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『晋書』列60「良吏」 1)スター性のない魯芝
前回の列伝「忠義」に味をしめて?、今回は列伝「良吏」です。長期戦になりそうで怖い。
魯芝、胡威、杜軫、竇允、王宏、曹攄、潘京、范晷、丁紹、喬智明、鄧攸、呉隱之が該当するようです。序文は省略。

魯芝
魯芝,字世英,扶風郿人也。世有名德,為西州豪族。父為郭氾所害,芝繈褓流離,年十七,乃移居雍,耽思墳籍。郡舉上計吏,州辟別駕。魏車騎將軍郭淮為雍州刺史,深敬重之。舉孝廉,除郎中。會蜀相諸葛亮侵隴右,淮複請芝為別駕。事平,薦於公府,辟大司馬曹真掾,轉臨淄侯文學。鄭袤薦于司空王朗,朗即加禮命。後拜騎都尉、參軍事、行安南太守,遷尚書郎。曹真出督關右,又參大司馬軍事。真薨,宣帝代焉,乃引芝參驃騎軍事,轉天水太守。郡鄰於蜀,數被侵掠,戶口減削,寇盜充斥,芝傾心鎮衛,更造城市,數年間舊境悉複。遷廣平太守。天水夷夏慕德,老幼赴闕獻書,乞留芝。魏明帝許焉,仍策書嘉歎,勉以黃霸之美,加討寇將軍。

魯芝は、あざなを世英という。扶風郡は郿県の人である。
魯氏は世々名德があり、西州の豪族となった。父が郭氾に殺害されたから、魯芝は乳児のときに流離した。17歳のとき、雍州に移住してきて、(亡父の)墳籍を耽思して、喪を取り戻した。郡は魯芝を上計吏に推挙して、州は魯芝を別駕に召した。
魏の車騎將軍である郭淮が雍州刺史となると、魯芝を深く敬って重用した。孝廉に挙げて、郎中に叙任した。蜀相の諸葛亮が隴右を侵したとき、郭淮はまた魯芝に声をかけて、別駕とした。諸葛亮の第一次北伐を防ぎきると、魯芝は公府に推薦されて、大司馬である曹真の掾になった。のちに臨淄侯文學の文学に転じた。
鄭袤が、司空の王朗に魯芝を推薦した。王朗はすぐに魯芝に禮命を加えた。のちに騎都尉、參軍事を拝し、安南太守を代行した。尚書郎に遷った。曹真が關右に出撃して督戦すると、また大司馬(曹真)の軍事に参じた。
曹真が薨じると、司馬懿が後任に入った。司馬懿は魯芝を召して、驃騎軍事に參じさせた。魯芝は、天水太守に転じた。天水郡が蜀と隣接していたから、しばしば侵掠された。戸口(徴税人口)が減削し、寇盜が充ちあふれた。魯芝は心を傾けて、天水郡を鎮衛した。城市を修復・改築したから、數年間してもとの国境は完全に回復した。
〈訳注〉「良吏」とは、優秀な二千石(太守 =地方官)のことです。『晋書』の列伝「良吏」のトップを飾った魯芝は、司馬懿を輔佐して、天水郡で諸葛亮を防いだ人だったとは!
廣平太守に遷った。だが天水郡の夷夏(異民族&漢民族)は、魯芝の徳を慕っていた。老幼が駆けつけて書状を提出し、魯芝の残留を願い出た。魏明帝(曹叡)はこれを許した。
明帝は策書にて、魯芝の手腕を大いに褒めた。魯芝は黄霸之美をもって勉め、討寇將軍を加えられた。
〈訳注〉「黄霸之美」は、魏のシンボルカラーが黄色であることから、魏に覇権をもたらす美事、といった意味かなあ。

曹爽輔政,引為司馬。芝屢有讜言嘉謀,爽弗能納。及宣帝起兵誅爽,芝率餘眾犯門斬關,馳出赴爽,勸爽曰:「公居伊周之位,一旦以罪見黜,雖欲牽黃犬,複可得乎!若挾天子保許昌,杖大威以羽檄征四方兵,孰敢不從!舍此而去,欲就東市,豈不痛哉!」爽懦惑不能用,遂委身受戮。芝坐爽下獄,當死,而口不訟直,志不苟免。宣帝嘉之,赦而不誅。俄而起為使持節、領護匈奴中郎將、振威將軍、並州刺史。以綏緝有方,遷大鴻臚。

曹爽が輔政すると、招かれて曹爽の司馬となった。魯芝はしばしば諫言をして、曹爽にきちんと謀略を巡らすように勧めたが、曹爽は聞き入れなかった。司馬懿が起兵して曹爽を討とうとすると、魯芝は曹爽軍が残して行った軍勢を率いて、司馬懿が固めた門や関を突破した。
馳せ出でて曹爽のところに行き、勧めた。
「公(あなた)は、伊尹や周公の位におられます。一旦は罪によって免官されて、黄犬を牽くことになっても、きっと復位することが可能でしょう。天子(曹芳)を連れ出して、許昌を自拠点として保ちなさい。軍事動員できる(大将軍の)権能と大威を利用し、四方の兵に司馬懿を討てと羽檄を飛ばして下さい。さすれば、どうして私たちに従わないことがありましょうか!このまま洛陽郊外でウロウロしていたら、東市で処刑されるのがオチですぞ。そうなれば、痛恨でないワケがない!」
〈訳注〉「牽黄犬」が何だか分かりませんが、屈辱的な待遇のこと?
曹爽は懦惑して、魯芝の提案を採用しなかった。ついに曹爽は司馬懿に身柄を委ねたから、戮された。
魯芝は曹爽に連座して下獄された。死にかけたが、口は訟直せず、志は苟免しなかった。司馬懿はこれを嘉し、魯芝を赦して誅さなかった。
司馬懿はにわかに魯芝を登用した。魯芝を使持節とし、護匈奴中郎將を領ねさせ、振威將軍、並州刺史とした。綏緝が四方に轟いたから、魯芝は大鴻臚に遷った。
〈訳注〉大鴻臚は中央での外交担当。『後漢書』を読んでいると、辺境の職務で成功した人が、就くことがあるようで。

高貴鄉公即位,賜爵關內侯,邑二百戶。毌丘儉平,隨例增邑二百戶,拜揚武將軍、邢州刺史。諸葛誕以壽春叛,文帝奉魏帝出征,徵兵四方,芝率荊州文武以為先驅。誕平,進爵武進亭侯,又增邑九百戶。遷大尚書,掌刑理。常道鄉公即位,進爵斄城鄉侯,又增邑八百戶,遷監青州諸軍事、振武將軍、青州刺史,轉平東將軍。五等建,封陰平伯。

高貴鄉公(曹髦)が即位すると、關內侯の爵位と邑二百戶を賜った。
毌丘儉を平定すると、例に隨って二百戶を增邑されて、揚武將軍、邢州刺史を拝した。
諸葛誕が壽春で叛すと、司馬昭は魏帝を奉じて出征し、四方から徴兵した。魯芝は荊州の文人・武人を率いて、先驅を務めた。諸葛誕を平定すると、武進亭侯に進み、九百戶を增邑された。大尚書に遷り、刑理を掌握した。
常道鄉公(曹奐)が即位すると、斄城鄉侯に進み、八百戶を增邑された。監青州諸軍事に遷り、振武將軍、青州刺史となった。平東將軍に転じた。五等官が設置されると、陰平伯に封じられた。
〈訳注〉司馬氏に協力して淮南を平定し、爵位と食邑がどんどん上がり、高官を短期間で転任しています。晋の建国を助けた人たちの列伝と、文の雰囲気が同じです。なぜ独伝が立てられなかったのか不思議。

武帝踐阼,轉鎮東將軍,進爵為侯。帝以芝清忠履正,素無居宅,使軍兵為作屋五十間。芝以年及懸車,告老遜位,章表十餘上,於是征為光祿大夫,位特進,給吏卒,門施行馬。羊祜為車騎將軍,乃以位讓芝,曰:「光祿大夫魯芝潔身寡欲,和而不同,服事華髮,以禮終始,未蒙此選,臣更越之,何以塞天下之望!」上不從。其為人所重如是。泰始九年卒,年八十四。帝為舉哀,賵贈有加,諡曰貞,賜塋田百畝。

司馬炎が踐阼すると、鎮東將軍に転じて、侯爵に進んだ。司馬炎は、魯芝が清忠で履正であり、もとより居宅がなかったから、軍兵に命じて五十間の屋敷を作らせた。
魯芝は高齢だったから、懸車の待遇を許された。
老齢を理由に官位を辞退して、章や表の十余編を奉った。内容が良かったから、光祿大夫となり、位は特進、吏卒を給され、門施は行馬となった。
〈訳注〉晋朝の特典待遇を調べないと、よく分かりません。
羊祜は車騎將軍となるとき、魯芝に位を譲って言った。
「光祿大夫の魯芝は、身を潔くて寡欲で、和しても同さない人です。服事華髮は、禮をもって終始している人です。今回の人選は、魯芝のことを理解せずに行なわれたものです。私に魯芝を飛び越させるとは、なぜ天下之望を塞ぐような人事をなさるのか!
〈訳注〉魯芝よりも羊祜の方がハナがあるから、車騎將軍の人事はこれで良かろう(笑)
司馬炎は、羊祜の提案を認めなかった。
魯芝の人となりが重んぜられたのは、羊祜の例が表している。
泰始九(273)年に死んだ。享年は84。司馬炎は哀しみ、賵贈が追加された。魯芝を「貞」とおくり名して、百畝の塋田を賜わった。
〈訳注〉年齢から逆算すると、諸葛亮の第一次北伐のとき、魯芝は39歳。働き盛りの40代に、諸葛亮と対峙したことになる。

次は、胡威です。三国志の時代の人が続くのは、楽しいことです。  
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このコンテンツの目次
>『晋書』列60「良吏」
1)スター性のない魯芝
2)清らかなる胡質と胡威
3)益州土着の杜軫と竇允
4)老いてミスを重ねた王宏
5)潘璋と丁儀丁廙の血縁?
6)実子を縛って逃げた鄧攸
7)呉郡を中興した太守
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