■三国志キャラ伝>成都で暴発、ママへの叛乱。鍾会伝(1)
■このサイトの「鍾会伝」の結論 せっかくご覧頂いているので、結論から書いちゃいます。   鍾会は、抑圧されたマザコンだった。 この一言かなあ。 鍾会と鄧艾と諸葛緒は、雍州を進発して、ついに三国の一足=蜀を滅ぼすのです。劉禅は鄧艾が迫ると聞いて「ごめんなさい」と降伏してしまう。 この後、鍾会が姜維と結んで、成都で「独立」を宣言する。   鍾会が起こした叛乱を、淮南の三叛と結びつけて「司馬昭の専横に対する反発」だとする人がいる。陳寿も、一応はそういう位置づけで、鍾会伝を、王淩・毌丘倹・諸葛誕と同じ魏書第二十八に入れた。 鍾会が魏領から遠く離れて宣戦布告したのは、心の中に巣食うママの厳しい教育に対してなんだ。「ママの言いなりにはならないぞ。ついに自立してやるんだ」と、40歳にして立ち上がったんだ。 ママは「慎み深くしなさい」と口うるさく言うものだから、幼い鍾会くんは従順に腰を低くし続けてきた。自らの意思で選び取った態度というよりは、物心が付くか付かないかの内に、強制的に教化されてしまったんだ。本性は、そんなじゃないのに。   ■家族がいないわけ 鍾会が蜀征伐に行くとき、司馬昭の周りで「あいつを遠隔地に出張させても大丈夫なんすか?家族がいないんで、人質を洛陽に残せません。叛乱することも自在じゃないっすか」と進言するものがあった。 なぜ鍾会には、家族がいなかったのか? 少年時代に、あまりにママが鍾会を縛ってしまったため、女に興味を持てなかったんじゃないか。母親は息子の嫁に嫉妬することが多いらしい。鍾会は、ママの気に障りそうなことを、ママの死後も避け続けたのかも。もしくは、親子という関係の血縁者が発生するのを、面倒に思って避けていたのかも知れない。なんか歪んだ家庭生活ですが笑   鍾会が母親の伝記を書いていることから「鍾会には賢母がおり、鍾会は親孝行に尽くした」という話は、けっこうあちこちに書いてあると思う。陳寿の「鍾会伝」を読めば、一目瞭然なので。 ただぼくは、以上のように、鍾会を過度のマザコンに苦しんだ男として見てみたいと思うのです。妥当性を欠いたら、また考え直します笑
  ■プロフィール、蒋済の失敗 鍾会、字を士季。頴川郡、長社の人。長社って、曹操が黄巾討伐で大騒ぎした場所じゃん。 鍾繇の末子。 鍾繇は魏の太傅にして、曹操のとき并州や涼州方面との外交・治安維持に功績のあった人。魏諷に連座して、ヤバい目にあってたっけ。   中護軍の蒋済は「ひとみを見れば、人間の価値が分かる」と、ピンクレディーみたいなことを言い出した。パパの鍾繇は「それなら、この子を見てくれんか」と、鍾会を蒋済に会わせた。鑑定結果は「並外れた人間である」と。けっこうアバウトでございました笑   蒋済には前科があって、司馬懿と談笑しているとき「王淩の子・王広は、父に勝る立派な人物だねー」と言った。後になって後悔をし、「私の一言は、他人の一門を滅ぼすものであったな」と。すなわち、司馬懿に対して「あいつすげー」なんて言えば、「馬鹿め!」じゃなくて笑、「我が一門の障りなり」と言って殺しにかかるに決まっている。うかつな賞賛をするんじゃなかったなあ、という話。 案の定、王淩は淮南で叛乱をしてしまうのですが、やはり鍾会も(場所こそ違えど)叛乱に及ぶのです。蒋済さん、罪つくりです。   ■毒まみれの胎教 早熟な鍾会は、ママのために伝記を書いた。 「私の母は、姓は張、字は昌蒲、太傅の命婦」と、こんな感じで始まるようです。裴松之が引用してくれたおかげで、読むことが出来ます。   ママには、高い身分出身の側室、孫氏というライバルがいた。孫氏は口達者でずる賢く、他人のあることないことを吹聴して、陥れることが巧かった。※ママのライバルなので、鍾会が誇張しているのだろう。 ママが妊娠すると、いよいよ孫氏は嫉妬して、ママの食事に毒を入れた。 ママは中毒になり、食べたものを吐き出したが眩暈が続いた。周囲が「孫氏を告発しましょうよ」と言うが、ママは「正室と側室の争いは、家を滅ぼす元です」と言って、1人で後遺症に耐えていた。 孫氏は鍾繇に「私は男子が出来る薬を混ぜて差し上げたのに、中毒症状が出た、なんて言ってます。どうなんすか、あの女」なんて毒を吐く笑 しかし鍾繇が叱り付けると「私が毒を入れました」と白状したという。このことで孫氏は離縁された。やがて男子が生まれた。よかったじゃん、男子で。孫氏の薬は効いたんじゃないか笑 225年、ママは会を生んで、ますます鍾繇の寵愛を得た。。。   って、、、妊娠中に毒を盛られた胎児が、鍾会だったのか?   あまり笑えないよ。ママとしては、よく耐えて節度を守ったつもりだろうけど、生まれてきた鍾会は被害者ですよ。妊娠中に酒やタバコを控えるってのに、鍾会ママは毒なんか飲んでるからね。 医学的な知識が浸透していなかろうが、これは美談というよりはブラックユーモアですよ。毒を浴びた胎児本人が、自らこんなことを伝記として書き残したものだよね。恐ろしいこと、この上なし。 ママの都合と美学だけに特化した胎教、子供は堪ったものじゃないよ。「ああなるほど、私は先天的な障害が残るリスクを犯してまでも、正庶の序の大切さを教わったんだなあ」なんて素直に感謝できるのか?   ■山椒で喉を潰した鍾繇 孫氏を追い払った鍾繇は、正妻として賈氏を娶った。 鍾会がせっかく書いてくれた伝記ですが、よく分かりません。なぜ側室の孫氏を離縁して、代わりに正室を娶るのだろうか。鍾会が筆を曲げたけど、ママが側室で、毒婦の孫氏が正室だったんだろう。すぐバレるウソは、つかない方がマシじゃないか?   鍾繇は、鍾会ママを愛するあまり、新しく入った賈氏を愛さなかった。離縁してしまった。※本当かしら。 それを拙いと感じた曹丕と曹丕ママの卞氏は、「鍾繇さん、賈氏を愛そうよ」と働きかけた。鍾繇はイヤなので憤激し、鴆毒(亜ヒ酸)で死のうとしたが手に入らず、山椒をドカ食いして口が聞けなくなった。仕方ないので、曹丕は諦めた。 っていうか、鍾繇も大人気ないよね。鍾繇が年老いてもこんなだから、孫氏みたいのがいきり立って、寵愛を得ようとヒステリックな行動に出るんだ。鍾会ママが「家庭内の争いは亡国に通ず」なんて言ったらしいが、鍾繇の性格のせいじゃねえのか? もしくは、パパの鍾繇よりも、ママの顔を立てるあまり、鍾会が無茶な書き方をしたとしか思えない。パパ鍾繇は、この一件でガードの甘いお茶目な馬鹿にされてしまった。   今でもあるらしい。母親がいつも仕事で不在の父の愚痴を子供に聞かせ続けると、子供は母の言葉を鵜呑みにして「父は無能だ」と軽蔑し始めるんだって。恐ろしいことです、父不在。
  次回、司馬師と絡み始めます。ママの影を引きずりつつ笑
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