下諸侯各將士,隨陛下伐秦,俱有勤勞,今屯住日」,費用甚多,乞奏陛下,照功封賞,使各歸故土,深為便益。」霸王曰:「諸侯久住於此,正欲加封,卿等所奏,實合朕意。」因又與增密議:「昔懷王約先入關者王之,今沛公先入關,當王關中,就如照功加封,沛公亦當首先封王,必建都咸陽,但恐據關阻險,深為後患,以此待疑未決,先生有高見,早力區畫,然後好以次加封。」

諸侯は軍に屯することが久しく、故郷に帰りたい。諸侯は范増に相談した。「項羽は封爵してくれない。もち地方で変乱があれば(封地のない)我らはどこに居ればいい?」。范増「私から項羽に言うから、諸公はこの話はしないで」。范増が封爵を勧めると、項羽は「范増の言うとおりに封爵する」という。

めずらしく従順な項羽。もともと作中で、諸侯に財貨をもって報いようとしていたし、なにより諸侯を封じるのは史実だし。史実だし!

項羽は范増と密議した。「懐王の約に従えば、劉邦は先に入関したから関中王にすべきだが、もし劉邦を筆頭として関中王にしたら、かならず咸陽に都を立て、函谷関に拠り、険阻な地形をつかい、後患となる。どうしよう」

增曰:「巴蜀乃秦之罪地,山川險阻,地方艱苦,封沛公力漢王,亦不失為關中之地;卻將章邯、司馬欣、董翳封為三秦王,阻住漢中之路,使他南無所進,東無所歸,老死漢中,雖為加封,實是左遷也。」羽曰:「此計甚妙。」於是傳令著軍政司,核查諸侯並各將土功績,依次封賞。乃封沛公漢王,都南鄭,管四十一縣。

范増「巴蜀は、秦の罪地である。不便な地勢を押し付け、劉邦を漢王としよう。巴蜀もまた関中には変わりない(楚懐王の約に背かない)。章邯・司馬欣・董翳を三秦の王として、漢中からの道をふさぐ。これで劉邦を左遷できる」。項羽「そりゃいいや」。劉邦は漢王となり、南鄭を都として41県を管する。

其餘各有封賞,章邯為雍王,都廢丘,管上秦三十八具;司馬欣為塞王,都櫟陽,管下秦一十八具;董翳為翟王,都高奴,管中秦三十具;申陽為何南王,都洛陽,管河南二十縣;司馬中為殷王,都朝歌,管河南三十二縣;英布為九江王,都六台,管四十五縣;共敖為臨江王;吳芮為衡山王;田安力濟北王;魏豹為西魏王;張耳為常山王;臧茶為燕王;趙歇為代王;田橫為上齊王;田鬱為中齊王;鄭昌為韓王;陳勝為梁王;田榮為前齊王;田慶為前趙王;陳餘為北趙王;田市為交東王;項正為春勝君;項元為安勝君;范增為丞相,稱亞父;項伯為尚書令;鍾離昧為左司馬;丁公為左將軍;龍且為大司馬;季布為左司馬;雍齒為左將軍;劉存為後將軍;陳平為都尉;韓生為左諫議;武涉為右諫議;桓楚為大將軍;子英為引戰大將軍;子琪為大將軍;韓信為執戟郎。各封爵已畢,排設筵宴管待,遂頒詔傳佈中外不題。

爵位・官位をばらまいた。韓信は執戟郎にすぎない。

高い爵位・官位が並んでいるなかに、やたら扱いの軽い韓信の名が見えるのがポイント。史書でこの文脈なら、韓信のことなど触れない。
爵位・官位を、史書と比べて何か言ったら面白そうだけど、そういう雑学的な興味は、もつちょい後に持つ予定。ただの羅列なので、物語は展開していない。


劉備が、漢王という処遇に驚く

卻說沛公眾將,見封沛公為漢王,皆失色,莫不曰:「巴蜀秦之罪地,我主公先入咸陽,卻反左遷於漢中,此必范增之計也。不若會聚眾將,糾集人馬,與霸王對敵,務如懷王之約,庶免老死褒中。不然,決不能生還鄉里也!」樊噲高叫曰:「眾將說得是,我便為先鋒,同我殺霸王去。」漢王亦大怒曰:「王我於關中,建都咸陽,此乃懷王之約!今卻遷我於罪地,重山峻嶺,豈可以一朝居乎?」丞相蕭何等諫曰:「雖王漢中之惡,不猶愈於死乎?能詘於一人之下而伸於萬人之上者,湯武是也。臣願陛下王漢中,養其民以致賢人,收用已蜀,還定三秦,天下可圖也。」

沛公の衆将は、「漢王なんて罰ゲームだ。范増の陰謀だ。でも項羽には敵わない。楚懐王の約を守りとおして、漢地で老いて死ぬか。郷里に帰れないし」と。樊噲「オレが先鋒となって項羽を殺す」。漢王は大怒した。「私を関中の王にして、咸陽に都をつくらせるのが、楚懐王の約である。しかし罪地に左遷するなんて」。丞相の蕭何が諌めた。「漢中の王になるのは悪いが、死ぬよりはマシ。1人の屈して、万人の上に立ったのは湯武でした。漢中で王となり、民を養い賢人を集めて、巴蜀から軍資を得て、三秦にもどってこよう」

張良亦諫曰:「蜀雖秦之罪地,內有重山之固,外有峻岩之險,進可連並天下,退可距險而守。楚雖有百萬之眾,豈能寇我那?此正興漢之地,養武之國也。大王正當歡欣領命,指日即行可也。若少有不滿之意,彼必尋事致害,反中其計。范增終日只要害大王,大王尚不知機,反欲與楚作對。況楚兵強勢重,豈能與之抗乎?」漢王起謝曰:「若非先生之言,幾自誤矣!」

張良も諌める。「漢中は守りやすい。項羽軍100万がきても守れる。項羽の命令に従って、すぐに赴任するのがベスト。もし少しでも不満を見せたら、項羽に殺される。これは范増の計略どおり。范増は劉邦を殺したくて仕方ない。劉邦は機微を理解せず、范増にチャンスを与えるのですか。まして項羽軍は強いから、逆らってはいけない」。劉邦「先生のアドバイスがないと、誤るところだった」

蕭何の説得だけでは、いまいち劉邦は動かされなかった。蕭何は兵站を担当するから、漢中・関中に執着するキャラ。張良は、項羽・范増の弱点まで見渡して、劉邦に戦略を授けるキャラ。張良のほうが、上として描かれている。


酈食其曰:「居漢中有三利,若居關中有三害。何謂三利?蓋蜀地道路險,且人不知虛實,其利一也;操練軍卒,慣於登跌,其利二也;人心思歸,各相努力,其利三也。何謂三害,蓋豐沛雖為故鄉,韓魏臨境,易知邦內之事,其害一也;苟欲起兵卒以攻楚,范增必知深淺,易得防備攻擊,反生不測之患,其害二也;人心或動,莫不喜大而欺小,好強而怯弱,見楚家興旺,因而奔歸,大王誰與為守?此三害也。大王當忍勵,臥薪嚐膽,王業可圖,天下可得也。」漢王大喜,遂議啟行不題。

酈生「漢中にいけば3つ利があり、関中に残れば3つ害がある。漢中の3つの利とは、1つ、蜀地は道が険しく、人は虚実を知らない(隔絶した地形のため、謀略を掛けられにくい)。2つ、軍馬を訓練できる。3つ、故郷に帰るためにがんばれる。関中の3つの害とは、1つ、豊沛は故郷だが、韓・魏と境を接して、内情を知られやすい。2つ、もし起兵しても、范増が関中の地形を知り尽くしており、奇襲を食らうかも知れない。3つ(兵士にとって故郷が近く、つぶしが利くので)人心が動揺しやすく、項羽の強さを見れば、なだれを打って項羽軍に奔るかも」
劉邦は、おおいに喜び、漢中にゆく。

劉邦が漢中に出発したい

范增忽思劉邦乃火命人,凡旗幟尚赤,今居漢中,乃西方,為金地,金得火,必成大器,急來見霸王曰:「劉邦封他為漢王,甚有不滿之意,諸將皆出山東人,又各爭忿不平,以為陛下背約。若不就此除之,決有後患。」霸王曰:「封詔已出,業已定矣,又何更張?」增曰:「明日眾諸將來見陛下,只問他:『我封汝為漢王,爾去褒中,去也不去?』他若言去,是自專矣;若言不去,是欲王關中矣,陛下即令斬之,以除此患。」王曰:「善。」

范増が見るに、劉邦は火徳の天命をもち、旗幟は赤をとうとぶ。漢中は西方であり、西方とは金徳の地である。金が火を得れば、必ず大器になる。急ぎ范増は項羽に会い、「劉邦は漢王にされて、きっと不満でしょう。諸将は山東のひとなので、不平を言い合っているはず。これは陛下(項羽)の約に背くことです。はやく殺しましょう」
項羽「もう漢王に封じる詔が出た。いまさら?」。范増「明日、諸侯が陛下に来見する。そこで『私はお前を漢王にした。封地に行かないのか』と聞きなさい。行くと言えば、自らほしいままにする(赴任の命令がまだなのに、勝手に行くと決めた)ことになる(だから劉邦に罪を問える)。行かぬと言えば、まだ関中王になりたい証拠です。どちらにせよ、斬っちゃえ」。項羽「よし」

次日,漢王等來見霸王,行禮畢,只見霸王問曰:「漢王,我封爾褒中,汝去也不去?即便說來!」漢王曰:「食君之祿,命懸於君手,怎敢說去也不去?臣譬如陛下馬也,鞭之則行,攬轡則止耳。」霸王笑曰:「卿可說善喻矣!」遂無殺漢王之意,
及退回漢營,子房急求見口:「大王知今日之危乎?」漢王曰:「不知。」子房曰:「陛下洪福甚大!方才霸王問大王夫也不去,若不是大王善於答應,決有殺身之禍。」

翌日、劉邦は項羽にあう。項羽「漢王よ、オレはお前を漢中に封じた。行くの?行かないの?」。劉邦「君主の禄を食み、命は君主の手に懸かってる。なぜ敢えて、行くか行かないかを言う必要がありますか。例えるなら私は、陛下の馬のようなもの。ムチ打たれればゆき、クツワを取られれば止まる」。項羽は笑って、「おもしろいことを言う」と。劉邦を殺す意志がなくなった。
劉邦の軍営にもどると、張良が急いで会いにきて、「劉邦は今日の危機に気づいてました?」と聞く。張良「どこが危機?」。張良「陛下の幸福は大きなことよ。項羽の質問に、うまく答えられなければ、殺されるところでした」

笑うところなんだろうなー。というか、鴻門の会のあたりから、劉邦が漢中にゆくまでを、妙にたくさんエピソードを入れて膨らませる。


漢王聞說愕然,便問良曰:「似此久住,恐生不測,為之奈何?」良曰:「待臣會項伯、陳平,再作商量。大王可吩咐預修行裝,待霸王命下,即便起身,庶免謀害。」於是張良會項伯、陳平備說范增謀害之意,漢王今急欲起身,未有脫身之計,想二公必有妙算搭救,若他日漢王得地,決不敢忘今日也,陳平沉思半晌,向張良附耳雲如此如此,良曰:「此計甚妙。」不知陳平用何計,且看下回分解。

漢王は愕然として、張良に「ここに長く留まれば、また危ないかも。どうしよ」。張良「項伯・陳平と、また作戦を練ってくる。劉邦は待ってなさい。出発の準備をして、項羽の命令を待ちなさい。命令がでたら、すぐに出発すれば、害を免れるでしょう」。張良は、項伯・陳平に、「范増には劉邦を殺す意図があるが、劉邦がここを脱出する計略がないんだよね。いいアイディアがほしい。後日、劉邦が領地を得たら、きっと報いるから」と持ちかけた。陳平は半日考えて、張良に「コレコレ」と耳打ちした。張良「妙計じゃん」。さて陳平の計略とは? 150818

これまで「項羽」「劉邦」の表記できましたが、原典どおり「覇王」「漢王」と書くことにします。分かりやすさよりも、雰囲気を重んじた結果です。というか、脳内変換が大変になってきた。この呼称で、楚漢戦争の最後まで行くのだし。

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第27回 陳平 計を定め漢王を救ふ

范増が劉邦を咸陽に留める

霸王封諸侯日久,未得差人致命義帝,又聞車駕尚在彭城,不肯幸彬州建都。霸王因召群臣計議此事,何以處之?陳平出班奏曰:「天無二日,民無二主。今陛下既頒詔為天子,改號封天下諸侯,卻又致命懷王,是有二天子矣。外邊百姓皆雲:『以臣封臣,古今罕有。』若果有此言,不足以服天下。臣有愚見,此時急差亞父領二驍將,立等義帝起身,遠處僻地,就如廢置一般,亦不必致命,庶可以塞百姓之言,免天下議論。」羽曰:「此言正合吾意。」

覇王が諸侯を封じてひさしく、まだ義帝に命令を伝えられず、車駕は彭城にあり、彬州にいくのを拒んだ。覇王が計議すると、陳平が奏す。「いま陛下(項羽)は詔を頒布して天子となり、天下の諸侯を改号した。しかし覇王が義帝から命令を受ければ、天子が2人いるのと同じで、天下が服さない。いそぎ亜父(范増)をやり、義帝の彬州ゆきを催促しては」。覇王「いいね」

覇王と義帝の対立をあおる陳平。


隨命范增:「領桓楚、於英,赴彭城催逼義帝往彬州建都,仍將彭城修飾齊整,朕欲往一觀,不忘故土之意也。」范增不敢違命,只得啟行,因來辭見曰:「臣雖領命赴彭城,恐左右蒙蔽聖聰,臣有三事上諫,乞陛下留神:第一不可離成陽,蓋咸陽自古建都之地,沃野千里,天府之國也;二當重用韓信,蓋韓信有元戎之才,但時未遇耳,若陛下舉而用之,兵隨將行,將逐兵行,縱橫天下,所到無敵,如不欲用,即殺之,免使歸他人,為後患也;三不可使漢王歸漢中,且稽留在咸陽,待臣還再作區處。此三事至緊要,不可忽也。」霸王曰:「卿去早來,所言三事,朕記在心。」范增遂同桓楚、於英赴彭城去訖。

覇王は范増に命ず。「桓楚・于英をつれて、義帝をせかせ。義帝が彭城をどけば、オレが彭城に行きたい。なじみの土地を忘れられない」と。范増は覇王に辞す。「彭城にいくが、左右のものが覇王を誤らせるといけないから、3つ諌めておく。1つ、咸陽を離れるな。2つ、韓信を重く用いよ。韓信を他人に奔らせると後患となる。

范増の心配ごとは、たいていは「後患」と表現される。漢王の存在が、たいていコレなのだが、韓信も同じ。歴史を先取りしているとしか思えない。まるで未来人から助言を受けているようなw

3つ、漢王をすぐに漢中にゆかせるな。私が彭城から戻った後、漢王のことは再び処置をするから」。覇王「OK」

陳平が、漢王を漢中にゆかせる

且說次日陳平上表曰:
國家以理財為先,聖人以儉用為本,財不理則出入無度,費用無經,財力盡而死必去矣;不儉則奢侈日靡,倉庫日虛,民不聊生,而國必亡矣。陛下初登大寶,以民為天,若不節用,何以為治?現今諸侯集聚咸陽,每一路諸侯帶領本部兵馬,不下三四萬,總約大數,何止百萬?所用不可勝數,倉庫空虛,錢糧將盡。如一路諸侯,支酒食二十五擔,羊一十五隻,豬二十口,大牛五頭,麥二百斤,柴四十擔,兵吏人等以十萬為率,每名日支米二升,雜豆一升,料豆二升,草二束;通算每日總支酒三面擔,羊二百隻,豬四百口,大牛百頭,面四千斤,柴八百擔,米二萬石,料豆二萬石,雜豆一萬石,草二萬束。以百萬算來,費用不資,臣實寒心。若不急令還國恐百姓力難支持矣!伏乞聖裁臣等下情,不勝懇切之至。

翌日(范増のいない隙に)陳平が覇王に上表する。

范増が諌めたのは、陳平を警戒してのことだと。本作では、覇王がなかなか彭城にいかず、咸陽でダラダラしている。これは史実にないことで、項羽が判断を誤り続けるプロセスを、読者が笑うという仕様になっている。

「国家は財政を重んじ、聖人は倹約を本とする。咸陽に諸侯の大軍がいると、倉庫の銭糧を使い尽くす。早く諸侯を封地に行かせよ」

もちろん漢王を逃がすための計略だ。なぜ范増・陳平とも賢者であり、漢王が最終的な勝利者になることを知っており、ただ反応が違うだけ。「漢王は勝つのが既定路線;勝って当然」という前提で物語が作られ、「漢王と覇王のどっちが勝つのかな」とハラハラする話にしないのはなぜか。漢王朝400年を正統化する言説が、歴史小説の読者のなかに染みつき、そういうハラハラは期待できないと、小説の作者が考えているからでは。こんなところにも、史実の後漢末の群雄を苦しめた歴史観の影響が。


霸王看罷表文,即時傳令,著新封諸王,限五日內俱還國,惟漢玉且留咸陽,另有別議,張良聞知大驚曰:「漢王休矣!若范增回關中,必有謀殺之意,如何得走漢中。」急來見漢王。王曰:「今日霸王分忖諸王皆令還國,惟劉邦另有別議,此必謀害之意,為之奈何?」良曰:「大王老小,皆在豐沛,明日可上表,只說給假搬取家小,臣有救大王之計。」

覇王は、諸王を5日以内に咸陽から去らせるが、漢王だけは留めた。張良はこれを知って驚き、「漢王がまずい。范増が(彭城から)関中に帰れば、漢王を殺すつもりだ。どうやって漢中に逃がすか」と。急ぎ漢王に会う。漢王「私だけ咸陽に残るって、絶対に私を殺す計画があるじゃん」。張良「大王の家族は、みな豊沛に置いてきた。私が明日、大王の家族を迎えることを説いてみる。大王を救う計があるよ」

漢王隨令酈生作表,次日投進,表曰:
聖王以孝治天下,而天下莫不歸於孝,使父子和睦,仁愛浹治,不變時雍,遂成至治。臣邦豐沛小民,從風西向,仰托鴻猷,受封王爵,天下之至榮,千載之遭際也。臣身雖榮,父母妻子,遠在故土,未得闔門共居,以享天樂,意欲差人搬取,又不得親掃墳墓,榮歸鄉里,以彰陛下恩及歿存之德;伏乞留兵馬駐紮咸陽,隻身領數騎赴豐沛,給假限三月,搬取家小,共沐王化。下情未敢擅便,伏惟聖裁,不勝惶恐之至。

漢王は張良の言うとおり、酈生に上表を作らせた。
「天下は『孝』を重んじる。私は王爵をもらったが、家族を故郷に置き去りにした。兵を咸陽に留めたまま、身ひとつで家族を迎えにゆきたい。3ヶ月の暇を下さい」

霸王看罷表曰:「卿欲回豐沛,搬取父母,亦是人子孝親之意,但恐非其本心,或因朕昨日留卿且在咸陽,故有此奏也。」漢王曰:「臣父年老,無人奉侍,懷思日久,見陛下新即位,不敢冒乾,今見清侯還國,皆得歸省父母,獨臣留此,又不知何日得見臣父。」漢王說到痛切處,哭泣不止。張良出班奏曰:「漢王不可放他搬取家小,只可獨遣還國,陛下仍著人取大公並家小為質,庶漢王無別心。」霸王曰:「我意要留漢王且在咸陽,未可放回,正恐他有異志。」陳平出曰:「陛下既封劉邦為王,已佈告天下,今復留此,恐不足以取信於中外,不若從張良之諫,以太公為質,乃令漢王還赴褒中,既全大信,又得管束漢王之心。」

覇王は上表を読み、「漢王が父母を迎えるというのは、本心ではないな。オレが漢王を咸陽に留めたから、脱出の口実をつくったのだ」。

范増の計略の存在を、明け透けに言ってしまう覇王。

漢王「ほかの諸侯は国にゆき父母に会えたのに、私だけ父母に会えないなんて。いつ父母に会えるか分からないし」。漢王は痛切に訴えて泣いた。張良が奏する。「漢王は家族を放置すべきでない。漢王を漢中に行かせるかわりに、漢王の父を覇王が人質とすれば、漢王は別心(覇王への反意)を起こさない」。覇王「やっぱり漢王を咸陽から出すわけには……」。陳平「すでに劉邦を漢王に封じ、天下に布告したのに、彼を漢中にゆかせねば信を失う。張良の言うように、漢王の父を人質にすれば安心です」

霸王曰:「既議停當,准著漢王還國,不許給假回豐沛。」漢王拜伏在地不起。霸王曰:「卿且赴褒中去,待朕建都彭城,將卿老小供給養贍,從容著人來取,亦不失奉養之意。」漢王就拜謝曰:「感陛下大恩,生死不能忘也。今即辭陛下赴褒中去。」
只見鍾離昧上諫曰:「前范亞父臨別時,曾說不可放漢王入褒中去,今陛下如何忘了?」霸王曰:「留他老小住彭城,已管束之矣,又何稽留漢王?況封詔已傳播內外,如何信亞父之言,使朕失信於天下也?」遂不聽鍾離昧之諫。有韓信歎口:「使漢王入褒中,不帶家小同行,正中其計矣!他日以思歸之心,奮鷹揚之勇,吾輩皆為所虜也!惜亞父之言成畫餅耳!」

覇王「じゃあ漢王を漢中にゆかせるが、暇を与えて豊沛に帰るのは許さない」。

初めからムリな条件を提示して(漢王を豊沛に帰らせる)、それを拒否らせることで、覇王に「交渉をしたような手応え」を与えた。しかし、どうせムリな話だから、却下されても痛くもかゆくない。

覇王「漢王は漢中にゆけ。オレは彭城を都として、漢王の一族を養ってやる(人質とする)」と。漢王「ありがとう」。
ただ鐘離昧だけが覇王を諌めた。「范増の諌めを忘れたのか」。覇王「陂池自治を取れば大丈夫。漢王を留めて、天下の信を失うほうがマズい」

漢王の家族が人質になるのは、史実では、彭城の戦いで漢王が大敗するから。漢中にいく交渉材料として、家族を差し出したのではない。張良は、漢王の家族をダシにするなんて、ひどい男だ。ちゃんと作中で責任を取ってくれるのか。
史実では、漢王を漢中に行かせることが、項羽・范増の本意である。咸陽に留めて、いつまでも殺す機会を狙ったりしない。このくだりも、まだ鴻門の会の構図が継続している。

鐘離昧は諌めるのを諦めた。韓信が嘆じた。「漢王が家族をともなわずに漢中にいくのは(陳平の)計算どおり。後日、故郷・家族を取り戻すため、勇気をふるうだろう。われら覇王軍は、漢王の擒となるはず。范増の言が画餅となっちゃった」

漢王が咸陽から漢中へゆく

卻說漢王回營,即令吩咐大小將士,作急起行。於是眾將整率人馬,簇擁漢王離咸陽。只見關中百姓,聞知得漢王啟行,扶老攜幼,塞滿道路,何止有數萬人哭倒在地,為首有數十老人曰:「我等指望大王為關中之主,不想今大王往漢中去,又不知何日東歸,得再見天顏!」攀轅拊轍,戀戀不忍去。漢王撫之曰:「爾等各安生理,無生異心,他日入關,又得相見。」

漢王は軍営にかえり、大小の将士に命じて、急ぎ漢中に出発する。関中の百姓が、漢王が去るのを惜しみ、道を塞ぐ。漢王「後日、きっとまた会えるから」

ここで史実に回帰した。このように関中で、とても慕われる漢王、というのもフィクションだろうな。咸陽におらず、覇上にいたのは、秦地を実質的に支配する体力がなかったからと、藤田勝久『項羽と劉邦の時代』にあった。


百姓又要遠送,蕭何急止之曰:『霸王法度甚嚴,汝等不可只顧遠送,恐知覺,汝等反其受害。作速回去!」百姓尚哭不止,張良令樊噲快揮人馬,奔峽山驛大路而行。九十里,至安平縣;四十互裡,至扶風縣;四十五里,至鳳翔郡;三十里,至迷魂寨;三十里,至寶雞縣;五十里,至大散關;六十里,至清風閣;六十里,至鳳州,入棧道。漢王人馬俱山東人,不識險路,看見連雲棧如此險峻,各人大叫曰:「我等過此險路,若有人在此把住,要害我等,再不想得生還矣!與其束手而死,不如與楚決一死戰,大丈夫之所為也!」那樊噲便道:「說得是!」大喊一聲,率領眾將,又要殺上咸陽。不知如何?且看下回分解。

百姓が遠くまで見送ろうとするから、蕭何が止めた。「覇王の法はきびしい。漢王を見送れば、罰せられるぞ。早く戻りなさい」

やはり、暴秦=項羽という構図である。上述の藤田氏の本では、秦(始皇)の政治方針と、楚(項羽)の政治方針を対比させることに、論の重きを置いていた。暴秦と項羽をイコールにしたら、ただ劉邦が浮上するだけで、史実からは乖離する。

百姓は、なおも泣いた。
張良は、樊噲に人馬を指揮させて、漢中にむかう。険阻な地形を見て、各人が「敵が来ても守りやすいが、故郷に帰るのが難しくもなる。手を束ねて死ぬより、覇王と一戦するのが大丈夫のやり方だ」という。樊噲は「そうだ!」といい、咸陽に向かおうとする。どうなるのか。150819

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第28回 張子房 燒きて棧道を絕つ

去りぎわの張良が3計を授ける

卻說樊噲等見棧道十分險惡,人人有思歸之意,各吶一聲喊,便要殺回關中來;漢王亦怒曰:「我奉懷王約,先入關者為王,誰想背了前約,聽范增好計,左遷我來到這等險峻去處!又著章邯等三人,阻塞東歸之路,縱使騰雲也出不去。不如從眾人之意,此時三秦尚未據守,正好殺上咸陽,與他拼個死活,倒是良策。」
蕭何、張良、酈生下馬跪伏在地曰:「不可信眾人一時暴性,決誤了大事。褒中雖險,乃大王興王之地。況西南靜僻,隨大王招軍養士,霸王決不得知。待人馬強壯,兵勢嚴整,那時還定三秦,天下不難圖也。若今聽眾人之言,倒轉東向,霸王率三秦而西來,勢如壓卵,欲求再用為漢中王,不亦難乎?」

樊噲らは桟道の険阻さを見て、行くのがイヤになり、関中に攻めこもうとする。漢王は怒った。「覇王は、懐王の約をやぶって、范増の計を聞き、私を漢中に左遷した。章邯ら秦将3人に、東へ帰る道を塞がせた。樊噲の言うとおり、咸陽に攻めこもうぜ」
蕭何・張良・酈生は、馬を下りて地に伏せ、「衆人の暴発に同調して、大事を誤るな。漢中は険しいが、大王が王業を興す地だ。いま関中に攻めこんでも勝てないし、現在の地位すら失う」

漢王從其言,即令樊噲催趲人馬,向褒中來,前到金牛嶺,漢王曰:「如何為金牛嶺?」酈生曰:「昔蜀道無路往來,秦惠王要兼併六國,聞蜀中有五個力士,俱有神力,秦乃用生鐵鑄五個鐵牛,置於秦地,詐言鐵牛每日糞金五斗,秦國以此富強。蜀主聞知,遂以為為實,乃令五丁力士開山鑿路,通入秦國,盜竊鐵牛。五丁既開了山路,來到秦地,不想鐵牛俱是假設。遂伐蜀。」

漢王は蕭何らに従い、ふたたび樊噲に漢中ゆきの指揮をさせる。前に「金牛嶺」があった。漢王「なんで金牛嶺というの?」。酈生「むかし蜀への道に往来がないとき、秦恵王が戦国六国を併合するために、蜀中に5人の勇者がいると聞き、彼らの神がかりの力を用いたい。5つの鉄牛を鋳造して、秦地に起き、詐って『秦が豊かなのは、鉄牛が金の糞をするから』と言い触らした。蜀主はこれを聞き、5人の勇士に秦地への道を開拓させ、秦地から鉄牛を盗みだそうとした。この道をつかって、秦恵王は蜀を討伐した」

ただの移動中の暇つぶしの会話かよ。しかし、秦地から蜀地への困難な道は、諸葛亮が北伐で使うことになる。こういう伝説があるのは、おもしろい。


漢王正行之際,只見子房下馬近前奏曰:「臣良送陛下到此,欲辭回韓國。」漢王大驚曰:「先生一向與邦相從,深得教益,一時不相舍,今欲辭歸,使劉邦何所依附?」良曰:「臣辭陛下往東行,雖看故主,實與陛下去乾三件大事。」王曰:「那三件事?」良曰:「一者說霸王遷都彭城,留關中與陛下為建都之地;二者說諸侯反楚歸漢,且令霸王無西征之意;三者與陛下尋一個興劉滅楚定天下之大元帥。乾了這三件事,臣在咸陽與陛下相會。願陛下百事忍耐,不要急躁。漢中不過暫居,多則三年,少則一二年,管教陛下東歸。」

漢王が行こうとすると、張良が下馬して奏した。「私はここで陛下を見送り、韓国に帰りたい」。漢王は驚き、「先生がいなければ、私は誰を頼れば?」。張良「私が東に帰る(漢中にゆかない)のは、故主の韓王に会うためですが、陛下のために3つの重要な仕事をするため」。漢王「3つとは?」。張良「1つ、覇王を彭城に遷都させ、関中を漢王が都すべき土地として確保すること。2つ、諸侯が覇王から漢王に寝返るように画策し、覇王から漢中に攻める気をうばうこと。3つ、漢王が覇王を破るための大元帥を探すこと。以上の3つをやるため、長ければ3年、短くとも1年か2年はかかります」

漢王曰:「果如先生之言,劉邦雖受苦萬千,亦不敢埋怨,但先生所舉元帥,有何憑信?」良曰:「臣有角書一紙,內有臣手字,並與陛下平日密言之事,陛下須留用,不可失也。」漢王執良之手涕泣曰:「先生不可失信!如見大公,為我懇懇拜上,善加調攝,撫養老小,一日得東歸,尚有迎養之日,非是敢拋棄父母,只因霸王背約強暴,不得已赴褒中以圖苟免耳。」良曰:「謹遵王命。」
又與蕭何相別,拉在無入去處,暗與定計道:「這股這般,如尋得破楚元帥來,丞相可用意舉薦。」何曰:「先生放心,憑你角書,已知其為大將,焉敢蔽賢誤國耶?」張良辭了漢王及眾將,帶領五個從人,復回舊路,往關中來不題。

漢王「張良先生の言うとおりなら、どんな苦難も受け入れられる。ときに先生が推挙する元帥は、どうやって確かめればよいですか」。張良「角紙一紙(割り符)に、直筆で書きました(割り符の片割は元帥の候補者に、もう片割は蕭何に渡してあります)。私が密かに言ったことは忘れないで」

原文を見ても、よく分からなかったので、『通俗漢楚軍談』による。

漢王は張良の手をとって涕泣し、「もちろん先生の言うとおりにします。もし父に会ったら懇ろに伝えてほしい。私は父母を棄てるのでなく、覇王に強いられて仕方なく漢中にいくだけです」。張良「伝えます」。
また張良は、蕭何と別れをいい、ひそかに計を授けた。「ここに(割り符を渡しておく)。もしも楚を破れる元帥がきたら、丞相から漢王に推挙してほしい」。蕭何「安心しなさい。割り符が一致して、大将だと気づけば、賢者を蔽って国を誤らせません(きっと推挙します)」。張良は5人だけ連れて、漢王から去った。

張良が桟道を焼き払う

且說漢王大軍正行之間,只聽得後軍一齊叫苦不迭。漢王回頭看時,只見烈燄連天,濃煙遍野,隨處火焚三百里,相緣燎徹萬家村。漢王亦大叫曰:「此必是張良孺子放的人,燒絕棧道,使我不得東歸矣:卻不知又是何主意?」諸將士齊聲怨罵張良,各各放聲大哭曰:「我等生為關內人,死作褒中鬼,何日修起棧道?」

漢王の大軍が漢中にゆこうとすると、後軍が苦を叫ぶ。漢王が振り返ると、火炎が天を焦がし、濃煙が野をおおい、随所で火が燃えてる。漢王も叫び、「きっと張良の孺子めが差し向けた人で、桟道を焼いて、私を東帰できなくしたのだ。どういう意図か分からんけど」。諸将は声をそろえて張良を怨罵し、各々おおいに哭いた。「われらは関内人として生まれ、漢中で死ぬのか。いつ桟道を修復して(故郷である東方に)帰れるのか」

眾人正嚷鬧間,又只見蕭何向前附王耳曰:「大王不可怨罵張良。臣昨日與張良相別時,曾說燒絕棧道,有四件利益:一者使霸王聞知燒絕棧道,料我主再無東歸之意,他亦無西顧之憂矣;二者使三秦高枕,不為嚴備;三言使隨來人安心在漢中,奉事大工,再無思歸之意;四者使諸侯無相攻擊,而盜我之兵也。有此四益,大王何故怨罵張良?」漢王聞說,大喜曰:「若非丞相之言,幾幾誤怪子房矣!」遂令三軍前進。

みなが騒ぐと、蕭何が漢王に耳打ちした。「大王は張良を怨罵するな。先日、張良と別れるとき、桟道を焼くことの4つの利を聞いた。1つ、覇王にわれらが東帰の意志がないと示し、警戒を解ける。2つ、三秦(章邯ら)が警備をゆるめる。3つ、漢王の随行者の腹が決まる。4つ、諸侯から攻められず、兵を盗まれない。この4つの利があるのに、なぜ張良を怨罵するのか」。
漢王はおおいに喜び、「もし丞相(蕭何)の言がなければ、あやうく張良を誤解するところだった」と。三軍に前進させた。

予め了解をとってから桟道を焼くのではなく、漢王すら驚く場面をつくるため、無断で焼く。そして事後的に、張良の思慮ぶかさを知るという物語的なサービス。


一日,漢王到褒中,擇日即王位,安撫百姓,施仁佈德,治民以寬,漢民莫不悅服,此年五穀豐熟,家家快樂,處處笙歌,漢王甚喜。於是封蕭何為相國,曹參、樊噲、周勃、灌嬰等以下,各有封賞。招賢納士,積聚糧草,漢中不數月,道不拾遺,夜戶不扃,行人讓路,家給人足,國中大治。

漢王は漢中にいたり、日をえらび王位に即いて善政をしく。蕭何を相国として、曹参・樊噲・周勃・灌嬰らを封賞した。国はおおいに治まった。

且說張良燒了棧道,來到鳳嶺,暫歇半日,過鳳州,出益門,將到寶雞,只見一支人馬,攔往來路,高叫曰:「子房公休走,亞父著我在此專等,誰想果從這裡來!」張良大驚,正要下馬詢問來歷,那馬上將軍便道:「子房公不要忙,我有話說。」不知說出甚話來?且看下回分解。

さて張良は桟道を焼くと、鳳嶺にいたった。半日だけ休み、鳳州を過ぎて、宝鶏に到ろうとすると、1支の軍馬が道を遮る。高らかに「子房公はとまれ。亜父は私にここで待たせた。まさか本当に張良がくるとは」。張良はおどろき、下馬して来歴を問えば、その馬上の将軍は、「急かすな。説明するから」と。どんな話が出てくるのか。つづく。150820

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第29回 張良 復して韓の為に報仇す

覇王が韓王を殺したことを知る

卻說攔住張良者,乃項伯所使也。伯恐棧道難行,預先差心腹人,暗於關津隘口,迎接張良,不意果在此處接著。其人備道項伯奉迎之意,良曰:「項公如此遠慮,可謂極厚友道矣。」隨叫入城見了項伯,深謝差人遠接,遂更換衣服,近晚出城,打聽霸王消息。因訪問各路諸侯還國如何?又問韓王曾來見霸王否?有人傳說韓王姬成來見霸王,因是來遲,又見張子房隨漢王入褒中,聽信讒言,將韓王殺了,昨日靈柩發回本國去了。張良聽罷,只是暗暗叫苦,慌忙回到項伯家,一夜不睡,淚如雨下。

張良を遮ったのは、項伯の使者である。桟道が難路であることを恐れ、さきに心腹のひとを送り、ひそかに関津の隘路で、張良を待たせた。はたして合流できた。その人は、項伯の奉迎する意志を伝えた。張良「項伯はそのように遠く慮ってくれた。きわめて厚い友情というべきだ」と。入城して項伯に会い、覇王の消息をきく。封国に赴任した諸侯はどうなったか。かつて覇王に会った韓王は、どうなったか。項伯から聞けば、韓王の姫成は覇王に会うとき、遅刻した。覇王は、(韓王と親しい)張良が韓王に従って漢中に行ったのを見て、讒言を信じて、韓王を殺した。昨日、霊柩が本国に帰ったところであると。張良はこれをきき、暗暗と叫苦し、いそぎ項伯の家にゆき、一睡もせずに泣き明かした。

張良を劉邦に貸す、という約束をしたのが、この韓王の姫成というひと、という作中の設定なのだろう。史実では、項羽が用意した韓王と、張良が臣事する韓王は、同じだったっけ。忘れた。韓王信がどのタイミングで出てくるのかも。


等到天明來辭項伯,要回本國。項伯曰:「一向因國事不閒,未得請教,今專人接先生來家,正欲朝夕問候,如何方到,就欲相別?」良曰:「昨因更衣出外,訪問韓國本主,不意因為張良從漢王入褒中,被霸王殺了。良聞此信,恨不能死,急欲回國葬本主,就安置家小停當,一月內就來相見。」伯口:「雖是如此,某何忍遽別?」良曰:「明公若留良一日,是增良一日之罪矣!」項伯見良去意甚急,不敢苦留,遂資發盤費,當日辭別就行。伯曰:「我一月內差人遠迎先工,不可失信!」良曰:「當差心腹數人接我,不可使人知道,尤見明公始終交情也。」伯曰:「謹領尊命。」

夜明けを待って項伯に辞し、本国に帰ろうとする。項伯「もうちょい、うちに居てもいいのに」。張良「急ぎ本国に帰って、韓王を葬らないと。1ヶ月のうちに、また戻ります。項伯が私を1日引き留めるごとに、私の罪を1つ増やすことになります」
項伯は、「きっと使者をやり、迎えに行くからね」と、張良と再会を約束して、送り出した。

原文では、ネチネチと項伯が引き留める。なぜか。張良は、韓国の仇をとるために、始皇帝を狙撃したことがある。つぎは張良が覇王を狙撃することを、項伯は気づいている。だから、粘着質にひきとめ、かつ再会を誓っている。再会するとは、狙撃を思い止まるということ。項伯は、おいの覇王の強さを知っているから、心配しているのだろう。


張良が韓国に帰る

張良同原帶數人,星夜奔回韓國來,見了韓國諸公子,遂致祭於韓王,放聲大哭,以頭觸地曰:「良實不忠,致使項羽誤害我主,不世之仇,良當為我主報之,雖肝腦塗地,亦不惜也:」言罷又哭。諸公子勸解,遂回本家省問家小,停當數日後啟行。

張良はもとの数人をつれ、韓国に急行する。韓国の諸公子にあい、韓王を祭る。地に頭をつけて、「私は不忠です。項羽にあなたを殺させてしまった。復讐します。肝脳が地にまみれても惜しみません」。諸公子と葬儀を営み、数日したら咸陽にもどる。

來到中途,果見項伯差人遠接,臨晚進城,徑投項伯家來,相見禮畢,遂在書房中安歇。伯見良來,甚喜,因問:「先生今往何處去?」良曰:「故主已死,殘軀多疾,欲效老子玄默之術,學莊周放蕩之游,羨箕山之巢許,愛首陽之夷齊,罷名利,喜觀雲水,避是非,樂處山林;倘遇蹈隱高人,得聞妙語,使性學復明,身心無病,是我之實心,乃良之至願也。至如佩王鳴鸞,乘軒衣冕,宰正百官,儀刑四海,折衝樽俎之上,卻敵談笑之間,今日賜官獬豸,他年圖畫麒麟,不足以動良之念也。」項伯聞張良之言,知他無仕進之心,遂留閒住數月,以盡故舊之情。

咸陽にいく途中、張良は項伯の使者と会った。使者は項伯のところに、張良を連れていく。項伯「どこに行くんですか」。張良「故主が死んで、身体に病が多い。老荘を学んで、戦術の修行をしたい
項伯は張良の言を聞き、張良がだれにも出仕する気がいないので、数ヶ月とどめて、故旧の情を尽くして(友達づきあいした)。

張良が、項伯の文書を盗み見る

子房往了十數日,一日,項伯入朝未回,子房信步閒行,來到後花園內,只見牆高數仞,門闊三尋。花等池邊,薔蔽叢裡,見一座小樓,槐蔭遮枕席,鬆影蔭階除,子房看樓匾,題曰:「萬卷書樓。」嘗聞古語雲:「欲窮千古事,朝暮伴書樓。」子房登樓閒玩,只見左壁一帶書架上,盡是石刻竹簡;右壁一帶書架上,盡是各處進來文策,揭開觀看,有六國諸侯諫議奏章,蓋因項伯是尚書令,以此進來各處文策,先與項伯看過,方敢封進,正本俱留在內,副本項伯留看。

張良は十数日、項伯のところにいた。花園でダラダラしたり。ある日、項伯が入朝し(覇王の国で)尚書令の仕事をして、まだ帰らない。張良が楼に登って(時間をつぶしていると)左壁に、項伯が写しをとった、六国の諸侯からの諌議・奏章があるのを見つけた。

覇王の国の文書を、盗み見する。項伯は不用心すぎる。これも、張良が「老荘の徒になりたい」と、毒気が抜けたことをいい、その態度に真実味があったからだろう。


子房從頭揭過,其中或有一偏之見,或有不通之說,或有私相標榜,或有因而嫉害,或有迎合上意,子房看了,皆不喜,臨後揭開一策,語言超眾,立意深遠。子房看了一遍,嗟歎不已,又驚又喜!驚者恐項王任用此人,喜者喜其得見此奇特之士,若使歸劉作破楚大元帥,韓仇可報,漢業可興,項羽從此休矣。展開表曰:

写しは、ゴミみたいな文章ばかりで、取るに足らない。なかに1通だけ、張良が関心するような文書があった。この文書をつくった人を漢王に推挙して大元帥にすれば、楚を破って、韓王の仇を討ち、覇王を倒すことができる。その文書とは……、

臣聞治天下之道,貴審天下之勢,貴識天下之機。勢者明強弱,察虛實,知利害,詳得矢,然後天下可得而理也;不然則雖強勝一時,不過恃其勇力,終必敗己,未足以與其勢也。機者辨興亡,定治亂,窮幾微,明隱伏,然後天下可得而圖也;不然,則草莽倥忽,苟簡得國,終難久安,未足以會其機也。今陛下雖霸關中,人心未服,根本未立,民畏其強而已,懼其威而已,格其面而已;然強可弱也,威可抑也,面非心也,三者乃陛下之所恃,使一旦餒而下振焉,天下不可一朝居也!慾望長治,豈可得乎?此臣之所以寒心,而為陛下憂也。且劉邦昔居山東時,貪財好色,今入關中,發政施仁,財物無妄取,婦女無所幸,約法三章,收束人心,奉民悅服,恨不得為關中主也。陛丁入關,不聞善政,而惟見殺戮,聽讓邪之言,蹈亡秦之弊,殺子嬰,掘驪山,燒阿房,大失民望,蓋不知勢之可立,機之可察,而弊端惡孽,隱伏於天下而未動耳!劉邦一倡,諸候從風,不期強而自強,不期勝而勝,陛下之所恃者,皆為劉邦得之矣,就如近日燒絕棧道,使陛下不疑其東歸,三秦不為嚴備,然後收用巴蜀之民,復取關中之地,此正審天下之勢,識天下之機,劉邦免得我心之所同然耳,而陛下茫然莫之知也。左右將士,惟知用武,而承順風旨,陛下惟在獨勝,而以為天下無敵,然不知敗亡之機,已萌於不測之中,此臣不顧眾人之俏已,而敢為陛下言之也。為今之計,莫若益兵嚴備,巡哨邊關,收回章邯等三人別用,另選智勇之士,阻塞關隘,更取劉邦家屬,拘於輦轂之下,昭布仁義,整飭兵馬,訓練行伍,內求賢相,外訪元戎,制服諸侯,通行周政,如此則劉邦不敢東向,而社稷有磐石之固矣。臣誠惶誠恐稽首頓首,謹言。

覇王は関中の人心を得ていません。民政がすべての基礎です。婦女・財貨を奪ってはダメです。漢王が関中に攻めてきたら脅威になりますよ。

歴史を先取りした、正しい見識でしたと。張良が韓信を見出し、蕭何を経由して劉邦に紹介する……というくだりは、すべて創作です。張良をオリジナルキャラとも言えるレベルで活躍させ、そのために項伯を利用しつつ、話をふくらませている。すべては韓信の登場を演出するため。結果的に韓信の仕事は、楚漢戦争の決着をつけるほど大きなもの。それほどのキャラなら、もったいぶって登場させたいなと。『三国演義』における諸葛亮のような、もったいの付け方。


子房又看一遍,大驚曰:「此人是磻溪子牙、莘野伊尹,真大將之才,天下之奇士也!我若得此人,著數句言語,管教他棄楚歸漢,但此人不知在否?」隨將文策仍放舊處,移步下樓,復到書房中閒坐。

張良は見終わって、おおいに驚く。「このひとは、磻溪の子牙・莘野の伊尹にも匹敵する、まことの大將の才、天下の奇士である。この人を覇王から漢王に転籍させたい。しかしどこにいるんだろ」
張良は文書をもとにもどして、楼を下りて(何も見なかったふりをして、政治に興味をなくした仙人の志望者として)書房のなかに座った。

文書の作者が、韓信であると聞き出す

只見項伯朝罷歸來,謂曰:「賢弟客情不慣?」子房曰:「疏散之人,忘心世故,安得客情不慣。」項伯遂置酒相款。酒至半酣,於房曰:「聞兄有花園,可一遊乎?」項伯曰:「今日正欲與賢弟遊玩。」遂令家童導引,行至花園內,子房曰:「此園景物鮮好,足娛心目。」來到小樓邊,項伯遂邀上樓。子房來到樓上,詐看文字,佯問曰:「此許多文策,何人所作?」

項伯が朝廷から帰ると、「賢弟 客情 慣れずや(寂寞として旅中の憂鬱に忍びざらん)」と張良をフォローする。

韓王を殺されて、張良が落ち込んでいるから、項伯が保護しつつ、憂鬱と退屈を紛らわせてあげる。とてもいい友人である。

張良「疏散の人、心に世故を忘る。安んぞ客情の慣れざるを得ん」
項伯と張良は酒を飲む。張良「花園にちょっと遊びにゆかないか」。項伯「ちょうど私も、遊びに行きたいと思っていた」。2人で楼上に登り、いつわって「うわあ、たくさん文章があるなあ。だれが書いたの?」と張良が問う。

文書の筆頭に、「だれだれが申し上げる」という書き出しがなかったから、おかしいと思った。このように、張良が項伯に探りを入れるシーンを描くための演出だった。


項伯曰:「六國奏策,未得舉行,因放在此。」子房又揭到一策,因問曰:「此是何人所作?」項伯曰:「魯麟周鳳,未遇其時!此人乃淮陰人,家貧乞食,人多賤之,范增屢次舉薦,霸王不用,止與執戟郎之職。前進此文策,霸王扯碎其文,欲要問罪,被我勸免。」子房再不揭看,尋思此正是鴻門會上之人,心中暗喜,遂下樓來。

項伯「六国からあがってきた奉策だが、内容がしょーもないので、ここに放置してある」。張良は例の文書を手にとって、「これは誰が書いたもの?」。項伯「魯麟・周鳳、未だその時に遇はず。

この一文は、作者によるアイノテのような感じ。もちろん、項伯が言ってもおかしくない。范増からの評価は得ているという、史書にない設定が加わっているので。

これは韓信だ。家が貧しく、ひとから賎しまれる。范増がたびたび推薦するが、覇王が用いない。執戟郎の官職を与えるに留まっている。覇王は、韓信の文書を(内容が批判的なので)撃ち砕き、罪を問おうとしたが、私が救ったのだ」
韓信とは、鴻門の会であった人であると、張良は思い到った。

鴻門の会のとき、韓信は、覇王・漢王の運命を見透かしたような歌をうたっていた。やはり韓信の登場には、相当もったいぶる。

心中でひそかに(覇王が韓信を活用できていないことを知って)喜び、楼を下りた。

子房在項伯家,又住數日,因思韓仇何日得報?漢王何日東歸,霸王強暴,百姓受害,在此飽食終日,是何道理?忽心生一計,次日辭別項伯,要尋僻靜去處。修真養性。項伯苦留曰:「賢弟來此,未及一月,如何便要相別?」良曰:「此是繁華之地,非某養性之所,明公若是見愛,放我歸韓,尋個深山窮谷,埋名隱姓,求師訪友,練真悟道,得力長生之客,於心足矣,嘗聞雲林夫人云:『玉醴金漿,交梨火棗,當與山中許道士,不與人間許長史。』似這等言語,若不棄其塵世之榮華,焉能得物外之仙木乎?」項伯知良不可以富貴動心,乃與相別。子房便辭了項伯,出離咸陽。不知何處去?且看下回分解。

張良は項伯の家に数日とどまり、「どうすれば韓王の仇を取れるか」を考えた。「いつ漢王が東帰できるか。なぜ覇王が百姓を害してよいものか……」と。
一計を思いつき、項伯に別れを告げた。「静かなところで修行したい」。項伯はムリに引き留めた。「うちにきて1ヶ月も経ってない」。張良「ここ咸陽は繁華の地であり、修行できない。山谷に隠れ、姓名を棄てて、道士になりたい」と。項伯は、張良が富貴に心を動かさないのを知り、別れた。張良は咸陽を出て、どこに行ったのか。つづく。150820

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第30回 霸王 諌を拒み韓生を烹る

張良が道士に化けて、童謡を流行らす

且說張良辭項伯出咸陽,離城不遠,換了衣服,扮做一道士,復入城中,向小街僻巷,風魔狂蕩,言語不循道理,腰串銅錢,袖藏梨果,道袍拿在手裡,打動漁鼓簡板,口中唱著道情,或古廟寺觀,營房店肆,或拋錢散果,引得街市上兒童,三五成群,都來看瘋道士唱歌。初時兒童尚不相熟,跟走了一二日,彼此通不計較。

張良は咸陽を出たが、遠くまではゆかず、道士に扮して城中に戻った。城中で狂ったふりをした。子供が群がるようになった。

張良看那其中有一小兒生得聰明,引到一古廟無人處所,與了些銅錢果餅,教他念著說道:「今有一人,隔壁搖鈴,只聞其聲,不見其形,富貴不還鄉,如錦衣夜行。」教了幾遍,那小兒牢記在心。張良又吩咐:「然有人問你,只說我睡夢中有人教我來,你但到個去處,教小兒唱,你日後壽命延長,百病不生;若還說是人教你的,便有大禍。」那小兒便道:「師父教我,我只依師父說。」張良大喜,又與銅錢數十文。離了成陽,出到城外,更換道衣,如客人打扮,尋個僻靜店房安歇,打聽城裡消息。

張良は、聡明な子供を見つけると、ひとのいない古廟に呼び、銅銭・果餅をあたえて歌を教えた。「いま一人あり。壁を隔て鈴を搖す。只だその聲を聞けども、その形を見ず。富貴なるとも郷に還らざれば、錦衣きて夜に行くが如し」と。数回教えて、暗記させた。「もしも『その歌をどこで覚えた』と問われたら、『夢の中でおそわった』と答えろ。ほかの子供に歌を教えろ。そうすれば寿命が延びる。もしほかの子供に教えねば、大禍があるぞ」と。

故郷に錦を飾る話は、張良がルーツということにした。史実のウラであったかも知れないこと(あったとしても史実と矛盾しないこと)を、物語で付加していくお手本。

その子供は「言うとおりにする」という。張良はさらに銅銭を与えて、咸陽を離れて、道衣をぬぎ、客人に扮して、咸陽の城内の様子をうかがった。

項羽が遷都を思いつく

只說霸王因思左遷諸侯,恐有人在外議論,常使的當近恃,詐作遠客,探聽事情。到街市上,聽見了小兒謠言,便入內奏知霸工,霸王來信,臨晚亦更換衣服,私行來到市上,果聞此語;因問小兒:「何人教你此語?」小兒雲:「乃上天教我的。」霸王大驚,自思:「此必是上天欲我遷都,況咸陽燒得殘缺,我正要東遷,不料天意如此,非偶然也!」

覇王は諸侯を左遷したから、ひとからの批判を恐れ、客に扮した偵察をつかう。市場で、子供たちが謠言するのを聞き、報告がきた。覇王が衣服をかえて微行すると、やはり謠言を聞いた。歌っている子供に聞いたら、「天が教えてくれた」という。覇王は驚き、「天が私に遷都をさせたいようだ。咸陽は焼け残りである(覇王の首都を建設しにくい)。東遷したいと思っていたら、ちょうど天の意志をきいた。偶然じゃない」

霸王聞了童謠,次日早朝,謂群臣曰:「天降謠言,汝等不來奏知,何也?且如『今有一人』,乃謂朕也;『隔壁搖鈴,只聞其聲,不見其形』,言朕雖有聲名,而未得傳聞於人也;『富貴不還鄉,如錦衣夜行』,言朕雖得天下,而不歸故鄉,就如著錦衣而夜行也。此謠正台聯意,況秦宮室燒燬,一時實難修整,不如彭城,乃梁楚之地,自淮河以北九郡,統轄千里,此處正好建都,不失故土。即差人興工修理,選拜吉日,車駕遷都。」

覇王は童謡を聞いた翌日の早朝、郡臣にいう。「天が謠言を降したのに、なぜ報告しない。『いま一人あり』とは、朕のことだ。『壁を……』とは、朕に声望があるが、まだ天下の人々に伝わっていないこと。『富貴……』とは、天下を取ったのに帰郷していないこと。秦宮は焼け残りで、修復できない。彭城の梁楚の地に都するほうがいい。淮河より以北の9郡に遷都しよう」

有諫議大夫韓生上言曰:「此等謠言,皆是人造作之言,非上天之意也,決不可聽信!且關中自古建都之地,阻山帶河,四塞而當一面,東有黃河、函谷關、蒲津,西有大隴關、山蘭縣等處,南有終南、武關、峽關,北有陝河、渭、涇、潼關,百二山河,三山八水,沃野千里,天府之國也!昔周以此興霸,秦以此霸業,陛下豈可聽童謠之言,而失此興王之地乎?」

諌議大夫の韓生が上言する。「謠言は、ひとが作ったもので、天意ではない。秦地=関中にいたほうがいい」

霸王曰:「汝雖說關中可都,但朕意不喜,即是天意有在也。朕今遷都有三事:一者征伐三年,未經還鄉;二者關中山多地少,眼界不得空闊;三者大降謠言,亦非偶然,天意有在,朕心已決,爾等不必多言!縱使曲意建都於此,終是不利。」韓生曰:「陛下為四海之主,如日中天,誰不仰視,又何必拘拘於還鄉以為榮耶?孟子曰:『尺地莫非其有,一民莫非其臣,』豈獨彭城而已哉!」霸王曰:「普天之下,皆為我有也,凡可居之地,隨朕所適耳,又何多言耶?」生曰:「前范亞父亦曾云陛下不可離咸陽,亦必有見,陛下獨有忘於心乎?」霸王曰:「吾縱橫天下,所向無敵,識見豈范增所能知哉?吾意已決,不必煩聒!」

覇王「関中にいたくない。遷都には3つ理由がある。1つ、秦を征伐して3年、いちども帰郷してない。2つ、関中は山ばかりで土地がせまく、視界が山に遮られて窮屈。3つ、謠言は天意である」。韓生「天下の主なら、故郷にこだわるなよ」。覇王「天下が領土なら、どこに居てもいいのだ」。韓生「范増から『咸陽を離れるな』と言われてるでしょ」覇王「天下に無敵なのだ。范増の理解を超えたのだ。もう決めた!」

項羽が韓生を煮殺せと命じる

韓生下階,仰天長歎曰:「人言楚人沐猴而冠,今果然矣!」霸王在寶座忽聽此言,問陳平曰:「此是何說?」陳平不敢隱諱,近前奏曰:「此訕上之言,其意以猴比王,說言你猴雖著冠帽,心非人也;又言獮猴心不耐久,戴人衣冠,心實急躁也,又謂獮猴著人衣冠,終非人性,戴不破,必弄破也。」霸王聽罷,高聲大罵:「老畜生!老匹夫!怎敢毀罵朕躬!」喝令左右執戟郎官:「將此老賊推赴咸陽市上,用油鑊烹之!」監斬官乃是淮陰韓信也。

韓生は階をおりて長嘆した。「ひとは『楚人はサルが冠を被ったようなもの』という。その通りだった」と。覇王はその意味を陳平に聞いた。陳平はあえて隠さずに説明した。

覇王を怒らせて、韓生との対立をあおり、遷都をさせる。これが陳平の役割。べつに覇王が東遷したことにより、漢王に敗れるとは思えない。しかし史実では、覇王は関中を棄てたために、漢王が盛り返してゆく。だから陳平は、この史実を先取りして、(間接的に漢王を有利にするため)覇王に東遷せよと勧める。

「覇王をそしったのです。覇王がサルだと言いました。サルは冠をかぶっても、心は人間ではない。我慢ができず(冠がジャマなので)心はソワソワしてる。衣を着ても、性は人間ではない。(衣を)いじくって破ってしまう」と。
項羽は「韓生の老畜生!老匹夫!」と憤り、左右の執戟郎に「咸陽の市上で韓生を油で煮殺せ」と命じた。実行するのは、淮陰の韓信である。

韓信が、韓生の中途半端をなじる

韓信押韓生赴市曹,子房打聽得知,也跟在人叢中看。只見韓生至油鑊前,高聲說道:「爾咸陽百姓,我今日犯罪,非奸臣誤國,犯了法度,只因霸王聽奸人捏造謠言,意欲遷都彭城,怪我再三苦諫,今押在市烹,我想遠無百日之內,劉邦必來復取三秦矣!誠沐猴而冠也!」
韓信聽了他說,謂韓生曰:「諫大夫省言語,恐霸王知道,必連累我等。」韓生曰:「皇天后土,昭鑒不遠,為國受烹,實為屈死。」韓信曰:「公諫遷都,百姓皆以為屈死,吾獨以為該死。」韓生曰:「我得何罪該死?」

韓信は韓生を市に連れてくる。張良は人ごみのなかで見ている。韓生は油釜の前で、声を高くして説いた。「咸陽の百姓よ。私は罪を犯した。私が奸臣となって国を誤らせ、法度を犯したのではない。ただ覇王が、奸人が捏造した童謡に惑わされたので、それを諌めただけだ。私を煮殺してから百日以内に、劉邦が三秦を奪い返しにくるぞ。まことに(覇王は)サルが冠をつけたも同然だ」
韓信はこれを聞き、「だまりなさい。覇王に聞かれたら、私まで巻き添えです」。韓生「国のために発言して煮られるなんて、不当な処置だ」。韓信「遷都のことを諌めて煮られたら、百姓は不当だと思うかも知れない。しかし私は、韓生の死刑は適切な判断だと思う

原文「該死」で、『通俗漢楚軍談』は「当然と存ずる」

韓生「なぜ私が死刑にされねばならん?」

信曰:「公居諫議之職,如殺卿子寇軍宋義,那時偏將殺主將,公何為不諫?坑殺秦降卒二十萬於新安,秦之父兄恨入骨髓,公何為不諫?斬子嬰,掘秦墓,燒阿房,左遷諸侯,公何為不諫?今蔽錮日深,終莫能解,公然後來諫,不亦晚乎?此公之所以取殺也。范增比爾如何?尚不能諫,況我等不及亞父遠矣,豈能諫乎?你今日之死,不可怨霸王,只可怨那造謠言之人,我指與你,那人叢中立著僥棧絕道,假造謠言之人!決在這裡!若捉出來,便知端的。」

韓信「あなたは諌議の職にあるが、サボってきたからだ。覇王は上官にあたる宋義を殺した。新安で20万の晋兵を穴埋めにした。三世子嬰を殺し、宮殿を焼き、諸侯を左遷した。なぜこれらのとき諌めなかった。覇王の方針が固まって(引き返せなくなってから)諌めても遅いよ。あなたの振る舞いは、范増と比べてどうだ(范増が諌めても、覇王は失敗を改めなかった)。范増でもムリなのに、われらの諌めが通じるものか。

「われら」となってるのがポイント。韓信は、覇王の処刑執行者として、これを言っているのではない。韓信もまた、諌言を無視されたものとして、無念さ・不当さを語っている。これ、衆人が見てるんだけど、こんなこと言っても平気かね。

韓生はこの死刑について、怨むなら覇王ではなく、謠言をつくったひとを怨め。謠言をつくった人を指さしてやろう。この見物人のなかにいるはずだ。桟道を焼き、謠言をつくったひとが」

韓信は、万能すぎる。覇王のもとにいる正しい&天才の人材は、はじめに范増、つぎに韓信。というのが作中の設定。范増は無念の死、韓信は漢王のもとにゆく。そうして覇王は敗れましたと。


嚇得那子房躲在人背後,再不敢作聲。此非是韓信知道子房在此,不過設言以嚇子房耳。遂將韓生烹了,滿咸陽市上,無一人不嗟歎。天色已晚,韓信回家,子房在後認知下處,回店房去了。

張良は人垣の後ろに隠れて、もう声を出さない。韓信は、張良を見つけられず、ただ言葉で張良を脅しただけだった。韓信が韓生を煮殺すと、ひとりとして嗟嘆しない人はない。暗くなったので韓信は家に帰った。張良は、韓信を尾行して、家の場所を知った。

次日,韓信早朝見霸王覆命,烹了韓生。霸王又續差季布往彭城,催督修蓋宮殿;百官見烹了韓生,再無人敢諫者。
子房已知韓信住處,回到店中。次日,將前在秦宮所得寶劍一口背上,挨門進城,來到韓信門首。只見月色初上,正黃昏時候,門尚未開。良鞠躬施禮,來見門吏,要求見韓信。不知有何話說,且看下回分解。

翌日の早朝、韓信は覇王に復命して、韓生の処刑を報告した。項羽は、季布を彭城につかわし、宮殿の修復を督促した。百官は、韓生が煮殺されたのを見て、だれも諌めない。
張良は、すでに韓信の家を知っている。翌日、秦宮の前で得た宝剣をせおって、韓信の家の門前にきた。月が昇りはじめ、黄昏のころ、門はまだ開かない。張良は、門吏に「韓信に会いたい」とたのむ。どうなるのか。150820

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