読書 > 李卓吾本『三国演義』第26回の訓読

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第26回上_雲長 延津に文醜を誅す

文醜が顔良の仇をとる

袁紹 玄徳を斬らんと欲す。
玄徳の面 容を改めず言ひて曰く、
「明公 只だ一面の詞を聴きて、向日の情を絶て。且に劉備 徐州より失散し、老小 皆 棄つ。未だ知らず、雲長の在するや否やを。天下 多少〈多くの〉の同姓・同貌の者有り。豈に特に赤面・使刀する者とて、即ち関某なるや。明公 何ぞ之を詳らかにせざる」
袁紹 是箇 主張没〈な〉きの人なり。玄徳の言を聞き、沮授を責めて曰く、
「誤りて汝の言険を聴き、愛弟を殺さんとす」
遂に劉玄徳に上帳を請ひ、坐せしむ。
却りて顔良の讐に報ゆるを議す。

帳下の一人 声に応じて進みて曰く、
「顔良 是れ吾が兄弟なり。既に曹賊の殺す所となり、吾 安にか其の恨を雪がざるを得んや」
玄徳 其の人を看るに、身長は八尺、面は獬豸の如し。山後の人なり、姓は文、名は醜、乃ち河北の名将なり。袁紹 大喜して曰く、
「汝に非ざれば、能く顔良の讐に報いず。吾 亦 你に十万の大軍を与ふ。便ち起ち、直ちに黄河を渡り、操賊を追殺せよ」

沮授曰く、「行兵の要、勝負の変化、詳らかにす可くんばあらず。今、宜しく延津に留屯し、兵を官渡に分けよ。若し其の克獲せば、還りて迎ふとも晩からず。今、軽挙し渡河せば、其の難有るを設く。衆 皆 還る可からず
紹 怒りて曰く、「皆 是れ汝ら軍心を遅緩し、日月を遷延し、大事を妨ぐること有り。豈に聞かずや、『兵は神速を貴ぶ』と」
沮授 出でて歎きて曰く、
「 「上は其の志に盈つるも、其の功に務めず。悠悠たる黄河、吾 其れ済るか
遂に托疾して議事に出でず。

文醜が、劉備がジャマだという

玄徳曰く、「今、劉備 久しく大恩を蒙むるも、報效す可き無し。文将軍を助けて同行せんと欲す。一は明公の徳に報い、二は就ち雲長の実を探す
紹 喜び、文醜を喚びて、玄徳と同に前部を領せしむ。
文醜曰く、「劉玄徳 累敗の将なり。軍に不利なり」
文醜 乞ふ、自ら去き、玄徳を用ひざるを。
紹曰く、「吾 玄徳の才能を見んと欲す。汝 同に去く可し」
文醜曰く、「既に主公 此人を要す。時に某より三万軍を分け、他〈劉備〉をして後部と為せ。如し其れ功無くんば、自ら罪を治む可し」
玄徳曰く「兵を分くるは、最も好し」

文醜が劉備をウザく思う気持ちは、よく分かります。文醜は、兵を減らしてでも、劉備と一緒に動くのを避けた。


文醜 自ら七万軍を領し、先行す。玄徳 三万を引き、随後、便ち起つ。

関羽が寿亭侯をことわる

且説 曹操 雲長の顔良を斬るが為に、欽敬を倍加し、朝廷に表奏し、雲長を封じて寿亭侯と封す。印を鑄して関公に送る。
印文に曰く、「寿亭侯印」

張遼をして賫らしむ。関公 看て推辞して受けず。
遼曰く、「公の功に拠りて侯に封ぜらる。何ぞ多きか」
公曰く、「功 微なり。此の名爵を領するに堪へず」
再三 推却す。

遼 印を賫け、回りて曹操に見え、雲長の推辞して受けざるを説く。
操曰く、「曽て印を看るや否や」
遼曰く、「雲長 印を看見す」
操曰く、「吾 計較を失せり」
遂に印を銷り別に印文の六字を鑄せしむ。
「漢寿亭侯之印」と。
再び張遼をして送らしむ。

公 之を視て笑ひて曰く、
「丞相 吾が意を知るなり」
遂に之を拝受す。

曹操軍が文醜に敗れる

忽ち人の報ずるを聞く。
「袁紹 又 大将の文醜をして黄河を渡らしめ、已に延津の上に拠る
操 先に人をして居民を西河に移徙せしむ。

操 自ら兵を領して之を迎ふ。三軍 皆 起すに、軍馬 前に在り、糧草 後に在り。操 下将に伝し、糧草の車仗をして尽く前に行かしめ、後軍を以て前部と為す。先鋒 糧草を護守して、以て前部の先鋒 却りて後に居り。
呂虔曰く、「糧草 前に在りて、兵 後に在り。何の意あるや」
操曰く、「糧草 後に在れば、多く摽掠せらる。吾 故に前に在らしむ」
虔曰く、「倘し敵軍に遇はば、糧を守る者 又 敢へて戦はず。必ず大事を誤る」

常識的な見地から、平凡なことを敢えて指摘し、曹操の奇謀を浮き上がらせる役目である。呂虔さん、おつかれさまです。

操曰く、「吾 敵軍を料り、時に到れば却りて又 理会す」
虔の心 疑ひて未だ決せず。

操 糧食の輜重をして沿河に塹せしむ。延津に至り、操 後軍に在り、聴得す、「前軍 喊を発す、急ぎ人をして看しめよ」と。
時に人 報ず。
河北の大将たる文醜の兵 我が軍に至る。皆 糧草を棄てて俱に赶散せらる。後軍 又 遠し。将に之をいかんせん」
衆人 商議す、「白馬に退守するを要す。操 河北に軍を退かしめ、又 其の路を断てば、軍 皆 散乱す」と。
操 鞭を以て南阜を指す。
「之〈文醜の軍〉を避く可し」 人馬 〈文醜から逃げるため〉土阜に急奔す。操 人馬をして皆 衣を解き甲を卸さしめ、少しく歇す。尽く其の馬を放つ。

文醜の軍 掩至す。
〈曹操軍の〉衆将曰く、
「賊 至れば奈何せん。急ぎ馬匹を收め、白馬に退回す可し」

荀攸が、敗戦をくつがえす

一人 急ぎ之を止めて曰く、
「此れ正に以て敵に餌やる可きなり。 何ぞ之を退くるや」
操 之を視るに、乃ち荀攸なり。
操 急ぎ目を以て荀攸を視て笑ふ。攸 其の意を知りて、復た言はず。

文醜の軍 既に車仗を得て、又 搶馬す。軍士 隊伍に依らず、自ら相ひ離乱す。
曹操 却りて軍将をして一斉に土阜を下らしめ、之を撃つ。文醜の軍 大いに乱れ、原来、此に過ぐ。只だ物を取ることを顧み、無心に厮殺す。
曹操の人馬 囲褁し、将に来らんとす。文醜 挺身し、独り戦ふ。軍士 自ら相ひ踐踏す。文醜 止遏し、住めず。撥して馬を回し、走ぐ。

操 土阜の上に在り、指して曰く、
「文醜 河北に在りて名将為り。誰か之を擒とす可き」
二将 飛馬し出去す。操 之を視るに、乃ち張遼・徐晃なり。二将 追赶し、至近し大叫す。「文醜 走ぐる休れ」と。
文醜 頭を回して二将の赶上するを見る。遂に按住し、鉄鎗・拈弓もて搭箭す。正に張遼・徐晃を射る。大叫す、「賊将 箭を放つ休れ」
張遼 頭を低くし急に一箭を躱し、頭盔を射中す。簪纓を将て射る。遼 奮怒し、再び赶ふ。坐して下馬し、又 文醜の一箭を被り、戦馬の面頰に射中す。跪倒し前蹄し、張遼 地に落つ。
文醜 馬を策うちて前来す。徐晃 急ぎ大斧を輪し、截住し厮殺す。二将 戦ふこと三十合、張遼 去遠し、徐晃 文醜の後面に軍馬の斉到するを見る。晃 馬を撥回して走ぐ。

張遼と徐晃が、文醜を追った。文醜は、逃げるのを止めて、張遼の馬を射倒した。張遼と徐晃がかかったが、文醜に勝てない。そのうち、新手があらわれた。


関羽が文醜を斬る

文醜 河に沿ひ赶来す。忽ち十余の騎馬を見る、旗号は翩翻たり。一将 頭に当り刀を提げ、出馬して来る。乃ち漢寿亭侯の関雲長なり。大喝すること一声、
「賊将 走ぐる休れ」
文醜と交馬して戦ふこと二合、文醜 心は怯へ、馬を撥回して河に遶ひて走ぐ。関公の馬 是れ千里の龍駒なり。早く赶上し、文醜の脳後より一刀、文醜を将て下馬に斬る。
後に詩有りて(はぶく)

曹操 土阜の上に在り、関公の刀 文醜を砍るを見る。四下の人馬を大駆し、河北の軍を掩殺・落水す。復た軽重の馬匹を奪ふ。
雲長 数騎を引き、耀武・揚威し、東衝・西突し、正殺するの間、
劉玄徳 三万軍を領して、随後して前面に到る。哨馬し探知して玄徳に報じて云はく、
「今番 又 是れ紅面長髯なるもの文醜を斬る」

玄徳 慌忙し驟馬して看る。河を隔てて看見す、一簇の人馬 往来すること飛ぶが如きを。衆 皆 言ひて曰く、
「此れ正に是なり」
玄徳 見征するに、塵中の一面 旗上に写す、
「漢寿亭侯関雲長」
の七字。
玄徳 暗かに天地に謝して曰く、
「原来 我が兄弟 果然、曹操の処に在り。去きて相見せんと欲するも、曹兵の大勢に擁来せらる。只だ得て敗兵を收め、回去す。

袁紹が、劉備をとがめる

袁紹 接応し、官渡に至り、寨柵を下定す。郭図・審配有りて袁紹に入見して説く、
「今番、文醜 又 是れ関某に殺さる。劉玄徳 知らざると佯推」
袁紹 大怒して罵りて曰く、
大耳賊、焉ぞ敢へて此の如きや」
人 玄徳に報じ至る。紹 推出して之を斬らんとす。
玄徳曰く、「某 何の罪有るや」
紹曰く、「你 故に関公をして、又 吾が一員の大将を壊さしむ」
玄徳曰く、「一言を伸すを容よ、而して死せん。今、曹操 素より劉備を懼る。備 潰散すると雖も、必ず復讐するの日有り。今、備の明公の処に在るを知り、其の協力して曹を攻むるを恐る。特に関某をして二将を誅殺せしむ。公 知れば、必ず怒り、助兵を肯ぜず。此れ公の手を借りて劉備を殺し、讐人を断絶するなり。願はくは明公、之を思へ」

袁紹曰く、「玄徳の言、是なり。汝ら、我をして害賢の悪名を受けしめんとす」

うそん。

喝して左右を退け、玄徳に上帳して坐るを請ふ。
玄徳 謝して曰く、「明公の寛大の恩を荷ひ、補報す可き無し。一の心腹の人をして一密書を持して、雲長に見はしめんと欲す。劉備の消息を知らしむれば、必ず星夜 来到し、明公を輔佐せん。共に曹操を誅して以て顔良・文醜の讐に報ゆ。若何」
袁紹 大喜して曰く、
「吾 雲長を得れば、顔良・文醜の生に復するに勝る」

商議して書を修む。未だ人の〈関羽の処に〉去く有らず。紹 軍を武陽に退かしめ、結営して連絡すること数十里。兵を按じて動かず。

関羽が汝南に出かける

操 夏侯惇をして兵を総べ官渡の隘口を守らしむ。
操 師を班し許都に回る。大宴し、衆官 雲長の功を賀す。席上、曹操 呂虔に曰く、
「昔日、吾 糧草の前に在るを以て、乃ち敵に餌やるの計とす。惟だ荀公達 吾が心を知るのみ」
衆 皆 其の論に服す。

正に飲宴するの間、忽ち人の報ずる有り、
「汝南に黄巾の劉辟・龔都有り。甚だ是れ猖獗す。曹洪 累ねて戦ふとも利あらず。乞ふ、勇将・精兵を撥して之を救へ」
雲長 言を聞きて乃ち前に進みて曰く、
「関某 願はくは犬馬の労を施し、共に汝南の賊寇を破らん」
操曰く、「雲長 大功を建立するに、未だ曽て重賞せず。何が故に、又 征進せんと欲す」
公 答へて曰く、「関某 久しく閑たれば、必ず疾病を生ず。願ふ、再び一行せん」
曹操 之を壮とす。

五万を點軍し、于禁・楽進を副将と為し、次日 便ち行かしむ。
荀彧曰く、「雲長 常に帰劉の心有り。倘し消息を知らば、必ず去く。頻りに出軍せしむ可からず」
操曰く、「今次、功を收めば、吾 再び臨敵せしめず」

雲長 領兵して汝南に往き、進発す。敵軍 相迎し、札住し営寨す。夜に当り、営外に両箇の細作の人を拏ふ。雲長 之を視るの内、中に一人を認む。只だ此の処〈汝南〉に因りて起つ。直ちに兄弟をして再び得て聚会せしむ。畢竟 此の人 是れ誰ぞ。且聴下回分解。141109

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第26回下_関雲長 金を封じて印を掛く

関羽が汝南で、玄徳の消息を知る

雲長 燈下を看る時、認むるは一人、乃ち孫乾なり。関公 叱りて左右を退く。乾に問ひて曰く、
「公 潰散の後自り、一向 踪跡 聞かず。玄徳兄 何処にか在る」
乾曰く、「某 逃難して自り、汝南に飄泊す。幸いに劉辟の收留を得たり。近く聞く、玄徳公 袁紹の処に在るを。往きて之に投ぜんと欲せども、未だ其の便を得ず。
今、劉辟・龔都 皆 来帰す。袁に順助して曹を破らんとす。故に攻掠すること太だ急なり。今天、幸いにも将軍の此に到るを得て、劉龔 特に小軍をして引路せしむ。故に某をして細作として将軍に来報せしむ。
来日、必然、虚はりて一陣に敗れ、将軍に特報す。早く二夫人を引き、玄徳に相見せよ。
却りて汝南に来て、又 遠図を作せ。彼の劉・龔の玄徳に順ふことは、実に将軍に望み有るなり」

公曰く「既に兄 袁紹の処に在り。吾 必ず星夜 往くとも、但だ吾 紹の二将を斬るを恨む。今の事 変ずるを恐る」
乾曰く、「某 亦 先に往き、其の虚実を探る。再び来り、将軍に報ず」
公曰く、「吾 兄長に一面を見へば、万死すると雖も辞せず。今 許昌に回り、便ち曹公に辞す」
夜に当り、乾を送る。
于禁・楽進 亦 敢へて問はず。

次日、関公の兵 出づ。龔都 掛けられ出陣す。
関公曰く、「汝ら何が故に朝廷に背反す」
都曰く、「汝 乃ち主に背くの人なり。何ぞ敢へて人を責むるや」
関公曰く、「我 何ぞ主に背く」
都曰く、「劉玄徳 袁本初の処に在り。汝 却りて曹操に従ふは何ぞや」
関公曰く、「道を乱すなり」
拍馬し舞刀し、向前す。龔都 便ち走ぐ。関公 都に赶上す。身を回して関公に告げて曰く、
「故主の恩、忘る可からず。汝 当に速やかに吾に至れ。汝南を譲らん
関公 其の意を会し、軍を招きて掩殺す。劉・龔 佯はりて輪し、詐はりて敗れ、四散す。雲長 〈汝南の〉州県を奪得し、安民して已に定め、班師して許昌に回る。

関羽が兄嫁に劉備の情報を隠す

曹操 自ら郭を出でて迎接し、軍士を賞労す。宴 罷むや、雲長 便ち家に回り、二嫂に門外にて参拝す。
甘夫人曰く、「叔叔 両番 出軍す。皇叔の音信を知る可きや否や」
公 答へて曰く、「未だしなり」
関公 二夫人を退き、簾内に痛哭すること甚だ切なり。
糜夫人曰く、「皇叔を想ふに、休めり〈死んだ〉。二叔 我が姊妹の煩惱するを恐れ、故に隠して言はず。

正に哭するの間、一箇 随行する軍士有り、哭声の門外に絶えざるを聴得し、曰く、

「夫人 哭く休かれ。主人 河北の袁紹の処に在り」
夫人曰く、「汝 何ぞ之を知る」
軍曰く、「関将軍と出征し、人の陣上に説き来る有り」
夫人 急ぎ雲長を召し、之を責めて曰く、
「皇叔 未だ嘗て汝に負かず。你 今、曹の恩養を受け、旧日の義を忘れて、其の実を以て我に情告せず、我が姊妹をして憂愁し身死しめんか。叔 自ら栄華を享け、就ち〈曹操から〉宝剣を借りて、我が姊妹の首を斬りて、以て汝の疑碍を絶たんとす。叔 相ひ瞞くこと無れ」

ヒステリーである。


雲長 頓首し流泪して、告げて曰く、
「兄 今、実を委て河北に在り。未だ敢へて嫂嫂をして知らしめざるは、内に走泄するを恐るればなり。事 須らく緩やかに図れ。以て速やかにす可からず」
甘夫人曰く、「叔 宜しく緊を上せ。公 退き、計を尋思せよ」
坐しても立ちても安ぜず。

張遼が関羽の意思を探る

原来、于禁 已に知る、劉備 河北に在るを。
操 張遼をして関公の意を探せしむ。関公 正に悶ふる中、張遼 入賀して曰く、
「聞く、兄 陣上に在り、玄徳の音信を知るを。特来し、賀喜す」
関公曰く、「故主 未だ見へず。何ぞ之を喜ぶこと有る」
張遼曰く、「公 春秋を看て、管鮑の義を得て聞く可きや

関羽に『春秋』の話を振るかね。

関公曰く、「管仲 嘗て言ふ、『吾 三たび戦ひ三たび退くに、鮑叔 我を以て懦と為さず。我に老母有るを知ればなり。吾 嘗て三たび仕へ三たび逐はる。鮑叔 我を以て不肖とせず。我が不遇の時を知ればなり。
吾 嘗て鮑叔と談論するに、身 極めて困乏たり。鮑叔 我をもって愚と為さず。時の有利・不利を知ればなり。吾 嘗て鮑叔と賈ひて利を多く分く、鮑叔 我を以て貪とせず。我の貧なるを知ればなり。
我を生むは父母なるとも、我を知るは鮑叔なり』と。此れ則ち、是れ管鮑の相知の交なり」

遼曰く、「兄ち劉玄徳と、相ひ交はるは何如」
公曰く、「吾 玄徳公と死生の交はりを結ぶ。生くれば則ち生を同じくし、死せば則ち死を同じくす。管鮑すら之に比す可きに比ず」
遼曰く、「吾 兄と交はるは何如」
関公曰く、「吾と你と邂逅し、相ひ交はる。若し吉凶に遇へば、則ち相ひ救ふ。患難に逢へば、則ち相ひ扶く。救ふ可からざる有れば、則ち止む。豈に、吾と玄徳の生死の交に比するや」
遼曰く、「玄徳 向日、小沛に在り、利縁を失す。何ぞ公 死戦して以て之を保たざる

するどい批判、もしくは嫉妬である。

公曰く、「吾此の時、未だ是実を知らず。若し玄徳 死せば、吾 豈に独り生くるや」
遼曰く、「今 玄徳 河北に在り。兄 往きて之に従ふや否や」
関公曰く、「昔日の言、安にか之に負くを肯ずるや。文遠 須らく其の意に達せよ。然る後、丞相に禀せ」
後人 詩有りて曰く(はぶく)

張遼 関公の言を将て尽く曹操に白す。
操曰く、「吾 自ら之を留むる計有り」

陳震が劉備の消息を伝える

却説 関公 正に尋思するの間、忽ち報ず、故人有りて相ひ訪なひ、及びて請入するに至ると。関公 識らず、之に問ひて曰く、
「公 何なり人や」
答へて曰く、「某 乃ち袁紹の手下、南陽の陳震なり
関公 大驚し、急ぎ退く。左右 之を問ひて曰く、
「先生 此に来るは、必ず為す所有るや」

顔良・文醜を斬ったから、関羽にとって袁紹からの使者とは、敵のはずである。

震 書一緘を出し、関公に逓与す。関公 目を挙げて之を視るに、乃ち玄徳の書なり。書に云はく、
「備 嘗て謂ふ、『古人の恐るるは、独身にして其の道を行なふ能はざることなり。故に天下の士と結び、友たるを以て輔仁。其の友を得れば則ち益し、其の友を失へば則ち損なふ。備 足下と桃園に共に刎頸の交はりを結びて自り、生を同じくせざると雖も、以て死を同じくするを誓ふ。今、何の中道にか、恩を割き義を断つ。君 必ず功名を取り、富貴を図らんと欲す。願はくは備の首級を献じて以て全功を成せ。書けども言を尽くさず。死して来命を待つ」

関公 書を看畢はりて大哭し、言ひて曰はく、
「某 兄を尋ねんと欲せざるに非ず。奈ぞ知らざる所なるや。吾 安にか曹公に事へ、富貴を図ることを肯ずるや
震曰く、「玄徳 公を望み、泪 曽て乾かず。公 既に義に仗る。何ぞ速やかに之に帰せざる」
関公曰く、「人 天地の間に生き、始終無き者は、君子に非ず。吾 l当日 〈降伏した日に〉皆 曹公に此の事〈劉備が見つかれば駆けつける〉を言ひ及ぶ。公〈曹操〉 已に之に従ふ。吾 已に功を立つること三件、其の恩に報ゆ。
吾 時〈曹操を去る時期〉に来ること明白なり。明白ならざる可からず。吾 書を作り、公を煩はす。先に兄長に達知せよ。曹公に辞し、嫂嫂を奉じて回見す」
震曰く、「倘し曹公 将軍を放たねば、当に何如とす」
公曰く、「吾 寧ろ死すとも、豈へて此に久留するを肯ずるや」
震曰く、「公 速やかに回書を作れ。玄徳の望に免致せよ」

関公 書を写して答へて云く、
「羽 切りに聞く、義は心に負かず、忠は死を顧みずと。是れ大丈夫の志なり。羽 幼きとき自り読書し、礼義至に麄知す。羊角哀・左伯桃の事を観て、張元伯・范巨卿の約を論ずるに、未だ嘗て三嘆して流涕せずんばあらず。
昔 羽 下邳を守り、内に積粟無く、外に援兵無く、死節を尽せんと欲するに、奈にか有る二嫂の重、未だ敢へて首を断ち軀を捐て、溝壑に死せざるなり。近日、汝南に方に信息を知る。須らく当に曹公に面辞し、二嫂を奉送してるべし。
昔日、漢に降るの時、已に曽て預言す。今 已に微功の報有り。容れざれば従はざるなり。忽ち兄書を得て之を視るに、夢の如し。羽 但だ異心を懐き、天地に表す可し。披肝瀝肝、筆楮 窮し難し。肝拝す。有期、伏惟照鑑。
陳震 書を得て、自ら〈劉備のもとに〉回る。

関羽が曹操と別れる

関公 乃ち相府に入り、曹操に拝辞す。操 来意を知り、乃ち𢌞避牌を門に懸く。関公 怏怏として回り、一輌の小車を收拾し、旧跟より公に随ふ者二十人を選び、早晩 伺候せしむ。
甘夫人 関公を喚びて問ひて曰く、
「叔叔 近日、行蔵は若何」
公曰く、「只だ早晩に丞相に辞す。便ち嫂嫂に上車を請ふ」
堂中 所有の原賜の物、尽 皆 留下す。寸絲も亦 帯ぶ可からず」
甘夫人曰く、「叔 宜しく緊たるを上し、得て遅滯する勿れ」
関公 又 相府に往き、門首に辞すも、 𢌞避牌を掛く。
関公 往くこと数次、皆 放参せず。関公 張遼の家に往きて、相ひ探し、其の事を言はんと欲す。遼 疾に托して出でず。
関公 之を思ひて曰く、
「此れ曹丞相 我の去るを容さざるの意なり。大丈夫 既も去らんと欲して動かずんば、丈夫に非ざるなり

即ち辞書の一封を写し、曹丞相に辞す。書に曰く、
漢の寿亭侯の関羽、特沐して再拝し、漢大丞相の曹麾下に奉書す。羽 聞く、天有りて地有り、父有りて子有り。君有りて臣有り。天気 応ずるや、陽の地気 陰の万物に応ず。若し時に順へば、方に群生を養ひて三綱五常の義を成す可し。
羽 漢朝に生れ、少きとき劉皇叔に事へ、生死を同じくすと誓ふ。前は下邳に拠を失ひ、丞相の所に降ふを許す。請三事を許ひ、已に恩諾を領す。羽 焉に帰する所以なり。抜擢つること望みを過ぐ。実に克し難し。
当今、故主の劉皇叔を探知し、袁紹の軍中に在すを見る。身 〈曹操の〉寄客と為るとも、〈劉備が袁紹軍にいることが〉羽をして旦夕 安ぜざらしむ。丞相の恩を三思するに、深きこと滄海の如し。返りて故主の義を念ずるに、重きこと丘山の若し。之に去きて、之に住まるを易へざるは、実に難き事なり。先後有りて、当に故主に還るべし。
尚ほ余恩有れば、未だ侯に報ぜず。他日、死を以て之に答へん。
乃ち羽の志なり。書を謹しみて告辞す。幸希し鈞鑑す、建安五年の秋七月、関羽 状上す。

関羽が許都を去る

関公 遂に累次に受くる所の金銀を将て一一に封記し、寿亭侯の印を庫中に懸く。平明、二夫人に請ひて車に上せ、男女二十人 扶事す。別に人を相府に遣り、下書す。
関公 赤兎馬に上り、手て青龍刀を提げ、車仗を護送し、北門を逕出す。北門の吏 之に当たる。関公 目を怒らせ横刀し、大喝すること一声。門吏 皆 避退す。
関公 既に門を出で、従者に喝して曰く、 「汝ら車仗を護送し、先行せよ。但だ追赶する者有らば、吾 自ら之に当たる。驚動す勿れ」
嫂嫂の従者 推輪し送車す。官道を望みて進発す。

却説 曹操 正に関公の事を論じ、未だ定めず。左右 報ず、関公 呈書すと。操 接看し畢はり、大驚して曰く、
「雲長 去れり」
北門の守将 飛報す、
「関公 門を奪ひて去る。車仗・鞍馬 二十余人なり。皆 北を望て行く」
又 家中の人 来報して説く、
「関公 尽く賜る所の金銀らの物・美女十人を封じ、別けて内室に居らしむ。其の寿亭侯印 乃ち庫内に懸く。原撥の〈曹操が付けた〉扶侍の人 皆 帯びずして去る。只だ原より跟従する〈下邳から付いてきた〉二十人 小車一輌もて随身し行李す。平明の時、去る」と。
衆 皆 愕然とす。

一将 挺身して出でて曰く、
「某 願はくは半万の鉄騎を将て、当に関某を生け擒る可し。丞相に献ず」
衆将 之を視るに、乃ち猿臂将軍の蔡陽なり。蔡陽 関公を赶〈お〉はんと要す。還りて是れ如何。且聴下回分解。141109

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