雑感他 > 官爵貨幣論の構築にむけて;大まかな思いつき

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評価経済/経済人類学における貨幣

130528は1時間だけ残業した。130528の帰宅後から、130529の出勤までに、数冊の本を読んだ。そのうちの2冊から、ちょっと思いついたことがあるので、構想メモとして、このページを作成しておきます。

ほかに読んだ本は、芳沢光雄『3の発想』です。
マレーシアには5すくみのジャンケンがある。勝敗の組合せを10種も覚えねばならず、2人で競って1度で勝負がつく(アイコにならない)確率は8割。3すくみなら3種のみ覚えればよく、勝負がつく確率は6割。つまり複雑でも優劣を明確にしたいなら5すくみ、単純で優劣を先送りしたいなら3すくみ。
漢魏晋の革命が主張した五行の相克と相生は、5すくみ。複雑で覚えにくいが優劣の主張に適する。原則として王朝は1つだけで、その正統性の主張には、おおくの学者が動員される。なま半可な勉強では、そもそも議論に参加する資格を与えられない。五行説は、そんな漢魏晋にぴったり。
戦国の諸侯が正統論に使った三統(夏殷周)は、3すくみ。仕組みは単純だが優劣が曖昧で、なんとでもいえる。合従連衡をくり返す、戦国の諸侯にとって、都合がよい。それどころか、さっきまで1つの国だったのに、晋国が韓魏趙に分裂するように、躍動的な正統論が必要となる。あまり複雑でなく、かつ柔軟に結論できたほうが良い。
思想の流行には時代状況が反映するのかも。
という話は、今回のページには関係ないが、、時系列の『超・整理法』でしたw

思いついたのが会社に到着する直前で、仕方がないから、朝一の出張の自動車のなかで、コピー用紙のウラに書きとめた。そしてそのメモをなくした。

岡田斗司夫『評価経済社会』における貨幣

岡田斗司夫『評価経済社会』ダイヤモンド社 2011 を読んだ。もともと、『評価と贈与の経済学』で岡田氏が内田樹氏と対談してて、そのなかで『評価経済社会』を宣伝していたので、アマゾンで買った。

いま価値観の転換点にぼくらがいるという話。いままでは、貨幣を価値尺度にしていた。しかしこれからは、評価(好き嫌い)が価値尺度になるだろうと。
つまち、1円でもおおくの貨幣を稼ぐことよりも、少しでも自分の好きなことに、時間を使おうという考え方にシフトすると。自分のなかに興味や関心、誰かへの愛情や友情が生まれたら、そういう自分の気持ちこそを、もっとも大切にしたいと。

農業以前は、食料やモノが少なくてひもじいが、時間は余っているので、宗教的な思索が重んじられた。農業以後の古代権力は、食料やモノがあまったので、法や秩序で支配した。だが人口が爆発して中世になると、ふたたび食料やモノが少なく、時間が余るようになる。食料やモノの蓄積(カネもうけも)は、いやしい行為として軽蔑された。
近代になり、産業革命をへて、モノ余り、時間不足になった。いくらでもモノはあふれているが、もっと儲けるために、時間を惜しんで働く。中世から見れば、なんの徳もないガメツい価値観だが、近代とはそういう時代である。
そして現在、ふたたび農業以前もしくは中世にもどって、モノが少なく、時間が余る時代がきた。農業以前や中世と違うのは、ネットにより、情報が余っていると。時間も情報も余っているなかで、カネにならない、しかし自分の好きな勉強をやる。それが現代そちらに突入しつつある価値観であると。
悔やむなら、「あと1万円あれば、あれが買えるのに」ではなく、「あと1時間あれば、あんな好きなことができるのに」となる。まずカネで発想しなくなる。

そんな現代では、いかにして評価を得るのかが主要な関心事になる。前時代では、支配的な価値尺度であったカネから、評価へと価値尺度が移動する。つまり、割高(カネを損する)でもいいから、よい評価を得ようとする。コミックマーケットなど。
「カネをもうけるために、評価をかせぐ」では、まだ価値尺度が貨幣である。「評価をえるために、カネをもうけることもある」という順序になる。これが、評価を価値尺度とするということ。「彼はカネがある」よりも「彼は人気がある」のほうに着目される。
割高だが壊れやすいパソコンを売っていたアップル社など。

栗本慎一郎『経済人類学を学ぶ』における貨幣

栗本慎一郎『経済人類学を学ぶ』有斐閣選書 1995 も読んだ。栗本先生は、出版年が現在に近くなるにつれて、本がおもしろくなくなる。

6章「社会と貨幣」はいう。貨幣には5つの機能がある。つぎの5つの機能をもつものを、経済学者が「貨幣」とよんできた。
交換手段、支払手段、価値尺度、冨の蓄積手段、計算手段。
貨幣の本質とは、1つのものに、5つの機能がすべて備わっていること。少なくとも近代の学問は、そういうものを貨幣として、分析対象としてきた。「全目的の貨幣」として把握されてきた。
だから、5つの機能が、部分的に違うものにあるとする、カール・ポランニーは驚かれた。銀貨が支払手段、耕牛が交換手段、というように、機能が貨幣でないものに備わっている社会は、いくらでもあるのだ。
これらの社会では、はじめに貨幣は支払手段であった。つまり、贈与による負債(おいめ)を解消するために、支払ものとして貨幣が登場した。ここから派生して、ほかの4つの機能が加わることもあった。

もともと、5つの機能をそなえた全目的の貨幣は、17世紀に欧州の一部のみで使われた。暴力を行使して、周囲の「経済人類学」的な経済を破壊して、世界にひろまった。今日の市場交換による資本主義になった。
市場交換は、どこの社会にもあった。しかし、部分的なものだった。共同体の外部とのあいだだけで成立するなど。しかし、すべての人間の諸関係を、貨幣のうえに結びつけてしまうのが、資本主義のムチャなところ。

以上の2つの話から、『三国志』について考えてみた。
上記の2つの話は、あくまでキッカケにすぎず、それまでに、漠然と考えていたことが、とりあえず今日時点で、結びついたところまで書きます。つづきます。

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官爵経済として捉えた、後漢と六朝時代

貨幣経済の2つの起源

貨幣経済には、2つの起源があります。
1つは神話、2つは事実です。この2つは対立することなく、混然として、ぼくらの貨幣経済にたいするイメージを、形づくっていると思います。

まず神話から。この神話は「事実がそうであった」のではなく、理論的にさかのぼって考えるに、そういう過去が想定されなければならない、という種類のものです。あくまで、信憑性のある連想ゲームに過ぎません。
神話における貨幣は、遠隔地交易のために発生した。「山の民」と「海の民」は、それぞれ産物がちがう。自分にないものを、相手からもらいたい。交換したい。しかし、相互に不要なものを、ながい道のりをかけて運んでも、相手が受け取ってくれるか分からない。二重の欲望の一致がおこるのか、分からないからだ。というか「二重の欲望の一致」という言葉には、「ユートピア」という言葉と同じく、そもそも定義上、あり得ないもの、という願意がある。
すべての山の民と海の民は、徒労を味わわねばならない。
そこで貨幣が登場した。宝貝や貴金属など、持ち運びのしやすいものを、交換レートを定めてモノのあいだに噛ませることにより、交易が成立すると。

つぎに事実。これはポランニーが描いたように、贈与と再配分にならぶ、第3の経済活動としての市場交換で、貨幣が使われるようになったという話。その貨幣は、欧州の軍事力を背景にして、世界に広がりましたとさ。
こちらは、歴史書に出てこない「山の民」の話に比べると、まだ事実に基づいていそうだ。しかし、すべての歴史学の結論が仮説に過ぎないのとおなじように、過去の事実を論じるポランニーの話も、再検証がむずかしい。

ぼくらは、貨幣について強い関心をもっており、その起源に思いを馳せつつも、つかめないでいる。そのままで、貨幣を中心とする価値観のなかで、アクセクする。オカネハ大事ダヨ、という名曲を記憶している。

貨幣経済の批判者、観察者

通勤時間に考えたことなので、ザックリなのはご容赦ください。
いちど世界に覇権をとなえた貨幣は、マルクスによって批判された。マルクスは、資本主義を搾取だと考えて、また貨幣について研究する経済学を批判して、革命をよびかけた。マルクスは、資本主義を批判するために、資本主義がどこからきたのか、どうやって成り立っているのかについて、研究をした。
しかし現実を動かすには到らず、いくつか革命がおこったが、資本主義に飲みこまれた。貨幣の5つの機能にうち、価値尺度(岡田氏のいう意味でのパラダイム)は強くなり、なんでもカネ換算する社会がつづく。

21世紀になり、9・11だの、リーマンショックだの、3・11だのが発生して、なんやかんやして、貨幣を相対化して、外部からながめる言説が目立つようになった。とくに思想家でもない、ぼくらのもとに、そういう本が届くようになった。
貨幣経済における勝者を賞賛したかと思えば、勝ち負け以前に「そもそも貨幣の勝負に執心する価値とは」なんて、本質めいた抽象的なことを考え始める。岡田氏のいうように、貨幣が評価の唯一絶対の尺度ではなくなった。栗本氏のいう5つの貨幣の機能が、分散し始めているのかも知れない。
しかし、「カネがなければ生きられない」とか「カネのための労働は美徳」という、支配的な発想は、なかなか抜けない。まあ転換点だから、仕方がない。カネを全否定する必要はないが、そこまで意識の要領を割いて、肯定と否定のあいだを、ウロウロする必要もなくなるはずだ。
ぼくらが「オレは仁者だろうか」と煩悶しないように。カネに頓着しなくなる。

ちっとも『三国志』の話にならないじゃないか、とお思いだと思いますので、そろそろ本題に入ります。
いままで話したなかで「貨幣」が占めた位置を、官爵が占めるのではないか。両者には、構造的な類似があるのではないか。おおぼら的な見通しとして、両者を重ねておくことで、ぼくの理解が助けられるのではないか。という話です。
貨幣に関する神話と信仰、貨幣に対する脅迫と懐義、貨幣を相対化する姿勢などが、『三国志』や『後漢書』が記された六朝時代までを理解するときに、生かせるのではないか。そういう、いい加減な話です。

官爵経済の2つの起源

漢代の官爵には、2つの起源がある。これもまた、貨幣と同じく、神話めいたものと、事実めいたものがある。代表的なものをあげてみる。

神話めいたものは、堯舜の御代である。帝堯は聖なる君主なので、すぐれた人材に、適した官職を任命して、全国を統治した。また堯舜は、君主の地位を禅譲した。漢代の人々(少なくとも袁術や曹丕)は、堯舜に思いをはせて、君主の地位を筆頭とした、官爵を理解していた。
もう1つは、事実めいたもの。西嶋定生氏が、爵位とは、郷里だかの共同体の秩序を取り込んだもの、という話をされていた。西嶋定生氏は、さながら、貨幣経済を研究するときのポランニーである。おそらく、堯舜の話よりは、科学的で実際的な事実にちかい。
西嶋氏を筆頭にして、官爵をめぐる研究はたくさんある。
しかし、どうでしょう。
貨幣の起源に思いを馳せるとき、ぼくらは、産業革命の前夜にあるイギリスの寒村を思ったりするだろうか。きっと「山の民」「海の民」というイメージのほうが、さきに思い浮かぶ。神話による始原の理解。これは、貨幣と官爵に共通するものだろう。
漢代の人々が官爵を理解するとき、今日の歴史学(に準じる)ような仕方で、頭を働かせたとは思いにくい。べつに「堯舜の神話を信じたふりをしてやろう。迷信に寛容であってやろう」と彼らが思ったという意味ではない。漢代の人々が過去について理解するとき、今日の歴史学の方法よりは、今日ぼくらが神話を語り継ぐときのような頭の働かせ方をしていただろう、という話です。今日のぼくらが神話を読み解くような頭の使い方をしたとき、「過去の事実を真摯に踏まえた」という自己認識があったはずだろう、という話です。ややこしいですが。

神話が想像力を喚起し、価値尺度が浸透する

ありがたい神話とは、とおい昔に遡るものである。始原にたいするイメージを担ってくれるのだから、古ければ古いほど、ありがたい。ただし、いざ政治に神話を活かすとなると、ノスタルジーにひたるばかりでもダメだ。
政策の正統性を主張するとき、「できるだけ近い時代から取材したほうが、信憑性が高い。しかし近すぎると、利害関係が発生して、面倒くさい」という複雑な事情がともなう。時代によって、始原に対するイメージが変遷する。

はじめに戦国の諸侯は、夏殷周から取材して、自分たちの君主の地位や、官爵について理解した。封建の制度についても理解した。封建とは、地方政治の長官をどのように任命するか、という意味で官爵の問題である。
先週、戦国時代にかんする本を読んだ。
平勢隆郎『都市国家から中華へ』中国の歴史02
この本によると戦国の諸侯は、夏殷周の三代を、正統性の源泉に位置づける。どの王朝と自分を結びつけるか、どの王朝と自分を背かせるか、という数々のバリエーションによって、自己の君主の地位を規定していた。
彼らにとって、周家は近すぎる。まだ洛邑のあたりに、弱々しい東周がいる。だから、「周家との関係を言うことが、自分に利さない」諸侯は、夏殷について想像をふくらませた。戦国期の書物のなかで、夏桀と殷紂は、そっくりの暴君である。また殷湯と周武も、そっくりの名君である。パターン化している。
伊尹ウェブ委員会/伊尹の概要 に書きました。

夏殷周の登場人物が、類型的な逸話であることは、彼らが神話的に発想されて、事績が膨らまされたことの証拠である。人類の思考は古今東西を問わずに類型的なので(類型的であるという立場を、ぼくは支持するので)夏殷周はすぐれた神話の素材です。
夏家は議論が分かれるらしいが、殷家と周家については、考古学的に実在が裏付けられているではないか!という話があるでしょう。しかしいまは「そういう話をしているのではない」のです。近代科学の事実検証ではなく、神話的な思考について考えている。神話的な思考の題材としての、夏殷周です。

時代は進んで。というか、ぼくが前漢を知らないので、前漢をすっ飛ばして。
王莽は、秦家では近すぎるので、秦家をきらった。漢家に滅ぼされた秦家は、ただのマイナスのイメージしかもたらさない。そこで王莽は、周公旦の「神話」をつかった。ぼくたちから見れば神話の活用であり、王莽からすれば、故事への準拠である。
王莽に周公旦と奪われたので、王莽のつぎの曹丕は、堯舜までさかのぼる。
あ、王莽について、ちょっと書いておきたい。

王莽もマルクスも、支配的な経済への批判者

秦漢帝国をつうじて、君主の地位とか、官僚制度や封建制度について、ルールも思想も整備された。つまり、戦国期に発生した(と平勢氏がいう)官僚による支配が、やっと軌道にのった。
資本主義は当初、キリスト教の力をかりて、思想的に正統化され、みなを巻きこんだ。「みんな、カネを価値尺度として思考しようぜ」と叫んでも、賤しい。背徳の人である。だから、宗教改革における勤勉の宣揚などを借りてきて、みなをセッセと労働に突っこんだ。
官爵も当初、儒教の力を借りて、思想的に正統化され、みなを巻きこんだ。「みんな、官爵を価値尺度として思考しようぜ」と叫んでも、賤しかった。だから儒教という動力が必要だった。
たとえば『墨子』や『老子』などは、君主の地位をキッチリすることや、官僚制度をキッチリすることに、否定的である。いくら戦国の諸侯が「官僚制度やろうぜ」といい、「すべての人間関係は、官爵の制度の上で可視化されることになったよ」と言っても、怪しすぎる。貨幣経済とキリスト教はセットであり(というか前者が後者の弟にあたり)、官爵が人間関係を規定する(とぼくが勝手に想定する)官爵経済は、儒教とセットである。やはり、儒教が兄で、官爵経済が弟である。

マルクスはもっとも偉大な経済学者の1人だが、彼自身は経済学の批判者であった。批判して乗り越えるために、後世から見れば、第一人者となった。
マルクスのとき、とりあえず資本主義は、最高潮だった。すなわち、労働者を劣悪な環境において、資本家が利潤を最大化するという点において、最高潮だった。なんでもカネに置き換えて、カネが5つの機能を十全に果たすという意味で、最高潮だった。もともと、人類学的な人類において見られたはずの、人間同士の諸関係が、すべてカネに収斂された。
王莽もまた、もっとも偉大な、君主および官僚制度の研究者であり、かつ君主および官僚制度の批判者であった。つまり、前漢の制度は、ここがダメ、ここがダメ、と誰よりも説得力をもって批判でき、改革できる者だった。
もともと、人類学的な人類に見られたはずの、人間同士の諸関係が、すべて官爵に収斂された。すなわち、前漢の王朝に対して果たす役割という観点から、人物が判断された。ちょっと時代はズレるけど(孫ぐらいの世代なので誤差の範囲だが)班固『漢書』の世界観である。『史記』から『漢書』への変化が、価値観が王朝とその官爵に収斂するプロセスの、よいビフォ・アフターである。

マルクスが既存の経済を革命したように、王莽もまた既存の官爵の制度を革命した。漢新革命である。マルクスや王莽のように、自分たちが置かれている支配的な環境を、批判という視線で研究し、客体化することで、それを乗り越えることが可能となる。当初、想定していた革命とは違う仕方で、乗り越えることになる。
例えば、ケンカの試合相手を(殴り倒してやりたいと思って)分析していたら、相手のことを深く理解してしまい、その結果、べつに物理的に殴らなくても、相手の威信を圧倒してしまうという。うーん、比喩がわるい。

マルクスは、貨幣の始原を語る。新たな説得力と魅力に富んだ神話を再構築する。王莽もまた、古文学派として、王朝と官爵の始原を語る。新たな説得力と魅力に富んだ神話を再構築する。
マルクス:貨幣=王莽:官爵。わりに、いけそう!おもろい!

後漢末の党錮は、加熱した経済闘争

栗本氏は「経済」という中国語が、もっぱら貨幣経済の意味で使われていることを、誤訳だとまでいう。もとのエコノミーの意味なら、以下まで包含することができる。
動物界の基本法則、モーゼが与えた律法、自然界の理法、キリストの経綸。
ぼくが思うに、これら広義の諸関係における構造やルールという意味を持てる「経済」の用法において、官爵経済というのを想定したい。

さて後漢です。後漢を知るためには、范曄『後漢書』に基づくしかない。范曄の思想について、先週、書きました。
『後漢書』党錮伝に現れた范曄の思想と歴史観
党錮伝を読んでみると、范曄は、
禁錮された人たちを「清流」としてほめているのではない。また宦官や、その親玉である桓帝や霊帝を「濁流」とけなすのでもない。官爵をめぐって、血眼になっている連中を、まとめて批判している。社会関係資本(名声や人脈)、文化資本(学識)を、すべて官爵の獲得のために、ぶちこむことの浅ましさに、嫌悪感を示している。そう見える。

岡田氏は、支配的な価値尺度の変移について書いていた。つまり、いままでは「カネで」思考していた人々が、「好悪や評価で」思考するようになるだろうと。
同じことが、范曄が見た後漢にも起きている。今までは、支配的な価値観は薄かったのだろうが、後漢の中後期になると「官爵で」思考するようになった。その背後には、「儒教で」思考するという、発想の画一化もあるだろう。多様な資本が、すべて官爵を獲得する元手として認識された。
この傾向は、渡邉先生のいう「名士」の勝利であるはずの、九品官人法でますます昂進する。
名声で官爵が得られるから、名声の価値があがったのではない。名声は、官爵によって計測される(受け身の)対象に貶められてしまった。それが後漢末から魏晋期なんだろう。この風潮の悪弊(だと范曄が思うもの)が、東晋をへて、南朝宋にいたる。『後漢書』党錮伝の動機となる。

20世紀には、経済的な成功者(誰でもいいけど、例えばあ松下幸之助とか)が、尊敬すべき偉人として記された。しかし21世紀には、はやらない。むしろ、カネ勘定のために暴走した者が、糾弾されるような風潮である。ちょっと前まで、あんなにカネもうけの上手な者を、ほめたのに。
糾弾する記述においては、実態以上に、カネのことになると、目の色を変えるような、禽獣のような人物像が描かれるだろう。カネ戦争において、勝者も敗者も、カネの奴隷という意味で、けなすべき人物である。「なあにを、下らないことに、人生を費やしているんだ」という冷ややかな視線である。
ついでに、「おまえたち、先行する世代が、禽獣の争いをやったせいで、今日のぼくたちが、不幸な境遇にあるのだ」という、怨み節まで入ってくる。
これって、党錮伝を編纂した范曄のメンタリティだ。まったく!
西晋になると、陸遜の孫の陸機が、文化資本はあるのに、高い官職につけないから、がっかりする。両晋は、官爵がインフレする、さらにろくでもない時代。貨幣経済におけるバブルである。

袁術と袁紹、三国のこと

袁術や袁紹がやったのは、定着したルールの違反です。
たとえば、現代において「オレは力がつよい。だから貨幣経済のルールを破って、貨幣を蓄積してやる」という強盗である。貨幣が欲しいのだから、貨幣経済の外部にいる者ではない。しかし、貨幣経済がその浸透の段階においてセットした神話を、いくつが踏みつぶして、私利をはかった者である。ちゃんと、「山の民、海の民」の幻想的なイメージを損なわないようにカネもうけをして、カネをもうけねばならない。また官爵において、堯舜のイメージを損なわないように禅譲をやらねばならない。

三国鼎立は、君主(官爵の発行者)への信頼や幻想が前提になければ、起こりえなかった。現代において、ニセガネが警戒されて重罰を科されるのは、カネへの信頼と幻想が充分に大きいからである。ニセガネの印刷者は、カネへの信頼のなかで、利益をあげる。
「天子ってこんなもの」についての合意がなければ、劉備も孫権も、なにをやっているのか分からない。後漢後期に、官爵を主軸にした価値観が整備されたせいで、ぎゃくに三国は鼎立することができた。袁術と袁紹は、既存のカネを強奪しただけだが、巧妙なニセサツ業者である呉蜀は、みごとに統治を成功させた。つまり天下を分裂させることができた。
武田泰淳『ニセ札つかいの手記』を、三国志バージョン『ニセ官爵つかいの手記』にアレンジして、書いてみよう。いろいろ、見えてくるはずだ。確信をもてる。

同姓の封建、異姓の封建、郡県制

封建制の議論については、渡邉先生の論文をひいた。
長谷川清貴氏「荀悦『漢紀』における「春秋之筆法」読書会
封建制は退蔵であり、郡県制は強制的な交換。。
この問題は、ちょっとあたためます。まだ書けない。130529

全目的(5つの機能を全てもつ)の官爵

「全目的の官爵」。つまり5つの機能をすべて兼ねた官爵とは、どのようなものか。130530の朝に出社しながら「あ、昨晩、これを書き忘れた」と気づいたので、書いておく。5つの機能とは、
交換手段、支払手段、価値尺度、冨の蓄積手段、計算手段。
まず交換手段。人間同士が関係を取り交わすとき(財物、文化、敬意などを取り交わすとき)官爵がその手段となる。つまり、官爵を与えることで、人間関係を好転させる。もしくは官爵を奪うことで、宣戦布告をする。これは、アリだな。門生故吏が天下に分布しており、、という袁紹の強みは、まさに交換手段としての官爵が、機能した結果である。後漢においては、皇帝だけでなく、三公や太守もまた官職を配分することができた。
つぎに支払手段。すなわち、相手に対する負い目の精算(もしくは恩返し、と言っても同じ内容)のために、官爵をつかう。これは端的には、官爵を昇進させることである。勤務が優秀なので上司にラクをさせる。もしくは百姓に恩徳をほどこす。きわめつけは、定策(皇帝でない者を皇帝にしてあげる)の功績。これらを精算するのは、官爵によってである。もちろん、他の手段によっても精算は行われる。たとえば現代においても、贈答があるように。しかし主流の支払手段は、官爵であると。あると思います。
つぎは価値尺度。つまり人間の尊卑をはかるときに、官爵の高低をもちこむ。「官爵が低くとも清貧」というプラス評価も、官爵をもちいた評価なので、この範囲にふくまれる。やがて名声までもが、官職の序列のなかに組み込まれていく。これもある。
冨の蓄積手段。おお!これは貴族制である。つまり、特定の家が、継続してたかい官職をえる。爵位は世襲だから、これはロコツに、定義どおりに、冨の蓄積手段である。まさにある。
計算手段。たとえば太守といわずに、「二千石さん」とよぶ。史料に出てくる人々は、それほどサラリーが目当てに仕官するようには見えない。しかし、その官職によって与えられる俸禄は、官職の別名である。これによって、だれがだれの何倍えらい、という計算が成り立ってしまう。これもある。

人間関係を取り交わすとき、ほかにいくらでも方法があるにも関わらず(たとえば今日のようにカネで関係を取り交わすという選択肢があるにも関わらず)漢魏の人々の史料にあらわれる言動を見ていると、官爵によって特徴づけられている。
「全目的の官爵」はあると思う。

ぼくたちは、自分の好きでもないことをやるとき「でもカネになるから」と納得することがある。カネの切れ目が、生命の切れ目だと思っている。おそらく、実際以上に、カネについて意識を払っている。矢場町のカレー屋で読んだ、湯浅誠『反貧困』は、まさにカネ=生命、という脅迫的な価値観を、自明とする本だった。というより、むしろ、著者にとっては不本意だが、カネの万能性をあおりたてる本だった。
カネなんかいらない!と、貯金の全額を捨てることが、この価値観からの脱却なのではない。貯金にたいしてヒステリックに否定的に振る舞うことも、「全目的の貨幣」の囚人である。

現代社会において、カネがないことが、死ぬ動機になる。ほんとうに生命を維持するだけなら(衣食住をつなぐだけなら)カネがなくても可能らしい。しかし、カネがないという理由で死ぬ人がいる。死なぬにしても、「カネがなくなれば、死んだ方がマシかも知れない」という想定をすることは、誰でにでも(少なくともぼくには)経験がある。
カネがないことは不安だ。カネの流れから疎外されると、社会から疎外されたと、短絡的に連想する。カネは単なる衣食住を購入する道具ではなくて、それ以上の呪術的な規制力を持っているかのようだ。
カネがないから死ぬ、というは、思考回路が短絡している。カネがない、カネは人生において最重要だ、カネがないオレは人生のおける最重要なものを喪失したに等しい、だから死ぬ、という(本人に気づかない)推論が、自動的に起動しているのである。風が吹けば桶屋が、と同レベルの妥当性を欠いた推論だが、その妥当性を欠いた推論が(生命を脅かすほどの)説得力をもつところに、ぼくらが背負わされた価値観の特徴がある。
後漢後期においては、カネのために死んだ人は史料にない代わりに、官職のために死んだ人がおおい。官職を扱う手つきが賤しいと、それだけで人格が賤しいように錯覚する。官職と高潔につきあう者が、高潔な者として評価をえる。官職は、命をかけてでも、獲得/辞退するものみたいだ。
当然ながら(というか今日のぼくたちからすれば)後漢の官職は、生命となんら関係がない。公務員の職位とか、会社での職位とかから想像しても、「職位のために死ぬなんてね」と思う。ゆえにぼくらは、「カネのために死ぬかも」という、自分のなかにある強迫観念を流用して、後漢の官職を理解すれば良いのだと思う。

現代は、貨幣に対する評価が不当に高い、とすら思える。
同じように漢魏には、官爵に対する評価が不当に高い、時代だったのかも知れない。ぼくらのカネに対して持っている、畏怖と愛着が、ごちゃ混ぜになった(うまく客観視して言語化することすら難しい)感覚によって、漢魏の人々の価値観を連想できるのではないか。
竹林の七賢は、官爵にたいして過剰に冷淡である。彼らもまた、「全目的の官爵」の囚人である。などと思ったのでした。130530

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