読書 > 李卓吾本『三国演義』第6回の訓読

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第6回上_董卓 長楽宮を火焼す

劉関張は、すぐには董卓を攻めず

張飛 馬を拍ち、関下に赶到す。
関上より〈董卓軍の〉矢石 雨遂の如し。進むことを得ず、回る。

前回末、張飛の突撃ネタで引っぱったのに、一瞬で片づいたw

八路の諸侯 同に玄徳・関張に賀を作すを請ふ。功績 人をして袁紹の寨中に報ぜしむ。

孫堅が袁術を責める

紹 聞知して大喜し、遂に檄を孫堅に移す。堅をして進兵せしむ。

堅 連夜 程普・黄蓋を引き、袁術の寨中に直到し、相ひ見る。堅 杖を以て地に画きて曰く、
「董卓と我 本は讐無し。今番 奮ふは、身親を顧みず矢石を冐し、死戦するは、上は国家の為に賊を討ち、下は将軍の家門の私の為なり。而るに将軍 却りて讒言を聴き、糧草を発せず。堅をして敗績せしむ。将軍 何ぞ安ぜん」と。
術 惶恐し、言ふ無し。就ち讒言を進むるの人を斬り、以て孫堅に謝す。

正に飲宴するの間、人 堅に報じて曰く、
「関上より両騎馬の寨中に来る有り。将軍に見ふを要す」と。
堅 袁術を辞し、本寨に帰到す。

孫堅が李傕に口説かれる

喚来し、問ふ時、乃ち董卓の愛将たる李傕なり。
堅曰く、「汝 来るは、何なる為ぞ」と。
傕曰く、「丞相 敬ふ所の者は、惟だ将軍のみ。今 特に傕をして来らしめ、親を結ばんと欲す。丞相 女〈むすめ〉有り、将軍の子に配さんと欲す。但だ宗族・子弟有れば、名を連ねて保上すれば、皆 郡守・剌史と作さん。

郡守・刺史は、正史にあり、李本にあるが、毛本にない。

人才を失はざるを庶幾〈こいねが〉ふ」と。
堅 大怒して叱りて曰く、
「董卓 逆天・無道、王室を蕩覆す。吾 尽く九族を夷し、頭を四海に懸け、以て天下に謝さんと欲す。

董卓と婚姻したら、自分で自分を殺さねばならなくなるw

如し其れ然らずんば則ち、吾 死して瞑目せず。安んぞ逆賊と結親するを肯へんぜんや。吾 汝を斬らず。汝 当に速やかに去れ。早く関を献ずれば、你の性命を饒ず。倘若〈も〉し遅悞すれば、粉骨・碎身す」と。

董卓が遷都を考える

李傕 頭を抱へ、鼠𥨥と回〈かへ〉り、董卓に見ひ、孫堅の此の如き無礼なるを説く。卓 怒りて李儒に問ふ。

儒曰く、「温侯 新たに敗れ、兵 戦ふ心無し。兵を引きて洛陽に回り、帝を長安を遷し、以て謡兆に応ずるに若かず。

長安に遷都するトリガーは、呂布の敗戦なのか。つまり、劉関張が呂布を退けたから、話が前に進んだ。そうでなくっちゃ。

近日 街市の小童 謡ひて曰く、『西頭一箇の漢、東頭一箇の漢。鹿 長安に走り入る。方に斯の難無かるべし』と。
此の言 正に応ず、丞相の旺在するに。長安 具福の地なり。西頭一箇の漢とは、乃ち高祖 西都の長安に旺して、一十二帝なるなり。東頭一箇の漢とは、乃ち光武 東都の洛陽に旺して、今 亦た一十二帝なるに応ず。天運 回に合ふ。丞相 長安に遷回すれば、方に危急無かるべし」と。

卓 大喜して曰く、「汝 之を言ふ非ざれば、吾 実に悟らず」と。

三公が遷都に反対する

温侯の呂布を引き、星夜 洛陽に回し、遷都を商議す。
文武を朝堂に聚め、卓曰く、
「漢 東都に二百余年を歴し、気数 已に衰ふ。吾 観るに、旺気 長安に入る。吾 鑾駕を奉し、西幸せしめんと欲す。汝ら各々宜しく裝〈準備〉を促せ」と。

司徒の楊彪 出でて言ひて曰く、
「関中 残破・零落す。今 故〈ゆゑ〉無く宗廟を捐て、皇陵を棄つれば、恐らく百姓 驚動し、必ず鼎沸の乱有り。天下 之を動かすは至易なり。之を安ずるは至難なり。丞相 鑑察するを望む」と。
卓 大怒して曰く、「汝 国家の大計を阻むや」と。

太尉の黄琬 出でて曰く、「楊司徒の言、是なり。徃者〈むかし〉 王莽 簒逆し、更始・赤眉の時、長安を焚焼し、尽く瓦礫の地と為る。

後漢代を通じて、長安は荒廃してたとも思えないけど。史実はどうあれ、物語では、長安は荒廃してなきゃ、絵にならんのか。

更兼、人民 流移して、百に一・二も無し。今 宮室を棄て、其の荒地に就くは、宜しき所に非ず」と。
卓曰く、「関東の賊 起ち、天下は播乱す。

『三国演義』の董卓は、ちっとも超然としない。頼みの呂布が、劉備たちに敗れたと思いこみ、関東の諸侯を恐れて、逃げこむ。関東への恐れを、正直に表明できる。武将としては格が落ちるかも知れないが、政治家としては優れている。味わいあるキャラ。

長安 崤函の険有り。更に隴右に近く、木石・磚瓦あり。克日 宮室・官府を弁じ、月余を須〈ま〉たず。汝等 再び乱言を休〈や〉めよ」と。

司徒の荀爽 諌めて曰く、
「丞相 若し遷都せんと欲すれば、洛陽の百姓 皆 危亡す」と。
卓 大怒して曰く、「吾 天下の為に計る。豈に小民を惜むや」
爽曰く、「民 邦の本なり。本 邦の寧を固くす。若し遷して都ての民をして生を聊しめざれば、此より天下 危ふし」と。

毛本では、「邦の本」という話はカットしてある。
董卓が三公に反対されて、頭がクラクラ!という場面を描くには、董卓が辞を低くして、三人を招くシーンが欲しいですね。

卓曰く、「〈三公は〉道を乱せり」と。
即日、楊彪・黄琬・荀爽の官職を罷じ、貶めて庶民と為す。

周毖と伍瓊が斬られる

卓 出でて上車す。車前、二人 跪下す。之を視るに、乃ち尚書の周毖、城門校尉の伍瓊なり。
卓問ふ、「何事か有るや」と。
毖曰く、「今聞く、丞相 長安に遷都せんと欲すると。故に来り、諫むるのみ」と。
卓 大怒して曰く、「我 始めに你両箇を聴き、保用するの人〈袁紹〉、今日 皆 反す。汝ら一党、若し斬絶せずんば、必ず後患を生ず」と。

袁紹だけじゃなく、少なくとも劉表は、董卓のおかげで荊州を得た。董卓のおかげで割拠した勢力を、もっと詳しく描いても面白いかも。
毛本では、「袁紹」と名指しするが、李本では仄めかすだけ。

武士に叱し、拏りて都門を出でしめ、〈周毖と伍瓊の〉首を斬る。
百姓 垂涙せざる莫し。

董卓が、遷都を敢行する

卓 令を下し、遷都す。来日 便ち行なふ。
李儒曰く、「今 銭糧 欠少す。洛陽の富戸 極めて多し。收めて官に入るべし。但だ袁紹らの門下 其の宗党を殺して、其の家資を抄め。必ず巨万を得ん」と。

袁隗を殺すのと、袁紹の縁者を殺すのは、時期がちがう。まず袁隗を殺し、遷都のときに袁氏の縁者を全殺する。
虎牢関は、曹操の呼びかけや、劉備の活躍があるけれども。董卓と袁氏の私闘という色彩が、『三国演義』において、さらに強まる。だから孫堅は、「袁術のために働いてやったのに」という怒り方をしたんだ。
政権・政体などといった、抽象的なものは、物語で扱いにくい。だから、董卓と袁氏という、具体的な人間に、争いが帰せられた。
彼ら旧勢力の私闘のなかをくぐって、というか脱皮して、新時代をつくる曹操や劉備が、「公」のための戦いを始めてゆく。つまり、魏蜀の正統論をねりあげてゆく。

卓大喜し、即ち鉄騎五千を差して、遍行せしめ、洛陽の富戸を捉拏す。頭に旗上を挿さしめ、「反臣逆党」と写かしむ。数千家 尽く城外に斬られ、其の金資を取り、衆軍を将俵して去る。

李傕・郭汜 尽く洛陽の民 数百万口を駆る。前に長安に赴き、百姓の一隊の間ごとに、軍一隊 互相に推拖す。溝壑の中に死する者 勝げて数ふべからず。縦ままに軍士 人の妻女を淫し、人の糧食を奪するに及ぶ。饑餓し、自ら尽くる者の死屍 野に遍ねし。啼哭の声 天地を震動す。
如し行きて遅を得る者有れば、背後の三千の軍 催督す。軍 手に白刃を執り、路々に人を殺す。

李傕と郭汜は、移動する系の悪党である。献帝を長安でいじめ、曹陽で負かすときも、移動する系の悪党として働いた。


董卓が洛陽を焼く

卓 起先に臨み、諸門をして放火し、居民の房屋を焚焼せしむ。
献帝并びに皇族 上車す。卓 放火して宗廟・宮府、南北の両宮を焼く。火焔 長楽宮の庭に相接し、尽く焦土と為る。
又 呂布を差はし、先皇及び后妃の陵寝を発掘し、其の金宝を取る。軍士 時に乗じ、官民の墳塚を掘る。一墓を留めず。
董卓 金珠・段疋・好物を装載し、数千余車なり。

董卓が防衛線を下げ、孫堅が洛陽に入る

卓の将 趙岺 汜水関を献ず。

趙岺なんて、出てきたか?

孫堅 兵を駆り、先に入る。玄徳・関張 虎牢関に殺入す。

孫堅は汜水関、劉備は虎牢関、にいるという設定である。孫堅は汜水関で華雄に叩きのめされ、(華雄を斬る役割は関羽に奪われ)留まっていた。兵糧がないから、虎牢関には進めないという設定だった。
劉備は虎牢関に進んで、呂布と戦って勝った。劉備の有利を聞いて、袁紹が孫堅を再び動かそうとした(恐らく虎牢関に投入して、一気に洛陽を抜こうとした)。だから、孫堅は袁術に兵糧の催促にいった。董卓は、遷都せざるを得なくなった。
という、架空の地理上の物語が展開されてる。

諸侯 各々引軍して入る。

先説 孫堅 洛陽に飛奔し、火焔は冲天し、黒煙は鋪地すること二三百里なるを遥望す。並に鶏犬・人烟無し。
堅 先に兵を発し、滅宮・中火を救ふ。衆諸侯各々 荒地上に軍馬を屯住す。

曹操が董卓の追撃を言う

曹操 袁紹に来見して曰く、
「今 董賊 西去す。正に勢に乗じて追襲すべきを、本初 兵を按じて動かざるは、何ぞや」と。
紹曰く、「諸兵 疲困す。進めば則ち益無し」と。
操曰く、「董賊 宮室を焚焼し、天子を遷劫す。海内 震動し、帰する所を知らず。此れ天 亡ぶの時なり。一戦すれば、天下 定らん。諸公 何ぞ疑ひて、進まざる」と。
衆諸侯 皆 軽動すべからざるを言ふ。

袁紹の親族が全て殺され、財物が奪われたあとである。今さら気合いを入れて、突っこむ理由がない。「董卓と袁氏の私闘」という、ぼくなりの物語の解釈は、史実の真実性も射程にふくみ、わりと面白い設定になるんじゃないか。とか思ったりw

操 大怒して起して曰く、
「竪子 与に謀るに足らず」と。

遂に自ら兵万余を引き、夏侯淵・曹仁・曹洪・李典・楽進を領し、

はじめ曹操の故郷に集まった人々の名前と対応する。構成が、よく出来ている。

星夜 兵を進め、董卓に来赶す。

曹操が董卓軍に敗れる

卓 正に行くの間、滎陽太守の徐栄 兵を引きて〈董卓に〉出接し、参拝して已に畢はる。
李儒曰く、「丞相 新らたに洛陽を棄てて防ぐ。追赶する者有り。徐栄をして軍馬を滎陽の城外、山塢の傍に伏せしむべし。若し追兵有れば、放ちて将に過来せしめて待て。我 這裏より殺敗し、〈追兵を〉截住・掩殺すれば、後来の者 影に敢へて長安を望まず」と。

この作戦どおりに、曹操がボコボコにされる。久しぶりに出てきた、戦術らしい戦術。汜水関も虎牢関も、やみくもに一騎打ちするだけだったから。

卓 大喜して徐栄を賞賜し、便ち伏兵せしむ。
卓 呂布に精兵を引きて後ろを遏せしむ。

万全の董卓軍に、曹操がつっこむw


正に行くの間、曹操の一軍 〈呂布に〉赶上す。
呂布 大笑して曰く、「李儒の料る所を出でず。将に人 擺開せんとす」と。
曹操 出馬し、大叫す、
「逆賊 天子を遷し、百姓徙し、好生 都て留下したり」と。
呂布 罵りて曰く、「主に背く懦夫よ。豈に道ふを為すに足るや」と。

立間訳は、「ほざくな」とw


夏侯惇 挺鎗・躍馬し、呂布に直出す。
〈呂布が〉惇とともに戦ふこと数合せず、李傕 一軍を引き、側邉より殺来す。操 急ぎ夏侯淵をして迎敵せしむ。西邉に又 喊声 起こり、郭汜 又た一軍を引き、殺到す。操 急ぎ 曹仁に迎敵せしむ。

李傕と郭汜は、左右に便利づかいされる。

三路の軍馬の勢 当たるべからず。

曹操の敗走シーンとか、どうでもいいw
曹操は、このあと揚州で募兵し、強くなって帰ってくる。この時点では、弱い方が、成長物語としては面白いのだ。劉備軍が、最初から強いのと正反対である。
劉備は、皇族という看板と、物語の開始直後に知り合った関張のおかげで、最初からレベル100。曹操は、宦官の孫というハンデを背負うが、みずから軍隊を育てて、レベルを上げてゆく。曹操のほうが、魅力がなくなくないか。


夏侯惇 呂布に抵敵せず、住まらず陣に飛回す。布 鉄騎を引き、曹操の軍を掩殺す。大敗して滎陽を回望して走ぐ。
残軍 各自 逃げ、生却す。纔かに聚集して三・四千人を得たり。衆軍 都な呂布に到り、操軍を赶せず。

曹操軍は、辛うじて数千を集め直した。勝った董卓軍は、呂布のもとに集まって、曹操を追撃しない。李儒の作戦どおりだ。サボりではない。

就ち〈曹操軍は〉荒山の角下に在り、飯を造る時、約二更なり。月 明るく、昼の如し。軍士 尚ほ未だ飯を得ざるに、山の四囲 喊声す。徐栄の伏兵 尽く出づ。

李儒の作戦どおりだ、ことごとく。

曹操 急慌し、人馬 奔路して走転し、山坡を過ぐ。徐栄に正撞〈ばったり遭遇〉し、身を転じて、便ち走ぐ。

曹操が射られ、曹洪に助けられる

栄 箭を搭上し、射て操の肩膊に中つ。
操 箭を帯びながら、迯命踅、草坡を過ぐ。

両箇の歩軍 草中に伏し、操の馬 来るを見る。二鎗 斉しく発す。曹操 身を翻して落馬す。馬 二鎗に中り、先に倒る。二卒の搶 住まる。
曹操 草坡に揪下す。一騎の馬 月明の中に到り、是れ曹操なりと認得す。両刀もて両箇の歩軍を砍死し、

曹操の馬を殺し、曹操をも殺そうとしていた2人の董卓軍の兵卒は、いま現れた曹洪に片づけられた。

急ぎ下馬し、操を扶け起す。
時に操 箭傷 痛昏たり。地に倒ふ。那員の将 曹操を救醒す。曹操 之を視るに、乃ち曹洪なり。 操曰く、「吾 此に死す。賢弟 速やかに去るべし」と。
洪曰く、「主公 上馬せよ。洪 歩行するを願ふ」と。
操曰く、「賊兵 赶上す。汝 却りて怎生す」
洪曰く、「天下 寧ろ 洪無くとも、主公無かるべからず」と。

はい、有名なセリフ、いただきました!

操曰く、「吾 若し再び生くれば、汝の力なり」

洪 衣甲を脱去し、刀を拖し、操の馬に跟ひ、走ること約四更。
多く後面に喊声 絶へず。人馬 操に赶来し、洪と正に走ぐるの間、前面に一條の大河あり。後面に追兵、漸く近づく。
操曰く、「命 已に此に至る。復た活くる得ず」と。

退路を川に防がれ、絶体絶命!すげえ!

洪曰く、「主公 下馬し、袍鎧を脱去せよ。洪 主公を負ひ、渡水す」と。
操 大河を挣過し、爬ひて上岸するを得たり。後軍 已に到り、水を隔てて箭を放つ。操 水を帯びて走る。方に天 暁たるを始む。約走すること二十余里、土崗の下、少しく喊声歇〈や〉む。起きる処、徐栄 上流より渡河す。一彪の人馬 曹操に赶来す。性命 如何。140930

すげー!ドキドキする!
ずぶぬれで、やっと逃げきったかと思いきや、徐栄が渉ってきてしまった!曹操の生命は、ほんとうにどうなるのだろう。死ぬよ、ふつう。

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第6回下_袁紹・孫堅 玉璽を奪ふ

曹操の危機は、あっさりと終わる。章回小説のひどさ、ここに表れりw

曹操が自軍に収容される

徐栄 赶上し、正待して曹操に擒せんと要す。夏侯惇・夏侯淵 十数騎を引き、到りて大喝す、
「徐栄 吾が主公を傷つくる勿かれ」と。
徐栄 便ち夏侯惇に奔る。惇 挺鎗・来迎し、交馬すること数合。惇 徐栄を剌して馬より下し、余兵を殺散す。
後に随ふは、曹仁・李典・楽進なり。各々引軍し、尋て到り、曹操を見て憂喜し、交々聚を集め、五百余の人馬有り。
操 上馬し、同に河内に回り、再び軍馬を聚む。卓の兵 自ら長安に住く。

孫堅が洛陽を修復する

却説 衆諸侯 洛陽に分屯す。孫堅 宮中を余火より救滅し、兵 城内に屯す。堅 帳房を建章殿の基上に設く。堅 軍士をして宮殿の瓦礫を掃除せしむ。
但だ卓 陵寝を開掘する有り、尽く皆 閉塞す。太廟の基上、殿屋 三間を草創し、衆諸侯に請ふ、漢代の神位を立て、太牢祀の祭を宰ることを。畢りて皆 散ず。
堅 寨中に列す。
是の夜、月 交輝し、煖風 習習たり。
乃ち剣を按じ、建章殿の階上に露坐し、仰ぎて天文を観る。紫微垣中に白気 漫漫たるを見る。
堅 嘆じて曰く、
「帝星 明ならず。賊臣 国を乱し、万民 塗炭たり。京城 一に空なり」と。
言ひ訖はり、涙下すること雨𠊓の如し。

孫堅が伝国璽を見つける

軍士 指して曰ふ有り。
「殿南 五色の毫光 井中より起る有り」と。 堅 軍士をして點じて起火して把し、下井を打撈す。一婦人の屍首を撈起す。日 久しと雖も、其の屍 爛せず。官様の裝束、項下に一錦囊を帯び、両手もて繡龍紫袱を囲定す。取りて開き看る。時に内に有り、朱紅の小匣。金鎖を扭開きて、一玉璽を見る。方圓四寸、上は五龍を鐫して交紐し、傍は一角を欠く。黄金を以て之を鑲し、上に篆文の八字有り、云はく、
「受命于天、既寿永昌」と。
堅 璽を得て、乃ち程普に問ふ。
程普曰く、「此れ伝国璽なり。此の玉 昔日 荊山の下に卞和し、鳳凰 石上に棲むを見る。載せて之を楚文王に進め、之を解かば、果して玉璞を得たり。
秦二十六年、良き工琢をして璽を為さしむ。李斯 八字を其の上に篆じて云く、『受命于天、既寿永昌』と。名づけて伝国璽と曰ふ。
二十八年、始皇 狩りて洞庭湖に至り、風浪 大いに作る、舟船 将に覆らんとし、始皇 急ぎ玉璽を水に投ぐ。風 平らく、浪 静かなり。

毛本も同じ。はじめ伝国璽は、何が何でも持ち続けるものではなかった。いちど失っても戻ってくるとか、漢が秦から譲り受けるとか、移動を経ることによって、ぎゃくに移動しない(持ち続ける)ことの価値が発生した。宇宙空間では、モノを動かしてみなければ、質量は分からない、というのと同じ。

三十六年に至り、始皇 巡狩して華陰に至り、人の璽を持する有り。道を遮りて、従者に曰く、
『此を持して、祖龍に還す』と。
言ひ訖はりて、見へず。此の璽 復た秦に帰す。
始皇 崩じ、子嬰 玉璽を将て漢高祖に献ず。後に王莽の簒逆するに至り、孝元皇太后 印を将て王尋・蘇献に打ち、其の一角を崩す。金を以て之に鑲〈は〉む。

伝国璽は、変化点によって、伝国璽らしさや来歴を積み重ね、獲得してゆく。


光武 此の宝を宜陽に得て、伝位して今に至る。近く聞く、十常侍 乱を作し、少帝を刼して北邙に出づ。宮に回るとき、此の宝を失なふと。今 天 主公に授く。必ず九五の分に登ること有らん。此の処 久しく留まるべからず。宜しく速やかに江東に回り、別に大事を図れ」と。
堅曰く、「吾 此の宝を知るに足る。正に汝と合す。

程普がダラダラ説明しなくても、孫堅は知っていたのだと。毛本では、「汝言正合吾意」とあり、江東に帰ることに合意しているが、伝国璽の知識は、程普によって与えられたことになってる。だって、程普がわざわざ読者サービスした、というのでは、アホ過ぎる。

来日 推托して、疾有るとし、衆を辞して軍を回さん」と。
商議 已に定まり、諸軍に号令し、泄漏すること勿からしめ、如し違ふ者あらば、斬るとす。

毛本は、「密諭軍士勿得洩漏」であり、斬るとまでは決めていない。あとで孫堅は、秘密をもらした人を斬るのだが、その唐突感を出すためには、李本のごとく、ここで孫堅が「斬る」とまで言わないほうがいい。
孫堅、ひどいな!と驚かすには、毛本のほうがいい。


伝国璽が袁紹にチクられる

数中の一軍に、袁紹の郷人あり。

毛本は「誰ぞ想はん、数中の一軍に」と、編者のアイノテが入っている。

由無く身を進め〈立身しようとして〉、連夜 営寨を偷み出で、袁紹に来報す。紹 賞賜し、之を留む。

次日、孫堅 来りて袁紹に辞して曰く、
「堅 小疾を抱く。長沙に帰らんと欲し、特来して公に別る」と。
紹 笑ひて曰く、
「吾 知る、汝が疾を。乃ち伝国璽に害せらるのみ」と。
堅 色を失ひ曰ふ、「本初 何故に此の言を出す」と。
紹曰く、「今 大事を挙げ、兵を興して賊を討つは、漢朝の天下の為なり。玉璽 乃ち漢朝の宝なり。既に獲得すれば、当に衆に対へ、盟主の処に留め、董卓を誅するを候ち、朝廷に復帰せしむべし。汝 何ぞ之を收匿し、帰らんと欲するか。必ず反を思はんや」と。
堅曰く、「玉璽 豈に吾が処に在らん」と。
紹曰く、「建章殿の井中の物、何〈いづく〉にか在る」と。
堅曰く、「吾 本より之無し。汝 吾に逼り、将に反せんと欲すとするや」と。
紹曰く、「早く将て出し、自ら禍を生ずるを免れよ」

堅 天を指し、盟を為して曰く、
「吾 若し果して玉璽を得て、将て汝に与へざれば、吾をして善き終死を刀箭の下に得ることなからしめよ」と。

まじ、ひどい孫堅。『三国演義』は、孫堅に悪意があるなあ。孫堅は、約束どおり、悪い死に方をする。「はるかな伏線」と言うまでもなく、あと数回のちに。


衆諸候曰く、「文台 此に如し。誓を説く。想ふに必ず宝無し」と。
紹 軍〔士〕を出しめて曰く、
「打撈の時、此の人有りや否や」
堅 大怒して佩く所の剣を抜き、軍士を要斬す。
紹曰く、「汝 軍人を斬るは、乃ち我を欺けばなり」
紹 亦た剣を抜き、孫堅を殺さんとす。堅 剣を揮ひ、之に迎ふ。紹の背後、顔良・文醜 皆 剣を抜きて出づ。堅の背後 程普・黄蓋・韓当 亦た刀を手に掣す。

同盟を破ってダメにしたのは、孫堅が最初だったと。史実では、『三国演義』でも次に触れられるとおり、橋瑁とか、脇役キャラのせいで、同盟が崩壊する。というか史実では、孫堅は同盟に参加していない。
わざわざフィクショナルに孫堅を同盟に加え、かつ孫堅に同盟を破らせる。この意義を、考えるべきだな。

衆諸侯 一斉に攔住して曰く、
「昔日 登壇して盟を設け、血を㰱り、共に大義を挙ぐ。豈に自ら相ひ吞併すべきか」と。
勧めて両箇を開く。

堅 随ち即ち上馬し、寨を抜けて便ち起ち、洛陽を離れて去る。
紹怒りて曰く、
宝を得て去る。将に自ら霸たらんと欲するや」と。

袁紹サマの怒りは、ごもっとも。このクダリは、毛本でも同じ。孫堅が軍士を斬るのも同じ。せっかくなら、立ち去る前に、袁術サマが道をふさいで、ひとつ問答をして欲しいですね。袁術サマが玉璽を得る伏線になるのだから。


遂に一封を写書し、心腹の人を差はして、連夜 荊州に往かしめ、剌史の劉表に送る。路上に就きて〈孫堅を〉截住し、之を奪はしむ。

曹操が諸侯に戦略を説く

書を発して起程するに及ぶころ、人〈袁紹に〉報ず、曹孟徳 董卓を追ひて滎陽に戦ひ、大敗して回ることを。

董卓を追いかける曹操と、玉璽を盗んでにげる孫堅。この好対照を、『三国演義』読者は忘れないだろう。

紹 遂に人をして〈曹操を〉迎接せしむ。

紹 衆諸侯を会し、置酒・設宴し、曹操を解悶せしむ。

慰労の飲み会をやってくれた袁紹さん。

操 席上に曰く、
「吾 始め大義を興すは、国の為、賊を除かんとす。諸候 既に義に仗りて来るも、却りて吾が計を聴かず。

李卓吾は、「こういうところは、治世の能臣だよね」とコメントする。

渤海〈袁紹〉をして河内の衆を引きゐ、孟津の酸棗に臨ましめんと欲す。

「袁紹には、コレをやってほしいな。諸侯には、コレをやってほしいな」という依頼の表現が、このような使役になる。使役にすることで、かえって曹操らしくなるw
毛本では、「操之初意,欲煩本初引河內之眾,臨孟津,酸棗」とある。毛本では、この布陣が、じつは曹操が最初に想っていたことで(後出しじゃんけんかよ)、袁紹を役職でなくあざなで呼び、「煩わす」という謙譲の表現をつかう。だいぶ印象が違う。毛本の曹操は、身の程を弁えて、「ご提案」を申し上げている感じ。こちらの李本は、『蒼天航路』のような雰囲気の曹操になっている。

諸将 成臯を固守し、敖倉に拠り、轘轅・大谷を塞ぎ、其の険要を制せ。

立間訳では、「酸棗の諸将」と、句読点をつける位置が異なる。「酸棗の諸将」として、劉岱・張邈・張超・袁遺・鮑信・橋瑁・曹操をカッコ内で補う。
いま、毛本の維基文庫に拠って区切った。
早稲田大学の李本は、この辺に句読点が打たれない。

袁将軍 南陽の軍を率ゐ、丹析に住まり、武関より入りて以て三輔を震はしめよ。

李本は、地名の割り注がある。
孟津今河南府孟津県成臯今汜水県厫倉山名在開封府河陽県轘轅関名在河南府登封県太谷在河南府開郷県丹析二県名丹城在鄧州内郷県武関秦之南関也在西安府商県三輔京兆左馮翊右扶風名三輔京兆即今西安府馮翊今西安府同州扶風今鳳翔府俱属陝西

皆 溝を深く塁を高くし、与に戦ふ勿かれ。益々疑兵を為し、天下の形勢を示し、順を以て逆を誅せば、立定すべし。

「疑兵」は、テクニカルタームですね。

今 疑を持して進まざれば、大いに天下の望を失ふ。竊かに将軍の為に 之を耻づ」と。
紹ら言ひて対ふべき無し。既にして宴 散ず。

諸侯が解散する

操 見るに、紹ら各々異心を懐く。料度するに、事を成す能はず。

「異心」といっても、野心とか、反逆の意図とか、そういう積極的なものではないだろう。物語的にも。反逆するのは、孫堅ひとりで充分である。というか、孫堅だけが野心を持つから、話が面白い。そのために、わざわざ伝国璽のクダリを持ってきた。
伝国璽は、孫策と袁術にとっては重要なアイテムだが、曹操・献帝に返却されたあとは、重要性を失う。まさに孫呉の(キャラ立ち)のために、あんな程普の長広舌を『三国演義』が採録したのだ。
やはり、この物語的な配慮を活かすためにも、孫堅以外は、野心があってはいけない.
袁紹たちは、漢に対する悪意がないが、董卓が長安に行ってしまったので、やりようがない、というのが本当のところだろう。物語において。

〈曹操は〉自ら軍を引き、揚州に投じ去り了んぬ。

レベルを上げて、また帰ってくる。いちど曹操が退場する。つぎは、根拠地を得るための戦いをしなくちゃ。


公孫瓚 玄徳に曰く、「袁紹は能く為すこと無し。

袁紹が盟主として働くべきは、同盟を乱した孫堅の処罰においてだった。あそこで孫堅を斬れなかったから、袁紹は盟主として機能せず、同盟はくずれた。
顔良・文醜は虎牢関に遅刻し、いつの間にか合流していたのだが(笑)、役に立たなかった。程普たちと斬り合わせてでも、孫堅を制止するのが、袁紹の正解だった。
伝国璽の話は、孫堅の野心を浮き上がらせると同時に、よく言われるところの袁紹の優柔不断さを浮き上がらせた。袁紹の優柔不断を、もっと丁寧に描くことで、話が活きる。
諸侯たちが、「孫堅を斬るべきです」と言うのに、袁紹が、「うーん、どーしよっかな」と迷い、孫堅を逃がしてしまうとか。後の滅亡のプロセスの縮図である。

久しく必ず変有り。吾ら、且に帰らん」と。
遂に寨を抜け、北行し、平原に到る。玄徳をして平原相と為さしめ、自ら去りて地を守り、軍を養ふ。

劉備が、公孫瓚によって任じられた(というか、直接的に設置された)国相であることが、ロコツに記される。史書だと、任官の正当性(皇帝の許可があるか)を問題にするから、このあたり、ボカすのに。『三国演義』の書きぶりでは、劉備は、まったく正当性がない。劉備を贔屓するなら、配慮してほしかった。
まあ、劉備は、原状回復をしただけかも知れないが。


兗州剌史の劉岱 東郡太守の喬瑁に問ひ、糧を借りんとす。瑁 推辞して与へず。岱 連夜 軍を引きて瑁の営に突入し、

こんな積極的なイクサをしてたんだw
まさかね、と思ったが、毛本でも同じだった。

橋瑁を殺死し、尽く其の兵を降す。
袁紹 衆人の各自 分散するを見て、就ち兵を引き、寨を抜けて洛陽を離れ、去りて関東に投ず。

劉表が孫堅を足止する

却説 荊州剌史の劉表、字は景升、山陽の高平の人なり。
年幼の時より、漢末の名士と結交す。七人友と為る有り。時に江夏の八俊と号す。那の七人、汝南の陳翔、字仲麟。同郡の范滂、字は孟博。魯国の孔昱、字は世元。渤海の范康、字は仲眞。山陽の檀敷、字は交友。同郡の張儉、字は元節。南陽の岑胵、字は公孝。

この賑やかしにしか見えない、7人の友達は、毛本にも載っている。後で出てくる人しか、載せる意味ないと思うのだが。正史で、劉表のほかの「俊」は、特定されてたっけ。もしくは、『三国演義』だけの設定?

表 身長は八尺有余、姿貌は甚だ偉あり。乃ち漢室の宗親、劉勝の後にして、荊州剌史と為る。
時に有り、延平郡の人の蒯良、弟の越、襄陽の人の蔡瑁。一同 扶助す。

物語の進行においては、こちらの在地豪族のほうが、登場回数がおおくて重要である。劉表を、重要人物として扱いたいから、プロフィールが丁寧だったのだろう。
劉表の死が、物語を進めるトリガーになるし。


当時 袁紹の書を收得す。説くらく、
「孫堅 漢朝の伝国の宝を盗去し、江東に走回す。望む、其の路を截ち、之を奪へ」と。
表 素より袁紹と至好なり。

袁紹と劉表の仲がとても良い!正史よりも、一歩踏み込んだ設定。これをふんだんに活かして、物語を味わえばいいなあ。これで、劉表が官渡のとき、曹操の背後を突かなかった理由に、きちんとした説明が必要となった。

命に随ひ、蒯越・蔡瑁 兵一万を引き、孫堅を截つ。

堅の軍馬 已に到る。蒯越 将陣・擺開す。当に先に馬を出さんとす。孫堅 軍馬を引き、門旗の下に立ち、問ひて曰く、
「蒯英度、汝 何故に兵を引き、路を截つか」と。
越云く、「汝 既に漢朝の臣宰なり。如何に伝国の宝を盗去し、帰疾忙留下。眼を好くして相ひ看よ」と。
堅怒りて曰く、「汝 乃ち何なる人にて、敢へて我に問ふ」と。
言 未だ畢らざるに、黄蓋 挺鎗し、便ち出づ。蔡瑁 刀を舞はせ、迎闘す。数合に到り、蓋 鞭を提げて 瑁を打ち、正中・後心を急閃す。

これが第二の武器を使った奇襲攻撃。だから、初登場のとき、「黄蓋は鉄鞭を使う」と書いてはいけないのだ。

護心鏡 一半を打ち欠かれ、瑁 撥して回馬して走ぐ。孫堅 勢に乗じて界口に殺過す。
日 巳に西山の背後に平らぐ。閃一彪力生の軍人 来到し、首為る一将 出馬す。乃ち是れ劉表なり。

毛本は、「山背後金鼓齊鳴,乃劉表親自引軍來到。」となっており、意味が分かる。

孫堅 就ち馬上に施礼して曰く、
「景升 何なる故に袁紹の書を信じ、隣郡に相ひ逼るや」と。
表曰く、「汝 伝国の宝を匿し、将に漢に反かんと欲するや」と。
堅曰く、「吾 若し此の物有れば、刀箭の下に死せん」と。
表曰く、「汝 若し要吾聴信 随軍の行李を将て、吾に之を搜すことを任せ」と。
堅 怒りて曰く、「汝 何の見有りて、敢へて我を小覷するや」と。

馬を拍ち、衝進す。劉表 便ち退く。
堅 赶して将に黄昏に去らんとするに、左側の両山の後ろより、伏兵 背後に斉起す。蔡瑁・蒯越 赶来して孫堅を垓心に囲む。畢竟 〈孫堅の〉性命は如何。141002

つぎの第七回で、孫堅はあっさり切り抜ける。むりに章回小説として、ひっぱるのは、厳しいなあ。

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