■三国志キャラ伝>君主が重宝する、怒りの太守。賈逵伝(1)
『魏略』曰く、賈逵が弘農にいたとき、典農校尉と公的なことで対立し、うまく始末がつかなかった。怒りのあまり、コブができた。   コブは年々大きくなったので、賈逵は医者に「切り取ってくれ」と依頼した。曹操は「コブの手術をすると、10人中9人が死ぬと聞いている。賈逵には気の毒だが、やめとけ」と言った。 賈逵は、曹操の忠告を聞かず、医者をつかまえて無理に手術をさせた。果たして、うまくいかず、コブはますます大きくなった。 「このヤブ医者め」と憤ったが、曹操すら止めたわけだし、医学には限界がある。やり場のない怒りが、コブに余計に溜め込まれたのでしょう。   ■我怒る、ゆえに我あり。 賈逵は、人よりも怒りの量が多かったのだと思います。触れば弾ける臨界爆弾みたいな感じで、相手構わず怒りまくっている。曹操は感情全体の量が多かったと思うんだが、賈逵は怒りに特化していた。人の欠点ばかり、目ざとく見つけて、咎めることが得意だった。きっとプライドがすごく高く、役人たる自分自身への評価もかなり高いんだ。   同僚になりたくないが、主君には重宝されただろう。 賈逵を、中間職に置く。賈逵は自分のことは棚に上げて、周囲を少しも遠慮しない。これは、下々への牽制になって嬉しい限りだ。君主は、自分が怒って評判を落とさなくても、代わりに賈逵が怒鳴ってくれる。 曹操曰く「天下の二千石(太守)が、全て賈逵のようであったら、オレは何も心配いらん」と。曹丕曰く「賈逵はまことの刺史だ」と。
  ■頭を下げるわけにはいかん。 賈逵、あざなは梁道。河東郡襄陵県の人。 関羽と同郡出身で、洛陽の近くでもあり、北方の匈奴や鮮卑に境を接する、微妙な地域の出身である。 祖父は賈習で、ガキ賈逵が部隊編成ごっこをするのを見て、「この子は、きっと指揮官になる」と言って、兵法を伝授した。親バカのたぐいだ笑   『魏略』曰く、賈逵は両親を早くになくし、冬は袴がなくて寒かった。妻の兄の家に泊めてもらったが、寒さに耐えかね、賈逵は義兄の袴を、履いて帰った。人々は「賈逵はごっついなあ」と驚いた。ちくま訳は「頑健である」なんて書いてるが、「ごっつい」が適切だろう笑   袁紹が死ぬと、袁尚の下の郭援が河東太守になって、曹操と敵対した。ちなみに郭援は、鍾繇の姉の子。三国志のロミオだ。 賈逵が30歳前のとき、郭援が河東を攻撃すると、賈逵が率いる絳邑以外は降伏してしまった。絳邑の人たちは、賈逵を殺さないことを条件に、郭援に降伏した。 郭援は、賈逵に見所があると思った。 「賈逵め、オレに仕えろ」と武器で脅した。だが、賈逵は「は?言葉の意味が分からんな」と言った。郭援たちは、賈逵の頭を後ろから掴み、無理やり地に押しつけた。すると賈逵は怒鳴った。「どこの国家の高官が、賊などに頭を下げるのか!」と。うわあ…   ■賈逵の脱出劇 郭援は、賈逵の態度にムカついて、「殺せ」と命じた。すると「賈逵さんを殺すのか。約束が違う」と絳邑の民が騒ぎ、城壁から飛び降りようとした。意外に心を掴んでいたようです。 郭援は仕方なく、賈逵を壷関の穴ぐらに閉じ込めた。 賈逵は車輪でフタされた穴の中で、「この辺りには、まともな人間がいないか。正しい人間(他の誰でもない賈逵様)を、こんな場所で殺していいものか」と騒いだ。 夜、「名乗るほどの者ではありません」という盗賊が紛れ込んで、賈逵を解放した。後日、祝公道のおかげだったと判明した。   郭援・高幹は馬騰・匈奴と結んだが、鍾繇・張既が馬騰を垂らしこみ、平陽で決戦となった。郭援は、龐徳に一騎打ちで敗れた。
  ■使いやすい名地方官 最愛の祖父を亡くし、いちど引退。 40歳前のとき、曹操が韓遂・馬超を討ちに行き、道中で賈逵に弘農太守を代行させた。「ここは西方街道への要所だ。頼んだぞ」というわけ。例の「太守がみな賈逵みたいだったら」発言は、このとき。   賈逵は、屯田都尉が民を私しているのではないかと、疑った。 屯田都尉は、自分は賈逵の部下じゃないので(きっと後ろめたさを隠すためにも)不遜な言葉を、賈逵に浴びせかけた。賈逵は怒って屯田都尉を逮捕し、脚をたたき折った。なんてこと。   ■漢中戦の後方支援 曹操が劉備を漢中に攻めたとき、賈逵は斜谷で兵站を担当した。 漢中から、囚人が数十人を護送されてくるのを見て、「軍状がやばいのに、悠長に車で囚人なんか送ってんじゃねえよ」と怒った。重罪1人を残して釈放し、曹操に褒められて、諌議大夫。夏侯尚と計略を司った。   すごくサラリと書かれているけど、たかが護送コストに目くじらを立てたということは、兵站維持を立派に勤め上げてたのだろう。 諸葛亮は、6回の北伐でついに悲願を成し遂げられなかった。あのときと同じ分だけの、輜重の移送リスクを抱えていたんだからね。曹操が「鶏肋」と言って、この戦は終わるのだが。
  次回、また賈逵が監禁されます。 そして『演義』の名場面、曹操の葬送です。
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