三国志は、1800年に渡って語り尽くされてきた叙事詩。
しかし、とある映像作品のキャッチコピーみたく「死ぬまで飽きない」もの。
まだまだ枯れる気配すら見せない、三国志の魅力について語ります。
歓迎されなかったデジタル王朝「魏」(1)
曹操がつくった「魏」という王朝の性質について考えます。
「魏」という国は、とてもデジタルな国でした。べつに情報技術で立国したわけじゃなくて。人間の頭には、ものごとをシロとクロに分ける、理屈っぽい働きがあります。(人の頭が捉えた範囲での)事実に基づいて、議論を組み立てます。言語では説明できない「気持ち」のようなものは、そこに介在する余地がありません。
もし「気持ち」を入れ込むなら、その気持ちの定義を、言葉を尽して説明しなければなりません。もしそこに、論理的不整合があったら、「不適切だ」と切り捨てられます。
■曹操のキャラクター
組織とは、トップのあらゆる性格が投影されるものである。よく言われます。ぼくは同感です。ほんの小さな長所も漏らさずにすくうし、ほんの小さな短所も拾い上げてしまいます。

「超世の傑」だと言われている曹操ですが、デジタル思考がとても発達した人だったと思います。そもそも「ただ才があれば用いる」というのは、デジタル人間の極致です。
「人柄」だとか言うものは、なかなか証明できるものじゃなく、腹芸で感じ取る領域のものだから、彼は切り捨てます。
もしくは、曹操は「人柄」を感じ取ることが苦手だったから、「ただ才のみ」となってしまう。トップとして人材を仕切るのに、それしか物差しがない。

曹操に関する史料や、曹操を描いた創作物を、ぼくはたくさん読んできました。いま、これらを思い出してみるんだが、どの曹操にも、友達がいない笑
「オレが死んだら、彼を頼りなさい」と家族に言うほど、曹操が親友だと信頼していた張邈は、曹操を裏切った。曹操はキレて、張邈の家族を皆殺しにした。
兗州牧になるチャンスをくれた鮑信は、死別したおかげで、亡骸を木像で再現するという「片思いの友情」が発揮された。もし鮑信が生き延びていたら、きっと破綻していた。その証拠に、子の曹丕&鮑勛の代になって、決裂した。

■北方『三国志』の曹操
北方謙三氏の『三国志』で、曹操は、作者が期せずして、デジタル人間の典型であることが暴露されている。
オレに服従するか、オレと敵対するか、その2択を常に他者に迫る。もっと気の利いた筆致で表現されていたと思うが笑、こんなことが、くり返し書かれていたと思う。人間性のグレーな部分を排除して、二元論で切り分けていく。

北方氏にかかれば、乱世に妥協なく果敢に立ち向かう、かっこいいオトコの覚悟だということになる。「あの呂布すら董卓の下についた時期があった。だが曹操は、服従か敵対以外の選択肢を、相手に与えなかった」というのが、美徳に描かれる。
しかしぼくから見ると、デジタル人間の性質が表れた、クレイジーな政策なんだ笑

■『演義』の曹操
『三国演義』で曹操をやっつけるのは、オカルトな連中だ。
左慈のマジックに惑わされて、頭痛になってしまったし笑、切ると血を噴出す「ご神木」に祟られて、ついに命まで落とした。
中国の民衆を喜ばせるための「創作」には違いないが、デジタルな曹操を倒すのは、より高度なデジタルではなくて、説明不能なアナログだというのは、面白い。
■デジタル王朝の先例
外戚の王莽。彼の評判はとてもよくないが、短命で終わった王朝の人は、悪く書かれるのが「歴史書」の普遍的傾向だ。ぼくは、彼はワルモノじゃないと思う。むしろ興味ありありだ。
王莽がやったのは、周代を模範にした、行き過ぎた理想主義だ。こんなことを考えるのは、デジタル人間しかいない。王莽もきっと、過度のデジタル人間だった。
本に書いてあって、本の中で整合しているから、正しいはずだ。そう考える傾向が強い。

「禅譲」というフェイクがある。書物の中だけに登場する、王朝の交代劇だ。書物を著している時点で、その著者はデジタルの傾向が強い。すなわち「禅譲」というのは、デジタル人間だけが理解できる、抽象論なんだ。
万人が付いてこれるものじゃない。むしろ怪しげだ。

■ほんとうの皇帝
秦の始皇帝が、武力で全土を統一した。劉邦は、項羽と死闘して、漢を建てた。「皇帝」というポストに就くには、戦勝する以外に方法がないのが、歴史の実際だ。

しかし、デジタルな連中は、「論理的に整合する」ならば、それが正しいと確信してしまう人種だ。
たとえ武力による全土統一を経験していなくても、皇帝が他の姓に移るための、もっともらしい理由が作文できて、それが論破されない限りにおいて、禅譲は現実のものとなる。
ここでいう現実というのは、物理的な現実ではなくて、心理的現実だ。「ほんとうにそんな気がする」という種類の現実だ。これは、目には見えないが、「ウソ」というのとも違う。
デジタルな人にとって、反例を突きつけられない限り、(ひょっとすると)目に見えるものよりも確かな現実なんだ。

なぜ王莽や禅譲の話をしているかと言うと、曹操の創った魏が、禅譲をやらかしたからだ。曹操が王莽と違うのは、ちゃんと4人の皇帝が続いたこと。
これにより、曹丕がやった禅譲が、初の成功例として、後世の模範になった。

■光武帝の教訓
光武帝が作った後漢では、頭の良さよりも、儒教的徳目が重視された。「孝行で清廉で」というやつだ。これは、王莽のようなデジタルな臣下は、ろくなことをしない、という光武帝の気持ちが込められている。
ただ、人間味やアナログというのも、暴走すると、ろくでもないことになるんだが。何事も、ほどほどが大事だよね。
歓迎されなかったデジタル王朝「魏」(2)
■曹操の強さ
デジタル人間は、戦略的に物事を組み立てていくのが得意だ。そして、論理的思考というのは、「AならばB、BならばC」と順序良く考えていって、AとCに矛盾を出さないスキルだ。
こんなだから、「兵站を無視した戦下手」である袁術は、曹操の敵ではなかった。
名士たちをごっそり集め、全員の顔を立てようとした「人間味あふれる」袁紹は、圧倒的優位にありながら、官渡で敗戦した。袁紹のやり方は、決して間違っていなかったのだが、乱世という舞台で、たまたま短所が強く表れてしまった。

■曹操の弱さ
デジタル思考の特徴として、前提が間違っていると、結論が間違ってしまう。間違いすらも、正確に情報変換をするのが、特徴だ。
曹操の頭の中に入っていた学問体系というのは、周代以降、ずっと中原で作られたものだ。中原という地勢では、とても効果的に役立つ。しかし、フロンティアである長江流域や四川地方では、そうもいかない。兵法が効かない。

生涯つきまとった挫折は、赤壁敗戦と、漢中撤退だ。
赤壁は、長江のことを読みきれなかった。「水が違う」だとか、当時の学問体系や言語では説明できないことに、負けた。前提が狂うと、一気に瓦解してしまうのは、デジタルの短所が強く表れる場面です。
赤壁から帰ってきて、合肥を攻めてもやはりダメだと悟ると、アナログに復讐でもするみたいに「ただ才のみ!」と言い出すのが、象徴的ですごくイイ。
「赤壁の敗戦で人材不足を痛感したからだ」という説明をよく見る。これは当たっているだろうが、それだけじゃない。デジタルな自分の限界を見せ付けられて、その反動でより頑固になって、極端なことを言い出したんだろう。
銅雀台という宮殿を造った。「国力にはまだ余裕があることを誇示した」と言われるが、それだけじゃない。捉えにくい曖昧な自然に復讐をするために、人為的に作りこまれたモノの象徴である巨大建造物を作って、デジタルの威信を取り戻そうとした。計算し尽されたフォルムは、曹操の心を安らかにしたに違いない。

■「鶏肋」の真意
そして、蜀に籠もりやがった劉備。
秦嶺山脈という自然は確かに厄介だが、こちらは初めて遭遇する険しさではない。春秋戦国時代にも四川地方には国はあったし、公孫述が割拠した実績もある。

何が曹操を困らせたかというと、「人望」という、デジタル思考が最も理解に苦しむもので、ついに国を作ってしまった劉備の存在である。曹操にとって何が「鶏肋」だったかって、人間のアナログな心の機微なんだ。
「心の触れあいというのは、捨てるには惜しいが、大して役に立たないものだ」という、曹操が持っている特性への素直なコメントが、「鶏肋」だったんじゃないか。
同じくデジタル人間であろう楊修が、分かったように「鶏肋という曹操さまの発言は、漢中の軍事的価値を評価したものなんだ」と、解釈したから、怒って殺してしまったのかもね。楊修は、曹操がついにシロとクロでは割り切れないと嘆息した言葉すら、シロとクロで割ってしまった笑

■魏の建国
呉と蜀というのは、デジタルな魏のそれぞれの限界を、歴史書で読めるかたちで表したものだ。
そして曹操は、「武力で全土統一しなくても、論理が整合すれば皇帝になってよい」という、王莽と同じ議論を持ち出して、曹丕に禅譲を誘導した。
曹丕も、曹操と同じくデジタルな人間で、皇族を切っていった。肉親を冷遇しても、「心」は痛まない。それより、将来に禍根を残すほうが、悪なんだ。

■晋ができたわけ
曹操の性格が練りこまれた魏という王朝は、「酷薄だ」とマイナス評価を受けたようです。デジタルな人の悪口を言うなら、そうなる。曹操が悪いんじゃなく、これは、世の常だ。

荀彧との対立に象徴される、名士と曹氏との対立。後漢の「あたたかみ」を重視する環境の中で、豪族は名士となり、やがて貴族となるためのレールを敷き始めた。そういうアナログな連中が連携して、司馬氏をトップに仰ぐ晋を作ったのだね。
「もっと身内を大切にし合いましょうよ。もっと心地よく、既得権益をゆったり守り、互いの思いを尊重しましょうよ」と。 デジタルな「魏」は、歓迎されなかった。
ちなみに始祖である司馬懿は、腹芸の天才だ。

もっとも、人間味をあまり重視し過ぎると、派閥争いばかりがヒドくなる。デジタル王朝とは違う理由で崩壊してしまう。八王の乱は、すなわちそれです。アナログが負の表れ方したのが、あの泥沼だったわけで。袁紹のところに似てるね。
曹氏はデジタルな王朝だから、腹芸合戦をやって、国力を損耗するようなことはしない。これは歴史が証明している。
それにしても、中庸って難しいですね。081003
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