読書 > 『西漢通俗演義』を抄訳(第16-20回)

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第16回 秦の趙高の權 中外を傾く

章邯の敗走;追撃の停止

卻說項羽統兵追襲章邯,所到郡縣,簞食壺漿,迎候楚軍,各路諸侯,膝行而見,羽勢益震,以此日行五十里,或三十里,邯兵遂遠遁。范增諫曰:「章邯遠遁,諸候順附,天人響應之時,正將軍化家為國之日也,何必親冒矢石,追此窮寇?況三日之間已經九戰,破秦軍三十萬,古今用兵,將軍為首稱也。以增愚見,不若且屯兵漳南,養此精銳,吾料趙高乃妒忌小人,二世昏暗,不知征戰之苦,章邯居外,兵不應手,心志恍惚,持疑不定,兼之以將軍之神武,破邯滅秦指日可見矣。」羽曰:「謹如先生之教。」遂屯兵漳南不題。

さて項羽は章邯を追い、到るところの郡県(の百姓)は、簞食・壺漿もて楚軍を歓迎し、各路の諸侯は、膝行して見えた。項羽の勢いはますます震い、1日に50里あるいは30里を進む。章邯の兵は、ついに多くに逃げてしまった。范増が諌めた。「章邯は逃げ去り、諸候は従い付く。天人が響應している時であり、まさに将軍が家を化して国をつくるときです。むりに戦って危険をおかし、秦を追いつめる必要がありますか。まして3日で9たび戦い、秦軍30万を破りました。古今、将軍ほど用兵がうまいひとはいない。思うに、漳南に兵を屯させ、ここで精兵を養え。趙高は妒忌する小人で、二世は昏暗なので、征戰の苦を知らない。章邯が外にいて、秦地に増援をもとめても(趙高・二世が疑って)応じないはず。そこを将軍の神武をつかって攻めれば、章邯を破り、秦地を滅ぼす日は近いでしょう」。項羽「先生の教えのとおりにします」。漳南に兵を屯させた。

秦地で、趙高が李斯を殺す

且說章邯收拾敗殘人馬十萬,過漳河,屯住於函谷關。早有人傳入西秦,說章邯折兵三十萬,天下諸候,各據一國。不久楚項羽侵奪秦地,此時關口上十分緊急。近侍宦官宮妾聞了這信,各各驚惶,寢食不安,秦公子族人都在朝門外,又不得進內啟奏。
趙高只是把持住內外,稍有不順意者,便尋事害了性命,以此群臣不敢側目而視。忽一日,高獻一隻鹿與二世,卻指說是馬,二世笑曰:「丞相誤矣,此鹿也,非馬也。」二世問左右近臣,或有不言者,或有阿順其意言馬者,或有直言是鹿者,高卻就中陰害其言鹿之人。群臣愈加畏懼,絕口不言國政,大權總是高執掌。

さて章邯が敗残の10万をまとめ、漳河を渉って函谷関に屯する。あるひとが秦地にゆき、「章邯は秦兵30万を損なった。それぞれ天下の諸侯は一国に拠る。すぐに楚の項羽が秦地を侵奪しにくる。そのとき函谷関の防衛線は緊張するだろう」と。近侍する宦官は、これを聞いて驚惶し、寝食もままならず、だれも二世に啓奏しない。
趙高は内外の権限をにぎり、趙高に従わねば殺された。郡臣はそっと目配せする。ある日、趙高は1匹の鹿を二世に献じ、「馬です」といった。二世「丞相は誤った。鹿である。馬でない」と。二世は左右の近臣にたずね、鹿といったものが趙高に殺された。

李斯常鬱鬱不樂,高窺見李斯有不樂之意,遂乘便來見斯曰:「關東群盜蠭起,章邯新敗,國家岌岌乎不寧矣!況阿房宮工程浩大,亦當暫止,我是宦豎,不當進言,此正君侯之事,何不進諫?」斯曰:「上在深宮之中,無由得見。」高曰:「君侯其奏,我與通之。」於是高侍二世正在宮中燕樂之際,女嬪滿前,卻使人告李斯曰:「此時可奏事矣!」李斯一連請謁三次,二世大怒曰:「我在此燕樂,李斯何敢侮慢如此耶?」高曰:「沙丘主謀,李斯預力。今陛下貴為天子,斯不得裂土為王,時常怨望。前時長子李由為三川郡守,與楚賊相通,至今未明。李斯居外,權重於陛下,與楚人往來,斯實有意焉。陛下當察之!」

李斯は鬱々として楽しまず。趙高は李斯にいう。「関東で群盗が放棄して、章邯は敗れた。阿房宮の建設はしばらく止めるべき。私は宦官だから、進言すべきでない。あなたが二世を諌めてくれ」。李斯「二世は深く宮中におり、理由なく会えない」。趙高「私から陛下に伝える」。
ここにおいて趙高は、二世が燕楽して女嬪(舞姫)と遊んでいるときに、「李斯から奏事があるそうです」という。李斯が3回も(タイミングが悪くなるように趙高が調整して)上奏を願うので、二世は気分を損ねた。趙高「李斯は、沙丘の謀をつかさどった(陛下の即位に協力した)のに、王に封じられないことを怨んでいます。まえに長子の李由は三川守となったが、楚賊と通じました。李斯の権威は、外では陛下より重く、楚ひとと連絡を取っています」

李斯聞高有陰謀之意,卻上書言高之罪,二世曰:「趙君為人,清廉強力,不通人情,上能適朕之意,朕實意趙君之賢,而君乃疑之者,何也?且朕若無趙君,將誰為任哉?如君止我罷阿房工役,阿房宮乃先帝所為,君不能禁止盜賊,卻欲我違先帝之志,以成不孝之名,是上不能報先帝,次不能以忠於我,何以居相位耶?」遂下廷議鞠問,以為私通楚盜,謀危社稷,論五刑當腰斬,夷三族。於是縛李斯於咸陽市,斯顧其中子曰:「吾欲與爾復牽黃犬,俱出上蔡東門外,逐狡兔為樂,豈可得乎?」父子遂放聲大哭,腰斬,夷三族。趙高自害李斯後,權勢愈重。

李斯は、趙高に陰謀があると聞き、趙高の罪を上書した。二世「朕は趙高の人となりを評価し、信頼している。李斯は阿房宮の建設を止めろといった。阿房宮は先帝の事業なのに……。きみは盗賊を禁止しない(楚賊と通じる)くせに、かえって先帝の志を妨げて、朕を『不孝』にするのだな」

阿房宮の建設を止めるのは、趙高が言い出して、李斯に言わせたこと。このあたりが、趙高の陰謀です。

ついに李斯は廷尉に下され、楚賊と私通したとして、腰斬・夷三族となる。李斯は咸陽の市で縛られ、中子を顧みた。「もういちど黄犬をひき、上蔡の門外で狩りをしたかった」と。李斯が死ぬと、趙高の権限は、いよいよ重い。

趙高が二世をあざむき、戦況を伏せる

章邯屯軍函谷關,士卒無糧,馬無草料,各路諸侯皆與楚會合,同力攻秦,勢危力極,甚難支持。邯差人節次傳報,趙高通不投進。眾宮妾風聞這個消息,終日焦愁,獨二世恣意快樂。通不理論外事。一日,二世出獵回宮,眾宮妾迎入內,二世就寢宮安歇。未睡著,只聽眾宮妾低言與內使說:「今日外邊消息如何?」內中一近侍說:「今日聞外邊人說,章邯領兵,連敗九次,折兵三十萬,楚兵不日過關,我等卻如何是好!」二世聽罷,就寢床上起來,急叫才說話的宮嬪內使:「快來!我問他說甚的。」

章邯は函谷関に屯するが、糧秣がない。秦地に使者を出すが、趙高は無視した。二世は知らされずに遊びほうける。ある日、二世が出猟して宮にもどると、二世が寝つく前に、宮女が内官と囁いた。宮女「外辺の状況はどうでしょうか」。内官「聞けば章邯は9たび敗れ、30万を失い、楚兵がいまにも秦地に攻め入りそうだと」。二世は聞いて起きあがり、宮女・内官に「詳しく教えろ」という。

眾人俱到二世前泣奏曰:「今天下諸侯,十分變亂,章邯新折兵三十萬,秦地不久為楚兵所奪,臣等死無葬地矣!」二世大驚曰:「汝等如問得知?」眾曰:「內外無一人不知,惟陛下被趙高蒙蔽,不得知也!伏望陛下早早發兵遣將徵進,免致生靈塗炭也。」二世當時召趙高,大罵曰:「汝為丞相,事無大小,皆汝執掌,今兵敗於楚,天下變亂,國家正在危急之秋,汝如何不奏我知,尚終日在我前欺誑?罪當誅戮!」趙高免冠叩首曰:「臣雖備員丞相,只管理得內事,侍奉陛下,坐享太平。若徵討賊寇,卻在大將軍章邯、王離等掌管,臣一人豈能兼管?如今門差人追問章邯等慢軍之罪,再遣大將徵進,自然無事。外邊聲勢不過是人傳說,況章邯又無奏報,陛下何必聽宮宦之言,卻怒怪微臣耶?」二世聽高遮飾之言,遂依舊安心不理政事。

二世は章邯のことを聞いて驚いた。「どうやって知ったのか」。みな「内外で1人も知らぬものがいない。趙高が妨害するから、陛下だけが知らない。早く章邯に援軍を送って、秦軍を救って下さい」。
二世は趙高を罵った。「どうして朕に情報を遮断した」。趙高は冠をぬぎ叩頭して、「私が務める丞相は内政の担当であり、外征の担当ではない。外征は、大将軍の章邯・王離が担当しており、私が口にするのは越権行為です。章邯に使者を出して敗戦の罪を問い、大将軍を交替させれば、ことは収まりましょう。まして外辺の情勢はただのウワサ。章邯から正式な報告がないのに、宦官である私が口をはさめば、陛下は私のことを怒り怪しんだでしょう」
二世は趙高の言葉を聞き、安心して政事を気にしなくなった。

高歸家,尋思二世責怪之意,定是章邯因前來奏事,不與舉行,想密有人通與內宦,以此二世知道,今乃如此怪責,連日正嗔恨章邯,卻有人來報說,章邯差長史司馬欣來奏事,高曰:「且在朝門外伺候。」一連三日不著見面。欣急躁,用金帛買求門吏,轉通家僮,打聽音信。忽一日,家僮來說,丞相十分惱怪章邯將軍,要追問慢軍之罪,汝今來奏事,正入網中,不如不見為妙。欣聽說,急離朝門外,到下處同從人吃飯畢,各備鞍馬裝束,星夜出咸陽,望函谷關逃走。

趙高は帰って、章邯の敗戦の報告を無視したこと、女官や近臣から二世に状況がモレたことを思い、章邯のことを怨んだ。「章邯の長史の司馬欣が来ました」と連絡がある。趙高「朝門の外で待たせろ」。(章邯に当てこするため、司馬欣を)3日待たせ、会ってやらない。司馬欣は慌てて、金帛を門吏・家僮に送って、趙高への取り次ぎを頼む。家僮「丞相は章邯将軍を怨み、敗軍の罪を問うつもり。あなたが趙高に会えば(援軍を要請すれば、魚が)網に入るようなもの。会わない方がよい」と。司馬欣はこれを聞き、急ぎ朝門の外を離れて、あわてて咸陽から函谷関に走った。

趙高が章邯に罪を着せる

卻說趙高稽留司馬欣三日,要尋個圈套,拘留三家老小,追問重罪,不想欣已知此信,徑自逃走。高卻令門官召欣入見,門官到外邊跟尋;並無下落,轉問欣下處,人說欣昨日已同從人起身去了,今已兩日矣。門官急來回復趙高,說司馬欣已去二日。高大怒,即令牙將四人,各備快馬,務要捉欣回來。牙將得令,追趕兩日不見蹤跡,尋問前途人,俱說已去三百里外,如何追得及?牙將聞說,只得回見趙高,備說司馬欣已先去二日,如何追得上?高十分忿怒,痛責牙將。
隨進內奏知二世,說章邯等久專閫外,略無寸功,喪師啟釁,招來外寇,關中震動,恐貽患地方。緣情論罪,法當賜死。今再選大將,代彼征伐,庶為便益。二世准奏。高就令姪,趙常為使,召回章邯等問罪不題。

さて趙高は司馬欣を3日待たせ、この間に3家の老小(章邯・司馬欣・董翳の家族)を捕らて重罪に問おうと思った。しかし司馬欣が逃げ去った。趙高が門官に「司馬欣を召せ」といったとき、門官が探しても司馬欣はいない。ひとが「司馬欣は昨日、従者とともに去った。もう2日が経った」という。趙高は怒って、牙将4人に司馬欣を追わせる。牙将は見つけられず、「2日も経ったのにムリです」報告した。趙高は牙将を痛責した。

司馬遼太郎では、司馬欣がたまたま主要な街道から外れて逃げたから助かった……、という理由が加えられていた。

すぐに趙高は二世に奏して、「章邯は外征にゆき、少しも功績がなく、秦軍を失った。外寇(楚賊)を招いて、秦地に招き入れるつもりだ。章邯を死罪にしてから、大将を選び直せ」と。二世はこれを認める。趙高は、おいの趙常を使者にして、章邯に罪を問いにゆく。

卻說司馬欣連夜逃回來,見章邯,告說:「趙高專權,內外蒙蔽,因二世怪責欺誑之罪,高遂致疑,要謀害將軍,故稽留某在外,尋事問罪。某因知此消息,徑回與公同作商議。」邯聞說大驚曰:「內有權奸,外又有勁敵,兩難之地,如何區處?」遂請董翳等眾將從長計議。翳曰:「趙高心計最難測度,一言之間,李斯夷族。今若嗔怒,吾輩定遭毒手。」傍有謀士人等從咸陽來,亦說:「趙高定計,已將三家老小拘禁在獄,目下有人來取將軍,為李斯標榜矣。如據兵抗命,尚可存活,苟隨之入關定喪全軀。請將軍思之。」言未畢,早有使命趙常到營,眾將迎接詔書,到營開讀,詔曰:

さて司馬欣は、連夜、章邯のもとに逃げ帰る。「趙高が二世をあざむき、章邯将軍に罪を着せる」と。章邯は驚き、「内に権奸、外に勁敵(趙高と項羽に挟まれた)。どうしよう」。董翳ら衆将に相談した。董翳「趙高のせいで、李斯は夷三族された。われらも同じ毒手を食らう」。
咸陽から来た、とある謀士(陳豨)がいう。

『通俗漢楚軍談』に従って、陳豨とおぎなう。

「趙高は計画を実行し、すでに3家(章邯・司馬欣・董翳)の家族は獄に繋がれた。李斯の二の舞となるでしょう。(趙高が出した召還の)命に抗えば、まだ活路がある。もし(趙高の命に)従って秦地にもどれば、殺されるでしょう」
言い終わる前に、趙常(趙高の使者)がきた。詔書には……、

徵討之命,皆出於天子,閫外之寄,實主於元戎。建樹功勳,威震海內,必克乃濟,庶副委托。爾章邯等統兵征伐,喪師辱命;差官奏事,未有旨降,乃敢輒回;上下之分,殊為背叛。今差騎將趙常往拘,係頸來見,順命不違,尚有酌處,如復違抗,罪不容誅,惟詔奉行!

「章邯は秦兵をひきいながら敗れ、それどころか謀反した。趙常を使わして、お前たちを捕らえる。詔命に逆らえば、誅殺をまぬがれないぞ」

邯等讀罷詔,與眾將不跪都起,將使命揪住,乃大呼曰:「我等披堅執銳,親冒矢石,萬死一生,受了多少辛苦,前與楚人九戰,一連十數日,晝夜不眠,每日不得一餐,今屢次差人奏事,趙高不容報進,卻反問我等重罪!與其隨使命而赴死,不若斬使命而雪恨。」遂拔劍來斬趙常。未知性命如何?且看下回分解。

章邯は詔書を読み終わり、衆将は跪かず立ったまま、使者の趙常をその場に留めつつ、「秦軍のために9たび戦い、10数日も寝食をとれなかった。戦況の報告をしても、趙高が握りつぶし、逆にわれらに重罪を課する。詔に従えば死ぬだけ。使者を斬って恨みを雪ぐほうがいい」といい、剣を抜いて趙常を斬りそう。趙常の生命はどうなってしまうのか。150816

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第17回 項羽 諫を聽き、章邯を伏せしむ

章邯が、楚に降ることを決める

卻說章邯要斬使命,眾將曰:「不可!若斬使命,實為矯抗,不若且將趙常拘留在此,卻備細奏聞,看二世喜怒何如。」邯遂按劍不斬,卻拘留趙常在營。未及具奏,有陳稀等眾將勸邯曰:「趙高已拘公等老小,蠱惑之言,已入君心,縱有大功,誰則知之?夷族之禍,恐終難免。不若斬使,以決其忐。」邯尚猶豫不能決。

さて章邯は趙常を斬ろうとすると、諸将は「だめ。使者を斬ったら、二世に逆らったことになる。趙常をここに留め、二世の喜怒についてヒアリングすべき」と。趙常を軍営に留めた。
章邯が二世への具奏(申し開き)をする前に、陳豨らが章邯に勧めた。「趙高は、将軍らの家族を捕らえた。蠱惑の言で二世を惑わす。もし我らが大功を立てても、二世に届かない。家族の処刑を避けられないなら、趙常を斬って(趙高&二世と敵対する)意志を固めたほうがよいのでは」と。章邯は決めかねる。

後數日,陳餘差人自趙來下書,邯拆書,曰:
白起為秦將,兩並鄢郢,北抗馬服,攻城略地,不可勝計,而卒賜死,蒙恬為秦將,北逐戎人,開榆中地數千里,竟斬陽周。何者?功多秦不能封,因以法誅之。今將軍為秦將三世矣,所亡失已十萬數,而諸侯並起,趙高素諛日久,今事急,亦恐二世誅之,故欲以法誅將軍以塞責,使人更代以脫其禍。君居外,多年隙,有功亦誅,無功亦誅。且天下之亡秦,無愚智皆知之;今將軍內不能除佞以清君側,外不能約諸侯而制強鄰,孤立而欲長存,豈不危哉?將軍何不還兵,與諸侯為從,南面稱孤,孰與身伏斧鋮,質妻子為戮乎?陳餘百拜謹書。

数日後(趙将の)陳余が、章邯に文書を送った。「白起・蒙恬は、秦将として功績が大きいが、どちらも封建されず、法により誅された。

ぼくは思う。秦末、秦将の章邯に、趙将の陳余がいう。「秦将の白起・蒙恬は功績が大きいが、封建されることなく、法により誅された」と。秦は郡県制を徹底したから、臣下として功績が甚大のひとを待遇する方法がない。一方で楚などの六国は、信陵君の例など「君」に封建することで待遇ができる。
秦末の項羽集団も、楚制を踏まえ、楚懐王よりも功績が大きな項梁を「武信君」として待遇し、居場所を与えた。ちょうどよいタイミングで死んだから、楚懐王と「武信君」は衝突せずにすんだ。さて、時代を経て後漢。国と郡が均質化して(太守と国相の職務が接近して)、郡国制の実態は郡県制みたいなもの。また異姓王を禁じたから、功臣の待遇として、封建という方法を使えない。白起・蒙恬を「殺した」秦制に近い。曹操を待遇する難しさは、秦末以来の課題。そりゃ苦しいわ。
もしも後漢、戦国六国(秦以外)のように、食客を大量に抱えて独自の勢力圏を築ける「君」のような身分があれば、曹操はそこに収まることができた。君主権力を強化するため「君」のような中間層を除くから、逆に曹操は、一足飛びに禅譲を目指すしか方法がなくなる。
漢魏の尊貴すぎる孤高の皇帝位のまわりに「階段」を作ったのが西晋の五等爵。これを「皇帝位のそばまで登れる階段を作るなんて無礼」と見るのか、「功臣には適当に階段を上らせておけば収まりがよく、皇帝位は安定する」と見るのか。魏晋の爵制を考えると秦末に思考が飛ぶ。秦末と比べることで、漢末で見えてくることがあるのでは。

章邯は、すでに3年間で十万の秦兵を失い、諸侯が並起する(白起・蒙恬より功績が小さく、情勢は厳しい)。趙高は二世をまどわし、この状況を章邯だけの責任にするはず。諸侯に従って(楚将となって)南面して「孤」と称しなさいよ」

項羽がのちに章邯を王に封じることを前提に書かれている感じがする。


邯看罷書,與眾將說:「餘之言,亦自有理。但不知投何處去為上?」陳稀曰:「別國新立,志多狐疑,未可歸附,惟楚將軍,功烈震當時,氣節蓋天下,又兼兵強將猛,威勢大振,雖大國諸侯,亦肘膝而見,吾知他日滅秦者,必楚也。公當諦楚,不失封王之貴。」邯曰:「吾昔殺項梁,與楚有世仇,楚將軍豈能容我?」稀曰:「我與將軍見楚,陳說便利,料楚定從其議。」邯曰:「子往說之,吾專候來命。」

章邯は陳余の文書を読み終わり、衆将に内容を話した。「陳余の言は、理があると思うが、どの諸侯に身を投じたらよいものか」。陳豨「楚の項羽がいい。他はゴミ」。章邯「私は項梁を殺した。楚の将軍は、私を受け入れてくれるか」。陳豨「私が楚にいって、説得してくる」

陳豨が項羽に、章邯の受け入れを説く

陳稀遂匹馬到楚營。傳報有秦使見元帥,羽曰:「著進來!」稀入營,見羽行禮畢,羽曰:「困久不行納命,欲使汝為說客耶?」稀曰:「兩軍相持,勢力俱困,費用不貲,百姓疲敝,非惟不利於秦,抑且不利於楚。」羽曰:「爾欲何為?」稀曰:「章將軍勞苦三年,身經百戰,持兵日久,功難報秦,奈何趙高日相陵替④,今者抗命拘使,情願歸附將軍,共成王業。今其士卒,如赤子之望父母也。不識尊意以為如何?」羽大怒,拍案大呼曰:「邯殺吾季父,千載之恨,百世之仇,正欲砍首以為溺器,方可泄吾之恨,豈容其歸附於吾左右耶?」陳稀冷笑不止。

陳豨は楚の軍営にゆく。項羽は「秦の使者がきた」と聞き、「会おう」という。項羽「章邯は(楚の討伐という)命令を実行できず、あなたを説客としてよこしたか」。陳豨「秦と楚が戦えば、費用がかかり百姓が疲れる。秦だけでなく楚にも利がない」。項羽「どうしたい」。陳豨「章邯は3年も戦ったが、趙高のせいで二世に報いられない。将軍に帰付して、ともに王業をやりたい。秦の士卒は、項羽を父母のように思っています。どうでしょ」。項羽は怒鳴った。「章邯は、季父の項梁を殺した仇だぞ。首を斬って溺器にしたいほどだ。どうして降伏を入れ、オレの左右に置けるものか」。陳勝は冷笑してやまず。

羽益怒曰:「汝冷笑,欲試吾寶劍耶?」稀曰:「吾笑將軍所為者小,所失者大也。且大丈夫為國忘家,用賢略仇。彼邯之行兵,乃各為其主耳,此人臣之忠,而智者所必取也。將軍何拘滯於心,而示人以不廣耶?」范增曰:「且令陳稀暫在帳外管待,某有一言以告將軍。」羽呼稀曰:「汝權且暫出帳外酒飯,容吾思之。」稀遂出帳,羽令人管待不題。
增乃進言曰:「公威勢甚大,而持兵日久,不得入關者,以其有章邯為之藩籬也。今邯為二世趙高疑忌,欲遣使賜死,逼迫甚急,以致邯進無所往,退無所歸,兩難之際,不得已而仰附於將軍。誠使將軍不念舊仇,撫之以恩,結之以義,連屬其心,而俯納之,彼必感恩圖報,雖蹈湯赴火,而卒為將軍用也。
且秦之所恃者,邯也;苟邯去,則藩籬撒,而國無所倚重矣。蓋國無主將,是謂無國。將軍乘其虛,而鼓兵以進,破秦如建瓴之易耳。今苟捨此,拒而不納,使邯據兵以投他國,結連為援,以圖大事,是秦未亡,而又增一秦矣。古人云『三軍易得,一將難求。天與不取,反受其咎。』將軍宜舍私仇,速賜剛斷,忘小仇而成大謀,天下之豪傑也。」

項羽はますます怒り、「お前は冷笑したな。宝剣の切れ味を試してほしいか」。陳豨「将軍は目先の小さなことをやり、大きなことを失う。大丈夫ならば、国のために家のことを忘れよ。章邯は有能な人材ですよ」
范増「陳豨は、帳外でしばし待て。私から項羽将軍に話してみる」
項羽「陳豨は帳外で酒飯でも食ってろ。考えてみる」と。
范増「あなたが強いのに函谷関から入れないのは、章邯がいるからだ。章邯は、二世・趙高のせいで居場所を失った。項梁のことを忘れて降伏を受けろ。恩を施せば、章邯は楚のために働くだろう。
しかも秦軍が恃むのは章邯である。もし章邯が秦軍を去れば、めぼしい将軍がいない。そうすれば秦地を破ることができる。もし章邯を拒否すれば、彼は他国にゆく。そうすれば、秦が滅ぶ前に、さらに秦(と同等の強い敵国)を作ることになる。古人も『三軍は得やすいが一将は得がたい。天が与えたものを取らねば、かえって咎を受ける』という。私怨を忘れなさい」

范増に任せておけば、まちがいない。范増の万能さは、鴻門の会というビッグなイベントのために伏線である。項羽が勝ちまくるのも、劉邦が逆転させるための伏線である。史実は違うけれども、少なくとも物語的にはそうである。


羽聞增言,遂悟曰:「軍師之言,誠確論也。」即召陳稀上帳曰:「吾熟思子之言,始恨章邯有殺季父仇,本不容降,但以國家用人,不懷舊恨;季父之仇,一人之私也,國家用人,天下之公也,豈可區區以報仇為念,而忘用人之大公乎?如邯果有實心向我,姑免舊忿,准彼來降。就傳吾言,可速斬秦使,統領本部人馬,赴漳南來見。如能建立功勳,他日滅秦之後,富貴當與共之。」

項羽は、范増の言うとおり、陳豨の提案を受けて、章邯の帰付を認めた。「章邯が章邯を殺したことは、国のために忘れる。後日、秦を滅ぼしたら、富貴を共有しましょう」

陳稀領命拜辭,回復章邯。邯曰:「據子之言,即當斬使投降,但恐范增多謀,或誘我歸楚,因而致害,反中其計矣。子可再往,以探虛實。」陳稀仍又赴楚寨見羽曰:「章邯即欲來降,但恐將軍猶念舊仇,反自投陷阱矣。」羽曰:「大丈夫一言,重如泰山。欲殺章邯,豈無別計?苟誘而殺之,使人有欲來降者,皆以章邯為藉口矣,不亦自塞賢路耶?」羽遂折箭為誓,付與稀。稀遂以折箭來見章邯,備說項將軍如此義氣。邯大喜,就升帳取出趙常來,當即斬首示眾。紛會諸將,同領十萬兵,一聲炮響,吶喊搖旗,徑赴漳南來。三十里安營,章邯領眾多秦將,赴楚寨來,拱手轅門外,聽候參見。

陳豨はもどって、章邯に伝えた。章邯「陳豨の言うとおりなら、二世の使(趙常)を斬って、楚に降るべきだ。しかし范増には謀がおおい。私を誘い出して殺すつもりでは。陳豨は、再び行って、范増の虚実を探ってきて」。陳豨はふたたび楚の寨にゆき、項羽にあう。「章邯は降りたいが、ワナを恐れています」。

すぐに章邯が行かないと、ぎゃくに項羽に疑われそうだけど。

項羽「大丈夫の一言は、泰山のように重い。章邯を誘って殺せば、オレの名声が下がり、賢者が来てくれなくなる」と、矢を折って誓う。陳豨は折れた矢を章邯に届けた。章邯は喜び、趙常の首を斬って軍勢に示し、10万で漳河を南に渡る。楚の軍営の轅門の外で拱手して、章邯が項羽に面会を求める。

章邯が項羽に降り、項羽が彭城に帰る

范增卻令楚兵提列旌旗,嚴整隊伍,兩邊站立許多將官,俱是鮮明衣甲,十分威儀。羽居中坐定,先發擂三冬,開了轅門,吩咐著新降章邯等人入見。邯進見行禮畢,流涕告羽曰:「邯因趙高讒言二世,不發救兵,反下詔賜死,拘禁老小,逼迫不過,無處容身,仰歸將軍,如嬰兒之望父母。但因昔日定陶行兵之際,奮不顧私,有傷尊公,罪當萬死。今蒙有寬,恩同天地,敢不竭力報效,以圖建立微功,上報將軍不殺之恩,下雪佞臣讒戮之恨。幸惟收錄,以任驅使。」羽因安撫之曰:「爾等既歸命於我,我今必當重用,正宜忠心報國,勿興異念。滅秦之後,富貴共之。」邯等眾將,叩頭謝恩,就著本部人馬,伺候徵進。

范増は、楚兵に旌旗を並べさせ、隊伍を整列させ、通路の両辺におおくの将官を立てて、衣甲を鮮明にして、威儀を整える。項羽に会った章邯は流涕した。「趙高に讒言されて、救援をもらえないばかりか、詔で死を賜った。項羽の恩を被ったので、めっちゃ働きます」。項羽は安撫した。章邯は叩頭して謝恩した。

有函谷關守關將校等,知章邯降楚,飛馬報入咸陽,說章邯殺使命,帶領十萬軍降楚,見今項羽統兵會合諸侯,攻函谷關,十萬緊急。趙高見殺了他姪兒,只得奏知二世,說章邯素有反心,今果然叛秦降楚。二世大怒,遂將各家老小,夷於咸陽市。

函谷関を守る将校は、章邯が楚に降ったと知り、咸陽に馬を飛ばして報せた。趙高は、章邯の子女を殺して、二世に「章邯が楚に降った」と奏した。二世は怒って、各家の老小(章邯とともに楚に降った将の家族)を、咸陽の市で夷げた。

卻有人傳報與章邯等,說將三家老小,盡夷於咸陽市。邯等聞知,各放聲大哭。就來稟告項羽,乘秦無人守關,可統兵殺過漳河,徑趨新安、澠池,秦可破矣。羽請增計議,增曰:「兵久在外,勞費甚多,懷王移都彭城,未立定業,且秦國兵強民富,未可輕敵。不若且回見懷王,先立定根本,休養兵馬,多積糧草,然後命將兩路徵進,使秦首尾不能相顧,方為上策。苦今徒攻其外,而彭城夫守,勞苦無功,反損威名,非用兵之善者也。」羽遂依增言,傳令大軍起行,徑回彭城來。不知見懷王怎的伐秦?且看下回分解。

章邯らは、家族が殺されたと聞き、声を放って哭す。章邯は項羽に「函谷関に守りがないから、漳河を渉って攻めこみましょう。新安・澠池に攻めれば、秦を破れる」と。

秦軍は、章邯に守りを任せていた。章邯を取り除いたら、たしかに秦軍は手薄である。しかし、これ以降は戦国秦のプロパーの領土。范増の言うとおり、苦戦が想定される。

范増「楚軍はながく外におり(章邯と対峙して)労費が大きく、楚懐王は彭城に遷都したばかり。秦地にゆくのは危険であるから、兵を返そう」
項羽は范増に従い、彭城にかえる。楚懐王は、どのようにして秦を伐つのか。続きは次回で。150816

司馬遼太郎は、このあたりで上中下の上巻が終わる。しかし『西漢演義』は、101回のうち12回分くらいにしか相当しない。司馬遼太郎が、項羽・劉邦の起兵のあたりを、いかに綿密に書いたのか。ぎゃくに、それ以外をいかに省略したのか、知れるというもの。
回末に「楚懐王はいかに秦を伐つか」とあるが、話の流れとしては「項羽はいかに秦を伐つか」のほうが自然。項羽ではなく、劉邦が秦を伐つというネタバレである。

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第18回 酈生を收め、智もて張良を借る

楚懐王が関中王の『約』をなす

卻說項羽收兵,回彭城來見懷王,王曰:「將軍統兵遠出,累建大功,破秦之後,勛業當與金石不磨也。」羽又引眾諸侯,並降將士章邯等拜見畢。懷王大喜,吩咐大排筵席,犒賞眾軍,封羽為魯公,封劉邦為沛公,各休養士卒,伺候徵進。

項羽が兵を収め、彭城で懐王にまみえる。懐王は項羽をほめて、章邯とも会う。項羽を魯公、劉邦を沛公に封じて、士卒を休ませる。

劉邦は何もしてない(活躍の既述が作中にない)じゃん。もともと、沛県を実力行使で奪ったときから、劉邦は沛公である。格上げされたわけじゃないから、別にいいのか。


沛公選將訓兵,招來四方英俊賢士,不數月,有蕭何、樊噲、曹參、周勃、王陵、夏侯嬰、柴武、靳歙、盧綰、丁復、周昌、傅寬、薛歐、陳沛、張倉、任敷招集將佐五十餘員,統兵一十萬。魯公帳下,有范增、英布、季布、鍾離昧、桓楚、於英、丁公、雍齒、章邯、司馬欣、董翳、魏豹、張耳、陳餘、共敖、臧荼、龍且等,將佐百十餘員,統兵五十萬。
沛公專行仁義,不尚殺伐,廣攬英雄,撫安百姓,懷王甚愛之,每與群臣曰:「沛公劉邦,仁厚長者,使此人得專征伐,決能安輯地方,撫愛黎庶,足可以為天下主也。」魯公威權日重,天下諸侯,莫敢仰視,性暴氣剛,人不敢近,懷王甚憚之而不發一言,每來奏事,懷王出座立與之語。

沛公は将を選び兵に訓へ、四方から英俊・賢士をまねく。漳河・樊噲・曹参・周勃…ら将佐50余人、兵10万がいる。項羽の配下にも、范増・英布・帰付・鐘離昧・桓楚…ら将佐110余人、兵50万がいる。
沛公は殺伐を好まず、百姓を撫安するから、懐王に愛された。懐王は郡臣に、つねに「沛公は仁の厚い長者である。彼に征伐を任せたら、地方を安集でき(楚が)天下の主になれるだろう」という。

具体的に沛公がなにをやったのか書かず、単なる説明で終わっている。この不自然さは、前漢の成立後に作られた、ニセモノの伝説であることを窺わせる。項羽の狂暴さは、秦軍を穴埋めにすることで表現できるはずだが、本作はそれを忘れている。

項羽は狂暴なので、懐王は憚って、一言も発さない。項羽から上奏があると、立ちどころに認可した。

一日,細作自咸陽來,傳說二世大肆暴虐,百姓重足而立;趙高專權害人,日甚一日。魯公聞知,奏啟懷王曰:「臣今久練兵馬,正好徵進,以殺此無道,豈可容其大亂,以害黔黎?」懷王曰:「吾正欲遣汝二公,分路伐秦。汝今此奏,正合吾意。」隨召沛公、魯公近前,諭之曰:「秦二世無道極矣,天人共憤,理當徵討。但兵分二路,未免各有彼此,須當與群臣計議,庶絕後爭。汝且暫出,候吾斟酌得宜,然後差遣。」
王召群臣問,曰:「伐秦有東西二路,亦無遠近難易之分,但須從公寫東西二鬮,隨二人各取其一,該東者東去,該西者百去,自無爭競。」王曰:「善。」

ある日、諜報が咸陽からきて、「二世は暴虐で、趙高は専権し、日に日にひどい」と報告した。項羽は懐王に奏啓した。「いまこそ秦を滅ぼす」。懐王「項羽・沛公の2人に、路を分けて秦を伐たせたい。項羽の上奏は、私の意見と合う」と。劉邦・項羽を御前に召して、「2人で別々に秦を攻めろ。(東西の路の)どちらを行くかは、郡臣と話しあって決め、決めた後は蒸し返すな。(当事者である2人は)退出して、郡臣と審議した結果を待て」

物語のもっとも重要なところなので、読者にも納得がいく形で、項羽・劉邦の役割を決めようとしている。史実では、2人がべつの路を進み始めてから、項羽・章邯の戦いがあり、項羽が時間を食う。本作では(史実の時系列を破って)すでに章邯が降っているから、項羽が先に関中に入れそうな気がするけど。

王は郡臣を召した。郡臣「秦を伐つには東西の2路がある。遠近・難易に違いがある。項羽・劉邦に、くじを引かせたら、不満が残らないと思います」。懐王「OK」

章邯という最大の障害が、史実と違って残っていないから、「困難なほうに項羽をあてる」という話が成り立たない。ふつに、項羽の将佐・兵卒が多いのだから、項羽が有利になってしまいそうだが。
くじによるギャンブル性が、項羽・劉邦の戦いを盛り上げるというのが、本作の趣向なのだろう。


於是寫二鬮,隨二人各取一鬮,沛公該行西路,魯公該行東路。領命畢,二人各整點人馬停當,來辭懷王,擇日啟行。懷王曰:「卿等因秦無道,苦虐百姓,乃立我為王,以眼人望。今我質弱才劣,不足以副天下。卿等各領本部兵馬,兩路徵進,以先到咸陽者為王,後到咸陽者為臣,不可負吾之約。卿等安天下之後,安置我於閒散之地,以為養老之所,乃吾之願也。」魯沛二公,同眾將俯伏於地曰:「臣等盡心王事,務要恢宏帝業,建都長安,以復周家之舊,臣之志也。」懷王曰:「專望將軍捷音,以慰我心。」二公拜辭懷王出朝,各領兵馬,行至定陶,會合在一處,結拜為兄弟,沛公為兄,魯公為弟。置酒會飲,盡醉而散。次日分路啟行。是時,乃二世三年春二月也。

くじをつくった。劉邦は西路、項羽は東路となる。
懐王「先に咸陽に到った者を『王』とする。後に咸陽に到った者を『臣』とする。約にそむくなよ」と。項羽・劉邦は懐王に辞して、定陶にゆき、兄弟の契りを結ぶ。劉邦を兄、項羽を弟とする。

史書に書いてない(事実がない;漢王朝が正当化をし忘れた)のは、項羽・劉邦が兄弟の契りを結ぶこと。のちに項羽が劉邦の父を煮殺そうとすると、劉邦は「オレの父は、アンタの父でもある」といって牽制する。その伏線を、本作はきちんと張った。

次の日、東西に分かれて進軍した。二世三年の春2月である。

『通俗漢楚軍談』巻2が、ここで終わる。キリがいい。


劉邦が戦わずに秦の郡邑をくだす

沛公兵行至北昌邑,四門緊閉,城上各豎旗幟,大軍不得前進。樊噲就要出馬攻城,沛公因諭之曰:「孤城小邑,百姓艱苦,大軍一動,玉石瓦解,我今行師,正欲安民,才至地方,即行強暴,非王者之師也。」三軍聞沛公之言,傳入城中,鼓動內外父老等,來告邑令曰:「我等苦秦苛法,如蹈水火,今遇沛公,大軍到來,地方安堵,如時雨之降。若復抗拒,是逆天也。倘一時奮怒,城破之後,我等皆為齏粉矣。公當開城納降,庶為順應。」邑令即從父老之言,大開邑城門,設香花迎接大兵人城。沛公傳下將令,省發三軍,如有妄取民間一物者,即斬首示眾,以此百姓愈加感戴,風聲所及,傳播遠近,隨到郡邑,秋毫不犯,各處望風歸附,不可勝數。

沛公は北のかた昌邑にいく。城門は閉ざされ、大軍が進めない。樊噲が城を攻めようとすると、

樊噲は、張飛のような単細胞の役割である。

沛公がいう。「孤城・小邑なので、大軍で攻め破ることは易しいが、百姓が苦しむ。暴秦から百姓を救うために、百姓を苦しめたら、本末転倒である

劉邦の長者ぶりを、進発して早々に見せつける。ナイスな構成。

三軍は、沛公の言葉を城中に伝えた。城内の父老は、邑令(秦が派遣した長官)に、「沛公を歓迎しよう」という。邑令はこれに従って、城門を開き、香花を設けて歓迎した。沛公は自軍に「民間のものを盗めば死罪」と命じた。遠近の郡邑は、どんどん劉邦に帰付した。

藤田勝久『項羽と劉邦の時代』などで論じられているように、これは劉邦の仁徳のなせる結果ではなく、秦の官僚制の弱点という構造がまねいた結果である。


一日,行至高陽邑,有邑令王德,出城遠迎。沛公見其人,語言精爽,器宇出眾,因入城延坐,請問:「賢侯既有降款之意,何不從劉邦一同伐秦,早晚得以共議國事?」王德拱手啟告曰:「從將軍帳下,某之志也。但某去,高陽無人管理,百姓夫所,此心不忍耳!此處有一賢士,姓酈名食其,家貧落魄,好飲酒,醉後高歌,不拘小節,人呼為狂士,年有六十八歲,外貌若不足取,胸中藏萬斛珠璣,腹內羅一天星斗,知興衰之運,識治亂之機,真賢土也。因秦殘虐,焚書坑儒,遂假以酒狂自縱,常曰:『吾雖昏醉終日,若遇明主,吾必醒矣』。明公何不請酈生為別駕?早晚咨謀大事,實有補益。」沛公聞之,大喜,遂煩王德去請酈生。

ある日、高陽邑にゆく。邑令の王徳は、城を出て沛公を迎えた。王徳「沛公に従って秦を伐ちたいが、私がここを離れたら、治めるひとがいない。(私が行く代わりに)ひとりの賢士を推薦する。酈食其という68歳の賢士です。焚書坑儒のとき、酒に狂ったふりをして免れた」。沛公は喜び、酈食其(酈生)を連れてくる。

酈食其が沛公に臣事し、陳留を得る

酈生宿酒未醒,披衣出見。王德稱頌沛公之德。因曰:「某已薦先生為別駕矣。先生有此抱負,未遇真主,吾觀沛公,定成王業,何不往而從之?」酈生曰「某聞沛公雅大度,而見賢士多慢侮,恐不以禮接,則狂道從人反取辱矣!」德曰:「先生素有機變,何不抗禮往見,以觀其志?」生曰:「侯之言是也。」遂同邑令來見。

王徳が、酈生に「沛公にあなたを紹介したから、来て下さい」という。酈生「沛公は賢士に会っても、慢侮して礼もて接さないらしい。辱められるくらいなら、行かない」。王徳「沛公に会ってから決めたら?」。酈生「それもそうじゃ」

沛公方倨床,使二女子洗足,酈生入內,長揖不拜而言曰:「足下欲助秦以攻諸侯乎?欲率諸侯破秦乎?」沛公見酈生老耄,且言語遽峻,乃罵曰:「豎儒!天下苦秦苛法久矣,吾奉懷王命,乃由西路伐秦,以誅此無道,何為助秦耶?」生曰:「足下既欲伐秦,以誅無道,是欲舉義兵以服天下也,豈可倨見長者而待人以無禮耶?若如此,則賢士去,而無與其謀,何足以驅逐天下也?」於是沛公輟洗攝衣,即延酈生以上坐,謝之曰:「適來不知先生遽到,有失迎侯,休怪休怪!」

酈生が会ったとき、沛公は、2女子に足を洗わせていた。酈生がクレームをつけると、沛公は態度を改めた。

於是酈生先說六國縱橫,後言秦皇無道,口如懸河,滔滔不絕。沛公大喜,又問伐秦之計,酈生曰:「以糾合之眾,收散亂之兵,不滿十萬,今欲徑入強秦,此所謂驅羊群入虎口者也。夫陳留天下之衝,四通八達之地。城中所積糧甚多。見今太守陳同守把,某往說之;若進得陳留以為根本,招集軍馬,然後乘機以破關中,此為上策。」

酈生は、沛公に秦を伐つ計を授ける。「兵を掻き集めても、10万に満たず。これでは秦に勝てない。陳留は天下の衝、四通八達の地である。城中には食料の蓄積もおおい。県令の陳同を説得して味方にし、陳留を拠点にして秦地を攻めろ」

沛公即遣酈生入陳留。陳留令素與酈生善,聞酈生至,遂接入後堂,設酒閒敘。生曰:「良禽相木而棲,賢臣擇主而佐。方秦失政,諸侯並起,某假酒為狂,遍求真主,未得其人。昨見沛公隆準龍顏,豁達大度,行仁義之師,布寬厚之政,西行伐秦,郡邑望風歸附。賢侯守此孤城,又當衝要之地,倘他兵忽至,以強凌弱,城破民逃,徒延頸受死,失此機會,甚為可惜。賢侯三思之!」陳同低首沉思曰:「先生之言,極是有理。但食秦之祿,不忍叛秦。」酈生曰:「二世殘暴,天下切齒。武王伐紂,四海歸心,聞誅獨夫者紂也,未聞弒君也。二世今之獨夫也,何為之叛秦耶?」陳同聞生之言,即起謝更衣,同出城來迎接沛公。沛公同蕭何、曹參百十人進城,陳同出城,設宴款待。屯住一月,招徠各處人馬,增添五萬餘眾。

沛公は、酈生を陳留にゆかせる。陳留の県令である陳同は、酈生と旧知なので、招き入れた。酈生「秦よりも沛公に仕えたほうが得である。二世への義理だてなど必要ない」
陳同は説得されて、沛公を迎えた。沛公は、漳河・曹参とともに入城した。陳留に1ヶ月とどまり、人馬は5万が増えた。

酈生が張良を紹介する

沛公深喜,以為得酈生之助也,因召生謝曰:「自會先生以來,下陳留,招士卒,積糧儲,此不朽之功也。」遂封為廣野君,令常在左右,以匡不及。生曰:「某蒙足下之愛,情好雖日密,未足以建立奇功,為破秦之明輔也。適此地有一人,乃經濟之才,天下之士,湯之伊尹,周之呂望也。若得此人,匡輔足下,何愁秦之不破也?」沛公便起問曰:「此人是准?」生曰:「乃韓國人,姓張名良,字子房,五世相韓。會受異人之術,每欲為韓報仇,奈韓國初立未久,尚未舉動耳。若此人歸附足下,錦上添花,美中之美也。」沛公曰:「此人既相韓,如何肯來?」生曰:「某有一計,誘張良來見,卻以美言挑之,務要歸附。」沛公曰:」計將安在?」生曰:「足下可修書差人,只說即今起兵伐秦,為諸侯報仇,但缺糧草為軍需,欲問韓王借糧五萬石。他若無糧,必令子房來見,其計可成矣。」

沛公は、酈生を広野君にして、つねに左右におく。酈生「この地には、もっとすごい人材がいる。この人材を得れば、秦を破れる。韓の相の張良という
沛公「すでに韓の臣なら、オレのところに来ないのでは」。酈生「一計があります。張良を誘ってここに来させれば、私の弁論によって、韓から沛公に転職させてみせます」。沛公「どうやって来させるの?」。酈生「われらの糧秣が足りず、秦に攻め込めないと伝え、韓に糧秣5万石の借用を申し入れなさい。きっと張良が(返答の使者として)やって来るから、会うチャンスができる」

史実における張良と劉邦の出会いは、まったく違う。本作のオリジナル。酈生の奇策を、ひとつ増やしている。


沛公就令酈生為使,持書不日來到韓國,入城見韓王,將沛公書呈上。書曰:
楚徵西大將軍沛公劉邦奉書韓王殿下:伏以始皇無道,並合六國。二世殘暴,罪惡貫盈,百姓嗷嗷,恨入骨髓。今統大軍,佈告天下,仗義除殘,以雪世憤。但軍行百里,日費萬金,所急者惟軍需耳。鄰近郡邑,十室九空,無處假借。敬遣使酈生,其借糧五萬石,破秦之後,加倍償還。幸念討罪之師,早賜發下,以濟急用。臨楮懇切,萬惟垂照。

沛公が酈生を使者に立てた。すぐに酈生は韓王に会えた。酈生は、沛公の文書を上程する。
楚の征西大将軍である沛公の劉邦が、韓王殿下に書を奉ります。秦に対する怒りは積もるでしょうが、軍を動員するにはコストが掛かります。近隣の郡邑にも貯蓄がなく、糧秣を調発できない。5万石を貸してください。秦を破った後に2倍にして返すから」

くじ引きで西路をゆくことになったから、劉邦の官職は「征西大将軍」だったのか。なんだか漢代のような名称である。


王覽書,與群臣計議:「韓目為始皇所滅,今方初立,自費尚缺,豈能濟人也?」群臣曰:「沛公奉懷王命伐秦,實天下之公也,借糧五萬石,雖不能足其數,亦可與其半耳。若通無所與,恐傷大義。幸王思之!」王正在憂疑間,張良出班進言曰:「且管待來使,容臣往見沛公,自有方略。」群臣大喜。未知如何?且聽下回分解。

韓王は文書を見て、郡臣にはかる。「韓国は始皇に滅ぼされた。いま再興したものの、カネがない。沛公を助けている余裕があるかな」。郡臣「沛公は楚懐王の命で秦を伐つ。この行為は、天下の支持がある。しかし5万石を貸すだけの余裕がない。半分だけ貸し与えよ。まったく拒否すると、わが韓の大義が傷つく恐れがあるし」
韓王が悩んでいると、張良が「沛公の使者をもてなせ。そして、私を沛公に会いに行かせてください。方略があります」という。郡臣は喜んだ。どうなるのでしょう。150816

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第19回 望夷宮に二世 害せらる

沛公が、韓王から張良を借りる

卻說張良因韓國無糧,往見沛公,韓王曰:「爾去須善為說詞,庶不失兩家和氣。」酈生暗思:「此子中了計也!」即拜辭韓王,遂同子房來見沛公。良未入轅門,尋思酈生借糧,實是假意,只欲我從沛公伐秦。我今來,正看沛公是何如人。

張良は、韓国に(5万石を貸せるほど)糧秣がないから、沛公に会いにいくという。韓王「うまく言って、両家の和気を失わぬように」と。酈生はひそかに「計画どおり」と思い、張良をつれて沛公に会う。張良が轅門に入る前から、見抜いていた。「酈生が軍糧のことを口実に、私を(韓国から連れ出して)沛公に従わせて、秦を伐たせたいのだな」と。張良は、沛公の人となりを見てみようと思った。

張良も、賢いキャラである必要がある。まんまと酈生の計略に引っ掛かったのではない。酈生の計画に掛かったふりをしたという点で、張良は、酈生も韓王も騙している。


卻說酈生已與沛公作成圈套,專等子房到轅門外,先使樊噲來迎,子房見了樊噲,便暗想此是一開國功臣也。及到寨門口,只見沛公引著蕭何、曹參、靳歙、盧綰、滕公、王陵等立在寨門側首。看那沛公隆準龍顏,正是治國安邦真命主;看那蕭何等,卻是開疆展土眾元勳。
張良不覺自忖道:「有一代之君,便有一代之臣。我今欲來下說詞,不想看了這起人,非偶然也。正是吾師黃石公吩咐著我輔佐真命,垂名萬代;今遇沛公,不可舍也。」

さて酈生は、沛公のためにトリックを実行した。張良を轅門の外に待たせ、さきに樊噲に張良を迎えさせた。張良は樊噲をみて「開国の功臣だな」とひそかに思う。寨門の口にこれば、蕭何・曹参らが側面にならぶ。沛公の竜顔を見ると、治国・安邦する真命の主であった。かの蕭何らを見ると、開疆・展土の元勲たちである。
張良はうっかり独り言をいった。「一代の君あれば、便ち一代の臣あり。私は使者にきて、思わずこれらの人を見たが、偶然ではない。わが師の黄石公が、私に輔佐の真命があり、名が萬代に伝わるといった(沛公に仕えることで実現できるようだ)。このチャンスを逃してはならない」

遂入帳來見沛公,納頭起拜畢,乃進言曰:「明公興兵伐秦,聞郡邑望風而降,所得糧米甚多,又何聽狂士之言,假以借糧為由,欲張良為從士耶?」沛公聞言甚駭愕不能答。蕭何在側即應之曰:「吾主借糧者,實借良也。先生來見者,實來說也,來說而不說者,先生見吾主足所以有為,較之力士擊車者百倍矣。韓仇可報,奇功可立,借吾主以成其志,所當從之伐秦,而不勞說詞也。」子房聞蕭何之言,即下帳拜伏曰:「良之心事,足下知之矣!願從麾下不敢辭。俱須告過韓王,庶好隨行。」沛公大喜。

張良は帳内に入り、沛公にあう。「沛公は郡邑を戦わずに降して、糧米は潤沢なのに、どうして狂士(酈生)の言を聞き、糧米のことに託けてまで、私を従士にしたいのですか」。沛公は(酈生の計略がバレており)驚いて答えられない。
蕭何がそばで応じた。「わが主が糧米を借りたいと言ったのは、ほんとうは張良を借りたかったのです。先生がここに来たのは(糧米の回答ではなく)わが主と話すためでしょう。(わが主と)話すつもりで来たのに、やっぱり話すのを止めたのは、先生がわが主を見て有為(の勢力)だと思い、(始皇を狙撃した)力士と比べて百倍も(秦を伐つために頼りになる)と考えたからでしょう。(わが主の軍勢を使えば)韓の仇に報い、奇功を立てられる。わが主(の将兵・士卒)を借りて(伐秦という張良自身の)志をなせば良いでしょう」。張良は拝伏して、「私の心を、蕭何さんはご存知だ。沛公に従って麾下になりたい。(沛公への臣従を)韓王に告げてくるから、行かせてほしい」。沛公は喜んだ。

小賢しい酈生(のちに煮殺される)と、蕭何(劉邦の実質的なプロデューサー)とでは、後者のほうが、張良の心を蕩かせることができた。


次日傳令大軍啟行,經過均州,來到韓國。韓王君臣出城迎接,沛公吩咐三軍,不必進城,止同酈生、張良、蕭何、樊噲,領百十騎人馬,拜見韓王。因說借糧一事。韓王曰:「國小初立,未有積蓄,無以應命。昨差張良謝罪,未知足下以為何如?」沛公曰:「殿下無糧,不敢強借。今子房多謀,素有大志。欲借隨徵進,朝夕得以請教,候伐秦之後,仍還殿下,決不敢久羈也。」

翌日、大軍を動かして韓国に到る。韓王の君臣は、城を出て劉邦軍を迎える。沛公は三軍に言いつけ、韓王の城まで進ませない。酈生・張良・蕭何・樊噲と100騎ほどで韓王にあう。糧秣を借りることをいう。
韓王「うちは小国で、国を立てたばかり。とても貸せるだけの備蓄がない。張良に謝りにいかせたけど、どうでした」。沛公「殿下に備蓄がないなら、敢えて借りません。張良を借りて、朝夕に教えを請い、秦を降したらお返しする。決して長く借りません」

韓王曰:「張良實不可暫離,但將軍為天下誅此無道,願借張良,以助將軍。破秦事成之後,幸吩咐早來,勿失約也!」時沛公即拜謝。子房亦拜辭韓王,隨同沛公,一路伐秦,共棹而食,共床而寢。講說六韜三略,細與開陳,隨問隨答,沛公了然無一字不通,就如曾講究過一般。子房歎曰:「我自得受黃石公之教,無人講論,茫然無知;及今告沛公,無一字滯礙,雖我數年熟讀,亦不過如此明白,誠聰明天授,不假人力,真英明仁智之主也!」子房自暗喜不題。

韓王「片時も張良を手放せないが、沛公が秦を伐つなら、使ってください。約束に背かないでね(張良を借りパクしないでね)」と。張良は、沛公と寝食をともにして、六韜三略を講義した。沛公が質問して張良が答え、沛公はよく理解した。張良は嘆じた。「黄石公から兵書を授かったが、人と内容を議論したことがなく、理解がハンパだった。いま沛公に講義すれば、一字もつっかえることがない。私は数年も熟読してきたが、沛公の理解力に及ばない。ほんとうに英明・仁智の主だなあ」と。

劉邦の魅力は、兵法書の理解が、張良を上回ることなのか? というか本作では、まだ沛公の戦闘シーンがないような気がする。彭城で項羽に惨敗するところが、どのように描かれるのかお楽しみである。


劉邦の信者、灌嬰の加入

卻說有人傳說項羽東路伐秦,所過地方,百里火飛,滿川流血,殺人惟恐不勝,殘暴與秦無異,大失民望,百姓竄亂。兵馬眾多,又無以應付,一日不過行一二十里。范增屢次諫勸,羽不聽,只任性專行殺伐,略無仁愛之意,增亦奈何他不得。
以此越顯沛公寬仁厚德,民心屬望。行至武關,有一軍攔路,為首有一將出馬大叫:「快請沛公出來相見!」只見沛公陣上早有傅寬、傅弼,與來將對敵。戰二十合,被來將活挾傅寬,戰敗傅弼,又高叫:「我求見沛公,亦無他意。見今聚兵三千,要取關中,情願合兵一處,一同徵進。」

東路をゆく項羽は、殺戮しまくって、残暴さは秦と変わらずに、民望を失った。項羽軍の兵馬は多いが、抵抗にあうから、1日に10-20里も進めない。范増が諌めたが、項羽は殺伐をやめず、仁愛がない。
沛公は寛仁・厚徳により、民心をつかみ、武関に到る。そのとき1軍が路をさえぎり、1将が出馬して、「早く沛公に会いたい」という。沛公の部将である傅寬・傅弼が戦いを挑んだが(名無しの1将に)生け捕られた。「沛公に会いたいだけだ。他意はない。兵3千を集めたから、沛公軍に加えてほしい」

これぞ、項羽を垓下で追いつめる灌嬰。そりゃ強いさ。


子房聞說,就上馬來到陣上,問來將姓名,其人不言,只要求見沛公,只見樊噲大怒,搖戟出馬,呼來將曰:「汝是無名匹夫,我主公豈可與你相見,汝若敵得過我,得請主公相見。」其人更不答話,與噲戰到十合,不分勝敗。沛公在門旗內,見他求見之切,又且武藝出眾,遂匹馬挺身,來到陣上,便問:「壯士要見劉邦,有何指教?」只見那人見了沛公,有如此容儀,便滾鞍下馬,拜伏在地:「某在此等候日久,仰思真主,今始見面。適來與諸將對敵,不過面試武勇,欲我主留用耳,非敢抗阻大兵也。」

張良が聞けば、その人物は姓名を言わず、ただ「沛公に会わせろ」というばかり。樊噲が怒って挑むが、10合を打ち合っても、決着が付かない。

樊噲と互角というのは、最強フラグです。

沛公は門旗の内側で見ていたが、その人物が「沛公に会わせろ」といい、武芸が優れているので、沛公は自ら陣上にゆき、「壮士は劉邦に会いたいというが、会ってどうする?」と聞く。その人物は劉邦を見つけて、容儀を正して下馬し、地に伏せた。「ここで長いこと、真の主君に会うのを待っていました。(樊噲ら)諸侯と戦ったのは、試しに武勇を見せて、沛公に興味を持ってもらいたかったから。進軍を妨げるつもりはありません」

出た!劉邦信者。どうしても、会ってもいないのに、ここまで劉邦のファンになれるのか。秦という巨悪がいるから、巨悪のアンチテーゼという作中の名声(ないしはキャラづけ)というだけで、ここまで劉邦が輝くのかも。
楚漢戦争は、秦や項羽という悪逆がいて、その対立者として劉邦がいるから、分かりやすい。しかし三国志は、曹操が悪逆になりきらず、曹操の逆をいくはずの劉備にも曹操の要素が混じっており、分かりにくい。だから面白い、という見方もできるけど。


公曰:「壯士高姓大名?」其人曰:「某姓灌名嬰,洛川人。年少在西川商賈,同伴有五六人,過紫關,忽遇著草寇百餘人,吾一人仗劍出敵,遂將草寇殺死,餘黨盡走,道路寧靜,居民至今傳說。因見秦二世無道,倡舉大義,聚精兵三千,知主公行仁義之兵,所過望風歸附,因此投降我主,願為前部先鋒。」沛公大喜,遂留帳下,與諸將相見。就著領本部人馬攻武關。

沛公「お名前は」。その人「灌嬰です。洛川のひと。二世が無道で、沛公が仁義の兵だというから、沛公に投降したかった」と。沛公は喜んで帳下に留め、諸将と会わせた。灌嬰は、本部の人馬を領して、武関を攻める。

二世の最期

卻說把關守將朱蒯,知沛公兵到,不敢出戰,吩咐嚴加把守,多豎旗幟。卻具表星夜赴咸陽,見趙高說楚兩路攻秦,十分緊急。
趙高驚惶,不敢奏二世,意要遣將調兵抵當,又無人可去。
一日十數起奏報,高無法支持,又恐二世見誅,遂托病不朝見。諸公子大臣,俱無所建白,二世全不知,在宮中恣意行樂。一日,夜夢出郊外,忽然大林中,走出一隻白虎,齧其左驂馬殺之。醒來急召占夢者,卜曰:「徑水為祟,宜當遠避。」

武関の守将である朱蒯は、沛公の軍がきても、出て戦わない。おおく旗幟を立てて籠もった。星夜に、つぶさに咸陽に連絡した。
趙高は、楚軍が2路から来るので、驚惶して、あえて二世には教えない。将軍を派遣しようと思うが、適任者がいない。
1日に10数回も、朱蒯から連絡がくる。趙高は(今日の事態を招いた責任による)二世から誅されるのを恐れ、仮病をつかって朝見せず。公子・大臣らが建白しないから、二世は何も知らずに遊ぶ。ある日、夢のなかで郊外に出ると、林中で白虎が現れ、馬車の左の馬を食い殺された。さめて夢を占わせると、「徑水の祟りである。近づかないように」といわれた。

二世乃齋居望夷宮,祭涇,沉四白馬。以此終日憂悶,因問左右:「近日各處盜賊兵馬如何?」左右各垂淚不敢言,二世愈疑,便問:「有甚話說?」左右奏曰:「近日楚兵,已寇武關,各路諸候,分兵攻秦,指日破關,陛下無佇足之地矣!」
二世大驚,急差人召高,高以病不能出,乃遣人深責之曰:「汝為丞相,兵臨城下,尚爾臥病不起!前日蒙蔽妄奏,屈殺李斯;今日危急之際,有何理說?」

二世は望夷宮で涇水を祭り、4匹の白馬を沈めた。二世は終日、憂悶して左右に問う。「近いうちに盗賊の兵馬が来るのかな」。左右は涙を垂れて答えない。二世がいよいよ疑った。「どうなんだ」。左右「楚兵(沛公)はすでに武関を攻めており、武関を破ればここにきます」。
二世は驚いて、趙高を召すが、趙高は出てこない。二世は趙高を深く責めた。「あなたを丞相にしたら、兵は城下に迫った。それなのに病気だから出てこない。以前は、ウソ情報により李斯を殺した。今日の危急を、説明してみろよ」

高無言回奏,在私宅百樣無措手處,遂心生一計,急陰召女婿咸陽令閻樂,並弟趙成,邀至宅後,與心腹家將十數人,乃共謀曰:「上下聽諫,國事已壞盡矣!兵到武關,十分危篤,卻欲歸罪我一人;累及宗族,汝等皆是死屬。與其被他殘害,不若爾等假設言有賊在宮作亂,卻調兵卒圍繞,爾等就中將二世誅滅,更立公子子嬰,為人仁厚恭儉,百姓皆悅服,此計庶免家禍。」閻樂、趙成等應聲曰:「此計甚妙。」
當日成為內應,詐言有大賊在宮內,可令閻樂引兵卒追撲。內外喧動,閻樂就起人馬千餘人,至望夷宮門口,遂將守衛人綁縛,責之曰:「大賊入內,汝等如何不能關防?」守衛皆曰:「周圍俱有兵卒守把,何得有賊入宮?」樂遂將守衛者斬首,揮動吏卒殺入。有近侍宦言見兵到驚惶,或走或格殺,死者百十人。成與樂徑奔二世幃幄前,二世急呼左右,左右皆惶懼不能抵鬥,惟有一宦者扶二世急欲向後走,乃曰:「汝何不早告我知,何使彼乃至此耶?」

趙高は答えずに、自宅で引き籠もり、決断をした。女婿である咸陽令の閻楽と、弟の趙成をよび、「二世は、楚軍の接近を、私だけの責任にしたい。罪が宗族に及べば、きみたちも死ぬ。宮中で反乱を起こして、二世を殺そう。公子の子嬰を皇帝にしよう。子嬰は、仁厚・恭儉である。百姓が悦服するし、わが家は禍いを免れる」

趙高が子嬰の人柄を誤解して、舐めている時点で、もう勝負がついている。趙高を警戒して、ひたすら大人しい振りをする子嬰、というキャラはおもしろい。

閻楽・趙成は、同意した。同日、「大賊が宮内に入った」と詐り、閻楽が兵卒をひきいて、二世がいる望夷宮にいく。門の守衛が「オレたちが見張ってるから、賊は望夷宮に入ってません」というが、閻楽が守衛を斬って突入した。左右は恐れて二世のもとに駆けつけない。

宦者曰:「臣急走不敢言,故得全臣命;若有一言,決死,安得扶陛下到此?」言未畢,趙成、閻樂各持兵刃,已到二世前,逼住不得動,因數其罪曰:「足下矯恣橫暴,誅斬太子,神人共怒,諸侯皆叛,乃自取乖戾,以致今日耳!非某等敢侵陵也。」二世曰:「丞相今在何處,可得見乎?」閻樂曰:「不可見。」二世曰「願以吾言,轉致丞相,或得一郡為王,可許之乎?」樂曰:「不許。」又曰:「願為萬戶侯,可乎?」樂曰:「不許。」曰:「願與妻子為黔首,列於諸公子中,可許之乎?」樂曰:「不許。」二世哀求不已,閻樂曰:「臣受命於丞相,為天下以誅足下,足下雖多言,臣不敢轉致於丞相。」遂揮動兵卒,逼追不能脫。二世乃自殺。

趙成・閻楽は二世にせまった。二世は自殺した。

趙成、閻樂歸報趙高曰:「二世已自殺矣!請丞相更立何人?」趙高乃悉召諸大臣公子告之曰:「二世不從吾諫,恣縱暴虐,諸侯叛逆,乃其自取,吾已殺之。況秦本王國,始皇稱為帝,今六國皆復自立矣,秦地甚偏小,徒有空名耳!仍立為王,與六國並,庶免爭奪。今有二世嫡姪子嬰可立為王,汝眾議以為何如?」諸大臣公子曰:「丞相所議甚便。」

趙成・閻楽は、趙高に「二世が自殺した。つぎの皇帝は誰を立てますか」ときく。趙高は大臣・公子に告げた。「二世は私の諌めを聞かず、暴虐をしたので、諸侯に反逆された。責任をとらせて、私が二世を殺した。秦はもとは王国であり、始皇が皇帝を称したが、いま六国が自立して領土が縮んだ。皇帝という称号は実態を伴わない。『秦王』にもどして、六国を併合し直してから『皇帝』にもどそう。秦王は子嬰がいいと思うが、どうかな」。大臣・公子「異議なし」

趙高遂將二世屍葬於宜春苑,乃同諸大臣公子,請子嬰齋戒五日,受以玉璽,高等親往致辭上請,子嬰曰:「諾。」遂同大臣公子至齋所,更衣獨寢。趙高安置停當,乃回私第去訖。子嬰因喚二子密言曰:「今趙高丞相,殺二世者,恐群臣誅之,佯以義立我,使我齋戒告廟,而受玉璽。你可同韓覃、李畢領兵伏齋宮之外,我自稱疾不行,趙高必自來請我,來則你引伏兵殺之,可雪諸父之仇也。」二公子與韓覃等曰:「此謀極善。」於是二子引兵埋伏已了,子嬰稱疾不行。

趙高が二世を葬って、子嬰を呼び出した。子嬰は「行きます」と返答した。趙高は私宅に帰った。この子嬰は、2子に密かにいう。「趙高は二世を殺した。郡臣から誅されるのを恐れ、いつわって義に託けて私に即位させるつもりだ(本当は趙高が帝位を狙っているくせに)。趙高は、私に斎戒・告廟させ、玉璽を受けさせるつもりだ。きみらは、韓覃・李畢とともに、斎宮のそとに伏せろ。私は病気で行けないといえば、趙高が自ら迎えにくるだろう。そこで趙高を殺し、諸父の仇をとろう」

諸父というのは、二世のことか。たとえば李畢が、李斯の血縁者とか……、夷三族されたから生きているのはムリかな。

子嬰は病気といい、即位儀礼への出席をこばんだ。

趙高の最期と、三世の即位

卻說趙高聞子嬰有病不行,只得自請,來到齋宮探病,不見子嬰,只見韓覃等引兵從外殺入。高急呼:「閻樂等安在?」早有子嬰二子,並諸甲士已殺出,李畢手起一槍,將高刺倒,子嬰出來,令斬首號令,眾人將高碎屍萬段,夷三族於市。

さて趙高は、子嬰が病気で出られないと聞き、みずから斎宮で子嬰を見舞うが、子嬰と会えない。韓覃が兵を兵をひきいて外から突入してきた。趙高「(わが女婿の)閻楽らはどこだ(私を助けにこないか)」。
子嬰の2子が、甲士とともに突入して、李畢が趙高を槍で刺した。子嬰が出てきて、趙高を首を斬らせた。趙高の死体をバラバラに刻んで、夷三族とした。

卻說子嬰夷了趙高三族,自立為三世皇帝,登大位。百官拜舞畢,三世謂百官曰:「朕今初即寶位,楚軍犯境,卿等用何計?何以殺退楚兵?」百官奏曰:「可速命將拒住嶢關,然後可以興兵。不然,咸陽難保矣!」於是三世以韓榮、耿沛引兵五萬,來助守將朱蒯守關。不知如何?且看下回分解。

さて子嬰は趙高の三族を夷げると、みずから三世皇帝となり、大位に登った。

子嬰が「秦王」に留まったとするのは、漢代の史家たちの曲筆だというのを、どこかで読んだことがある。きっとそうだろう。子嬰が、みずから称号を賎しくする理由がない。

三世は百官にいう。「どうやって楚軍を退けようか」。百官「まず嶢関(武関)を固めないと、咸陽がやばい」。三世は、韓栄・耿沛に5万をつけ、守将の朱蒯を助けにゆく。勝敗はいかに。150816

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第20回 劉沛公 還りて灞上に軍す

酈食其が、秦将の韓栄を利で釣る

是時沛公引兵抵關下,只見韓榮等守拒要害。沛公不得前進,要以兵擊之,張良進曰:「秦兵尚強,未可輕擊。臣聞秦將多屠賈之子,易以利動,願請白壁,使人先行通賄,即遣人益張旗幟於關下山上為疑兵,使陸賈、酈食其往說秦將,陷以重利,侍其不備而襲之,必然大獲勝也。」公從其說,使人日日遍山插旗幟為疑兵,又使食其、陸賈往說守關將士。

このとき沛公は武関(嶢関)のもとにいて、韓栄が要害を守る。沛公は前進できないから、韓栄を攻めようとした。張良「秦兵はなお強いから、軽々しく撃つな。聞けば秦将には、商人の子がおおい。利で釣れる。旗幟を立てて兵を多く見せかけてから、陸賈・酈食其に秦将を説得にゆかせ、利で誘った後、備えを解いたところを襲えば勝てる」と。沛公は随い、ぐるっと山に旗幟をたてて『疑兵』とし、酈食其・陸賈に、関の守将の説得にゆかせる。

陸賈は初登場なんだけど、とくにインパクトがなかった。


酈生等上關,見了韓榮、朱蒯等,施禮訖,因以言說之曰:「今秦無道,苦虐百姓,天下合兵共伐之,非獨沛公一人也。若將軍肯惜天下百萬生靈之苦,開關納降沛公,沛公保奏楚義帝,必以千金賞、萬戶侯,酬將軍之功也。」榮曰:「吾食秦祿久矣,背之不義,先生且退下關,待吾等三思而後行。」食其去訖,眾將自相商議,或有欲降者,或有不欲降者,兩皆猶豫,坦然並無準備。次日,食其等又上關來見韓榮曰:「將軍等三思之後何如?」

酈生は関に上り、韓栄・朱蒯らに会う。礼を施してから、「秦は無道で、秦を伐つのは沛公だけでない。もし将軍が関を開いてくれたら、沛公から楚義帝に話を通し、千金・万戸侯でむくいる
韓栄「秦の禄を食むから、背いたら不義となる。酈生は、退いて関を下りよ。私は三思して(よく考えて)、後から行く」と。酈食其が去ってから、韓栄は部下と相談した。翌日、酈生がまた来て「韓栄将軍、三思した結果は?」

榮曰:「眾人不從,奈何?」食其曰:「將軍雖不歸降,沛公亦深感厚德,願以千金,與將軍為酬德之資。沛公暫退兵,待眾諸侯到時再作區畫。」榮曰:「我與沛公為敵國,豈有受金之理?」食其曰:「公今不受此札,是與沛公絕情。他日天下諸侯到關,兼力攻打,料此關終是難保,公等那時如何見面?不若今日且受此禮,以為後日之情,公等思之!」榮曰:「且權收此禮,仍望沛公與眾諸侯講和罷兵,免致生靈塗炭。此則先生之盛德也。」食其曰:「某即與諸侯轉道此意,吾料沛公長者,必能見從也。」

韓栄「部下が従わない。どうしたもんか」。酈生「将軍が帰降せずとも、沛公はあなたの徳を感じており、千金を差し上げたいと言っている。

文脈が破綻しているのは、作中の仕様です。『通俗漢楚軍談』でも、こんな感じで、酈生の言っていることがおかしい。

沛公はしばらく兵を退き、ほかの諸侯がくるのを待つ」。韓栄「私と沛公は敵国である。なぜカネをくれる道理がある」。酈生「あなたがカネを受けとらねば、沛公は情を絶つ。諸侯と合流してから、徹底的にあなたを攻めるだろう。あなたは武関が保てないだろう。そうなったら(いちど友誼を断っておきながら)なんの面目があって、あなたは沛公に会うのか。いまカネを受けとっておき(沛公と情を通じて)後日(楚軍の攻撃)に備えたほうがいいと思うけどな
韓栄「かりに沛公から千金を受けとって、沛公には諸侯との講和をやってもらいたい。そうすれば(百姓も楚軍も秦軍も)塗炭の苦しみを免れる。(交渉の使者となった)酈生の手柄になるし」
酈食其「私は諸侯に、韓栄さんの思いを伝えましょう。沛公は長者だから、きっと講和を取りなしてくれる」

酈生の話は筋が通らないが、それでいい。韓栄を脅しつつ宥めつつ、なぜか納得させたところに、このくだりの価値がある。詭弁くさくて、韓栄の希望的観測がおおいに入っているのは、仕様です。


食其辭榮,回見沛公,備道前情。張良曰:「可乘此機會,正好用計。陸續差薛歐與陳沛帶領十數人,卻從山後小路潛過關去,遍山放起火來;我卻令樊啥引兵在關前攻打,使他兩處不能救應,決棄關而走,吾兵可過矣!」沛公曰:「甚善。」於是令薛歐、陳沛帶領十數人,各挑柴擔,中間暗藏火炮,從小路潛過關去,已三日矣,卻令樊啥等將大張旗幟,鼓噪前進,兼力攻打。不想韓榮自受金之後,終日飲酒,毫無準備,一見兵到來,急欲出馬,早有人來報,關後火起,已有人入關;又見炮聲不絕,韓榮恐惶,未及對敵。樊噲等搶上關來,大殺秦兵,韓榮等星夜逃走,追至藍田,遂屯住人馬。

酈生は韓栄を辞して、沛公に報告した。張良「この機会に乗じて、武関を攻めちゃおう。薛歐・陳沛に、山の後ろの小道から、武関の向こうに回らせ、山じゅうに放火させる。私は樊噲を先手として、武関の前から攻める」と。
3日後、韓栄は沛公からカネを受けとり、すっかり安心して、飲酒し防備を怠ったところに、関の後ろで火があがった。関の前から樊噲が突入した。藍田まで逃げた。

三世が劉邦に降伏する

卻說韓榮收集敗兵,整頓隊伍,來與沛公決戰,公令夏侯嬰與戰,復驅大隊人馬,一湧殺出,榮大敗,走入咸陽。是時乙未年冬十月,五星聚於東井。沛公領兵追至灞上。
三世正坐著,韓榮敗走回,入奏前事,三世聞知大驚,謂群臣曰:「此事如何?」有上大夫畢革出班奏曰:「事已危極矣!陛下可急救一城生靈,暫屈迎候軹道,庶免自身夷族之禍。」

さて韓栄は敗兵をあつめて、沛公と決戦する。沛公は、夏侯嬰をぶつけた。韓栄は咸陽に逃げ入る。このとき乙未の年の冬10月であり、五星が東井に聚まる。沛公は秦兵を追って覇上に至る。
三世は韓栄の敗走を聞いて驚き、郡臣に「どうしよ」と問う。上大夫の畢革が奏する。「事態はすでに危険きわまる。陛下は、咸陽の廟を守るため、暫く屈して沛公を軹道に出て迎え、夷三族となるのを免れよ」

趙高が、沛公に降伏の交渉をして、「秦地の半分をオレにくれ」という話は、本作では採用されない。趙高は、沛公が迫る前に死んだので。


於是秦王子嬰大哭,依言以素車馬係頸,以組封皇帝符璽,出宮至軹道傍,接著沛公。沛公大喜,與秦王施禮訖。王曰:「嬰在位無德,聞將軍車駕西征,情願拜降,以安萬民。」言訖,將玉璽符組與沛公,沛公受了,言曰:「爾等既降,吾奏義帝,不害汝之命。」言訖,乃以屬吏待義帝詔,遷於何地,秦三世王聽畢去訖。諸將曰:「秦王苦虐萬民,罪不容誅,沛公何故縱之?」公曰:「始懷王遣我,固以我能寬容,而使我西略至此也;且人已降服,殺之不祥也。」於是弗聽。入城安民,犒賞三軍。

秦王子嬰(三世)は、皇帝の符璽を封印して、宮殿を出て軹道のかたわらに至り、沛公を迎えた。子嬰「降伏したい。万民を安んじて」と。沛公は符璽を受けとり、「義帝(楚懐王)に奏して、あんたの命を助けよう」と。諸将は「子嬰を殺せ。なん沛公はかってに助けるのだ」という。沛公「楚懐王が私を使わしたのは、わたしが寛容な処置をやれるからだ。降伏したひとを殺すのは不祥だ」と。

出ました!漢王朝の神話。楚懐王は、劉邦の行為を正当化するために、好き勝手に事実をアレンジされた感じがする。物理的に楚懐王を殺した項羽よりも、よほど劉邦のほうが残酷である。

咸陽に入城して、民を安んじ、三軍を賞した。

『通俗漢楚軍談』は、子嬰が即位して、たったの43日目だったという。これ、根拠を探したら、『通俗漢楚軍談』の訳者が参考にした史料がわかりそうだ。


劉邦が秦の宮殿で豪遊する

卻說沛公打破曉關,子嬰投降,公遂引兵西入咸陽,秋毫不傷,百姓市肆不移,諸將皆先爭取金帛財物,並庫藏聚積,各自分用,獨蕭何入內,一無所取,止收秦丞相府圖籍,閒暇與沛公檢看,以此沛公得知天下阨塞,戶口多少,強弱之處。

沛公が武関(嶢関)を破り、子嬰を降して咸陽に入ったとき、少しも(住民を)傷つけないから、百姓の市場は移らない。諸将は金帛・財物を奪いあい、倉庫のもの得た。蕭何だけは、丞相府の図籍を修めて、天下の地形・戸数・強弱を知った。

是時沛公與諸將入宮,見宮殿壯麗,規模宏大,有三十六宮,二十四院,蘭臺椒房,重樓玉宇,十分大喜。遂緩步移入後宮正寢殿中設坐,諸將分班而立。沛公見秦宮室帷帳,狗馬重寶,嬪妃美姬有千數,意欲居之,謂眾將曰:「秦之富貴,亦至此乎!我就居此,以安人心,庶使諸侯無相爭奪。」樊噲諫曰:「沛公欲有天下耶?將為富家翁耶?凡此奢麗之物,皆秦之所以亡也!沛公何用焉?願急還軍灞上,無留宮中。」沛公不聽。

沛公は宮殿に入って、宝物・美姫のなかで過ごしたい。諸将に「秦の富貴は、これほどか。私はここにいて、人心を安んじ、諸侯の争奪を収束させたい」という。樊噲が諌めた。「沛公は天下がほしいのか。それとも富家の翁になりたいか。これらの奢麗なもののせいで、秦が滅びた。覇上にもどれ。宮中に留まるな」。沛公は聴かず。

張良復諫曰:「夫內作色荒,外作禽荒,酣酒嗜音,峻宇雕牆,有一於此,未或不亡。秦惟無道,主公乃得至此。夫為天下除殘去暴,宜縮素為資;今始入秦,天下未定,即欲居此以為樂,諸侯入咸陽,決不相容,是復以此取爭也,且忠言逆耳利於行,良藥苦口利於病,願公聽啥之言,無戀此也!」沛公乃封府庫,鎖宮門,傳令以兵帶屯灞上,以待諸侯。

張良も諌めたから、沛公は府庫を封印して、宮門を鎖し、覇上に屯して諸侯(項羽ら)を待つ。

沛公が覇上で、秦地を治める

於是蕭何近言曰:「今發苦秦苛法久矣,主公可約而改之,以寬恤百性,則秦民皆悅服主公之德,天下可得而治安也。」公曰:「善。」次日,令人召諸縣父老豪傑至灞上,諭之曰:「今汝父老苦秦苛法久矣,誹謗者誅族,偶語者棄市,使汝久不安,非民父母為也。吾奉懷王約,『先入關者王之。』我今先入關,當王關中,與汝父老等約法三章:殺人者死;傷人及盜抵罪;餘罪量情輕重處之。悉除去秦苛法。爾諸吏民,皆安堵如故。凡吾所以來此者,為爾父老除害,非有所侵暴,爾等無相恐懼。且吾所以還軍灞上,待諸侯至而定約束耳。」

蕭何が近づいていう。「秦にかわる善政をしけ」と。翌日、覇上に父老をよび、「楚懐王の約によれば、先に関中に入った私が関中王になる。法三章を約そう」と話した。

言訖,遂命各回縣。又傳令大小三軍,不許騷擾居民,如違令者,即斬首示眾。父老等以手加額曰:「不圖今日復見天日矣!」皆歡聲滿路而去。公又使人與秦吏行縣鄉邑告諭之。秦民大喜,乃爭持羊酒食獻與沛公,享勞三軍。沛公又讓而不受,謂眾民曰:「倉粟頗多,未至乏用,不欲費民財也。」眾民益喜,惟恐沛公不為秦王也,不題。

沛公は父老と話し終わると、県に連絡をまわした。父老は「また天に日が見られるとは(秦の悪政が除かれる日が来るとは)」と喜んだ。父老が酒肉をもってくると、沛公は「足りてます」と断って、沛公が秦王にならないことを恐れた。

卻說項羽既定河北,率諸侯之兵,欲西入關,乃謂諸侯曰:「今河北大定,不如入咸陽,早定關中。」眾曰:「諾。」遂拔寨起行,來取咸陽。未知如何?且看下回分解。

さて項羽は河北を定め、諸侯をひきいて函谷関に入ろうとする。諸侯に「河北はだいたい平定した。早く関中を平定しよう」という。寨を払って咸陽にいく。(先に関中に入った、劉邦との関係は)どうなるのか。次回へ。150816

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