■三国志キャラ伝>使い捨て!惨めな呉の老将、甘寧伝(1)
■本稿の目的
以下の疑問を解き明かすこと。
なぜ甘寧は、孫権に仕えて働いたんだろう?
 
蒼天航路で張遼が、孫呉の武将たちを見て言ってました。
「孫権はこの無頼の輩どもを制御して、しかも忠義まで引き出しているのか!」みたいな。どの巻での台詞だったか忘れたので、ちゃんと確認してません。※部屋が散らかっているため。
ほんとにそう。
なんで孫呉の部将たちは、死力を尽くして合肥で孫権を守ったんだろう。
特に甘寧さん。好き勝手に暴れて、好き勝手に人を殺す。その本性のまま生きてる人じゃん。その人が、なぜ主君のために働くんだ!
 
答えは、甘寧はいつ殺されてもおかしくなかったから。
 
喉元に匕首を突きつけられて、ちょっとでも不審な動きがあったら殺す!ちょっとでも勲功が足りなければ殺す!と脅されているんだ。
そんな涙ぐましい境遇に耐えた、外様(とざま)武将の生涯を見てみます。

 ■甘寧の人格
「甘寧伝」にいう。
甘寧は粗暴ですぐ人を殺したが、開けっぴろげな性格で将来への見通しが立った。物惜しみをせず有能な人物を礼遇し、勇敢な兵士を養い育てることに努めた。兵士達も、甘寧のためには喜んで働いた。
 
教養人の陳寿が書いてるから、甘寧が優れた人物に見えるね笑
ぼくの言葉で、陳寿の描いた甘寧像を読み直してみた。実態は、大体こんなところだろう。
甘寧はキレやすく、見境なく人を殺した。軽々しく命を遣り取りするもんだから、自分の命も危ない。仇敵と見なされることが多い。難を避けるため、周囲にはよく気を配って警戒した。
強い奴を買収すれば、心強い。頼りになりそうな親分や、腕っ節の強い不良を養った。ならず者たちは、甘寧の走狗として殺人を働いた。
単なるヤクザでございます。
 
■『蒼天航路』『三國無双』のデザインの根拠
「甘寧伝」の初めに、傍若無人な若き日々が書かれている。
若い甘寧は、遊侠を好み、無頼の若者の頭領だった。集団で群れて、弓や弩を手挟み、水牛の尻尾の旗指物を背につけて、腰には鈴を帯びていた。人々は、鈴の音を聞くとビビッて逃げた。
いやあ、漫画やゲームの甘寧像は、ここから来てるんですね。
 
甘寧の派手さは、まだまだ尽きない。注『呉書』にいう。
陸路であれば馬車や騎馬を連ね、水路なら軽快な舟を並べた。付き従うものは、綾文様のある刺繍の着物をつけ、行く先々で目立った。錦織の綱で、舟を渡し場に繋いだ。暴行し終わると、錦織の綱を切り捨てて(船着場に結び目を残して)去っていった。豪奢さを誇示した。
 
けたたましい改造バイクを派手な身なりで乗り回し、スプレー缶で落書きを残していく。精神レベルは、それと同じですわ笑
 
■傍若無人の20年余り
甘寧は地方の長官であろうと、怖れなかった。
彼らが「遊び」に行ったときに、盛大にもてなせば、何もしない。もし接待が行き届いてないと、集団で襲って財産を奪った。お役人さん、可哀想。
甘寧様の理屈で、世間は回っているんだ。
 
管内で強盗傷害事件があっても、地方長官ではなくて、甘寧が摘発と制裁に当った。
甘寧一味が何をしても、それは「正義」なんだ。甘寧に敵対する連中が何かをすれば、どんな正当性があろうと「悪」なんだ。この状態を、世間では無法地帯と言います笑
実力行使で全てを片付ける。後に荊州へ移るとき、手下や食客を800人連れて行った。けっこうな人数を、仕切っていたんだね。
地元(益州巴郡の臨江)じゃ負け知らず♪の一大勢力なんだ。
これは、修辞と明らかなんだ。何のこっちゃ笑
甘寧という名の蛙が大海に出るのは、194年です。※予告です。

 派手で恰好いい甘寧の話は、これくらいで。
次回より、甘寧の闇について考えます。続きます。

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