読書 > 李卓吾本『三国演義』第1回-第4回の書き下し

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第1回上_天地を祭り桃園に結義す

『三国演義』李卓吾本を書き下して、毛宗崗本と比較する。
〈山括弧〉は、訳者による補足です。

霊帝が即位し、後漢が滅ぶ予兆が現れる

後漢の桓帝 崩ずるや、霊帝 即位す。時に年十二歳なり。

毛本では、冒頭に詩があり、「天下が分かれたら合はさり、合はされば分かれ」という歴史哲学が記される。周、戦国、楚漢が概観される。

朝廷 大将軍の竇武・太傅の陳蕃・司徒の胡広あり、共に相ひ輔佐す。
秋九月に至り、中涓〈宦官〉の曹節・王甫 権を弄ぶ。竇武・陳蕃 これを誅せんと預謀すれども、機事 密ならず、反りて曹節・王甫に害せらる。中涓 これより権を得たり。

建寜二年四月十五日、帝 群臣と温徳殿中に会す。まさに座殿の角に陞らんと欲するに、狂風 大いにおこり、一條の青蛇 梁上より飛び下る。約二十余丈、椅上に蟠る。霊帝 驚倒し、武士 急慌して救く。文武 互相に推擁して丹墀〈朱塗の台階〉に倒るる者 無数なり。湏臾にして、〈青蛇〉見へず。

毛本は、青蛇が消えたことが明示されてる。

片時 大雷・大雨 降り、氷雹を以て半に到る。夜方 東都の城中に住まりて房屋を壊却すること数千余間なり。
建寜四年二月、洛陽の地 震へ、省垣 皆 倒る。海水 登萊・沂密に泛溢す(登萊・沂密は州名なり)。尽く大浪を被り、居民を捲掃して海に入らしむ。
遂に熹平と改元す。此より辺境 時々に反する者有り。熹平五年、改めて光和と為す。雌鶏 雄に化す。六月朔、黒気十余丈 温徳殿中に飛入す。

楊賜と蔡邕が、宦官を批判する

秋七月、虹の玉堂に見はるる有り。五原の山岸(五原は郡名なり)尽く皆 崩裂す。種種の不祥 一端に止まること非ず。是に於いて霊帝 憂懼して、遂に詔を下して光禄大夫の楊賜らを召して金商門に詣でしめ、以て災異の由及び消復の術を問ふ。

毛本では、楊賜が登場しない。李本で、つぎに上疏する蔡邕がいきなり登場する。主人公の劉備が登場する前に、難しい話を長々と読ませるのは、構成としてうまくない。でも、この正史臭さが、李本の魅力だと思います。

賜 対へて曰く、
「臣聞く、春秋讖に曰く、『天 蜺を投じ、天下 怨む』と。海内 乱れて四百の期を加へ、亦復た垂及す。今 妾媵・閹尹の徒 共に国朝を専らにして日月を欺罔す。又 鴻都門下に群小を招会して賦税を造作す。時に寵し、更相 薦説す。旬月の間、並せて皆 楽松をして常伯に処らしめ、任芝を抜擢して納言に居らしめ、郤儉・梁鵠 各々豊爵を授くるは、不次の寵なり。縉紳の徒をして畝畮に委伏せしむるものなり。

『資治通鑑』光和元年(178年)にこの記事がある。楊賜と蔡邕が、かわるがわる意見をのべるのは、『資治通鑑』準拠だなあ。

口は尭舜の言を誦し、身は絶俗の行を蹈めども、溝壑を棄損して見ず。冠履 倒易して、陵谷 処を代ふるに逮及び、幸ひにも皇天の垂象・譴告に頼る。周書に曰く、『天子 怪を見れば則ち徳を修む。諸侯 怪を見れば則ち政を修む。卿大夫 怪を見れば則ち職を修む。士庶人 怪を見れば則ち身を修む』と。唯 陛下 侫巧の臣を斥遠して、速やかに鶴鳴の士を徴せ。尺一を断絶し槃游を抑止せよ。冀はくは上天 衆変もて威すを還らしめ、弭む可きことを」と。

「楽松処・常伯の任芝を抜擢して納言に」のところ、固有名詞ですが、切れる場所や文の構成がよく分かってないです。毛本には、そもそも楊賜の話が存在しない。


議郎の蔡邕 亦 其の畧に対へて曰く、
「臣 伏して思ふに諸異 皆 亡国の怪なり。天 大漢に慇懃として巳まず。故に屢々妖変を出して以て当に譴責すべしとし、人君をして感悟して危を改め、安に即かしめんと欲す。今 蜺は墮ち鶏は化くるは、皆 婦人の干政の致らしむる所なり。前者 乳母の趙嬈 天下に貴重たり。永楽門史の霍玉 又 奸邪を為して其を察す。趙・霍 将に国に患ひと為らんとす。今 張顥・偉璋・趙玹・蓋升 並びて時幸を叨す。宜しく念ぜよ、小人 位に在ることの咎を。

張顥・偉璋・趙玹・蓋升は、どこから出てきたか。

伏して見るに、郭禧・橋玄・劉寵 皆 忠実・老成たり。宜しく謀主と為すべし。夫れ宰相・大臣は君の四体なり。宜しく小吏の大臣に雕琢するを聴納すべからず。且つ選挙は請託して衆 敢へて言ふ莫かれ。臣 願はくは陛下 忍びて之を左右の近臣より絶ち、亦 宜しく従りて人を化すべし。自ら抑損して以て咎戒を塞げば、則ち天道は虧け、鬼を満たしめん。神福 謙なり。
夫れ君臣 密ならずして上は漏言の戒有れば、下は失身の禍有らん。願はくは臣の表を寝めしめ、尽忠の吏をして怨を姦仇に受けしむこと無かれ。謹みて奏す」と。

蔡邕が、「ほかの人に見せないで下さいね」と念を押すが、毛本はこれを省略する。というか、毛本は蔡邕の上疏を、「以為霓墮雞化,乃婦寺干政之所致,言頗切直」と、だいたんに省略する。李本の書き下しをするとき、すごく苦労したのに。
「張顥・偉璋・趙玹・蓋升」のところ、切れる場所が分からない。

帝 奏を覧て嘆息し、因て更衣に起つ。曹節 後に在りて竊かに悉くを視て左右に事を宣告す。遂に泄漏して邕ら罪を被る。中涓の呂強 其の才を憐れみ、奏して免罪を請ふ。後に張譲・趙忠・封諝・段珪・曹節・侯覧・蹇碩・程曠・夏輝・郭勝、這の十人 朝綱を執掌す。此より天下の桃李 皆 十常侍の門下より出づ。朝廷の十人を待すること師父の如し。是に由り宮闈に出入すること稍々忌憚すること無し。府第 宮院に依りて不題を蓋造す。

張角が太平要術を得て、病を治す

却説 中平元年 甲子の歳、鉅鹿郡に一人有り。姓は張、名は角、両りの兄弟有り。一個は張梁、一個は張宝なり。角 𥘉め是の箇 秀才に第せず。因りて山中に往き薬を採り、一老人に遇ふ。碧眼・童顔にして、手に藜杖を執る。角を喚びて洞中に至らしめ、書三巻を授く。「名は太平要術なり。呪符 道を以て念ずるは、天を代へ宣化して普く世人を救ふことと為せ。若し異心を萌せば、必ず悪報を獲ん」と。角 拝して姓名を求む。老人曰く、「吾 乃ち南華老仙なり」と。遂に陣の清風に化して見へざり。角 此の書を得て、暁夜 攻習し、能く風を呼び雨を喚ぶ。号して太平道人と為す。

中平元年正月内、疫毒 流行す。張角 符水を散施して大賢良師と称す。符を請ひて病者を救へば、応ぜざるもの有る無し。患者をして親ら座前に詣で、自ら己の過を説かしむ。角 讖悔を興して以て福利を致す。角の徒弟 五百余人有り、四方に雲遊して病を救ふ。次後 徒衆 極めて多し。角 三十六方を立てて分布せしむ。大小の方 乃ち将軍の称なり。大方は万余人、小方は六・七千なり。各々渠帥を立てて訛言すらく、「蒼天 已に死す。黄天 当に立つべし。歳は甲子に在り。天下 大吉」と。
衆をして白土を以て「甲子」の二字を各家の門上及び郡県の市・鎮宮の観・寺院の門上に写かしむ。亦 甲子の字を青・幽・徐・冀・荊・揚・兗・豫に書く。其の八州の人 家家に大賢良師 張角の名字を侍奉す。角 大方の馬元義を遣りて暗かに金帛を賫り十常侍の封諝・徐奉と結交して、以て内応と為さんとす。
角 弟の梁・宝と与に商議して云く、「得ること至難なるは民心なり。今 民心 已に順なり。若し勢に乗じて天下を取らざれば、誠に万代に惜む可きことと為らん」と。梁云く、「正に弟と機を合はせ、一面 黄旗を造下して三月初五に約会せん。一斉に事を挙げ、弟子を唐州に遣馳して書を封諝に報ぜん」と。

「唐州」は、毛本では正しく「唐周」になってる。


黄巾の乱、起こる

唐州 逕赴して省中に変を告ぐ。帝 大将軍の何進を召して兵を調へ、先に馬元義を擒へて之を斬り、次に封諝ら一干人を收へて下獄す。
張角 事の発するを聞知し、星夜 起兵す。張角 天公将軍を自称す。弟の宝 地公将軍を称し、弟の梁 人公将軍を称す。百姓を召して云く、「今 漢の運数 将に終はらんとす。大聖人 出づ。汝ら皆 宜しく天に順ひ正に従ひ、以て太平を楽しめ」と。四方の百姓 黄巾を褁る。張角に従ひて反する者 四・五十万 州に逢ひ県に遇ひ、放火・刼人す。所在の官吏 風を望みて逃竄す。何進 帝に奏して、「火のごとく速やかに分投せよ。詔を降し、各処をして備禦・討賊し、功を立てしめよ」と。一面 差々中郎将の盧植・皇甫嵩・朱雋 各々精兵を引きて三路に分かれて之を討つ。

幽州太守の劉焉が義兵を募る

且説 張角の一軍 前に幽・燕の界分を犯す。校尉の鄒靖 幽州太守に来見す。

毛本は、「幽州の界」と、後漢の行政区分に近づけるが、「幽州太守」という誤りは踏襲する。正史への接近が、徹底しないまま残る。もはや、ポリシーとしか。

太守、姓は劉、名は焉、字は均郎、江夏の竟陵の人なり。漢の魯恭王の後なり。劉焉 鄒靖に問ひて云く、「黄巾 生発して侵して境界に及ぶ。当に之を如何とすべきか」と。靖曰く、「既に漢の天子 明詔有りて、各処をして賊を討たしむ。明公 何ぞ不軍を招きて以て国用を助けざる」と。

毛本では、「賊兵衆、我兵寡、明公宜作速招軍応敵」と。天子の詔は、省略されている。

焉 其の説を然りとす。随ひて即ち榜を各処に出し、張掛して義兵を招募し、量才・擢用す。

劉備の登場

時に榜文 涿県に到る。張掛 涿県の楼桑村に去き、一箇の英雄を引出す。那の人 甚だしくは読書を楽しまず、犬馬を喜び、音楽を愛し、衣服を美とす。言語少なく、礼は人に下る。喜怒 色に形れず、天下の豪傑と交游することを好む。

毛本には、「性寬和」があるが、李本にない。

素より大志有り。生れて身長は七尺五寸を得て、両耳は肩に垂れ、双手は膝を過ぐ。目は能く自ら其の耳を顧みる。面は冠玉の如く、唇は朱を塗るが若し。中山靖王 劉勝の後なり。漢の景帝閣下の玄孫にして、姓は劉、名は備、字を玄徳と表す。
昔 劉勝の子たる劉貞、漢武帝の元狩六年、封ぜられて涿県の陸城亭侯と為る。酬金〈酎金〉に坐して侯を失なふ。此に因り這の一枝 涿県に在り。玄徳の祖は劉雄、父は劉弘なり。劉弘 曽て孝廉に挙げらるるに因り、亦 州郡に在りて吏と為る。
備 早くに父を喪なひ、母に事ふること至孝なり。家は寒たり、履を販り蓆を織りて業と為す。
舍の東南角上 一桑樹有り。高さ五丈余、遥かに望見す。童童たること小さき車蓋の如し。往来する者 皆 言く、「此の樹 凡相に非らざるなり」と。李定云く、「此の家 必ずや貴人を出さん」と。玄徳 年幼の時、郷中の小児と樹下に戯れて曰く、「我 天子と為り、当に此の羽葆車蓋に乗るべし」と。叔父 責めて曰く、「汝 妄言する勿れ。吾が門を滅すや」と。年一十五歳にして、母 同年の劉徳然とともに行学せしめ、遼西の公孫瓉 友と為る。

毛本は、「嘗師事鄭玄・盧植、與公孫瓚等為友」とあり、鄭玄と盧植が出てきて、詳しい。しかし、正史で鄭玄に師事していない。毛本では劉備の階層がランクアップしてる。盧植は、のちの話の伏線だから、書いておいたほうが、うまい。
@AkaNisin さんはいう。きっと官渡前に劉備が鄭玄を頼ることの伏線ですね。その官渡の場面でも劉備と鄭玄の旧交について加筆がありますしね。清代は鄭玄の権威が再上昇した時期なので、その辺が背景にあるのでは。

玄徳の叔父 劉元起、玄徳の家の貧しきを見て、常に之に資給す。元起の妻云く、「各自 一家なり。何ぞ能く常にするや」と。元起曰く、「吾が宗中 此の児有りて非常の人なればなり」と。

張飛と関羽の登場

中平元年、涿郡 軍を招く。時に玄徳 年二十八歳なり。榜下に立ちて、長嘆すること一声にして回す。随後の一人 声を厲まして言ひて曰く、「大丈夫たるもの、国家に与して力を出さず、何故に長嘆するか」と。玄徳 回顧して其の人を見る。身長八尺、豹頭・環眼、燕頷・虎鬚にして、声は巨雷の若く、勢は奔馬の如し。
玄徳 此の人の形貌 異常なるを見て、遂に与に村中に同入して、其の姓名を問ふ。其の人曰く、「吾 姓は張、名は飛、字は翼徳なり。世々涿郡に居し、頗る庄田有り、酒を売りて猪を屠す。専ら天下の壯士と結交することを好む。却りて纔かに、公 榜を看るを見たり。何故に長嘆するや」と。玄徳曰く、「我 本は漢室の宗親なり。姓は劉、名は備、字は玄徳。今 黄巾賊 起ちて州県を刼掠すを聞く。心に待すること有り、中原を掃蕩して、社稷を匡扶せんことを。力 能はざるを恨むのみ。飛曰く、「正に吾と機を合すべし。吾 庄客 数人有り。同に大事を挙ぐること若何。玄徳 甚だ喜び留めて飲酒す。
間ごろ一大漢を見る。一輛の小車を推して店門の外に到り、歇めて車子を下ろし、入り来りて酒を飲む。坐に桑木の凳上する在り、喚酒して保つ。即ち釃酒 来る。「我 待趕して入城し、充軍を去り、怕遲したり」と。

何だかよく分からないので、毛本の同じ場面を並記する。
正飲間,見一大漢,推著一輛車子,到店門首歇了;入店坐下,便喚酒保:「快斟酒來吃,我待趕入城去投軍」

玄徳 其の人を看るに、身長は九尺五寸、髯長は一尺八寸、面は重棗の如く、唇は抹朱の若し。丹鳳眼・卧蠶眉にして、相貌 堂堂たり、威風 凛凛たり。玄徳 就邀して同坐して姓名を問及す。其の人 言ひて曰く、「吾 姓は関、名は羽、字は寿長なり」と。其の後 改めて雲長と為す。河東の解良の人なり。本処に因りて豪霸・倚勢たり。人を欺き、関某 之を殺し、江湖に逃難すること五・六年なり。今 義士を招募して黄巾賊を破らんとするを聞き、往きて応募せんと欲す。玄徳 遂に己の志を以て之を三人に告げ、大いに喜ぶ。同に張飛の荘上に到り、共に天下の事を論ず。

桃園で決義する

関・張の年紀 皆 劉玄徳よりも小如たり。遂に欲す、拝して兄と為さんことを。飛曰く、「我が荘の後、一小桃園あり。開花して茂盛たり。明日 白馬を宰りて天を祭り、烏牛を殺して地を祭る可し。俺が兄弟三人、生死の交を結ぶこと、如何」と。三人 大喜す。
次日 桃園に於いて中列し、金紙・銀銭を下し、宰りて烏牛・白馬を殺し、地上に列す。三人 焚香・再拝して説誓して曰く、「念ず、劉備・関羽・張飛、異姓と雖然も結びて兄弟と為り、心を同じうし、協力して困を救ひ危を扶けん。上は国家に報じ、下は黎庶を安ぜん。同年同月同日に生まるることを求めず。只 同年同月同日に死せんことを願ふのみ。皇天・后土 以て此の心を鑑ぜよ。背義・忘恩すれば、天人 共に戮せ」と。
誓ひ畢はり、共に玄徳を拝して兄と為す。関羽 之に次ぎ、張飛 弟と為る。祭り罷み、天地 同拝す。玄徳の老母、将に福物を祭り、郷中の英雄を之に聚む。人 三百有余を得たり。桃園中に就き、痛飲して一醉したり。

張世平・蘇双に軍資を援助される

来日 軍器を收拾す。匹馬の乗る可き無きを恨み、思慮を間に正す。人 報ず、「両りの客人有りて十数を引き、趕一群の馬を伴当して荘上に投じ来る」と。玄徳曰く、「此れ天の我らを祐くるなり。当に大事を成すべし」と。三人 荘を出でて前頭に迎接す。両箇の商人 乃ち中山の大商なり。一箇 是れ張世平、一箇 是れ蘇双なり。逓年 北に往き、馬を販して値を正す。寇 発し、郷に帰り回来す。玄徳 二人に請ひ、荘上に到らしめ、置酒して管待し、与に民より害を除き、漢朝を扶助せんと欲すと訴及す。張世平・蘇双 大いに喜び、良馬五十匹を将ゐて玄徳に送与することを願ふ。又 金銀五百両・𨮘鐵一千斤を贈り、以て器用に資す。玄徳 良匠を求めて双股剣を打造す。関某 八十二斤の青龍偃月刀を造り、又「冷艷鋸」と名づく。張飛 丈八㸃の鋼矛を造る。
各々全身を鎧甲に置き、一斉にして完備し、聚五百余人と共に鄒靖を来見す。鄒靖 太守の劉焉に引見す。三人 参拝す。已に畢はり、其の姓名を問ふ。宗派より起るを説く。劉焉 大喜して云く、「既に是れ漢室の宗親 但だ功勲有れば、必ず当に重用すべし」と。此に因り、玄徳を姪と為すを認め、軍馬を整点す。
人 報ず、「黄巾賊の大方たる程遠志、人馬は五万、涿郡に哨近す」と。劉焉 馬歩校尉の鄒靖をして劉玄徳を着引し、先鋒と為して前に去き、敵を破らしむ。玄徳 大喜して関某・張飛とともに身を飛して馬に上り、大功を来趕す。怎にして勝を生取するや。140922

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第1回下_劉玄徳 寇を斬りて功を立つ

嘉靖本や葉逢春本では、240回だったが、李卓吾本では120回。しかし、240回のときの名残か、240回分のタイトルが付いてる。1回上、1回下、という表記で、話を分けておきます。

劉備が軍略により程遠志を破る

玄徳 五百余衆を部領す。飛 前を奔り、来直して大興山の下に至り、賊と相ひ見ゆ。各将の陣勢 擺開す。玄徳 馬を出す。左に関某有り、右に張飛有り。鞭を揚げて大いに罵り、
「反国の逆賊 何ぞ早く降らざるか」と。
程遠志 大怒して副将の鄧茂を遣はし、鎗を挺して直出せしむ。張飛 環眼を睜して丈八矛を挺し、手に起こす処 刺して心窩に中つ。鄧茂 身を翻して落馬す。
後人 翼徳を讃へて云く、
「勇をして三分国を鎮せしめんと欲せば、先に試せ、衠鋼 丈の八矛」と。
程遠志 見折したりて、鄧茂 馬を拍し刀を舞はしめ、直ちに取る。張飛・関某を馬を躍らせ刀を舞はしめ、直出す。程遠志 見たりて、心肝 皆 碎け、手を措きて関某の刀を被るに及ばず、起処して揮ひて両段と為る。
後人 雲長を讃して曰く、
「唯だ立国・安邦の手に憑かば、先に試せ青龍の偃月刀」と。
衆賊 程遠志の斬らるを見て、戈を倒し、甲を卸して投降する者 其の数を知れず。斬首 数千級なり。大いに功を獲て回る。太守の劉焉 親自ら迎接して、三軍を賞労す。

劉備が、青州太守の龔景を救う

又 流星馬 飛して報らしむ、青州太守の龔景 牒文有りて、急を告ぐることを。言はく、「黄巾賊 城を囲みて、将に陥せんとす。乞ふ、救援を賜はらんことを」と。劉焉 玄徳と共に議す。玄徳曰く、「願はくは往きて之を救はん」と。劉焉 鄒靖をして兵五千を将ゐしめ、玄徳に随ひて去救せしむ。玄徳・関・張 上馬して青州に投ず。
来りて遥かに望見す、賊人 皆 髪を披ふに黄絹抹を以てすることを。八卦を以て画き、交々号を為す。賊衆 救軍を見て、兵を分けて混戦す。玄徳の兵 寡なくして勝たず、三十里を退きて寨に下る。
玄徳 関・張に曰く、「賊は衆く、我は寡なし。必ず奇兵を出し、然る後、勝を取らん。乃ち関某を分けて一千軍を引きて山左に伏せ。張飛 一千軍を引きて山右に伏せ、金を鳴らして号を為して斉しく出で、応を為せ」と。
次日 玄徳・鄒靖 軍を引き、鼓譟して進む。賊衆 大喊す。潮の湧くが如く、玄徳に到る。便ち〈玄徳は〉退き、賊衆 勢に乗じて追趕し、山嶺を過ぐ。玄徳の軍 一斉に金を鳴す。左は関某、右は張飛、両軍 斉しく出づ。玄徳の軍 三路に回りて掩殺す。賊衆 大敗し、直趕して青州の城下に至る。
太守の龔景 亦 民兵を率ゐて、城を出でて戦を助く。賊勢 大潰し、勦戮せらるもの極めて多し。余党 敗走して、遂に青州の囲を解く。太守 諸軍を犒賞す。

劉備が盧植のもとにゆく

鄒靖 玄徳を回さんと欲して曰く、
「近く聴知す、中郎将の盧植 賊首の張角と広宗に戦かふ」と。
備は昔、公孫瓉と与に盧植に師事す。往きて之に就き、力を同じくして賊を破らんと欲す。鄒靖曰く、
「糧食 以て応付すべし。軍馬 敢へて妄動せしめず」と。
此に因り、玄徳 自ら本部の五百人を引きて、広宗に投じ、来る。鄒靖 軍を引きて自ら回す。
玄徳 関・張と与に盧植の寨前に来到す。人馬を屯住して報覆すること良に久し。植 喚し、三人 帳に入る。礼を施して罷み、植 玄徳に行蔵を問ふ。玄徳 説き了り、盧植 大いに喜び、賞労す。畢りて着きて帳前に在りて聴調す。
時に張角の賊衆は十五万、広宗に屯す。盧植の兵は五万余衆なり。連勝・幾陣すると雖も、未だ次第を見ず。植 玄徳に喚して曰く、
「我 見る、今 賊を囲みて此に在り。賊の弟たる張梁・張宝、頴川に在りて、皇甫嵩・朱雋らと厮殺す。汝 本部の軍馬を引きて、更めて助く可し。汝 一千の官軍もて就去して消息を打聴し、約会して勦捕せよ。玄徳 文書を領し、関・張と与に、星夜 頴川に投じ来る。

劉備が潁川で、皇甫嵩・朱儁を助ける

其の時、皇甫嵩・朱雋 官軍を領し、賊と大戦す。賊 戦ひて利あらず、乃ち退きて長社に入り、草に依りて営を結ぶ。嵩 四面より囲定す。嵩 雋に曰く、
「賊 此に在り、草に依りて営を結ぶ。火攻を用てすること非ざるを除き、勝つ可し」と。

まどろっこしい訳ですが。火攻以外に勝つ方法はないよね、と。「除」は、if...not、という語法なのでしょう。

雋曰く、「大風の起るを候ち、此の計目を施す可し。今 軍士をして人ごとに、草一把を束ましめよ」と。
其の夜、大風 驟起す。嵩 先に精鋭の軍士をして、暗地に先に出でしむ。是の夜の二更、内外より一斉に火を縦にす。嵩・雋 各々兵を引き、操鼓して出奔す。賊寨の火熖 天に張す。賊衆 驚慌し、馬は鞍ずるに及ばず、人は甲ずるに及ばず、四散して、奔走・殺到す。

曹操の登場

天 明け、張梁・張宝 敗残の軍士を引きて、路を奪ひて走ぐ。一彪の人馬を見て、尽く行きて紅旗を打つ。当頭 来到し、路に截住去し、首に閃出を為す。

口語?の訓読の方法が、よく分かりません。動詞に、状態や方向に関する言葉を添えるやつ。

一箇の好英雄、身長は七尺、細眼・長髯、肝量 人に過ぎ、機謀 衆より出づ。斉桓・晋文を笑ひて、匡扶の才無し。趙高・王莽を論じ、少くして縦横の策もて用兵し、孫呉を彷彿とせしめ、胸内に韜略を熟諳す。

李卓吾本の曹操の人物造詣。ここにある記述は、まったく正史に典拠がないキャラ(だと思う)。正史臭い李卓吾本にしては珍しい。どこに由来するか調査すると、おもしろそう。毛宗崗本は、この下りを全てカットし、正史の人物描写に戻した。

官は騎都尉を拝す。沛国の譙郡の人なり。姓は曹、名は操、字は孟徳なり。乃ち漢の相〈相国〉曹参の二十四代の孫なり。
操の曽祖 曹節、字は元偉、仁慈・寛厚たり。隣人 一猪を失去する有り。節が家の猪と、相ひ類す。門に登りて之を認む。節 与に争はず、之を駆け去らしむ。後二日、失去せるの猪 自ら帰る。主人 大いに慙じて節に送還し、再拝して罪に伏す。節 笑ひて之を納る。其の人となり寛厚たること此の如し。

黄巾の乱の名場面(張宝と張梁を討伐してる)なのに、曹操の祖父の話を、ダラダラとやる。たしかし裴注に準拠してるけど。
毛宗崗本では、曹操自身の人柄を紹介するエピソードこそ、引くものの、祖父の話をダラダラやったりしない。毛宗崗本のほうが、通行するわけです。

節 四子を生む。第四子 名は騰、字は季興なり。桓帝朝 中常侍と為る。後に費亭侯に封ぜらる。養子の曹嵩 原は是れ夏侯氏の子なり。房を過ぎ、曹騰を与に子と為す。因りて此の姓なり。曹嵩の人となり、忠厚・純雅なり。官は司隷校尉を拝す。霊帝 拝せしめて大司農と為し、大鴻臚に遷す。
嵩 操を生む。小字は阿瞞、一名は吉利なり。操 年幼の時、飛鷹・走犬を好む。歌舞・吹弾を喜ぶ。少くして機警、権数有り。遊蕩 度無し。叔父 之を怪みて曹嵩に言ふ。嵩 操を鞭撻す。操 忽に心に一計を生ず。一日 叔父に見ひ、来りて詐りて地に倒れ、面を敗り、口を喎ぐ。叔父 慌てて之に問ふ。操曰く、「卒かに中風となる」と。
叔父 帰りて嵩に告ぐ。操 地に潜りて家に帰る。嵩 驚きて問ひて曰く、「汝の中風 已に差ゆるや」と。操曰く、「自来 此の疾病無し。但だ叔父に愛を失なひ、故に罔せらるのみ」と。嵩 乃ち其の言を信じ、後に叔父 但だ操の過失を言へども、嵩 並せて聴かず。此に因り、操 恣意に放蕩することを得て、行業を務めず。
時人 未だ奇を之とせず。惟 橋玄有り、一見して指して言ひて曰く、「天下 将に乱れんとす。命世の才に非ざれば、済ふ能はず。能く之を安ずる者は、其れ君に在あるか」と。
南陽の何顒 操を見て言ふ、「漢室 将に亡びんとし、天下を安ずる者 必ず是れ此の人なり」と。汝南の許劭 高名有り。操 往きて之に見へて問ひて曰く、「我 何如なる人や」と。劭 答へず。又 劭に問へば、曰く、「子 治世の能臣、乱世の奸雄なり」と。
年二十、孝廉に挙げられ郎と為り、洛陽北都尉に除せらる。初め任に到り、四門に各々五色の棒 十余條を懸く。禁を犯す者有れば、豪貴を避けず、皆 棒もて之を責む。霊帝 喜する所の小黄門 蹇碩の叔父 刀を提げて夜行す。操 巡夜・拏住し、就て棒もて之を責む。是に由り、内外 敢へて犯す者莫し。威名 頗る寰宇に震ふ。後に頓丘令と為る。

正史準拠の李卓吾本の「暴力」。劉備が広宗で活躍→劉備が潁川に急行→潁川で皇甫嵩が黄巾を火攻→黄巾の首脳が逃走→道中で曹操と遭遇、とテンポ良く話を進めた直後。曹操の曽祖父の曹節がブタを隣人に返した話を、ゆるゆると始め、曹操の祖父・父、曹操の幼少期を説明。黄巾の戦い、どうなったの!
@AkaNisin さんはいう。李本系統でありながらこうゆう正史臭さがないのも『吉川三国志』の長所ですね。『通俗三国志』と『吉川三国志』ので段構えの脱臭作業。
ぼくは思う。物語は、単線でしか進められない。しかし歴史をしっかり伝えるには、脱線や補足が必要なわけで。正史『三国志』は、紀伝体という体裁(関連記事が遠くにあっても脳内リンクせよ)、裴松之注(別の話が割り込んでも付き合え)という、2つの反則級の手法で叙述を成り立たせた。「演義」化する困難さよ!
というわけで、やっと場面が「現代」に戻ってくる。


曹操が、張梁・張宝を追撃する

黄巾の起つに因り、拝して騎都尉と為る。馬・歩軍 五千を引きて、前に頴川に来り、戦を助く。正に値り、張梁・張宝 敗走す。曹操 攔住して一陣を大いに殺し、斬首すること万余級。旗旙・金鼓・馬匹を奪到すること、極めて多し。梁・宝 死戦して脱るるを得たり。
操 皇甫嵩・朱雋に来見し、賞労せらる。畢りて便ち曹操をして兵を引きて追襲せしむ。操 欣として去く。

@AkaNisin さんはいう。李卓吾本って、正史から文章をそのまま持ってきた感じがある。例えば、李本は袁紹や曹操の系譜について、「袁安の孫」「曹参の後裔」とする。いかにも正史の列伝そのままの説明ですが、毛本では、これを「袁隗の甥」「曹騰の養孫」とする。前者は、このあと袁隗が登場して董卓におもねったり殺されたりするので、その関係がわかりやすいように。後者は、曹操の出自の賎しさを強調するため。毛本は物語としてのわかりやすさ、面白さ、義の所在を明確にしてます。通行本となりえた所以だと思います。


劉備が、護送される盧植に会う

却説 玄徳 関・張を引きて、頴川に来る。得て喊殺の声を聴き、火光の照を望見す。夜の明くるを得て、急ぎ兵を引きて来る。時に賊 已に敗散す。玄徳 書を持して皇甫嵩・朱雋に見ひて盧植の事を言ふ。嵩曰く、
「張梁・張宝の勢は窮まり、力は乏し。必ず広宗に投じて、去きて張角に依らん。汝 即く可し。便ち星夜 往きて助けよ。得て遅慢する勿かれ」と。
玄徳 拝辞して、兵を引き、復た路を回る。
正に一軍 約三百余人を迎ふ。一輌の檻車を護送す。之を視れば乃ち、盧植なり。玄徳 大驚して鞍より滚りて下馬し、其の原故を問ふ。植曰く、
「我 張角を囲み、将に次に勝たんとす可きを、角の妖術を用ふるを被る。此に因り未だ全勝すること能はず。今上 小黄門の左豊に差せしむ。前来 体探し、我に賄賂を要せんことを問ふ。我 答へて曰く、
「軍中 銭を欠く。安んぞ天使に奉承すること有らんや」と。
左豊 恨を挾み、奏上を回して曰く、
「広宗の賊 極めて容易に破るるも、盧植 塁を高くして戦はず。軍心を惰慢とし、以て天の自ら誅戮するを待つ」と。
此に因り、怪怒せられ、中郎将の董卓を遣りて替ふ。我を取りて京師に回し、罪を問ひて去るなり。

張飛 聴き罷み、大怒して護送の軍人を要斬し、以て盧植を救はんとす。玄徳 急ぎ止めて曰く、
「朝廷 自ら公論有り。汝 豈に躁暴す可きや」と。
関公も亦 当に住むべしとす。
軍士 盧植を簇擁して去る。関公曰く、
「盧中郎 已に自ら兵権を罷め、別人 領兵す。我ら去きても依る所無し。且に涿郡に回るに如かず」と。
玄徳曰く、「然り」と。遂に軍を引きて北面行に往く。

劉備が董卓と遭遇し、命を救う

行くこと二日と無く、忽ち山後の喊声 大いに震へ、殺気 天に連なるを聞く。玄徳 関・張を引きて、縦馬を高崗に上げて之を望む。漢軍の大敗して後面し、山に漫ち野を塞ぐを見る。黄巾 地を蓋ひ、旗旙 天公将軍と大書するを見る。玄徳曰く、
「此れ必ず是 張角なり。可速やかに之と戦かふ可し」と。
三人 馬を飛ばし軍を引き、操鼓して張角を出す。正に董卓を殺敗し、勢に乗じて趕来せんとす。
忽ち見る、山の背後に一彪の人馬。飛出して当に玄徳を先とし、左に関公有り、右に張飛有り、角の軍を衝殺し、大いに乱し、趕追すること五十余里。董卓を救ひ、寨に回り、三人 董卓に来見す。卓「何の職に居るか」と問ひて見ゆ。玄徳 対へて曰く、「白身なり」と。卓 甚だ之を軽じ、賞賜を与へず。 玄徳 出づ。張飛 大怒して曰く、「我ら親ら血戦に赴き救へり。這の厮到 人を覻ること無物が如し。吾 之を殺さずんば、怒気を解き難し。刀を提げ、入帳して来り、董卓を殺さんとす。試看せよ、董卓の性命 如何。且聴下回分解。140922

李卓吾先生の「総評」などは、また後日読みます。とりあえず、物語を先に進めることを優先します。
毛宗崗本のほうが、セリフが簡略。というか、間接話法に置き換えてしまい、字数を圧縮する。しかし、毛宗崗本は、ここで詩をはさむ。「人情勢利古猶今、誰識英雄是白身。安得快人如翼德、盡誅世上負心人」と。うーん、あっても無くても、どっちでもいい詩ですね。むしろ、ジャマですねw

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第2回上_安喜県にて張飛 督郵を鞭うつ

『三国演義』のオリジナル場面、劉関張が口語で大活躍するとき、書き下しの方法がよく分かりません。正史臭いところは、わりに読めるのだが。両をこなせば、習得できるのだろうか。

張飛をなだめ、董卓から離れる

董卓 字は仲頴、隴西の臨洮の人なり。卓 数々羌胡を討ち、累ねて辺功有り、官は河東太守を拝し、中郎将を鎮領す。自来、人に驕傲なり。以て到る、張飛 性を発し、董卓を殺さんと欲するに。関公 急ぎて抱住す。玄徳 之を叱りて曰く、
我ら皆 白身〈無官〉の人なり。他 是れ朝廷の命官、許多の人馬を掌握す。汝 今 之を殺せば、将に反かんと欲するか」と。
飛曰く、「若し卓の部下に令を聴くもの在れば、吾 必ず去らん」と。
玄徳曰く、「吾 三人、死生 処を共にす。安ぞ棄つる可きや。董卓より離るるに若かず。他処に別投せん」と。
飛曰く、「若し此の如くんば、方に我が恨み解けん」と。

朱儁を頼り、黄巾の呪術を破る

是夜、三人 軍を引きて朱雋に来投す。雋 之を待すること甚だ厚し。兵を一処に合せ、進みて張宝を討つ。
是の時、曹操 自ら皇甫嵩に跟ひて進み、張梁を討ち、曲陽に大戦す。

且説 朱雋 張宝・張宝に進攻するも、尚ほ黄巾の賊は衆く、八・九万を引きて山後に屯す。雋 玄徳をして先鋒と為し、宝と対敵せしむ。三人 陣前に立馬す。張宝 副将の高昇をして出馬せしめ、大刀を揮ひて搦戦す。張飛 縦馬・挺矛して、昇と交戦す。戦ひて数合もせず、飛 高昇を刺し、墜馬せしむ。
玄徳 軍を引きて、直撞して張宝に過去す。馬上に就き、髪を披し、剣を仗し、法を作す。風雷 大いに作り、黒気中に無限の人馬 天より降る。玄徳 軍を急回して、大いに乱る。張宝に殺敗せられて退き、朱雋に見ゆ。雋曰く、
「此れ妖術なり。来日 猪羊の血を宰る可し。軍士をして山頭に伏せ、賊を候たしめよ。高坡上に趕来し、之を潑せよ。其の法 解く可し」と。
玄徳 令を聴き、已に畢はる。関羽・張飛を撥して、各々軍一千を引き、山後・両山の上に伏せしむ。軍五百を差はし、猪羊の血并びに穢物を盛り、准備す。
次日、張宝 旗を揺し、鼓を擂し、軍を引きて搦戦す。玄徳 披掛して上馬し、軍を引きて出戦す。両軍 交鋒するの際、張宝 法を作し、地を平らげ、風雷 大いに作り、砂を飛ばし、石を走らしむ。一道に黒気 軍中より起り、人馬を滚滚として、天より下る。玄徳 馬を撥して便ち張宝より走ぐ。人馬 趕来して、将に山頭を過ぎんとするに、一声 砲響す。五百軍 穢物もて斉しく潑す。但だ見る、空中に紙人・草馬あり、紛紛として地に墜つを。風雷 頓息し、砂石 飛ばず。
張宝 法を解かるるを見て、急ぎ引兵して山後に退く。左辺より関羽 一彪の軍馬もて出づ。右辺より張飛 一彪の軍馬もて出づ。背後に玄徳・朱雋 一斉に趕上す。賊兵 大敗す。張宝 軍中に路を奪ひて走ぐ。玄徳 望見す、地公将軍の旗号。馬を飛ばして趕来すれば、張宝 落荒して走ぐ。玄徳 満弓を拽くを被り、只一箭 射て、左臂に中つ。張宝 箭を帯びながら、脱走するを得て、陽城に入る。堅守して出でず。這の一陣に賊を殺すこと三万余衆、降る者 其の数を知れず。

皇甫嵩が張角を破る

朱雋 軍を引きて陽城を囲み住まる。月余、下らず。人を差はして、皇甫嵩の消息を体探せしむ。人 回りて報説す、「皇甫嵩 大いに勝捷を獲て、董卓 数陣に連敗す」と。
皇甫を差はして之を伐たしむ。嵩 到るや、時に張角 已に死せり。弟の張梁 王者の衣冠を用て、之を塟むる。皇甫嵩 七陣に連嬴して、張梁を曲陽の下に斬る。人を差はして張角の棺椁を掘らしめ、梟首して京師に送往す。降る者 十五万、殺戮する者 其の数を計らず。

朝廷 皇甫嵩に車騎将軍を加へ、冀州牧を領せしむ。一時の人 皆 官爵を得たり。武騎校尉の曹操 済南相に除せらる。已に皆 赴任して去り訖はる。
朱雋 聴説して軍馬を催促し、陽城を攻打す。賊勢 危急たり。従ひて賊の厳政 張宝を刺殺し、首を献じて投降す。朱雋 遂に数郡を平らぐ。人を差り、表を進めて功を奏す。朝廷 正に商議して、陞用せんとす。

朱儁が南陽を攻める

飛報 奏す、「黄巾の余党たる南陽の趙弘・韓忠・孫仲 衆十余万を聚め、望風・焼掠して、張角を報讐せんと称す」と。大臣 上表して目を即け、朱雋 屯兵の六万余衆たるを見て、就きて之を討たしむ可きとす。即日、詔を朱雋に降す。詔旨を領し、大小の三軍 起行し、比ごろ及前して宛城に至る。趙弘 韓忠を遣はして前来せしめ、迎戦す。各々兵を野に陳す。
朱雋 玄徳・関・張を遣はして、城の西南角を攻めしむ。鳴鼓し、韓忠と大戦す。尽く精鋭の衆を率ゐ、西南角に来る。
玄徳 鏖戦し、辰より午に至る。賊衆 退かず。朱雋 自ら鉄騎の二千を縦し、東北角を逕取す。身を翻して賊を殺す。賊 城を失ふことを恐れ、急ぎ西南を棄て回す。玄徳 背後より賊衆を掩殺す。大敗して宛城に奔入す。朱雋 兵を分けて四面より囲定す。 城中 糧を断つ。韓忠 人をして城より出でしめ、投降す。玄徳 引見して忠に投拝を説く。雋 許さず。玄徳曰く、
「昔 高祖の天下を得るは、蓋し能く招降・納順を為せばなり。公 何ぞ用ゐざる」と。
雋 笑ひて曰く、
「玄徳の諌は、差れり。天の時 同じからざる有り。昔 秦項の際、天下は大乱し、民は定主無し。故に招降・賞附、以て勧来するのみ。今 海内 一統す。惟だ黄巾のみ逆を造す。若し其の降を容るれば、以て勧善すること無く、賊をして利を得て恣意に刼掠せしむ。賊 若し利を失へば、便ち使して投降す。此の寇を長ぜしむるの志、良策に非ざるなり」と。

よくできた議論ですね。

玄徳 善を称へて雋に告げて曰く、「寇降を容るは是なり。今 四面 囲ふこと鉄桶の如し。賊 降を乞ふとも得ず。必ず然り、死戦せん。万人 心を一にして、尚ほ当たる可からず。况んや城中 数万の死命の人有り。東南を撤去して西北に留め、力を尽くして賊を攻打するに若かず。必ず城を棄てて走げん。心は戦を恋ふこと無ければ、即ち擒らふ可し」と。
雋曰く、「高見して随ひ、東南二面の軍馬を撤去せよ。一斉に西北の韓忠を攻打せよ」と。
果して軍を引きて城を棄て、奔走す。雋 三軍を率ゐて掩殺す。雋 親自ら韓忠を射殺す。余は皆 四散・奔走す。趙弘・孫仲 賊衆を引きて到来し、朱雋と交戦す。雋 弘の勢 大なるを見て、軍を引く。暫く退くに、弘 勢に乗じて復た宛城を奪はんとす。雋 離るること十里、寨を下り、正に攻打せんと欲するに、正に東より一彪の人馬 到来するを見る。

孫堅の登場

那の人、生得の広額・濶面、虎体・熊腰、呉郡の富春の人なり。姓は孫、名は堅、字は文台、乃ち孫武子の後なり。年十七歳の時、県吏と為る。父と共に搬し、銭塘に至る。正に見る、海賊の胡玉ら十余人、商人の財物を刼取し、方に岸上にて分賍するを。行旅 皆 住まりて、敢へて船を進めず。堅 父に謂ひて曰く、
「此の人 之を擒ふ可し」と。
父曰く、
「汝の図る所に非ざるなり」と。
堅 奮力・提刀し、岸に上り、声を揚げ、大叫して東西に指揮するに、人を喚する意あるが如し。賊 以為へらく、官兵 至らんと。尽く財物を棄てて奔走す。堅 趕上して一賊を殺す。是に由り、郡県に名を知られ、保ちて校尉と為る。
後に会稽の妖賊 許昌 造反して、陽明皇帝を自称す。聚衆は数万なり。堅 郡司馬と与に勇士 千余人を招募す。会 州郡を合せて之を破り、許昌并びに其の子たる許韶を斬る。剌史の臧旻 上表して孫堅の功績を奏し、堅を除して塩瀆丞と為す。又 盱眙丞・下邳丞に除せらる。

黄巾の寇 起つを見るや、郷中の少年及び諸商旅、并びに淮泗の精兵一千五百余人を聚集し、前来して接応す。
朱雋 大喜して、便ち堅をして南門を攻打せしむ。玄徳は北門を打つ。朱雋は西門を打つ。東門を留めて賊に走ぐるを与ふ。
是の日、孫堅 首先に登城し、賊二十余級を斬る。賊衆 奔潰す。趙弘 飛馬・突搠し、堅に直取す。堅 城上より飛身し、弘の手を取る。弘を奪ひ、搠す。直剌・下馬し、却ひて弘の馬に騎る。飛身し、賊に往来す。
孫仲 賊を引きて北門に突出す。正に玄徳に迎ふ。心は戦を恋ふこと無く、只 奔逃を待す。玄徳 弓一箭を張り、孫仲に正中し、翻身・落馬せしむ。朱雋の大軍 随後し、掩殺・斬首すること数万級なり。降る者 勝げて計ふ可からず。南陽の一路 十数郡 皆 平らぐ。

劉備が安喜県尉に任ぜらる

雋の班師 京に回り、車騎将軍・河南尹を拝す。雋 孫堅・劉備らの功を保つ。堅 人情有りて、別郡司馬に除せらる。玄徳に辞して去る。
惟 玄徳 聴候すること日に久しけれども、除授を得ず。三人 鬱鬱として楽しまず。上街・閑行するに、正に郎中の張鈞の車 到るに値ふ。玄徳 攔住して功蹟を説く。鈞 大驚して、随ひて入朝せしめ、帝に来見して曰く、
「昔 黄巾 造反す。其の原は皆 十常侍の売官・害民に由る。親に非ずんば用ゐず、讐に非ずんば誅せざれば、以て天下 大乱するに致らん。宜しく十常侍を斬るべし。頭を南郊に懸け、使者を遣りて天下に布告し、功の重き有れば賞賜を加ふれば則ち、四海 自ら清平たり」と。
十常侍曰く、
張鈞 主を欺くなり。武士をして朝門を推出せしむ可し」と。
張鈞 気倒す。帝 十常侍と共に此を議す。
「必ず是れ、黄巾を破りて功有る者、除授を得ざれば、故に怨言を生ず。権 且つ家を省て微名を銓注せしめよ。待後、功有れば、却りて再び理会すること未だ晚からず」と。
此に因り、玄徳 定州の中山府の安喜県尉に除授せらる。克日 赴任す。玄徳 軍を将ゐるとも、四散して郷里に回り、随行するもの二十余人なり。関・張と与に安喜県中に到る。県事に任署すること一月、民 秋毫も其の盜を犯す者無く、皆 化せられて良民と為る。

劉備の善政が、定型文によって誇張される。毛本も同じ。

到任の後、関・張と食らはば則ち卓を同じくし、寝ぬれば則ち床を同じくす。如し玄徳 稠人の広坐に在れば、関・張 侍立すること終日にして倦まず。

督郵がきて賄賂を要求する

県に到りて未だ四月に及ばず、州郡 詔を被る。其の軍功有りて長吏と為る者 沙汰に当てらる。備 疑ひて遣中に在り。督郵 県に至り、玄徳 廓を出て迎接す。督郵の到るに見へ、慌忙に下馬し、礼を施す。督郵 坐して馬上に在り。惟 微かに鞭を以て指し、回答す。関・張 気塡・胸臆し、敢へて怒れども敢へて言はず。随ひて館駅の中に到る。督郵 正面して高坐す。玄徳 階下に立つ。

督郵の傲慢さは、毛本も同じ。

将に両箇の時辰に及ばんとし、督郵 問ひて曰く、
「劉県尉 是れ何の根脚あるや」と。
玄徳曰く、
「備 是れ中山靖王の後なり。涿郡より黄巾を勦戮す。大小三十余戦し、功労を把して畧節 過を提ぐ」と。
督郵 大喝して、
「道を乱すは、你這 厮なり。皇親を詐称し、功蹟を虚報して目す。今 朝廷 詔書を降して、正に要問す、這らのごとき人の沙汰、濫官・汚吏を」と。

悪役の督郵が、劉備の正体を見抜いているw

玄徳 喏喏として連声し、退帰して県中に到る。県吏と与に商議す。吏曰く、
「督郵 威を作すは、賄賂を要するに非ざる無し」と。
玄徳曰く、
「我 民と秋毫も那を犯す無し。財物を得れば他に与ふ」と。
次日、督郵 先に県吏を提げ、去きて文書を勒要し、県尉の民を害するを教指す。玄徳 自ら往きて之に見へ、被りて当に門外に住まり、放参を肯ぜず。玄徳 再三 見ふことを求むれども、終に入るを得ず、県衙に回到す。心中 怏怏たり。

張飛が督郵をむちうつ

却説 張飛 数盃を飲み、酒に悶とす。上馬して館より駅前を過ぐるに、五・六十箇の老人を見る。皆 門前に在りて痛哭す。飛 其の故を問ふ。
衆の老人 答へて曰く、
「督郵 県吏に逼勒して、劉玄徳を害せんと欲す。我等 皆 来りて苦告するとも、放入するを得ず。反りて、門人に趕打せらるに遭ふ」と。
張飛 大怒して、環眼を睜圓し、鋼牙を咬碎す。滚鞍・下馬し、館駅に徑入す。門人を見るや、皆 遠躲・避直して、後堂に奔り、督郵の廳上に坐るを見る。県吏を将ゐて綁倒 地に在り。
飛は、「害民の賊、我を認得するか」と大喝す。
督郵 麽し、急ぎ起ちて左右に喚き捉下す。張飛に手揪もて頭髪を住め、直扯して館駅を出づ。逕揪 県前に到り、柳上に楊げて縛住す。飛 柳條に攀下して去く。督郵の両腿上 鞭打到すること二百。柳枝を打折すること十数條。

描写がいきいきしてくると、書き下し方が分からない。きっと、だいぶ間違ってます。

玄徳 正に悶を納るるの間、県前の鼎沸を聴得す。左右に慌問す。答へて曰く、
「張将軍、一人を県前に在りて痛打す」
と。玄徳 慌てて之に去観すれば、飛の大罵して止まざるを見る。綁縛せらる者は督郵なり。玄徳 驚きて其の故を問ふ。飛曰く、
「此等 害民の賊なり。打死せしめざれば、等甚」
督郵 告げて曰く、
「玄徳公、性命を救へ」と。
玄徳 終に是れ仁慈の人なり。急ぎ張飛を喝し、手を住め傍辺に転過す。関公 来りて曰く、
「兄長 許多の大功を建下するに、只 県尉の職を得るのみ。督郵 此の如く無礼なれば、吾 思ふに、枳棘・叢中 鸞鳳の棲む所に非ず。督郵を殺して官を棄て、帰郷して別に遠大の計を図るに如かず」と。
玄徳 印綬を取り、督郵の頸に掛け、之を責めて曰く、
「汝が賊徒 害民するに拠り、当に以て之を殺すべし。吾 忍びざる所有り、官の印綬を還す。吾 已に去らん」と。
玄徳・関・張、連夜 涿郡に回る。
県民 督郵を解放す。督郵 帰りて定州太守に告ぐ。太守 文書を動かし、省府に人を差はし、玄徳・関・張の三人を捕捉する事を申聞す。

白話小説っぽい部分は、とても苦手です。やっと終わった。

急ぎ車に老小を載せ、代州に往き、劉恢に投ず。恢 玄徳に見ひ、乃ち漢室の宗親なれば、隠匿して在家に養贍す。

十常侍が皇帝を誑かす

不題却説 十常侍 既に重権を握り、互相に商議す。但 己に従はざる者有れば、乃ち之を誅す。趙忠・張譲 人を差りて黄巾を破る将士に問ひ、金帛を索む。従はざる者 奏して職を罷めしむ。
皇甫嵩・朱雋 皆 趙忠らに与することを肯ぜず。帝に奏すらく、「皇甫嵩・朱雋 皆 是れ功労を捏合す。並びて実跡無し」と。
帝 奏に准ひ、皇甫嵩・朱雋の官を罷む。
趙忠らを封じて車騎将軍と為す。張譲ら十三人 皆 列侯に封ぜらる。司空の張温 太尉と為る。崔烈 司徒と為る。此れ皆 是れ十常侍と結好する故に得て三公と為るなり。
此に因り、漁陽の張挙・張純 反挙して天子を称す。純 大将軍を称す。長沙の賊の区星 各処 蜂起す。表章 雪片、急を告ぐ。十常侍 皆 蔵匿し、只 天下の無事を奏す。一日 帝 後園に在り、十常侍と与に飲宴す。

諌議大夫の劉陶 帝前に逕到し、大慟す。帝 其の故を問ふ。陶曰く、
「漢の天下 危ふきこと旦夕に在り。陛下 尚ほ自ら閹官と共に語るや」と。
帝曰く、
「国家 承平たり。日に何ぞ危急有るや」と。
陶曰く、
「四方の盜賊 並起し、州郡を侵掠す。其の禍 皆 十常侍の売官して民を害するに由る。君を欺き、上 朝廷を罔くすれば、正しき人 皆 禍を去ることのみ目前に在り」と。
十常侍 皆 免冠・流涕して、帝前に跪きて曰く、
「大臣 臣らを容れざるは、活かす能はざればなり。願はくは性命を乞ひ、田里に帰り、尽く家産を将ゐて以て軍資を助けん」と。
帝曰く、
「汝が家 亦 近侍の人有り。何ぞ寡人を容れざるか」と。
武士を呼び、劉陶を推出せしめ、之を斬らんとす。劉陶 大呼して、
「臣 死すとも怕れず。憐れむ可し、漢朝の天下 四百余年。此に到り、一旦に休するかな」と。
宮門に推至す。一大臣 喝住す、「下手を得ること勿かれ。吾 諌去するを待て」と。此の人 是れ誰か。140923

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第2回下_何進 十常侍を殺さんと謀る

物語を始める前に、
今朝、通勤電車のなかでツイートしたことを転記します。
本場の『三国演義』が、民間の伝承を吸収したように。ぼくなりの三国演義は、李卓吾本を底本としながら、吉川三国志、北方三国志、蒼天航路などを吸収した、文語文(書き下しの漢文脈)になる予定。あくまで三国演義の自分本だから、話の骨格は演義のままで。そのためにも、李卓吾本の訓読、がんばろう!
李卓吾本は、白話というか、口語体というかが入っており、劉関張がイキイキと活躍する場面では、書き下し方が分からなくなる。その部分は、毛本で文語調に置き換えられてることが多いから、順次 書き換えればいいや。目指すのは、頼山陽の日本外史。書き下し文を気持ちよく読めるようにしたい。
齋藤希史『漢文脈と近代日本』を読んでます。頼山陽『日本外史』は、司馬遷を理想に、漢文で日本の歴史を書いたもの。特徴は、朗唱(書き下し文の音読)の美しさ。漢文の語彙や筆法を借りつつ、日本人が思想を表明して、それが流通する。いい!これを目指したい。
では、第2回の後半をどうぞ。

劉陶・陳耽が宦官に敗れる

宮門の外、攔住するは乃ち是れ司徒の陳躭なり。宮中に逕入し、来りて天子を諌めて曰く、
「劉諌議 何の罪を得て誅戮を賜ふか」と。
帝曰く、
「大臣を毀謗し、朕躬を冒涜すればなり」と。
躭曰く、
「天下の人民 十常侍の肉を食まんと欲するに、陛下 〈十常侍を〉敬ふこと父母の如し。豈に此れ理有らんや。且つ十常侍 身に寸功も無けれども、皆 列侯に封ぜらる。况んや封諝ら、黄巾と結連して内乱を為さんと欲す。陛下 今 自省せざれば、漢の社稷 崩摧するを立ちながらに見ん」と。
帝曰く、
「封諝 乱を作すは、其の事 明らかならず。十常侍の中に、豈に一二の忠臣無きや」と。
陳躭 頭を以て階を撞ちて諌む。帝 怒りて、劉陶と与に牽出せよと命ず。皆 獄中に下し、是夜 俱に之を謀殺す。

孫堅・劉焉・劉虞が地方に赴任

趙忠 人を差はして孫堅を以て長沙太守と為し、区星を討たしむ。五十日せず、捷を報ずるに、江夏 平らぐと。復た奏して堅を封じて烏程侯と為す。
劉焉を封じて益州牧と為し、就きて四川の寇賊を討たしむ。劉虞を封じて幽州牧と為し、漁陽〈の郡兵〉を領兵して張挙・張純を征せしむ。劉焉 川に到る。狂寇 皆 焉に降る。開倉して賬済し、百姓 感恩す。劉虞 興兵して張挙を討つ。

代州の劉恢 書もて玄徳を薦め、虞に見えしむ。虞 大喜し、玄徳をして都尉と為らしむ。〈毋〉丘毅 先鋒と為り、賊巣を直抵し、賊と大戦すること数日、鋭気を挫動せしむ。張純 専ら一に凶暴にして、士卒を鞭撻す。此に因り、帳下の数人 商議して、一斉に心を変じ、張純を剌殺す。頭を将ゐ、献を納る。

ぼくは思う。張飛と同じじゃないか。

衆を引きて来降す。張挙 勢の敗るるを見て、亦 自縊して死す。漁陽 尽く平らぐ。
劉虞 表もて来らしめ、劉備の大功を奏す。朝廷 督郵を鞭うつの罪を赦免す。下密丞に除し、高堂尉に遷す。公孫瓉 玄徳の前功を表陳す。封じて別部司馬と為し、平原県令を守せしむ。玄徳 平原に在り、頗る銭糧・軍馬有り。重ねて旧日の気象を整ふ。
劉虞 平寇に功有り、官は太尉に封ぜらる。

霊帝が崩御する

中平六年夏四月、霊帝の病 篤し。大将軍の何進を召し、入宮して後事を商議せしむ。弟の何苗 官は執金吾を帯ぶ。何進 身を屠家より起す。妹 入宮して貴人と為るに因る。光和三年、上の為に太子の辨を生む。故に立ちて皇后と為る。進 国舅と為り、権の重任たるを得たり。
王美人 太子の協を生む。何后 王美人を酖殺し、協 董后の恩養を得たり。太子の辨 時に年九歳なり。霊帝 太子の協を偏愛し、之を立てんと欲す。
十常侍 天子の意を知る。黄門の蹇碩 乃ち暗かに奏して曰く、
「若し協を立てんと欲すれば、必ず先に何進を誅し、以て後患を絶て」と。

帝 之に従ふ。進に宣し、以て後事を託すとす。
進 宮門に到る。司馬の潘隠 進に曰く、
「宮に入るべからず。蹇碩 汝を謀殺せんと欲す」と。
進 大驚し、急ぎ私宅に帰し、諸大臣を召し、尽く宦官を誅せんと欲す。坐上の一人 身を挺して出でて曰く、
「宦官の勢、冲・質の時より起こる。朝廷に滋蔓し、広安を極む。能く尽く誅するには、倘機 密ならず。必ず絶族の禍有らん。請ふ、仔細 之を詳らかにせんことを」と。

曹操だ!曹操だ!

進 之を視るに、乃ち典軍校尉の曹操なり。進 之を叱りて曰く、
「汝のごとき小輩、安んぞ知る、朝廷の大事を」と。
正に躊躇する間、潘隠 至りて、帝 嘉徳殿に崩ずると報せり。時に年は三十四歳なり。

目今 蹇碩 十常侍と与に商議し、密かに喪を発せず、詔を矯めて、「何進 入宮せよ」と宣じ、後患と絶たんと欲す。冊もて太子の協を立てて帝と為さんとするとも、説 未だ了らず。
命ぜしめ、宣〈何進に〉至る。進 速かに入りて以て後事を定めんとす。
操曰く、「今日の計、先に宜しく君位を大いに正せ。然る後、賊を図れ」と。
進曰く、「誰か敢へて吾とともに君を正し、賊を討つか」と。

袁紹の登場

〈曹操の〉言 未だ畢はらざるに、一人 身を挺して便ち出でて曰く、
「願はくは精兵 五千を借り、関を斬りて入内し、新君を冊立し、尽く閹豎を誅し、朝廷を掃清し、以て天下を安んぜん。吾の願ひなり」と。
進 之を視るに、此の人 身長は偉貌、行歩は有威なり。英雄として世を蓋ひ、武勇 群を超へ、能く節を折りて士に下る。士 多く之に帰す。四世 三公の位に居り、門に故吏多し。
汝南の汝陽の人なり。漢の司徒 袁安の孫、袁逢の子なり。名は紹、字は本初、司隷校尉と為せらる。
何進 大喜して、遂に御林軍の五千を紹に點じ、掛を披き、領して入内す。何進 何顒・荀攸・鄭泰ら大臣 三十余員を引き、相継して入り、霊帝の柩前に就き、太子の辨を扶立して皇帝の位に即かしむ。
百官 呼譟し、已に畢んぬ。袁紹 入宮し、蹇碩を收む。碩 親ら領兵して宮中より来りて紹を禦ぐ。紹の剣 蹇碩に直砍す。碩 慌てて走ぐ。紹 御園の花陰下に赶入す。中常侍の郭勝を転過せしめ、一刀にて蹇碩を把へ、砍翻・割頭して去る。
碩の領する所の禁軍、尽く皆 降順す。

劉協を擁立し、何進や袁紹をつぶそうとしたのは、蹇碩の軍事力。蹇碩が倒れてしまえば、あとは掃討戦となる。かと思いきや、、謀略戦が始まるのでした。


紹 何進に曰く、
「中官 結党す。尽く之を誅すべし」と。
張譲ら、事の急慌なるを知り、入りて何后に告げて曰く、
「始初め謀を設け、大将軍を陥害せんとする者は、皆 是れ蹇碩一人のみ。並せて臣らに干する事にあらず。今 大将軍 紹の言を信じ、尽く臣らを誅せんと欲す。乞ふ、娘娘の憐憫を」と。
言ひ罷み、痛哭す。
何太后曰く、
「卿ら憂ふ勿かれ。我 当に之に傳旨を保ち、何進に宣して入らしむべし」と。
太后 密かに〈張譲に〉謂ひて曰く、「我 汝と与に身は寒微より出づ。張譲ら焉に非ざれば、此の富貴を享くること能くはず」と。

李卓吾は、天下の事を誤らせるのは婦人だというw

〈何太后が何進に伝へて曰く、〉「今 蹇碩 不仁にして、既に以て伏誅す。汝 何ぞ他人の言を聴く。尽く宦官を誅せんと欲するは、枉惹にして、万代の笑なり。此の事 切に行なふべからず」と。
何進 太后の言を聴きて、出でて衆官に曰く、
「蹇碩 謀害を設けたれば、吾 其の家を族滅すべし。其の余〈張譲ら〉は、妄りに残害を加ふること得る勿れ」と。
袁紹曰く、
「今日 若し草を斬り、根を除かざれば、終に久しくして必ず喪身の本と為らん」と。
進 之を叱りて曰く、
「吾が意 已に决せり。汝ら言を多くする者は斬る」と。

李卓吾が、何進は狗のごとき才だという。

衆官 皆 退る。

董太后と何太后が争う

次日、太后 何進に命じて録尚書事を参せしむ。其の余 皆 官職に封ぜらる。董太后 張譲らに宣して入宮せしめ、商議す。
后曰く、「何進の妹 始初め我 擡挙す。他 今日に来り、他の孩児 帝位に即き、内外の臣僚 皆 是れ他の心腹の人なり。威権 太だ重し。我 将に如何せん」と。
譲 奏して曰く、
「娘娘 臨朝・垂簾して、聴政すべし。太子の協を封じて王と為せ。加へて国舅の董重 大官もて軍権を掌握せしめ、臣らを重用せしめよ。各々軍国の大事を預り、漸く何進を図るべし」と。
董太后 大喜す。
次日、朝を設く。董太后 垂簾して聴政し、太子の協を封じて陳留王と為す。董重を驃騎将軍とし、張譲ら共に朝政を預る。

将に月余に及ばんとし、董太后 権柄・朝廷の事を奪ふ。並びて区処に聴す。何太后 太后の宮中に専政するを見て、一宴を設け、董太后に赴席を請ふ。酒 半酣に至り、何太后 身を起して盃を捧げ、再拝して董太后に勧めて曰く、
「我等 皆 婦人なり。朝政に参預すること、其の宜しき所に非ず。昔 呂后 重権を握るに因り、宗族千口、皆 戮さる。今 我ら、宜しく九重に深居し、朝廷の大事は大老・元臣に任せ、自行・商議すること、此の国家の幸なり。願はくは焉を垂聴せよ」と。

すごい名台詞。聞き惚れた。

董后 大怒して曰く、
「汝 王美人を酖死せしめ、姤色に荒淫す。今 汝の子は君と為り、兄 何進の勢に倚る。輒ち敢へて言を乱す。吾 驃騎〈将軍の董重〉に勅せば、汝の兄の首を断つこと、掌を反すが如し」と。
何后 亦 怒りて曰く、
「吾 好言を以て汝に勧む。何ぞ不遜を出言するや」と。
董后曰く、「汝の家 屠沽の小輩なり。何なる見識有りて、両宮 互相ひに罵詈するや」と。

おもろい口げんかだったのに。

張譲ら各々帰宮を勧む。

何氏が董氏をかたづける

何后 連夜 進を召して入宮せしめ、尽く其の事を告ぐ。進 出でて三公を召し、共に議す。来りて早く朝廷を設け、臣をして孝仁董太后に奏せしめんとす。
「〈董氏は〉州郡と交通し、財利を辜較す。宜しく臨朝・聴政すべからず。合せて河間の安置に遷し、日を限り、下りて国門を出でよ」と。

毛本は、「董太后原係藩妃,不宜久居宮中,合仍遷於河間安置,限日下即出國門」と、洛陽から追い出す意図が分かりやすい。

一面の人を駆りて董后をして起発せしむ。

一面 三千の禁軍を點して、驃騎将軍の董重の府宅を囲繞し、印綬を追索す。董重 事の已に危急なるを知り、後堂に自刎す。家人 哀を挙げ、軍士 方散す。
張譲・段珪 董后の一枝 已に廃るを見る。遂に皆 金珠を以て玩好し、何進、弟の何苗、并びに其の母たる舞陽君と結媾し、早晩 何太后の処に入れしめんとす。善言 遮蔽す。
此に因り、十常侍 又 近幸を得たり。

六月、何進 暗かに人をして董后を河間の駅庭に酖殺せしむ。〈董太后の〉柩を挙げて京に回り、文陵に葬る。進 病に托して出でず。司隷校尉の袁紹 入りて進に見へて曰く、
「張譲・段珪ら、外に流言して言はく、主公 董后を鴆殺し、大事を謀らんと欲すと。

袁紹が、何進をテダマにとってる。董太后を殺したのは、半分は何進の責任。それなのに袁紹は、「何進は宦官にハメられているのだ」という。毛本も同じ。
李本で、袁紹は何進を「主公」とよび、毛本では「公」とよぶ。

此の時に乗じ、閹宦を誅せずんば、後に必ず大禍と為らん。昔 竇武 内寵を誅せんと欲するも、機謀 密ならず、反りて其の殃を受く。今 主公の兄弟の部曲・将吏 皆 英俊の名士なり。若し力命を尽せば、事 掌握するに在り。此れ天贊の時、失なふべからず」と。
進曰く、「且に商議を容れよ」と。

〈十常侍の?何進の?〉左右 張譲に密報す。譲ら去りて何苗に告報し、又 賄賂を送ること太だ多し。苗 入内して何后に来奏して云く、
「大将軍 新君を輔佐するに、仁慈を行はず。以て天下を安ずるに、専ら殺伐に務め、

董太后を殺したことが、何進の「殺伐」と。何進のせいにされている。そして何苗は、何進を見捨てて、宦官と結んでる。

以て社稷を危うくす。今 国は無事なるとも、又 十常侍を害せんと欲す。

毛宗崗本では、「今無瑞又欲殺十常侍」とシンプル。

此れ取乱の道なり」と。
后 其の言を納る。

少頃、何進 入りて后に、「中涓を誅さんと欲す」と白す。
何后曰く、「中官 禁省を統領するは、漢家の故事なり。先帝 新たに天下を棄つ。爾 舊臣を誅殺せんと欲するは、宗廟を重ずるに非ざるなり」と。
外は大名を慕ふと雖も、内は决断無し。言はずして出づ。

袁紹が宦官の全殺を押し切る

袁紹 進を迎へて問ひて曰く、「大事 若何」と。
進曰く、「太后 允さず。如之奈何〈これをいかんせん〉」と。

アホか。マジでアホか。と思われる展開になっているから、『三国演義』はおもしろいんだなあ。李卓吾は、「本初 英雄なり」とある。

紹曰く、「四方より英雄の士を召すべし。兵を勒して京に来り、尽く閹豎を誅せ。此の時事 極まれば、太后 従はざるを容れず」と。
進曰く、「此の計 大妙なり。免るるを得たり、我 太后の意に違ふを」と。

毛本では、何進のへんてこな葛藤はカット。「此計大妙」としか言わない。

便ち人を差はして京師に召赴せしむ。

主簿の陳琳前に進みて叫びて曰く、「不可なり」と。
進曰く、「何をか可からざる有るや」と。

毛本は、この会話の一往復をカット。まあ、いらんよな。陳琳が、「不可。俗云、『掩目而……」と、いっきに喋る。

琳曰く、「俗説に、『自ら其の目を掩ひて、去きて燕雀を捕らふ』といふ。是れ自ら欺くなり。微物 尚ほ欺くべからずして、志を得ん。况んや国家の大事、其れ詐り立つるべきや。今 将軍 皇威を総じて兵要を掌す。龍驤・虎歩、高下 心に在り。若し宦官を誅せんと欲せば、洪爐を鼓し、毛髪を燎くが如し。但だ当に速やかに雷霆を発し、行権・立断すべし。則ち、天・人 之に順ず。却反りて外に大臣に檄し、京闕を犯すに臨み、英雄 聚会すれば、各々一心を懐かん。

すげー。玄徳をバカにした董卓が、ここでいきなり伏線の回収となる。

所謂 倒に干戈を持して、人に授くるに柄を以てするなり。功 必ず成らず、大乱を生ぜん」と。

陳琳は、予言キャラなのか。官渡の戦いも、曹操が賎しくて敗れることを、「予言」しているが、それは外れる。この意外性を楽しめば良いのかな。


何進 笑ひて曰く、「此れ懦夫の見なり」と。

懦夫は、てめーだよ。何進は、徹底して、バカな旧勢力を演じてもらうのが『三国演義』の魅力。

傍辺の一人 掌を鼓ちて大笑して曰く、「此の事 掌を反すが如きよりも易し。何ぞ必ず議論を多くするや」と。
之を視るに、乃ち曹操なり。

すげえ!これは楽しみな展開。さすが『三国演義』。

進曰く、「何か高見有るか」と。
知らずや、曹操の甚をか話来す。且聴下回分解。140923

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