三国志は、1800年に渡って語り尽くされてきた叙事詩。
しかし、とある映像作品のキャッチコピーみたく「死ぬまで飽きない」もの。
まだまだ枯れる気配すら見せない、三国志の魅力について語ります。
三国志の市場サイクル(1)
曹操の魏は、司馬氏の晋に禅譲を迫られてしまった。曹操が直接司馬懿に負けたわけじゃないが、曹操が創った国が潰されたのだから、長い目で見たら敗北。
諸葛亮は、五丈原でにらみ合いをして、決戦に持ち込むことが出来ずに、病死。無念でした。
なぜこんなことになってしまったのだろう。どうやら、現代経済で新商品が生まれて、市場に広まり、成熟してやがて撤退していくプロセスに例えることができそうです。
■董卓の特性
何もないところに市場を生むには、まず偵察部隊を送り込む必要があります。期間限定で活動して、細かな情報をすり抜けるように集め、ときに攻撃も辞さない部隊です。
柔軟に人の話を聞けて、機動力がある人が適任です。支持に回るのは、革新者たちです。

三国志で言うならば、董卓がこれに当たる。董卓の機動力については、誰も疑問を差し挟むことができないでしょう。羌と手を結び、西方の(数は少ないけど)最強の軍隊を引き連れて、洛陽に乗り込んだ。
では人の話が聞けるかですが、董卓は条件を満たすでしょう。もともと褒賞を部下と山分けしてしまう人物です。我欲が強いだけの野人には程遠く、強い情報網を持っていたのではないか。
涼州で連戦し、黄巾討伐で手を抜き、并州牧に転任させられたとき軍隊を維持した。「何氏の劉弁がどこまで使い物になるか」「宦官の正体は何か」など、王朝末期の状態について、よく知っていたと思われる。
逃げ出した皇帝を捕獲した。洛陽に入ってまず行ったことは、名士の登用だった。情報収集に優れていた証拠だ。

後漢の皇帝というのは、外戚・宦官がドロドロと権力争いに介入する、死に筋の商品だ。それをリニュアルしたのが、董卓の役割だ。劉弁を殺し、洛陽を捨てさせ、長安に献帝を頂いた。「皇帝」というパッケージはそのままだが、中身は全く別物になった。
だが董卓は、呂布に殺された。呂布は、さしずめ「販売部長」だろう。時代に先駆けた商品開発が強みの会社では、市場優位性は開発者の能力である。販売者の能力ではない。
呂布は徐州に立つが、国を保てずに倒れた。販売代理店(傭兵隊長)でもやっていれば、もう少し長生きしたかも知れないが。まあ、代理店施策に逆らった売り方をして、どのみち枯れるのか。『水煮三国志』では、呂布はネズミ講をやってましたね笑

■袁術と袁紹の特性
山西の董卓と対立する形で台頭したのが、袁紹と袁術だ。彼らは、董卓の作った市場(献帝)を否定して、新商品の開発やり直しを提唱した。
袁術は、袁氏による仲王朝をリリースして、市場に問うた。しかし失敗。袁術は、フットワークは軽い。南陽に居場所がなくなると、淮南に本拠地を移した。兵站線すら意に介さないように、突っ走ることが出来る。売り物・売り方が決まった新規開拓営業なら、それなりに成果を出すだろう。戦略も兵站線も、雇用主が作ってくれるからだ。
しかし、市場のニーズへの嗅覚が必要な導入期で勝者となるには、余りに不適格だった。人の話をまるで聞かなかった。脱落。

袁紹は、劉虞という商品を開発しようとしたが、仕入先からボイコットをくらって、頓挫。そこで仕方なく、董卓が開発した献帝の流通市場を拡大するミッションを自任した。しかし、販売権を曹操がいち早く独占してしまい、失敗。曹操は、袁紹グループの傘下にいたくせに、献帝の販売権を得ることで、対等以上の振る舞いをするようになった。
袁紹は、そのうち曹操を買収するという想定のもと、冀州・幽州に販売網を張り巡らせた。だが逆に、曹操に徹底的に痛めつけられてしまった。
袁紹は、名士たちの話をよく聞く人だ。この特性は、新商品の開発や、成熟した市場をキープには、有効である。しかし袁紹は献帝を逸してしまったので、市場開発という不得意な分野で曹操と勝負をしようとした。状況も不利、特性も不利。残念でした。
三国志の市場サイクル(2)
■曹操と諸葛亮の特性
曹操は、独自の価値観を強く持って、超人的に働きまわった。現代経済では、成長期のマーケットを開拓する、攻めに強いリーダーの特性を持っています。
人の話を聞くよりは、まず自分の意見を通す。少し独裁くさくなっても、いい。勝ち抜いて行くには、船頭は1人であることがベストだ。

曹操を真似したのが、諸葛亮である。諸葛亮は、曹操と敵対することを表明しながら、法家の手法を真似て、蜀を大きくした。強い信念と行動力は、曹操によく似ている。南征に出かけてしまったり、杖20以上の裁決は自分でやったり、とにかく動かなければ気がすまなかった。
諸葛亮の場合は、劉備という商品がアプリオリに与えられていたから、その辺りで苦悩する必要はなかった。もし劉備の遺言どおりに諸葛亮が国を奪っていたら、商品開発まで自分でやらねばならない。すると、威厳と仁徳はあるものの、あんまり人の助言に耳を傾けそうにない諸葛亮は、あまり活躍できなかっただろう。劉禅はバカに違いないが、「正統性」を新規開発できる人材がいない蜀では、劉禅のキープがベストな選択だったと思う。

■司馬懿の特性
司馬懿は、他人の価値観を受け容れて、腰をすえているというタイプです。なかなか出仕しなかったし、五丈原では動かなかった。耄碌した芝居をして、機会を伺った。現代社会では、市場の形成・維持のための守りに強い特性を持っています。
司馬懿が守るべきは、「漢から禅譲を受けた、最大の版図を持つ魏」というブランドです。もう充分に主力商品が育っているのだから、今から新しい試みを実行して、リスクに挑戦する必要はない。曹丕・曹叡もそれを分かっていて、死ぬときは司馬懿に国を託した。
曹叡は、「浮薄の徒」を嫌った。これは曹爽や何晏たちのことで、老荘にかぶれた新しい価値観を唱える連中だ。魏に必要なのは、刹那的に活躍する開発プロジェクトではない。曹叡はそれをよく分かっていた。

司馬懿は、競合商品である「諸葛亮の蜀」の市場拡大を見事に阻んだ。自ら出て行って攻めなくても、相手が資本を使い果たすのを待てばいいのだ。勝者の戦略。司馬懿は、最も活躍できる市場で仕事をした。そりゃ強いわけです。
司馬氏は、魏を改良して晋にバージョンアップさせ、後漢以来の政治的混乱を、理性的に処理しようとした。円熟期である。魏は晋に破れたというよりは、市場で果たすべき役割に応えて、機敏に変化したというべきか。乱世を叩き直したという歴史を持つ魏では、血生臭さが残ってしまい、広く広く受容されていくには抵抗が残る。もっとも、刺殺された曹髦は可哀想だったけれども。

■撤退チームの不在
商品というのは、必ず流行り廃りがあるものだ。売れない「過去のヒット商品」を作り続けたら、企業は潰れてしまう。
強い使命感を持ち、腰をじっくり落ち着けて撤退戦略を練られる人材の登場が待たれた。しかし、司馬炎は羊に乗って遊び、司馬攸は感動癖で自滅し、司馬衷は阿呆で、八王の乱を招く。誰も責任を取らないまま、異民族に滅ぼされて経営は頓挫してしまった。
最後の最後で、惜しいことです。

三国志で、ナイスな撤退期のリーダーを探すとしたら誰か。
袁紹の死後、袁尚を守って鄴にこもった審配あたりが、腰が重くて責任感が強い感じか。だが撤退期のリーダーは、自覚がありすぎるせいで、大抵は死んじゃうんだよね。死なれると、本当に撤退の才能があったのか見極めづらい。ただ時代の変化に逆らって、墨守するだけの人物ではダメなのだ。
ああ、そう言えば、蜀の羅憲なんかがこれに当たるのかも。蜀の滅亡をうまく収めて、晋にきちんと仕えている。「旧プロジェクトの掃除を完了して、新プロジェクトにも参加した」という特性は見上げたものがあります。
西晋のラストに、司馬睿を建業まで守った人たちの中に、ナイスな撤退職人を探してみようかなあ。見つかるといいのだが。081017
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