読書 > 李卓吾本『三国演義』第5回の書き下し

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第5回上_曹操 起兵して董卓を伐つ

陳宮が曹操を見のがす

陳宮 臨みて手を下さん〈曹操を殺そう〉と欲す。思ひて曰く、
「我 国家の為に他〈曹操〉と此に到る。之を殺さば、不義なり。到りたれば、之を棄つるに若かず」と。
宮 剣を挿して鞘に入れ、馬に上る。未だ天明に及ばず、自ら〈陳宮の故郷の〉東郡に到る。
操 覚め、陳宮見へず。尋て此の人を思ふ。
「我 這の両句を説ふを見て、我の不仁を疑ひ、棄てて去る。吾 当に急ぎ往くべし。久しく留まるべからず。」と。

「不仁」も、董卓の描写として頻出した。


曹操が義兵をあげる

操 夜を連ねて、陳留に到り、尋て父親に見ひ、上項の事を説く。
「家資を散じて、義兵を招募せんと欲す」と。
父言はく、「資 少なし。事の成らざるを恐る。此の間 衛弘有り。孝廉に挙げられ、財を疏み、義に仗る。其家の巨富たり。若し相ひ助くる事を得れば、図るべし」と。

曹氏は貧乏だから、衛弘を頼れと。ザツで他人事みたいな態度の父親である。

操 置酒・張筵して、衛弘に拝せんと請ふ。家に到り、告げて曰く、
「今漢室 主無し。董卓 専権・簒国・害民す。天下 切歯す。操 立ちて社稷を扶けんと欲するもの、力の足らざるを恨む。公 乃ち忠義の丈夫なり。故に哀告す」と。

すげー。曹操が人に頼みごとをしてる。毛本も同じ。

衛弘曰く、「吾 是の心有ること久し。効力の人無きを恨む。既に孟徳 大志有り。願はくは家資を将て、相ひ助けよ」と。
操 大喜して、先に矯詔を発し、各道に馳報す。

曹操の募兵に応じた人々

然る後、義兵を招集す。招兵を竪起せしめ、白旗の一面、「忠義」の二字を上書す。
是の日の清早、応募の士、雨の如く駢集す。一人 衆中より出でて曰く、
「某 明公に願ふ、吏と為り董卓を討たん」と。
操 之を其の人に問へば、乃ち陽平の衛国の人なり。姓は楽、名は進、字は文謙。身材は短小なるとも、肝量は人に過ぐ。操 留めて帳前の吏と為す。

是の日、兄弟の二人、各々壮士三千余人を引きて、曹操に逕投す。一人、覆姓は夏侯、名は惇、字は元譲。沛国の譙の人、乃ち夏侯嬰の後なり。小きより鎗棒を習ひ、年十四にして師に従ひて鎗法を学ぶ。

夏侯惇が、師匠を罵った人を殺す話って、学問じゃなくて、「鎗法」の師匠なのか!

人の其の師を辱罵する有り。惇 刀を提げて之を殺す。外方に逃命す。
曹操の起兵するを聞知し、宗族の兄弟たる夏侯淵とともに来りて協助す。淵、字は妙才なり。此の二人、皆 操の弟兄なり。操の父の曹嵩 原は夏侯氏の子なり。曹家より過房す。此に因り、親となれり。

日を数へず、曹操の兄弟たる曹仁、并びに曹洪 兵千余を引ゐて曹操を助く。曹仁、字は子孝。曹洪、字は子廉。此の二人 乃ち弓馬 熟閑し、武芸 精通す。曹操 大喜して、村中に軍馬を調練す。
一人、持鎗して曹操の面前に来り、大呼して曰く、
「願はくは将軍に従ひ、以て国賊を誅せん」と。
操之に問ふ。其の人、姓は李、名は典、字は曼成、山陽の鉅鹿のなり。操の前に、鎗法を施逞し、問答すること流るるが如し。操 喜ぶ。
衛弘 尽く家財を出し、辦衣・甲旗を置き、四方に旙めく。糧食を送る者 其の数を記さず。曹兵の壮士の五千 陳留に屯す。

袁紹が人士を集める

時に袁紹、操の矯詔を得て、乃ち麾下の壮士を聚め、起兵を商議す。田豊・沮授・許攸・審配・郭図・顔良・文醜有り。

はじめに曹操が人材を集めるのを見せ、つぎに袁紹が人材を集めるのを見せる。『三国演義』の前半は、曹操と袁紹が、同時に起兵して、董卓に立ち向かうところから、物語が本格化する。
ただし、袁紹が独自に起兵したのでなく、曹操のニセ詔に応じたと書かれるように、袁紹が遅れを取ってる。べつに史書では、曹操が先導者ではない。
いま、初めから袁紹のもとに集った人材のカードが、すべて官渡の戦いで損なわれていくと考えると、いきなり切ない。

文臣・武将 整整・斉斉たり。各々報国の心を懐き、尽く匡君の志有り。兵三万を引き、渤海を離れ、来りて曹操と会盟す。

曹操の檄文

操 檄文を作りて以て諸郡に達せしむ。
檄文に曰く、
「操ら謹みて大義を以て、天下に布告す。董卓 天を欺き、地を罔くし、国を滅し、君を弑す。宮禁を穢乱し、生霊を残害す。狼戻・不仁にして、罪悪 充積す。
天子の密詔を奉り、大いに義兵を集む。誓ひて華夏を掃清し、群凶を勦戮せんと欲す。仁義を望興するの師、忠烈の会に来赴せよ。王室を扶持し、黎民を拯救せよ。檄文の到る日、速やかに奉行すべし」と。

十八鎮が顔を揃える

操 檄文を発し、後に各鎮の諸侯 皆 起兵す。
第一鎮、豪傑と交遊し、英雄と結納す、後将軍・南陽太守の袁術(字は公路)。

公子たるを以て、社会関係資本を構築す、路中悍鬼の袁公路。ドカーン!

第二鎮、諸子を貫通し、九経を博覧す、冀州剌史の韓馥(字は文節)。第三鎮、高談・濶論、古に博く今に通ず、豫州剌史の孔伷(字は公緒)。第四鎮、孝弟・仁慈、己を屈して士を待す、兗州剌史の劉岱(字は公山)。第五鎮、義に仗り、財を疎む。金を揮ふこと土に似る。河内郡太守の王匡(字公節)。

「義に仗り、財を疎む」って、この回で曹操を援助した、衛弘と同じである。間隔が短くて重複しちゃだめだろ。

第六鎮、窮に賑ひ急を救ふ、志は大きく心は高し、陳留太守の張邈(字は孟卓)。第七鎮、恩恵にして人に及び、聡敏にして学有り、東郡太守の喬瑁(字は元偉)。第八鎮、忠直・元亮、秀気・文華、山陽太守の袁遺(字は伯業)。

第九鎮、謀有りて智多し、武に善く文を能くす、済北相の鮑信(字は允誠)。第十鎮、聖人の宗派、客を好み賢を礼す、北海太守の孔融(字は文挙)。第十一鎮、武芸は群を超え、威儀は衆を出づ、広陵太守の張超(字は孟高)。第十二鎮、仁人・君子、徳厚・温良、徐州剌史の陶謙(字は恭祖)。

陶謙は、能力や行動ではなく、単純に性格描写だけで、褒めちぎっている。文化資本が褒められるのでもなく、単純に性格が取り柄である(性格しか取り柄がない)。

第十三鎮、名は羌胡を鎮め、声は華夏に聞ゆ、西凉太守の馬騰(字は寿成)。第十四鎮、声は巨鍾の如し、豊姿・英偉、北平太守の公孫瓚(字は伯圭)。第十五鎮、機に随ひて応変、事に臨みて勇為、上党太守の張揚(字は稚権)。第十六鎮、英雄冠世、剛勇絶倫、烏程侯・太守の孫堅(字は文台)。第十七鎮、四世三公、門に故吏多し、祁郷侯・渤海太守の袁紹(字は本初)。

諸路の軍馬、多少 等しからず。有るもの三万、有るもの一・二万なり。各々文官・武将を領し、洛陽に投ず。

劉備も参戦する

且説 一路の軍馬 乃ち北平太守なり。幽州を統領す。官は奮武将軍を拝し、覆姓は公孫、単名は瓚と称す。遼西の令支の人なり。精兵一万五千人を統領し、起発して路は徳州の平原県を経たり。
軍馬 正行の間、遥かに桑樹を見る。業中に一面、黄旗の数騎 来迎し、遠く公孫瓚を看見し、下馬す。瓚 之を視れば、乃ち劉玄徳なり。

劉備は、いつぶりだろう黄巾のあと、平原県令になったまま、ずっと洛陽の話をして、忘れられていたw

瓚も亦た下馬し、問ひて曰く、
「賢弟 何故に此に在る」
玄徳曰く、「兄長 旧日を失忘するや。蒙兄 備に保委して、平原県令と為す。此に因り、城を出でて閑行し、偶々尊兄に遇ひ、此に到る。乃ち大幸なり。

平原を統治しており、たまたま外をウロついていたら、虎牢関に向かうところの公孫瓚に遭遇した。偶然ですね、と。まあ史実では、劉備が虎牢関に行ったか、確証がない。偶然、公孫瓚に会った、という語り筋の頼りなさが、すっとぼけが、ぎゃくに正史の参照ぶりを担保しているかも。
毛本では、「今聞大軍過此,特來奉候,就請兄長入城歇馬」とあり、劉備が駆けつけるのは、意思を持った必然となっている。

就ち兄長に請ふ、入城して歇馬せよ」と云云。
瓚 関張を指して問ひて曰く、「此れ何なる人や」と。
玄徳曰く、「此れ関某・張飛なり。備 兄弟たるを結義す」と。
瓚曰く、「乃ち同に黄巾を破る者や」と。

『三国演義』の冒頭を復習しているw

玄徳曰く、「皆 此の二人の力なり」
瓚曰く、「何の爵禄あるや」
玄徳 答へて曰く、「関某 馬弓手と為り、張飛 歩弓手と為る」と。

黄巾を討った爵禄。劉備が公孫瓚に、「黄巾を討ったのはこの2人の力だ」と関張を紹介する。公孫瓚が「なんの爵禄(毛本では「職」)をもらったか」と聞くと、劉備は、「関羽は馬弓手、張飛は歩弓手」と答える。のちに袁術は、関羽を「一弓手」と侮る。公式?に名乗り、呼ばれる肩書きという扱いらしい。

瓚曰く、「空しく大丈夫を埋むるかな。今 董卓 作乱し、天下の諸侯 共に之を誅す。賢弟 此の卑官を棄て、一同 賊を討ち、漢室を力扶すべし。いかん」と。
玄徳曰く、「往かんと願ふ」と。
張飛曰く、「当時、若し我に此の賊〈董卓〉を殺すことを容るれば、今日の事有るを免るるを」と。

呂布を得る前の董卓は、張飛が本気を出せば、マジで殺せる程度の人材だった。「董卓の成長物語」としての『三国演義』なんて、おそらく先行する論者で、誰も指摘してないだろうw

関某曰く、「事 已に、此に至る。收拾して、便ち行かん」と。
玄徳・関張 数騎を引き、公孫瓚に来る。

孫堅の登場

且説 那の十八路の諸侯、那の一路、先に到る。此の人、身長は八尺、英雄双全、三江を横跨し、六郡を威服せしむ。

孫氏が六郡を抑えるのは、孫策の末期です。
おや?と思って、毛本を見たら、毛本では、ここで孫堅は登場しない。劉備たちが、すぐに曹操と合流する。

乃ち富春の人なり。姓は孫、名は堅、字は文台。
後人 詩有り、贊して曰く、
「誰か道ふ、江南の少き将才を。明星 夜夜に照る。文台 董卓を誅し、天下を安んぜんと欲す。首めに為る、長沙太守と。

この詩賛を入れるため、李本は、孫堅の説明をここに挿入したのだろうか。いちおう、十八鎮のメインどころを紹介するクダリである。他の人を、ここで紹介しても良いはずだ。袁術とかw


諸侯が終結し、会盟する

曹操 孫堅に接す。衆き諸侯、陸続と皆 到る。各自 営を安じ寨を下す。連接すること二百余里なり。
操 乃ち牛を宰り馬を殺し、諸侯を大会せしめ、進兵の策を商議す。
太守の王匡曰く、
「今 大義を奉るに、必ず盟主を立つべし」と。
衆 約束するを聴すも、然る後、進兵は逓たり、互相に譲る。
操曰く、「袁本初 四世三公、門に故吏多し。漢朝の名相の裔なり。盟主と為すべし」と。
紹 再三、推辞す。
衆 皆 曰く、
「本初に非ずんば、為るべからず」
紹 方に応允す。

次日、台三層を築き、遍く五方の旗幟を列し、白旄・黄鉞、兵符・将印を上建す。紹に請ひて登壇せしむ。
紹 衣を整へ、剣を佩き、慨然として上りて香を焚き、再拝す。其の盟に曰く、
「漢室 不幸にして、皇綱は失統す。賊臣の董卓 釁に乗じて縦ままに害をし、至尊に禍を加ふ。虐 百姓に流し、大懼せしむ。社稷を淪喪し、四海を剪覆す。
紹ら義兵を糾合し、国難に並赴す。凡そ我 同盟して心を斉しくし、力を戮して、以て臣節を致さん。殞首・喪元 必ず二志無し。此の盟を渝する有れば、其の命をして墜しめん。克つこと無くんば、育を遺からしめん。皇天・后土・祖宗・明霊よ、実に皆 之を鑑よ」と。
読み畢はり、血を㰱る。

衆ら其の辞気に因り、慷慨す。遂に皆 涕泣・横流す。其の言を聞く者は、卒伍と雖も厮養し、切歯せざる莫し。踴躍して共に逆賊の董卓を誅討せんと思ふ。
血を㰱るに及び、已に罷み、壇を下る。衆 皆 紹を扶けて帳に升らしめ、待坐して、各々礼を施して罷む。
両行 爵位・年歯に依り、分列して坐す。操 行酒すること数巡、言ひて曰く、
「今日 既に盟主を立つ。各々調遣を聴き、同に天下を扶けよ。強弱を以て計較する勿れ」と。

毛本も「各聽調遣」で、立間訳は「おのおの命令にしたがって」とある。

紹曰く、「吾 圧衆の心無けれども、汝ら我を推戴して盟主と為す。功有る者 必ず賞し、罪有る者 必ず罰せん。国に常刑有り、軍に紀律有り。各々宜しく遵守し、違犯を得る勿るべし」

袁紹の盟主としての決意表明と、みんなに対するお約束。これは、守られないw

衆 皆 曰く、「惟だ命を聴く」と。
紹曰く、「吾が弟の袁術 糧草を総督し、諸営に応付せよ。欠有らしむる無かれ。誰ぞ肯んず、前部・先鋒と為り、汜水関に直抵し、賊を下誘し、相ひ持するを。余は皆 各々険要に拠り、以て接応を為せ」と。

長沙太守の孫堅 出でて曰く、
「堅 不才なると雖も、願はくは前部と為らん」と。
紹曰く、「文台の勇烈、称すべし。此の職 随即〈うってつけ〉なり」と。
盃を捧げ、賀を作す。連忙、本部の人馬を引き、大刀・濶斧もて、汜水関に奔る。

董卓からは華雄が名乗り出る

〈汜水関の〉守関の将 流星馬を差はし、洛陽の丞相府に往き、急を告ぐ。董卓 自ら大権を専にするの後、毎日 飲宴し、更めて深く、方に散ぜんとす。李儒 接得し、急を告ぐ。文字 逕来・稟覆す。
丞相の董卓 大驚して、急ぎ衆将を聚め、商議す。
卓曰く、「今 袁紹・曹操 各路の太守を聚め、軍馬 関前に直抵す。諸将 何ぞ妙計有るや」と。
温侯の呂布 挺身して出でて曰く、「父親 慮る勿れ。吾 関外の衆を観るに、多くの諸侯 草芥の如し。親ら虎狼の師を提げ、尽く其の首を都門に懸くること、呂布の願ひなり」
卓 大喜して曰く、「吾 奉先有れば、枕を高くして、憂ひ無し」と。
言 未だ絶へざるに、呂布の背後の一人 声を高くして出でて曰く、
鶏を殺すに、焉ぞ牛刀を用ゐるや。必ずしも温侯 虎威を労すること有らず。

毛本は、「不勞温侯親往」と、分かりやすい。

吾 観るに、衆諸侯の首級を斬ること、囊を探して物を取るが如し」と。
卓 之を視るに、其の人、身長は九尺、面は噀血の如く、虎体・狼腰、豹頭・猿臂、関西の人なり。姓は華、名は雄。卓の帳前 第一員の驍将なり。
卓 其の言を聴き、大喜して、加へて驍騎校尉と為す。馬歩軍五万を撥せしめ、李肅・胡軫・趙岑と一同し、連夜 便ち起ちて、汜水関に飛奔す。

華雄が鮑信の弟・鮑忠を斬る

却説 衆諸侯の内、済北相の鮑信有り。
尋て思ふ、孫堅 其の前部と為り、若し大功を幹つれば、都て我ら顕ならざると。

毛本は、「怕他奪了頭功」と分かりやすい。

暗かに其の弟の鮑忠を撥し、先に馬歩軍三千を将ゐ、小路を逕抄し、関下に直到し搦戦す。
華雄 鉄騎五百を引きて、下関に飛し、大喝す、「賊将 走ぐる休かれ」と。鮑忠 急ぎ待退せんとするに、華雄 手もて刀を起し、鮑忠を馬下に落斬す。将校を生擒すること、極めて多し。

華雄 馬に上り、親ら鮑忠の首級を賫し、相府に直来し、功を献ず。董卓 雄に重賞を賜ひ、又 軍馬一千を与ふ。雄 辞す。
董卓 上馬し、部領して城を出で、汜水関に投じ、大寨に扎住す。

毛本はもっと単純で、董卓の移動を記さない。

卓 人を使はして雄に都督を加へしむ。甚勿、関を下り、敵を軽んず。

「甚勿」がわかりません。毛本になし。「勿」の否定が、どこに掛かっているのかも、わかりません。


孫堅軍が胡軫を斬り、飢える

孫堅 四将を引ゐ、関前に直至す。
那の四将 第一箇、右北平の土垠の人、姓は程、名は普、字は徳謀。一條の鉄脊・蛇矛を使ひ、東呉 第一員の上将なり。第二箇、姓は黄、名は蓋、字は公覆、零陵の人なり。鉄鞭を使ふ。

これが2014年9月の三国志学会の京都大会で、話題になっていたシーン。黄蓋が鉄鞭を使うというのは、じつはまだ伏せておくべきで、ここでネタバレしてはいけない。

第三箇、姓は韓、名は当、字は義公、遼西の令支の人なり。一口の大刀を使ふ。第四箇、姓は祖、名は茂、字は大栄、呉郡の富春の人。双刀を使ふ。
孫堅 爛銀・鎧褁・赤幘をを披て、古錠刀を横たへ、花鬃馬に騎り、関上を指して罵りて曰く、
「悪を助くる匹夫よ。何ぞ早く降らざる」と。

華雄の副将 胡軫曰く、「某 関を下り、必ず孫堅を斬る」と。

胡軫は、正史では呂布より偉くなかった?

雄 兵五千を与へ、排列して関を出でしむ。
堅 胡軫の出馬するを見て、却りて自ら出でんと欲す。程普 飛馬・挺矛し、胡軫に直取し、闘ふ。数合せず、程普 胡軫の咽喉を剌中し、馬下に死せしむ。〈胡軫の部下の〉一陣 殺さるに直り、関に上る。
関上の矢 雨の如く下る。孫堅 引兵して回り、梁東に至り、屯住す。堅 人をして、袁紹の処に捷を報じ、袁術の処に就きて、糧を催す。

袁紹に「勝ったよ」と報告し、袁術に「メシをよこせ」と催促する。やはり、この戦いは、二袁が握っている。袁紹がパパで、袁術がママである。


或るひと 孫堅を譛りて、乃ち、
江東の猛虎 若し洛陽を打破し、董卓を殺せば、正に狼を除きて虎を得るなり。今 彼の軍に糧を与ふ可からず。必ず散ぜん」と。
術 之を聴き、糧草を発せず。孫堅の軍 欠食す。軍中 自ら乱る。

孫堅が空腹で、華雄に敗れる

細作 関に上りて報せ、李肅は華雄とともに商議す。
「我 一軍を引ゐ、小路より関を下りて孫堅を襲はん。寨後 汝 半夜 堅の寨に到るべし。必ず然らば、〈孫堅を〉擒とせん」と。
雄 喜び、傅令を連脱し、軍をして飽食せしめ、

空腹の孫堅と、満腹の華雄という対比!

一頓 披ち掛りて関を下る。

是の夜、月は白く、風は清し。堅の寨に及到する比〈ころ〉、時は已に半夜なり。鼓譟し、直進す。堅 掛慌し、忙上馬するに、華雄に正遇す。両馬 相ひ交し、闘ふ。数合に到らず、寨後より李肅の軍 到る。竟天、放火す。
孫堅の軍人 糧食無く、四下裏 乱竄す。堅 馬匹を撥回し、四下裏に喊声して絶へず。程普・黄蓋・韓当 各々相ひ顧みず。止まりて祖茂有り、孫堅 数十騎と囲に突し、走ぐ。

程普・黄蓋・韓当は、孫堅を見失った。祖茂だけが孫堅の位置をつかんでおり、一緒に逃げた。


背後より華雄 堅を追ふ。堅 馬を勒回して、又 戦ふこと十余合。堅 雄に敗れ、赶来す。堅 連ねて両箭を放つも、皆 華雄の躱を過ぐ。気力を尽し、第三箭を放す。力は大きく、鵲画の弓を拽折す。弓を棄て、馬を縦し、林を穿ちて走ぐ。

祖茂が、孫堅の赤幘で華雄を欺く

祖茂曰く、「主公の頭上 赤幘あり。射目して雄 之の望む。心は捨てざるとも、幘を脱ぎ、某に与ふべし。之を〈私の頭に〉戴せん」と。
堅 就ち馬上にて茂に換へ、両路に盔分して走ぐ。
華雄 赤幘を見るに、投じて東す。軍を引ゐ、東に投じ、孫堅を赶追す。〈孫堅は〉小路より脱するを得たり。

祖茂 華雄に追赶せられ、及ばず。赤幘を将て人家の焼けたるも尽きざる庭柱の上に掛け、樹後に却り、躱を潜む。
華雄の軍 遥かに赤幘を見て、四面 囲定し、敢へて向前せず。箭を用て之を射て、方に是の計を知る。
遂に向前し、赤幘を取る。華雄 馬して、祖茂を尋ぬ。茂 林後より双刀を揮ひて、華雄を劈せんと欲す。雄 大喝一声、祖茂を将て一刀 馬下に砍る。

祖茂が死んでしまった。正史では、どうだっけ。

雄 引兵して関に上る。
程普・黄蓋・韓当 都な孫堅を尋見す。再び軍馬を收拾し、屯扎す。堅 郷人の祖茂の為に折し、傷感して已まず。

だれが華雄を討てるのか

却説 大寨の袁紹 帳に陞り、忽ち流星馬 孫堅の一陣を大折し、祖茂 軍中に没するを報ず。

正史では、べつべつに董卓を攻める孫堅ですが。『三国演義』では、自己申告で先陣をおおせつかり、勝手に負けて帰ってきた。勢いを削がれる。なんてこと、してくれたんだ!という、失笑のシーンです。

紹 大驚して曰く、「想はず、孫文台 華雄の手に敗るるを。他の孤軍 外難に在り、扎寨す。又 寨兵を刼する有るを恐る。人をして大寨の計議を取回せしめよ」と、云云。

わが軍の作戦を、立て直せと。

衆諸侯に請ひ、商議す。都皆 到り、只だ公孫瓚 後に〈最後に〉至る有り。紹 入帳して上列に坐するを請ふ。
紹曰く、「前日、鮑将軍の弟 調遣に遵はず、擅ままに自ら進兵し、殺身・喪命し、許多の軍士を折す。今は孫文台 又 華雄に敗れ、鋭気を挫動せしむ」と。

孫堅はくだらぬ端役。『三国演義』で孫堅は、十八諸侯のなかで自ら先鋒に名乗り出てカッコをつけたが、華雄に敗れ、袁紹をがっかりさせる。伝国璽を掠めて、袁紹にウソをついて退出し、諸侯の同盟を率先して崩す。新世代の有望な将校として描かれる袁紹・曹操に比べると、場を乱す猪バカ、程度の扱い。
『三国演義』には、出てきた途端に斬られるザコ武将がおおい。血糊を添える要員。孫堅も孫策も、登場期間が長いけど、物語の構造的には血糊を撒くための要員に見える。トリックスターとか、分かったような分からんような術語で形容するまでもない。物語での呉の役割につき、生産的な仮説を見出したい。

諸侯 並びに皆 語らず。

劉備が袁紹の目にとまる

紹 目を挙げて遍視す。公孫瓚の背後に立つ三人を見る。容貌 常と異り、都な背後に在り、冷笑す。

「冷笑」だって!主役が登場するなあ!

紹 問ひて曰く、「公孫太守、背後 何なる人や」
瓚 玄徳を呼びて出して曰く、「此れ乃ち、幼よりの同舍・兄弟、平原令の劉備なり」と。
曹操曰く、「黄巾を破るは、劉玄徳に非ざる莫きや」
瓚曰く、「然り」と。
〈公孫瓚は〉劉玄徳をして紹に拝見せしめ、曰く、「黄巾を破るに、功有り」と。瓚 玄徳の功を将て細説・一遍す。
紹曰く、「既に漢室の宗派なれば、坐を取らしめよ」と。
命じて備に坐らしめて曰く、
「小県令 安にか敢へて坐らん」と。
紹曰く、「吾 汝の名爵を敬するに非ず。吾 汝の帝室の胄にして、国に多く曽て功有るを敬ふ。

袁紹も袁術も、官職によって人の貴賤を判定する。董卓も同じだった。これは、言わば常識。しかし、官職とは別の価値体系として、劉氏の血というものが宣言される。これを、官職については、もっとも豊かな袁紹が言うから、意味があるのだ。
袁術は、『演義』キャラとしては、劉氏の血をどのように見る人物であるべきか。

玄徳 拝謝して階下に末坐す。関張 叉手して後ろに侍立す。

華雄が、諸侯の将を斬る

正に商議する間、探子 来報す。「華雄 鉄騎を引きて関を下り、長竿を用て孫太守の赤幘を挑着し、且に寨前に来り、大罵して搦戦す」と。
紹曰く、「誰か敢へて去きて此賊と戦はん」と。

また、立候補を募ります。懲りないw

袁術の背後より転出するは、驍将の兪渉なり。曰く、
「小将 願はくは往かん」と。
紹 喜びて便着 兪渉をして出馬し、即時 報来せしむ。兪渉 華雄と交戦すること三合に到らず、華雄に斬らる。

関羽を出すために、敢えて、露払い(というより、露汚し)をする。さっさと、劉備のところから出ろと。

衆諸侯 大驚す。

太守の韓馥曰く、「吾 上将の潘鳳有り。華雄を斬るべし」と。
紹 急ぎ喚至・応声せしめて、出でて手に大斧を提げ、上馬して去く。多時ならず、飛馬 潘鳳も又た華雄に斬らるを来報す。
衆諸侯 皆 色を失なふ。

袁紹 股を拍ちて嘆じて曰く、「惜むべし、吾が上将の顔良・文醜 軍に催し、未だ回らざるを。得て一人 此に在れば、豈に華雄を放ち威を施さしめん。汝 衆諸侯 許多の将士あるも、豈に一人 華雄に敵する無きや」と。
衆官 黙然たり。

関羽が名乗り出る

忽ち階下の一人 大呼して出でて曰く、
「小将 願はくは往きて華雄の頭を斬り、帳下に献ぜん」と。
衆 之を視るに、見其の人、身長は九尺五寸、髯長は一尺八寸、丹鳳眼・臥蠶眉、面は重棗の如く、声は巨鐘に似る。帳前に立つ。
紹 「何なる人か」と問ふ。
公孫瓚曰く、「此れ劉玄徳の弟、関某なり」
紹 問ふ、「何なる職に居るか」
瓚曰く、「劉玄徳に随ひ、馬弓手に充す」と。
帳上の袁術 大喝して曰く、
「汝 吾が衆を欺き、諸侯に大将無しとするや。一弓手を量へ、安んぞ敢へて言を乱して我に与ふや。乱棒もて打ち出せ」と。

関羽を叩き出す袁術。「華雄は私が斬る」という関羽を、毛本で袁術は、「打ち出せ」という。遡って李本で袁術は、「乱棒もて打ち出せ」と、具体的に叩き出す道具まで言及する。関聖帝君サマを侮辱する、というピエロが『三国演義』における袁術の役割だが、毛本では、さすがに、やや自粛しているw


曹操 急ぎ之を止めて曰く、
「公路 怒を息めよ。此の人、既に大言を出すに、必ず広学有り。試しに出馬せしめよ。如し其れ勝誅せずんば、亦 未だ〈叩き出しても〉遅からず」と。
袁紹曰く、「然からず。一弓手をして出戦せしむれば、必ず華雄に恥笑せらる。吾ら如何に人を見るやと」と。
曹操曰く、「此の人の儀表 俗に非ざるに拠り、華雄 安くにか知る、他〈彼〉 弓手なるを」と。

関羽は外見が立派で、兵卒に見えないから、出しても恥ずかしくないんじゃね?と。

関某曰く、「如し勝たずんば、請ふ、某の頭を斬ることを」

操 熱酒一盃を釃せしめ、関某に与え、飲み了りて上馬せよといふ。
関某曰く、
「酒 且に斟下せよ。某 去きて便ち来らん」

動詞の補語が、うまく訳せないなー。ここは、日本人の書き下し調で、ドラマチックに見えるように変えちゃえ。

帳を出で、刀を提げ、身を飛し、馬に上る。
衆諸侯 聴く、関外の鼓声の大震し、喊声の大挙するを。天は摧け、地は塌へ、岳は撼へ、山は崩るるが如し。
衆 皆 失驚し、却りて探聴せんと欲す。

関羽が華雄を斬るシーンがないのが、評価されてる。

鸞鈴 響く処、馬 中軍に到る。雲長 華雄の頭を提げ、地上に擲ぐ。
其の酒 尚ほ温し。

史官 詩有りて曰く、
「威は乾坤を鎮む、第一功。轅門の画鼓 鼕鼕と響く。雲長 盞〈さかづき〉を停めて、英勇を施す。酒 尚ほ温き時、華雄を斬る。

関羽サマが、活躍するシーン。ここは、諸本をじっくり比べて、趣向を凝らしたいですね。とりあえず、訓読をやっつけたけど、まだ終わりじゃない。


雲長 馬を出して只一合、華雄を斬る。頭を提げ、入献す。衆 皆 大喜す。玄徳の背後より転出し、張飛 高声にて大叫す。
「俺が哥哥 華雄を斬る。這裏〈ここ〉に就きて関に殺入し、活きながらに董卓を挐せん」と。〈張飛は攻撃開始が〉何時なるかと更待し、丈八蛇矛を綽搶を綽す。関 隘すること如何。140929

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第5回下_虎牢関に、三戦呂布

袁術が、劉備の活躍を疎外

張飛 便ち上馬し、勢に乗じて関を搶せんとす。
袁術 大怒して喝して道ふ。
俺 大臣 尚ほ自ら謙譲して量る。一潑の県令の手下 小卒、敢へて此に在り、武を耀かし威を揚ぐるか。都な帳より赶出せしめよ」と。

出てけ!出てけ!と袁術は、よく吠えるw

曹操曰く、「既に功得を得る者は、賞す。何ぞ貴賤を計らんや」と。

袁紹が、決意表明で、信賞必罰を言った。曹操は、それをタテに取っている。盟主である袁紹は、貴賤に拘らない自覚がある(分かったふりを強いられる)が、袁術はピュアに、自分の価値観を表明する。どうせ袁紹だって、素志では、劉備なんかにのさばられ、面白くないのだ。袁術がそれを代弁している。

袁術曰く、「既に然り。汝ら一県を待用することあれば、我をして𢌞避せしめよ」と。

毛本は、「既然公等只重一縣令,我當告退」と、明解。

操曰く、「豈に一言に因りて、大事を誤るべきや」と。

曹操の見識の正しさが強調される。曹操と袁紹の対照のあり方と、曹操と袁術の対照のあり方の違いは、必ず違うものであるはずだ。しっかり分析したい。
曹操・袁紹・袁術という三角形が、この陣地のシーンで提示される。盟主として物わかりの良さそうな袁紹、正しい見識を持って時代を拓き、袁紹を導く曹操、旧時代を引きずる「常識的」な袁術。

公孫瓚に命じて、且に玄徳・関張を帯し、寨に回せしむ。衆官 皆な散ず。
曹操 暗かに人を使はし半酒を賫ひて、三人を慰さむ。

まだ、劉備vs曹操という対立構図は、出てこない。というか、袁紹と袁術を片づけて初めて、対立構図が表に出る。それまでは、曹操と劉備は、どちらかというと近い。徐々に遠い者を倒して行くことで、今まで内輪だった者が、対立構造を得てゆく、というのが『三国演義』である。タマネギの皮を剥くような感じ。
まずは何進を剥がし、つぎに董卓を剥がし、つぎに袁氏を剥がして初めて、劉備と曹操は対立することができる。じゃあ、孫呉は?


董卓が袁隗を処刑する

却説 華雄の手下 敗軍を報ず。関を上り、李肅 慌忙し、告急の文書を写して、董卓に申聞す。卓 急ぎ李儒・呂布らを聚めて商議す。
儒曰く、「今 上将の華雄を折り、賊勢 浩大なり。皆な是れ袁紹 盟主と為り、以て衆悪を聚むればなり。

華雄が敗れたのは、袁紹が人材を集めたせいだと。袁紹の役割の大きさを、「正当に」評価している。李儒は、さすが、頭がキレる役割である。

紹の叔 袁隗 太傅と為り、倘〈も〉し或いは裏に外と合して応ずれば、深く不便と為る。先に之を除くべし。請ふ、丞相 親ら大軍を賫し、分投して〈袁隗を〉勦捕せんことを」と。
卓 其の説を然りとす。李傕・郭汜をして兵五百を領せしめ、太傅の袁隗を囲住す。老幼を分けず、尽く皆な誅絶す。
先に袁隗の頭を将ゐて、関前に号令す。

袁紹と袁術が、これを遠望してほしいですねw


主戦場が虎牢関に移る

董卓 遂に兵二十万を起し、分けて両路を為す。一路より、先に李傕・郭汜をして、兵五万を引きて汜水関に把住せしむ。厮殺を要せしめず。

毛本も同じで、立間訳は「打って出ることを禁じた」と。これで、華雄が斬られた戦場である、汜水関は物語の主題でなくなった。董卓が洛陽を引くとき、捨てられる。
まあ、汜水関と虎牢関が、同じ場所だというのは、物語の進行を妨げるので、言ってはならない。

卓 自ら十五万を将ゐ、李儒・呂布・樊惆・張済と同に、虎牢関を取る。這の関 洛陽を離るること五十里。若し兵を進むれば、却りて好く諸侯の路を截住す。

董卓が進軍したことで、諸侯の進路を遮れる、という状況説明は、毛本では省かれる。地理関係がどういう設定なのか、よく分かりません。

軍馬 関上に到るや、卓 呂布をして三万軍を領せしめ、関前に大寨〈本陣〉を扎住す。卓 自ら関上に在り、屯住す。

〈諸侯の側の〉流星馬 〈董卓の本陣の位置を〉探聴して、将の袁紹に大寨の裏来を報ず。紹 衆を聚めて商議す。
操曰く、「董卓の屯兵、虎牢関に在り、俺が諸侯の中路を截ち、其の形勢を分く。

毛本もこのセリフがある。さっき毛本は、「董卓が、諸侯の路を立ちきる場所に布陣した」という説明を省いた。曹操に言わせれば、一回で充分だからだろうか。

兵一半を勒して、敵を迎ふべし」と。
紹 乃ち王匡・橋瑁・鮑信・袁遺・孔融・張揚・陶謙・公孫瓚を分けて、八路の諸侯 虎牢関に往かしめ、敵を迎ふ。

いま虎牢関に移動しなかった者は、虎牢関の戦いに出てこない。というか、表舞台から、いちど退場する。孫堅は、いちど敗れたのだし、汜水関に置き去りなのだ。ここで袁術が主戦場に動かないことを、このあと、李卓吾が2回もなじるw

操 軍を引きて往来し、救応す。八路の諸侯をして、得て各自 起兵せしむ。

盟主は袁紹、実務担当の仕切り役は曹操、(会計係は袁術)という感じだ。
曹操がセッティング・調整して、8人の諸侯が、虎牢関に兵を動かせるようにした。


王匡が呂布に敗れる

〈曹操は〉先に河内太守の王匡に説き、引兵して先に呂布に到らしむ。〈董卓軍の〉寨中、〈王匡の〉軍の来到する有りと聴得し、欣然と上馬し、鉄騎三千を帯び、飛奔・来迎す。

王匡は、とても活きがいい。王匡の強さと、その役割について、しっかり膨らませたい。18諸侯と言いながら、名前だけを連ねる、空気みたいな奴もいる。王匡は、空気ではない。

王匡 軍馬を将ゐ、陣勢を列成し、馬旗を門下に勒す。時に呂布の出陣するを見る。
「頭は三叉の束髪・紫金冠を帯び、体は西川の紅錦・百花袍を掛け、身は獣面吞頭・連環鎧を披ち、腰は勒甲・玲瓏獅・蛮帯を繋ぎ、弓箭 身に随へ、体は画桿方天戟を手持して、坐下 赤兔馬を嘶風す。

ハデな描写だが、意味となれば、半分もわからない。

果然たり、是れ、『人中の呂布、馬中の赤兔』なり」
人馬の中、漢末 那の馬の左右は両絶す。盤旋 往来し、馳騁す。

王匡 〈呂布を〉見て、心中 惶惶たり。

「りょ、りょ、呂布だー!」というシーン。

頭を回し、問ひて曰く、
「誰か陣を出でて戦かふ」と。
後面、一将 馬を縦し鎗を挺して出づ。匡 之を視るに、乃ち河内の名将 方悦なり。両馬 相ひ交はり、五合と無く、呂布の一戟、馬下に剌さる。王匡 便ち馬を勒して陣に入る。
呂布 戟を挺して、直衝す。匡の軍 大敗し、四散・奔走す。

呂布が諸侯を圧倒する

布 陣を衝くこと、無人の境に入るが如し。鉄甲 背後より擁来す。橋瑁の一軍、袁遺の一軍、両軍 皆な至来し、王匡を救ふ。呂布 方に三処〈王匡・橋瑁・袁遺〉を退け、各々人馬を折られ、三十里を退き、寨に下る。
諸侯 八路の軍馬 都て一処に至る。

負け犬が仕方なく集まって、ゴニョゴニョする。
李卓吾はいう。このとき袁術は、どこにいた。なぜ「四世三公」という四字の肩書きをもつのに、呂布の前から退却したのか。笑ってやるべきだ。
ぼくは思う。呂布よりも弱い華雄に、袁術はとっておきの兪渉を殺された。

商議して言ふ、
「呂布 英雄なり。人の敵ふべき無し。正に慮間せよ」と。
小校 報来す、「呂布 搦戦す」と。
八路の諸侯 各自 上馬して、本寨に帰る。軍 八隊に分く。 高崗に布列し、遥かに呂布を望む。

うわ、マジでどうしようもない。見るだけでも恐い。


一簇の軍馬・繡旗 招颭と先来し、張楊軍の陣中を衝陣す。手下の将 穆順、出馬・挺鎗して呂布を迎ふ。手に一戟を起し、穆順を馬下に剌す。八路の諸侯 心肝 俱に喪ふ。
北海太守の孔融の部下 一将 出でて曰く、
「吾 文挙の恩を受くること、已に十年なり。何ぞ死を以て之に報ゐん」と。
融 之を視るに、乃ち門下の勇士、武安国なり。鉄鎚 重さ五十斤を使ふ。安国 長柄の鉄鎚を提げ、飛馬して出づ。呂布 戟を揮ひ、馬に迫り、安国と戦ふ。戦ふこと十余合に到り、

武安国、けっこう持ったじゃん。

一戟 安国の手腕を砍断す。鎚を地に棄て、走ぐ。
八路の諸侯、一斉に殺来し、武安国を救ふ。呂布 退回す。

このあたり、みんなが武安国を回収にくると、呂布はちゃんと見逃す(見逃さざるを得ない)。やみくもに強くて、万能というわけでもない。


公孫瓚が挑み、張飛が救う

却説 八路の諸侯、数陣を連ねて輸り、袁紹に申報す。
曹操曰く、
「呂布は英雄、天下に無敵なり。十八路の諸侯を会せしめ、一斉に、共に呂布を擒とするを商議すべし。若し呂布を誅せば、董卓〈を殺すこと〉易きかな」と。

この分析が、董卓の本質を突いている。


正に議するの間、人 来りて報ずる有り、呂布 搦戦すと。
紹 八路の諸侯をして呂布を攻めしむ。
呂布 公孫瓚を逕衝す。瓚 自ら搠を揮ひ、呂布を直迎す。布 睜目して大叫し、戟を揮ひて来戦す。
戦ふこと両合となく、瓚 馬を撥回し、速慌して走ぐ。呂布 赤兎馬を縦し、赶来す。那の馬 日に千里を行き、飛走すること風の如し。看看、公孫瓚に赶上す。布 画桿戟を挙ぐ。後より心〈公孫瓚の心臓〉を望み、便ち剌さんとするに、

李卓吾はいう。このとき袁術は何してたんだと。
袁術は、李卓吾先生に愛されているなあ!

傍辺の一将、圓睜・環眼、倒竪・虎鬚、丈八の蛇矛を挺し、飛馬して大叫し、
「三姓の家奴、走るを休〈や〉めよ」と。

立間訳は、「親父を三度も変えた畜生野郎」とする。しかし、親父を変えたのは、二回であるw

燕人 張飛 此に在り。呂布 見て公孫瓚を棄て、便ち張飛と戦ふ。飛 は神威を抖擻し、呂布と酣戦す。

三戦呂布!

八路の諸侯 張飛の漸漸たる鎗法を見て、散乱す。呂布 精神を越添す。張飛 性起し、大喊一声す。
雲長 馬一を把り、八十二斤の青龍偃月刀を拍舞し、来りて呂布を夾攻す。三匹の馬 丁字児たり。厮殺 又 戦到すること三十合。両員の将〈関羽と張飛〉 戦へども呂布を倒さず。

劉玄徳 看て、心中 暗かに想ふ。
「我 手を下さざれば、何時を更待するや」と.
双股の剣を掣し、黄鬃馬を驟し、剌斜裏 去きて砍る。這の三箇 呂布を囲住し、転燈児、般厮殺。

白話は、手に負えない。毛本でも、だいたい同じだから、どうにもならん。立間訳は、「回り灯籠のように、攻めかかる」と。分かるような、分からんような。というか、訳を見ても、よく分からんのだから、書き下せるわけない。


八路の人馬 都な看て呆る。
呂布 架隔・遮欄し、定めず看て、玄徳の面上に一戟を剌す。玄徳 急閃し、呂布 陣角を蕩開し、画戟を倒拖す。馬を飛ばし、便ち走ぐ。

毛本も同じ。「玄德面上、虚刺一戟」とあるから、呂布が空振りしたのだろう。「玄徳 急閃」を、立間訳は、劉備が身をかわしたとする。

三箇 那裏に肯捨し、馬を拍して赶来す。八路の軍兵の喊声 大いに震ひ、一斉に呂布の軍馬を掩殺せよとす。
関上を望み、玄徳・関張 奔走し、定めて呂布に随後す。

逃げた呂布を、劉関張が追いかけたと。


古人 曽て篇言語有り。単へに、「玄徳・関張 呂布と三戦す」と道ひ、

内容は本文のくり返しなので、はぶく。


玄徳・関張 呂布に直赶し、関下に到る。関上を看見るに、西風 飄動し、青羅・傘蓋 飛して大叫す。必ず是れ、董卓なり。呂布を追赶するに、甚だ強き処有り。先に董賊を挐するに如かず。便ち是れ、草を斬るに、根を除くなり。
馬を拍して上関し、董卓を擒とせんとす。畢竟 如何に。140930

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