三国志は、1800年に渡って語り尽くされてきた叙事詩。
しかし、とある映像作品のキャッチコピーみたく「死ぬまで飽きない」もの。
まだまだ枯れる気配すら見せない、三国志の魅力について語ります。
呉に益州は獲らせぬ、羅憲伝。(1)
羅憲は、一部で「知る人ぞ知る名将」みたいに言われているが、決してマイナーじゃない。だって、『晋書』に列伝が立ってるんだから。『三国志』だけを読んでいても気づかないから、おかしな評価が貼り付いてしまったのだと、ぼくは思う。
晋書巻57、列伝第27を、解体晋書http://jinshu.fc2web.com/main.htmlのお世話になりながら読んでみようと思います。
■故郷を失った組
羅憲、あざなは令則。荊州の襄陽郡の人。父の羅蒙は蜀の広漢太守だった。
ここから読み取れるのは、羅憲は「故郷に帰れない」というグループの人材だということ。いつ父が劉備に従ったか分からないが、劉備が劉表の客将をやってたときに認識し、荊州南部の郡を制圧したときに臣として参じたのが、いちばん無理のない想像だろう。
荊州にいて劉備に従ったという意味では、諸葛亮が筆頭だし、蒋琬や費禕たちもそうだ。

しかし関羽がドジをして、荊州が孫権の手に堕ちた。劉備は夷陵で起死回生を図るが、逆に老いを進めただけ。
あれは、臣下の多数を占める荊州人の、故郷を回復するために避けられない軍事行動だった。これはもう、定説の域。そりゃ心情的に、関羽の仇討ちが1%もなかったということも、なかろうが。
夷陵で負けて国力を減らすほうが、戦わずに国力を温存するより、国家の求心力を保つためには、有効だっただろう。「やってダメなら仕方ない」と、無理やりにでも中枢を占める荊州人士は納得してくれる。
まあ結果論から愛蜀心を慰めても、仕方ないんだが。

■呉を許さない
夷陵敗戦のとき、羅蒙や羅憲の心の中に「孫呉は祖先の墓を侵した」という、決して剥がせないレッテルが貼られたはず。羅憲は儒徒だったようだし、その傾向は強かろう。
孫呉の勢力拡張を許してなるものか、という「伏線」は、おそらく父から吹き込まれたものだろう。
蜀の国家目標としては、魏を討つこと。でも臣下全員が同じ方向を向いていることは、考えにくいことで。そんな組織、逆に気持ち悪い。
いくら諸葛亮以後「呉と協調」となっても、羅憲は呉に対して、複雑な感情を抱き続けた。ぼくはそう思う。

『晋書』の出身地の記述だけで、羅憲の設定をしこたま詰め込んでしまった笑 『晋書』が短いから、推測が大切なのです。
「亡国後も赴任地を守り通した、節度ある名将」という、一面的でステレオタイプな評価だけでは、羅憲の人物を捉えきれないと思う。
旧日本軍の「死んでもラッパを離しませんでした」と同じ類いの美談で片付けてはダメだと思う。
■陳寿と同輩
羅憲は、13歳で文章がうまくて有名だった。
譙周に師事して、「子貢だ」と言われた。知らなかったんだが、『晋書』の列伝に文苑というコーナーがあり、「文立伝」曰く、文立が顔回に、陳寿が子游に、李虔が子夏に、羅憲が子貢に比せられた、と書いてあるんだって。
文立って、誰だろう。李虔って誰だ!

性格は、方亮嚴整,待士無倦,輕財好施,不營産業というんだが、まあ典型的な清流の褒め言葉です。ここから羅憲のパーソナリティを推測するのは、ちょっと危険だと思う。正直・誠実・厳格で、士を厚く持て成し、金に執着せず、ガツガツしないで高尚に余裕をこいていた、と。
あーそーですか、と流しておくのが吉だ。

■MEET 孫休
太子舎人・宣信校尉となり、呉に遣いし、呉人に賞賛された。
これだけしか『晋書』に書いてないけれど、創作意欲は高まりますねえ。呉が外交使節をからかうのは、孫権以来の悪しき伝統だ。ただの言づてが役目なら、「賞賛」なんかされないでしょ。すなわち、羅憲も呉の朝廷で試されたんだ。
問答の相手は、是非とも孫休がいい。どこにも記述がないんだから、勝手にキャスティングしましょう。
皇帝よりも学者になりたかった、孫休。彼が、抽象的な議論を吹っかける。羅憲は、現実的な視点から論破していく。内容を想像するのは大変そうだが、やってほしい。

というのも、蜀が滅びた後に羅憲を攻めてくるのは、孫休だから。
執拗に将軍を送り込んでくる孫休に対して、断固としてはねつける羅憲。それだけじゃなく、なんと孫休は、羅憲を攻めあぐねて死ぬのです。そこまで直接な因果関係ではなく、羅憲を抜けずに、蜀を取れず、晋に圧迫されて、押しつぶされた、という流れだと思うんだが。

こんなだから、孫休と羅憲の舌戦は、表面上は友好国が情を温めあうものなんだが、底流には互いの理想・野心が見え隠れする、緊迫したものになるだろう。
孫権のときは、機転の利いた応答にゲラゲラ笑って終わりだった。三国時代は始まったばかりだし、次に控えているのは均衡だから、「あー楽しかった。蜀も知恵者がいるものだね」でいい。
でも孫休のときは、三国時代末期。混沌の前哨戦なんだ。
「あいつの器量は、どうか。有事のとき、あいつを殺すことが出来るか」という偵察を、相互にやっていたはず。
呉に益州は獲らせぬ、羅憲伝。(2)
■孫休VS羅憲
孫休は261年ごろから政務を執らなくなるらしいので、羅憲が呉に行くのはそれ以前がいいね。孫休が孫綝を討ったのは258年だから、それ以降がいいかな。時期が絞れてきた。
このとき、「魏が自国に攻めてきたら、どうしますか。そのとき同盟国として、どう振る舞いますか」という議論をしたんだと思う。ぼくの全くの想像ですが。
孫権のときは、「魏を攻めるなら、どうしますか。魏が滅びたら、どこを分割しますか」なんて積極的な議論をしているから、真逆だ。文字どおり隔世の感がある。
そして、あのときの議論を参考にすれば、「いかにもありそうな」論戦を作ることは可能だろう。古今の歴史家がやってきたことだ笑

孫休「劉禅は、元気にしているか」
羅憲「はい」
孫休「賢臣を遠ざけ、諂臣を近づけていないか」
羅憲「はい」 羅憲は左遷され、黄皓が跋扈。でも国の体面は守る。
孫休「そうか、残念だ。蜀の君臣が愚かなら、攻めようと思ったが
羅憲「周瑜と陸遜ぬきで、赤壁と夷陵の勝利を同時に再現できますか」
孫休「どうであろうな」
羅憲「呉が蜀を攻めるとは、そういうことでございます」

孫休「聞く。魏に攻められたら、蜀は国を保てるか」
羅憲「無論です。先年も、費禕さんが曹爽を追い返しました」
孫休「費禕はすでに亡く、曹爽を討った司馬氏が力をつけている」
羅憲「悲観要素は認めます。では蜀が攻められたら、呉の対応は?
孫休「同盟国を助けるのは当然。魏に攻め入り、蜀に援軍を出す」
羅憲「あなたの国に、そんな数の軍がありますか
孫休「(ないから)魏を攻めることに絞る」
羅憲「魏は懐が深い。呉が魏を攻めても、蜀を攻める手が緩むか疑問
孫休「では、蜀を守るために、荊州から軍を出す」
羅憲「その軍は、蜀を守る軍でしょうか。蜀を獲る軍でしょうか」
孫休「言うまでもない」 濁して切り上げた、孫休の勝ちかな笑

羅憲「思考実験をしましょう」
孫休「よろしい」
羅憲「万が一、魏が蜀を併せたら、呉はどうしますか
孫休「やはり劉禅はアホか。姜維はバカか。もう魏に勝てないか」
羅憲「思考実験だと申しました」
孫休「ふん。益州を加えた魏はさらに強大だろうが、呉が滅ぼしてやる」
羅憲「無学な私は、呉楚に立ち、天下統一した国の名を知りません
孫休「奇遇だな。博学を誇る朕も、知らん(苦笑)」
羅憲「それでは、この辺境で逼塞し、滅亡の道を選ばれますか」
孫休「魏より先に、益州を手に入れる」 本音を言った孫休の負け

羅憲「陛下の発言は、同盟の信頼性を失墜させました」
孫休「無礼な。蜀との同盟は、必ず守るぞ」
羅憲「詭弁です。詭弁でないのなら、真意を説明して下さい」
孫休「劉禅が去り、一時的に主がいなくなった益州を獲るのだ
羅憲「なるほど、分かります。ですが、それは不可能です」
孫休「いや出来る。益州は70年、中原と分断されている。必ず混乱を
羅憲「するでしょうね。それでも、無理だと申し上げております」
孫休「なぜか」
羅憲「呉から蜀への入り口、永安を私が守備しているからです」

ちょっと空想が過ぎたかもしれないが、楽しい討論になりました笑
■蜀の滅亡
孫休に指摘させたように、このとき蜀の朝廷は、宦官の黄皓が牛耳っていた。羅憲は孤高を保っていたが、巴東太守に左遷された。
右大将軍の閻宇(黄皓と同じ阿諛系)が巴東に赴任してくると、羅憲は副官にさせられた。魏が攻めてくるという報せが入ると、閻宇は成都に召還されたので、羅憲が永安を守ることになった。

劉禅が降伏すると、長江周辺の県吏たちは逃げ去ったが、羅憲は残った。混乱している民を抑え、騒擾を起こしている者を1人斬った。
都亭で三日間、喪に服した。「我が国、蜀よ、さようなら」と。
孫休は、約束どおり笑、盛憲(盛曼)に軍を率いて攻めさせた。羅憲は、「同盟国なのに、己の利だけで動きやがって」と怒り、魏に降伏した。

羅憲が呉に組しなかった理由は3つあると思う。 まず、孫呉が故郷の荊州を奪ったから。個人的と言うか、氏レベルでの憎悪。すでに左で書きました。
2つ目が、滅びてしまった蜀への愛国心。いくら黄皓がのさばっていようと、与えられた任務(拠点の守備)はまっとうしようという、責任感。これが、一般的に羅憲を「隠れた名将」に仕立て上げている観点ですね。
3つ目が、天下安寧のため。羅憲は、永安城内の民を鎮めるなど、世が恐慌して命が奪われるのを、嫌っていたんだと思う。

もし孫休が蜀を手に入れたら、天下は二分。50年早く、南北朝時代が始まってしまう。東晋に始まる南北朝時代は250年も続いたんだが、均衡した2代勢力というのは、なかなか決着が付かないものなのです。
鼎立という小康状態がどうせ崩れてしまうならば、いっそのこと強い方(魏)には、ますます強くなってもらって、弱い方(呉)を併呑してもらいましょう、と願ったのでは?
混乱しまくる永安の城の中で、ここまで頭を巡らせた羅憲は、すごく度量のデカい人物だと思う。
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