読書 > 李卓吾本『三国演義』第33-34回初の書き下し

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第34回上_劉玄徳 襄陽に赴きて会す(一部)

『三国演義』の「上」の最終回にあたる部分を、先に書き下します。
なにをもって「上」と見なすかは、この枠内の最後に書きました。

銅雀台をたてる

曹操 金光する処より一銅雀を掘出す。攸に問ひて曰く、
「此れ何の物なるや」と。
攸曰く、「昔 舜の母 夜に夢みる、玉雀 懐に入るを。而して舜帝を生む。今 銅雀を得たり。此れ吉祥の兆なり。宜しく高台を作り、以て之を慶せ」と。
操 大喜して、遂に銅雀台を漳河の上に造らしむ。
即日より、破土・断木・焼瓦・磨磚す。一年を計へて、工 畢はる。

曹植が銅雀台を立派にする

次子の曹植 進みて曰く、
「若し層台を建つれば、必ず三座の至高なるを立て、名づけて銅雀と為せ。左辺の一座 名づけて玉龍と為せ。右辺の一座 名づけて金鳳と為せ。両條を作りて、橋を飛して空を横ぎりて上らしめよ。龍・鳳を以て銅雀に朝せしむるの意なり。二年にして成就せん」と。

銅雀台は、曹植の意向によって、1つでなく、3つセットになった。1つを分けて、3つを並立させるなんて、この後の歴史を暗示するようで、とても不気味である。三国鼎立は、曹植のせいである。

操喜びて曰く、「吾が児の言は、是なり。他日、台 成れば、吾が老ひを娯しむべきに足る」と。
次子の名は植、字は子建。極めて聡明なり。年十歳の時、善く文を属り、經書を諳じ、詞賦を誦論すること数十万言、一字として差錯する無し。

曹植の有能さの描写は、毛宗崗本でざっくりカット。

常に文章を作り、父に呈す。
操曰く、「汝 人に倩へしむや」と。
対へて曰く、「言を出づれば論を為し、筆を下せば章を成す。顧みに当に面試すべし。奈何 人に倩へしむ」と。

曹植伝のエピソードも、毛宗崗本はカット。

操 甚だ之を愛す。

操の妾 劉氏、子の曹昻を生む。張繡を征する時、陣亡す。卞氏 四子 丕・彰・植・熊を生む。

『三国演義』44回、曹操の子の説明。毛本「原来曹操有五子」、その立間訳「もともと曹操には五人(正しくは二十五人)の男子があった」。遡って李本は、「劉氏は曹昂を生み、卞氏は丕・彰・植・熊の四人を生んだ」。李本は正確、毛本は要約。立間先生は李本を見ずに、毛本を概論的に補ったと分かる。

操 独り植を愛す。

毛宗崗本は、エピソードをカットして、「惟植性敏慧,善文章,曹操平日最愛之」とする。李本の「独り愛す」と、毛本の「最も愛す」は、李本のほうが、曹植に対する愛情が強い。曹植のみを愛している。それゆえに、後継者問題が、どちらに転ぶか分からず、曹植の悲劇性が増すかも。


是に于いて曹丕・曹植を鄴に留めて台を造らしむ。

曹丕と曹植には、それぞれ銅雀台の賦がある。それを引用しないと、始まらないでしょうが!と言いたい。まあ『三国演義』で、ながく詩を読まされても、つらいけど。
曹操は、あくまで漢の官僚だから、鄴(魏)には留まらない。しかし、次代の曹氏は、魏帝となるべく、許都よりも鄴に長くいる。親子のギャップが、つぎの曹操の許都へのとんぼ帰りに現れている気がする。


曹操が許都に帰り、戦いに備える

操 張燕をして北寨を守らしむ。操の得る所の袁紹の兵 共に五・六十万有り。班師して許都に回り、功臣を封ぜんと議し、皆 列侯と為る。操 軍祭酒の郭嘉を表す。表して曰く、

毛本では、「表郭嘉」で片づけられ、本文はカット。

「臣聞く、忠を褒め賢を寵するも、未だ必ずしも身を当て功を念ぜず。惟だ績恩 後嗣に隆し。是を以て楚の宗孫叔 顕らかに厥の子を封ず。岑彭 既に没するとも、爵は支庶に及ぶ。

楚の話、出典を当たらないと分からないです。秦彭は、後漢初の功臣です。

故(な)き軍祭酒の郭嘉よ。忠良・淵淑にして、体は通、性は達なり。大議有る毎に、発言 庭に盈つ。処理を執中し、動に遺策無し。軍旅に在るより十有余年、行かば騎乗して坐を同じくし、幄席を共にす。
東に呂布を擒へ、西に眭固を取らへ、袁譚の首を斬り、朔土の衆を平らぐ。

呂布・眭固・袁譚・朔土、が同列の対句なのがおもしろい。

険塞を踰越して烏丸を盪定し、遼東を震威せしめて以て袁尚を梟す。天威を假ると雖も易く指揮を為す。敵に臨むに至り、誓命を発揚し、凶逆 克殄す。勲は実に〈郭〉嘉に由る。方に将に表顕せんとす。短命にして早く終はり、上 は朝廷の為に良臣を悼惜す。下じゃ自ら奇佐を喪失するを毒恨す。
宜しく嘉に追贈し、封ずるに前に并せて千戸とせよ。褒亡 存を為し、厚く往きて勧来す。謹みて表し、以て聞せ」と。

郭嘉を封じて貞侯と為し、其の子の奕を府中に養なふ。操 劉表を南征せんと欲す。荀彧曰く、
「軍 方に北征して回る。未だ遠行すべからず。更めて半年を待ち、気力を養成せよ。劉表・孫権 一鼓すれば下らん」と。

ほんとに、そうかな、と思いますが、とりあえずはエンディングです。この直前、第33回で、南方の気が盛んで、、とか、後への伏線も貼られている。曹操が勝って、それで終わるわけじゃないよと。ただし、いちどは話を収束させないといけないので、荀彧(ともあろう者)が、曹操の安泰を説く。

操 之に従ふ。遂に兵を分ちて屯田して、以て調用に候せしむ。

作業者メモ

『三国演義』の分量からすれば、ここで4分の1。
ストーリーで言えば、「上」の完結かなと思います。

バカ殿の何進のもとで、二枚看板をなした曹操と袁紹の決着がついた。曹操と劉備という、後漢の内部で都立構図をなす二者の決着も、とりあえずついた(曹操の圧勝)。
「中」を彩るのは、諸葛亮と孫呉です。
孫呉は、孫堅は玉璽をひろうチョイ役、孫策は一発屋だったので、ここまでは、なんの役割もない。物語の根幹に効いてくるのは、赤壁のとき。三国志「中」で赤壁を盛り上げるために、孫堅や孫策は顔だけを出した。
「上」は、曹操と劉備の物語、「中」になってやっと、三つどもえの物語、だと思います。「上」に基点をおいて、物語の中盤以降を見れば、孫呉は、意識の外部からふって涌いてきた、正体不明の第三勢力と見なせるでしょう。まるで、西晋の滅び方が、お約束を無視した、永嘉の乱であったかのように。
三つどもえを設計するのが、ほかならぬ「智絶」の諸葛亮です。「智絶」諸葛亮は、「奸絶」曹操と、「中」で交わって競いあい、曹操の死をもって「下」に向かってゆく。

見通しを再説すると、「上」では、旧(後漢・何進)を打ち破る、新(袁紹・曹操)という単純な二項対立であり、旧勢力はバカばっか、新勢力は単純な力比べだった。しかし「中」以降は、対立構図が重層化して、複雑かつおもしろくなる。
こんな感じです。
(曹操vs劉備)vs 孫権

孫呉を、主人公と敵役のあいだにある、「道化」とする見方もあるようです。孫呉の物語のなかの位置づけについては、続きを読むときに考えます。
史実では、曹魏vs(蜀漢&孫呉)、という同盟関係が見えますが、ここでは、正史の話をしたいのではないので、除外します。


と、「上」の最後をとりあえず書き下した上で、第3回の何進が死んだ直後に、作業をもどります。長い道のりですが、2014年の秋のテーマです。140927

20141025追記

『三国演義』は曹操の河北平定で、いちど終わる。袁紹の残党の執拗なモグラ叩きは物語的には最終仕上げを思わせる体裁だし、銅雀台を史実に前倒しして建設して曹氏政権の素晴らしさを歌い(二喬を欲しがる伏線でもある)、劉表・孫権のたちまちの降伏を予感させるセリフを入れる。
曹操の事業が、いちど完成してこそ、赤壁での敗戦の衝撃がでかいワケで。これから劉備が獲得する、新キャラの諸葛亮の活躍がひきたつわけで。『ドラゴンボール』巻十七の「もうちっとだけ続くのじゃ」を当てはめるのなら、物語の区切りの良さと、(予告を大幅に裏切って)これ以降に続く話の長さからして、曹操の河北平定しかない。
銅雀台を築いて大団円、第一部完結!を演出するなら、残存勢力から、友好=屈服の使者が銅雀台に来てほしい。孫権から張紘、劉表から張允(劉表の甥)、劉璋から張肅(張松の兄)が、南面する曹操の前に、左から順に並ぶ、という場面を作りたい。張紘・張允・張肅が、
「曹操さん、河北平定おめでとう。宦官・黄巾から始まった後漢末の混乱は、董卓・李郭の撹乱を経て、袁紹・袁術もかき乱すだけでしたが、これで収束ですね」と。
史実ベースかつ姓を揃えるため、張允だけフィクション。張允が、河北に使者にきたという話はない。しかし、劉表の使者として、めぼしい使者は、彼ぐらいである。141025

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