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『晋書』列傳59「忠義」 7)スイートな屍肉の劉沈
嵇紹、嵇含、王豹と読んできて、列伝「忠義」は4人目です。

劉沈
劉沈,字道真,燕國薊人也。世為北州名族。少仕州郡,博學好古。太保衛瓘辟為掾,領本邑大中正。敦儒道,愛賢能,進霍原為二品,及申理張華,皆辭旨明峻,為當時所稱。齊王冏輔政,引為左長史,遷侍中。于時李流亂蜀,詔沈以侍中、假節,統益州刺史羅尚、梁州刺史許雄等以討流。行次長安,河間王顒請留沉為軍司,遣席薳代之。後領雍州刺史。及張昌作亂,詔顒遣沉將州兵萬人並征西府五千人,自藍田關以討之,顒不奉詔。沉自領州兵至藍田,顒又逼奪其眾。長沙王乂命沉將武吏四百人還州。

劉沈は、あざなを道真という。燕國の薊県の人である。
だいだい北州の名族である。
若くして州郡に仕え、博學で古典を好んだ。太保の衛瓘に辟召されて掾となり、本邑大中正を領した。
〈訳注〉「本邑大中正」とは、故郷で人材選出を行なう仕事だ。
儒道に敦く、賢能を愛し、霍原を二品の人物だと査定した。
〈訳注〉霍原って誰だろう。。
張華に報告するときは、論旨が明峻だったから、当世のホープだと称えられた。
齊王冏が輔政すると、左長史に引き抜かれ、侍中に遷った。
李流が蜀で叛乱したとき、詔にて劉沈を侍中・假節とした。劉沈は、益州刺史の羅尚と梁州刺史の許雄らを統べて、李流を討った。
長安に進軍すると、河間王顒は劉沈に長安に留まるように頼み、自分の軍司とした。李流討伐には、席薳を代理に立てた。
のちに劉沈は雍州刺史を領した。
張昌が作亂すると、司馬顒に詔が下った。
「劉沈に州兵1万人と征西府5千人を与えて、藍田関から出撃して張昌を討たせよ」
司馬顒は詔を聞き入れなかった。劉沈が州兵を率いて藍田に到ると、司馬顒は兵の指揮権を奪ってしまった。長沙王乂は劉沈に命じて、武吏400人を率いて州に帰らせた。
〈訳注〉なぜ司馬顒が、勝手に劉沈を自分の手元に置いたり、詔を拒んだりしているのか、確かめねばなりません。

張方既逼京都,王師屢敗,王瑚、祖逖言於乂曰:「劉沈忠義果毅,雍州兵力足制河間,宜啟上詔與沈,使發兵襲顒,顒窘急,必召張方以自救,此計之良也。」乂從之。沈奉詔馳檄四境,合七郡之眾及守防諸軍、塢壁甲士萬餘人,以安定太守衛博、新平太守張光、安定功曹皇甫澹為先登,襲長安。顒時頓于鄭縣之高平亭,為東軍聲援,聞沈兵起,還鎮渭城,遣督護虞夔率步騎萬余人逆沈於好畤。接戰,夔眾敗,顒大懼,退入長安,果急呼張方。

張方がすでに洛陽に逼ると、官軍は敗北を重ねた。
〈訳注〉張方は、長安に出鎮している司馬顒が使っている将軍です。司馬顒は洛陽の司馬乂を討つために、張方を差し向けています。
王瑚と祖逖が、司馬乂に言った。
「劉沈は忠義で果毅な人物です。雍州の兵力は、河間王(司馬顒)を制するのに充分です。どうか劉沈に詔を与えて、兵を率いて司馬顒を襲わせて下さい。司馬顒がピンチとなれば、必ず張方を呼び戻して救援させるでしょう。そうすれば、洛陽は張方の猛攻から解放されます。これは良計でしょう」
司馬乂はこの提案に従った。
〈訳注〉遠征軍の根拠地を脅かして、兵を引かせる。古典的な戦法ですが、知恵が利いていて心地よいものです。
劉沈は詔を奉って、四方を駆け回って檄を伝え、七郡の兵や皇帝を守るべき諸兵をまとめて味方に合わせた。
長安の塢壁(城壁)には甲士が萬餘人いた。安定太守の衛博、新平太守の張光、安定功曹の皇甫澹は先陣を切って、壁に登り、長安を襲った。司馬顒はこのとき、鄭縣の高平亭に駐屯していた。洛陽を攻める張方をバックアップしていたが、劉沈が兵を起したと聞くと、出鎮の本拠である渭城に戻った。
司馬顒は、督護の虞夔に歩騎萬余人を率いさせ、好畤(地名)で劉沈を迎撃した。戦いが始まると、虞夔の軍は敗れた。司馬顒は大いに懼れ、退いて長安に入り、はたして張方を急いで呼び戻した。

沈渡渭而壘,顒每遣兵出鬥,輒不利,沈乘勝攻之,使澹、博以精甲五千,從長安門而入,力戰至顒帳下。沈軍來遲,顒軍見澹等無繼,氣益倍。馮翊太守張輔率眾救顒,橫擊之,大戰於府門,博父子皆死之,澹又被擒。顒奇澹壯勇,將活之。澹不為之屈,於是見殺。沈軍遂敗,率余卒屯于故營。張方遣其將敦偉夜至,沈軍大驚而潰,與麾下百余人南遁,為陳倉令所執。沈謂顒曰:「夫知己之顧輕,在三之節重,不可違君父之詔,量強弱以苟全。投袂之日,期之必死,菹醢之戮,甘之如薺。」辭義慷慨,見者哀之。顒怒,鞭之而後腰斬。有識者以顒幹上犯順,虐害忠義,知其滅亡不久也。

劉沈が渭水を渡って土塁を築いた。司馬顒は兵を遣わして攻めるたびに、どんどん不利になった。劉沈は勝ちに乗じて司馬顒を攻めた。皇甫澹と衛博に精兵5000を率いさせ、長安門から突入した。力戰して、司馬顒の帳下に到った。
だが、劉沈の本隊は進軍が遅れた。司馬顒は、皇甫澹に後続の軍がないことを知り、氣力が倍に益した。
馮翊太守の張輔は、兵を率いて司馬顒を救い、横から参戦して劉沈の先鋒を討った。府門で大戰し、衛博の父子はみな死に、皇甫澹は捕縛された。司馬顒は、皇甫澹の壯勇を奇特だと評価し、命を助けようとした。だが皇甫澹は司馬顒に屈さなかったから、殺された。
劉沈の軍はついに敗れ、残った兵を率いて故營に駐屯した。張方の配下である将軍の敦偉が、劉沈を夜襲した。劉沈の軍は大いに驚いて潰走し、麾下の100余人とともに南に遁れたが、陳倉令に捕らえられた。
劉沈は司馬顒に言った。
「そもそも自分のミッションを知り、ミッションのために命を軽く思う人は、三つの節義を重視する。君主や父親の詔に違反するべきでない。自分の能力の強弱を量り、仮初にでも全うしようとする。死を覚悟して本懐を遂げたなら、死体をバラされて塩漬けにされても、ナズナのように(人生の後味は)甘美なのだ
〈訳注〉「菹醢」とは、死刑にして塩漬けにされることで、『荘子』の言葉。「戮」は、死体をバラバラにされること。「薺」はナズナで、「甘之如薺」というのは『詩経』にある言葉。死体が塩辛くても、生き様は甘美か。あまり絵を想像したくない対比の比喩です。
王沈のフレーズは慷慨としていて、読んだ人は劉沈を悲しんだ。司馬顒は怒り、鞭で打ってから、劉沈を腰斬した。
ものの道理を知っている人は、司馬顒が順と逆をミスって忠義な人を虐害したから、彼の滅亡が遠い未来のことではないと察知した。

劉沈は、司馬顒が政治をワガママに左右するのを、良くないと思っていた人でした。その死に様は立派ですが、、
せっかく長安を追い詰めていたのに、うっかり遅刻するから運命が暗転したんじゃないか。これってつまり、自業自得なんじゃないか。戦局の機微を見極めるカンがなかったのだから、口惜しさは半減かなあ。
さて、 はじめ司馬顒は、劉沈を手元に置いている。益州や荊州で叛乱が起きているのに、軽い気持ちで司令官を戦地に行かせないのは、あるまじき自分勝手です。
だがここから分かるのは、司馬顒は劉沈のことが好きだったということ。その劉沈に、あわや長安陥落かというところまで追い詰められたのだから、愛しさの裏返しで憎さ百倍だったのでしょう。

ここまで列伝「忠義」を読んできて気づくのは、八王の1人に仕えて、ストッパーを自認してがんばり、結局は失敗するというパタンが多いこと。
『晋書』を作った人たちは、八王を更正させることが、王朝にとっての「忠義」だと考えていたのですね。
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このコンテンツの目次
>『晋書』列傳59「忠義」
1)「忠義」の立伝動機
2)命を救った嵇紹のオーラ
3)嵇紹の血だ、玉衣を洗うな
4)劉備をかすった嵇含
5)司馬冏に周を勧める王豹
6)王豹と司馬冏の死
7)スイートな屍肉の劉沈
8)匈奴の捕虜になったとき
9)子の矢傷を代わりたい
10)きみは義士だなあ!
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