三国志は、1800年に渡って語り尽くされてきた叙事詩。
しかし、とある映像作品のキャッチコピーみたく「死ぬまで飽きない」もの。
まだまだ枯れる気配すら見せない、三国志の魅力について語ります。
ミスター自己承認欲求、張松伝(1)
劉璋から劉備に乗り換えた人で、字は永年さん。
陳寿だと、彭羕のこと。羅貫中の手にかかると、張松のこと。
何だかよく分からなくなっているので、整理してみます。
ただ、『三国志』と『演義』ともに、2人に共通しているのが、自己評価がやたらと高いこと。中途半端に似ちゃってるせいで、余計にワケが分からないよ!今回は張松を見てみます。

■劉璋伝の張松
張松、字は子喬。陳寿は張松に、列伝を立ててあげなかった。仕方ないから、ちくまの索引を使って、彼の情報を集めてみましょう。

「劉璋伝」曰く、
曹操が荊州を平らげ、漢中まで征ったと聞いて、劉璋は陰溥を派遣した。曹操は、劉璋を振威将軍、兄の劉瑁を平寇将軍にした。
さらに劉璋は、別駕従事で蜀郡の張粛を派遣して、蜀兵300と種々の贈り物を早々に贈ったら、広漢太守に任じてもらえた。

また劉璋は、別駕の張松を曹操に派遣したが、すでに劉備を敗走させていた曹操は、張松を歯牙にも架けなかった。張松は怨みを抱いた。
曹操は赤壁で敗れた。張松は戻ると、曹操の悪口を言った。代わりに、「劉備は殿の親戚です。結託するのが良いでしょう」と説いた。劉璋は、法正を劉備に遣った。

同処注『漢晋春秋』曰く、
曹操は、慢心していた。張松を相手にしなかったため、何十年も統一事業に努力してきたのに、天下は三分してしまった。
君子は、謙譲の態度を忘れず、低姿勢でいなければならない。曹操がけっきょく天下を統一できなかったのは、理に適ったことよ。

■先主伝の張松
「先主伝」曰く、
211年、鍾繇が漢中を討ちにくると聞いて、劉璋は怖れた。
別駕従事の蜀郡の張松が言った。「曹操は最強です。張魯の蓄えた軍需物資を手に入れ、こちらに攻めてきたら、誰が防げましょうや」と。劉璋は「どーしよー。何も思いつかないんですけど」と答えるのみ。
「劉豫州は親族で、曹操の仇敵です。用兵が巧みなので、張魯に勝てるでしょう。劉豫州が漢中にいれば、益州全体が強固になり、曹操を追い返せるでしょう」と張松。
劉璋は、法正に4000を率いさせて劉備を迎えにやった。
張松は法正に吹き込み、龐統が作戦を進言するとき「会談のとき、ただちに劉璋を殺して下さい」と提案させた。劉備は「これは重大事だ。慌てるな」と言った。

同処注『呉書』曰く、
劉備は、先に張松、後に法正に会った。どちらにも手厚く恩情を込めて接し、歓待した。張松は、蜀の広さ・兵器・倉庫・人馬の数、要害や道程を詳細に説明した。地面に地図を描いて、劉備に教えてしまった。

「先主伝」曰く、
劉備が荊州に戻ると聞き、張松は劉備と法正に手紙を書いた。「どうして大業を目の前に、放置して帰ってしまうのですか」と。
張松の兄、広漢太守の張粛は、自分に禍が及ぶのを恐れ、劉璋に暴露した。劉璋は張松を斬った。これが、劉璋と劉備の、初めての不和であった。

同処注『益州キ旧雑記』曰く、
兄の張粛は、威儀正しく、堂々たる容姿。
弟の張松は生来の小男で、勝手気ままに振る舞ったが、識見と判断力を持っていた。曹操は張松を軽んじたが、主簿の楊修は張松を評価して「あの人をお採りなさい」と言ったが、却下された。
楊修は、曹操が編纂した兵書を張松に見せた。張松は、宴会の場で、ざざっと通覧し、すぐに暗誦した。楊修は、ますます張松を特別視した。

■法正伝の張松
「法正伝」曰く、
張松は、法正を劉備への使者に推薦した。法正は辞退したが、やむを得ず赴いた。帰ると、張松に「劉備はすげーよ。君主にしちゃおーよ」と相談した。
法正は劉備に、耳打ちした。「劉璋の惰弱に漬け込んで下さい。張松は股肱の臣ですが、内部で呼応いたします。豊かな蜀を、手に入れちゃって下さい」と。

■『演義』の張松
張松、字は永年。出っ歯で鼻が低かった。曹操のところに行くのは、馬超が片付いた後。曹操にムチ打たれ、傷心のときに劉備ファミリーに癒してもらうという、巧いストーリー。

『孟徳新書』や『西蜀地形図』という小道具が登場するが、やってることは正史の注のとおり。
「必殺技には、名前があった方がいいですよ」という少年漫画の担当者が言いそうなヒットのコツくらい、羅貫中は心得ていたようです。地面に小枝で書いた地図じゃ、読者は物足りないんだ笑

次回、張松の人柄について推測を巡らせます。
ミスター自己承認欲求、張松伝(2)
■正しい曹操
曹操が張松を無碍に扱ったことが、張松が曹操を見限り、劉備を迎える動機だと言われている。では、曹操は本当に張松をぞんざいに追い返したのか。
ぼくはNOだと思う。
だって、すでに蜀郡の張氏には、兄の張粛を広漢太守にするという形で、礼を尽していたんだ。もしうっかり、弟の張松にも何らかの官を与えてしまったら、話がおかしくなるじゃないか。
曹操は劉璋の意図を推測し、ただの丁寧さをアピるための使者だと思ったんだろう。「ありがとう、ありがとう」と言う形式的な派遣。ただ、同じ人が何回も来るのは芸がないから、張粛の代理ということで、弟がきたんだね、と。代理に改めて官位を与えるのは、やはり変だ。

張松の人柄を見てみるに、張粛よりルックスは劣るものの、それなりに頭脳明晰。
曹操は、「張粛では見抜けなかった、我が軍の機微を偵察に来たな」とか、「外交の場にありがちな、国の知力を競わせる問答をやりに来たな」とか、そう思ったに違いない。
だから、(この時点では曹操のお気に入りだった)ナゾナゾ王子の楊修と遊ばせてた。楊修の家柄は、袁氏と双璧をなす四世三公ですよ。おまけに舌がよく回るから、退屈もしない。
孫権や曹丕が、他国の使者をからかっては、ケタケタ笑うシーンが、『三国志』にはよく出てくる。あれと同じようなトンチ比べが、荊州に進駐している曹操軍の中で、行われたのでしょう。

思うに、劉璋の意図は、曹操の察したとおりだったと、ぼくは思う。曹操さんの応対は、大正解なんだ。

■楊修の暴走
ただ、主君同士の思惑どおり行かないのが、人を使う難しさ。
楊修は、後の「鶏肋騒ぎ」でも分かるように、越権行為に走るクセがあった。自分が曹氏よりも上だと思っているから、曹操が認めもしないことを、独断で約束・命令してしまうんだろう。
きっと楊修は、こう言った。
「張松さんは、益州の殿の元で終わっていい人じゃない。中原で活躍するように推薦する。この楊修が言うんだから、間違いない」と。

物語にするなら、曹操も同席している宴で、いきなり楊修から空手形を発行してしまうのが、面白いはず。曹操は思わず杯を卓に置いて、「ちょ、ちょっと待てよ」と笑
劉表を下し、劉璋も帰順すると言っている。天下平定は間近なのに、人材を盗むなんていう、イサカイの火種を、わざわざ作るなよ!と、曹操は青くなり、腹の中で怒ったことにしましょう。

これを聞いて飛び上がって喜んだのが、張松です。兄の下でウズウズしていたのに、曹操の参謀殿(楊修さん)が、召抱えてくれるという。もう薄暗い蜀郡は卒業だぜ!と。
曹操は、その場で楊修の発言を全否定できない。部下への統制が効いていないことを、暴露するようなものだから。張松のようなキレ者ならば、君臣の微妙なスキマを見ているに違いない。これから降伏させようという劉璋に、そんな情報が流れはマズい。
仮に楊修に訂正を促しても、あー言えばこー言う方式で、話が悪い方向にデカくなっていく可能性が高い。
だから、後日やんわりと、滞在中の張松にお断りの使者を送った。

■曹操の誤算
張松は、浮かれモードから、どん底ですよ。
また「無能な」兄に「虐げられた」生活に戻るのか、と過度に落ち込んだ。
益州に帰る道の途中で、張松の挫折感と徒労感が、無限に循環して、事実無根な報告内容が醸成されてくるのです。
「兄に比べて、オレはこんなに頭がいい。それなのに、曹操に見た目で判断された。曹操は、礼を欠いている。劉備を追い落としたことで、奢っているに違いない。劉璋殿にお伝えせずば、なるまい」
さらには「劉璋殿が礼を尽して、何回も使者を送っている。オレもその使者のうちの1回だ。それなのに、曹操ったらどうだ。物欲しそうな男が来おったわ!というような、侮蔑の目でオレを見下していたのではないか。こんな屈辱は初めてだ。官位もくれなかった」

劉璋は歪んだ報告を受けてしまい、でも張松の頭の良さを買っているので、信じてしまうわけです。追い討ちをかけるように、赤壁の曹操敗戦の情報まで入ってくる。
「曹操は強いかも知れないが、徳がない。天下を取る男ではない。彼に付いても殺されるだけかいや」と、劉璋の中に曹操評が固まってしまう。

■劉璋の悲劇
もし張松が曹操のところに行くとき、「オレは兄の代理だ」と立場を弁えていれば、こんなことにならなかった。劉璋が、ちゃんと伝えていれば良かったんだ。
でも張松のモチベーションを上げようとして「曹公を見極めてきてくれ。キミなら出来る」なんて、言ってしまった。
※このマネジメントは、ミスではない。

張松は、はじめは劉璋の言葉どおりにしか、任務を認識していなかった。だが、なにせ長旅だ。時間が経つうち、性格に根ざした妄想を抱き始めて、馬を進めた。
「劉璋に認められた。これは良し。だが、兄と同じコトをしていていても、ラチが明かん。もしオレが、才を愛する曹操の目に留まれば、兄よりも高位に付けてもらえるかも?」なんて、あらぬ期待までし始めた。旅は人を解放的にするからね笑
「そうしたら、蜀郡の張氏を仕切るのは、オレじゃん!」と。
「そうなったら、何を買おうかなー?」なんて。
会見してみれば、楊修からの「ヘッド」ハントの申出。嬉し過ぎるっしょ!

自己評価の高い張松と、火に油を注いだ楊修。
劉璋的には「曹公は、兄の張粛が申し上げているとおり、立派な方でした」という報告が得られていれば、それでOKだったのです。そうすれば曹操に迷わず降伏し、劉琮のように、裕福な老後が約束されていた。
ところが、張松の自己承認欲求に振り回されて、結果として成都を劉備に包囲され、半捕虜みたいな後半生を送らねばならなくなった。

なんだか楊修のせいみたいだが笑、次男坊の気持ちの浮き沈みに振り回されて、可哀想な劉璋さん!

次回、劉備を招き入れて、自己承認欲求を満たそうとします。
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