■三国志キャラ伝>食らえ、オレの自慢話。潘璋伝
■ぼくらの知ってる潘璋 潘璋、字は文珪。東郡は発干の人。 東郡と言えば、曹操が太守をやってたところだね。版図的には魏だから、おそらく戦禍を逃れて南下したのでしょう。 だが、こんな紹介をしても「誰だっけ」が正直なぼくの感想。   関羽の退路を断ち、部下の馬忠に捕えさせた。青龍偃月刀を奪い、夷陵ノ戦に出陣。たまたま関興とお宿で鉢合わせし、父の仇として討たれた。 こうやって書くことで「ああ、そんな人もいたよね」となる。   ■悪たれの法則 『蒼天航路』では関羽を包囲しながら、朱然が潘璋に問う。 「あなたほどの将軍が、なぜずっと3千の兵しか率いておられぬのです?」 と。で、それに対する潘璋の答えは、 「悪たれの法則だな」と訳の分からんことを言い始める。 「悪たれはたいてい貧乏で、金につられてすぐに集まる。そして、褒美目当てでよく戦うが、蛮勇ゆえにまたよく死ぬ。しかも軍規を嫌うから、よく逃げるし、処分も頻繁。人間は入れ替わっても、なぜか自然に3千あたりが手元におるというわけだ」 それを聞いた朱然が「3倍強の働きをさせれば1万の軍に値し、ひとり分の褒賞は3倍以上…。理にかなっている」と感心するシーンがありました。 ※句読点はぼくが勝手に付けました。   この朱然と潘璋のやりとりは、陳寿の「潘璋は性格が粗暴で、彼の禁令は厳しかった。手柄の大きさに拘り、配下の兵馬は数千に過ぎなかったが、1万の働きをした」から作られたのでしょう。 まあ『蒼天航路』の悪い癖で、作者自身が「悪たれ」ぶりを自慢するという傾向があるみたいで、それを潘璋に投影させてキャラ付けをしてる。だから、良く言えばキャラ立ちしてるが、悪く言えば矮小化してしまうわけで。   ここまで見てきて、やっと陳寿「潘璋伝」を読む準備が整ったと思います笑 ちくま文庫でたったの2ページなんだが、始めます。文官は上表文のたぐいで人物伝が膨らんでくれるけど、武官はどれだけ活躍しても紙幅を割かれないですね。宿命ですね。
  ■一緒にお酒を飲みたくない。 ぼくの潘璋のイメージは 「がっつり金儲けして、世間の奴ら見返してやりたい」という気質のガツガツした営業マンかな。若いとき貧乏&無鉄砲だったせいで、悔しい思いをいっぱいした、と自分語りをする人種だ。   がんばる原動力はコンプレックスで(ということにして)すごく自分の苦労話&武勇伝を酒の席でするのが好きだ。自分の話ばかりして、目下の者をうんざりさせる。飲みつつ、さらにバクバク食べるから、ちょうど『蒼天航路』みたいに小太りで、暑苦しいんだ。 おしぼりで顔を拭きながら「んんー」とか「ふー」とか「あーうー」とか唸るだ。 自分の威信を傷つけられそうになると、恫喝する。うざ! 卑しさが染み付いているから、富貴を憎み、上位者に出会うと「負かしてやる」という対抗心を生きがいにするんだ。品位を備えた人間を決して認めようとせず、会話で気に障るようなことがあると「あいつはオレを馬鹿にした」と思い込む。 小金持ちになると、高級な着物や装飾品で自分を飾るんだね。「これは、○十万したんや。どこどこのショップで買ったんや」なんて、聞いてもいないのに自慢する。自分は偉いのだと主張したいんだ。でも肥満してるから、ちっとも恰好良くない、という笑 見てきたように書いているけど、会社にこんな人がいまして笑   ■陳寿が記す 潘璋は気ままな性格で酒を飲み、家は貧しかった。ツケで酒を買い、「そろそろ払ってくれ」と言われると「将来オレが金持ちになったら返してやる」と言った。 潘璋は粗暴な男で、自軍が管理する市場を開いた。 贅沢を好み、服装飾に身分不相応のものを用いた。豊かな者を殺害して、財物を奪った。   かくの如し。ぼくの悪口もあながち的外れじゃないと思う笑 『蒼天航路』以上に、人物を矮小化してしまったが。いかんなあ。
  悪口だけ書いてても仕方ないから、潘璋の人生を概観する。   ■潘璋の戦績 孫権が陽羨県長のとき目通りし、その性格を愛されて100人の隊長とされた。孫権も好きねえ。 山越を討伐して、別部司馬。 呉の市場を取り締まり、豫章郡西安県長。 建昌の盗賊を治め、武猛校尉を加官。800人を兵士に加え、建業に帰還。   盗賊や不服従民を討つのは、孫呉の部将が避けて通れない道だよね。 興味深いのは、市場を取り締まって、盗難傷害事件をなからしめたこと。きっと商人たちから高い警護料を巻き上げて、暴力で市場を仕切ったんだね。もし金を払わない商人がいると、ボコボコに殴って、儲けと商品を没収したんでしょう。いわゆるみかじめ料という奴で、懐を潤したんだ。   合肥で孫権を張遼から守る。 守ったと言っても、身を張って戦死した陳武とは違う。宋謙・徐盛の部下が護衛放棄して逃げそうになったから、兵士2人を斬り捨てて恐慌を鎮めた、というエピソードなんだ。潘璋本人は孫権よりも後方、味方に囲まれたの中にいたらしい笑 「張遼に立ち向かえば死亡率95%以上だろう。だが、もしここで逃げるなら死亡率100%だ。なぜなら、オレがお前らを殺すからだ。さあ、どっちを選ぶか」というヤクザな理屈だ。 孫権は潘璋の功を認め、偏将軍。百校を授け、半州に駐屯させた。 校って、200人を指す単位だっけ。200人×100=2万人かな?「半州」ってよく分からないけど、揚州の半分くらいの領域を守らせたってこと?ああ、分からん。   ■222年、蜀と魏を防ぐ 甘寧が死して、潘璋が兵を吸収。 甘寧は、つくづく不遇なり。※このサイトの甘寧伝参照。   夷陵ノ戦で劉備の護衛である馮習を斬り、平北将軍・襄陽太守。 同じ年、曹丕が宛まで進出。夏侯尚が南郡を包囲した。諸葛瑾は苦戦し、魏の兵が中洲へと続々渡っていく。潘璋は魏の浮き橋を焼き払うため、上流五十里の地点で筏を作った。増水を待っていると、魏が潘璋の計略に気づいて撤退した。曹丕が大変にがっかりした笑   潘璋は222年に、素晴らしい働きをしている。大都督の陸遜の下で、国難を救ったんだね。 これで武勇伝のネタに満足したのか、これ以降の戦には出ていない。234年に死ぬまで、ずっと12年間、筏の計略ヒットの話を酒の席で開陳し続けたのでしょう。本人は金もできて余裕たっぷりだから、イヤがる目下のものの首を腕でロックして、酒に付き合わせたんだ。 でも酒代は割り勘なんだ。「オレが飲んだ分は払ったぜ」と言って、目下は不味い酒の代金を、懐からしぶしぶ出すっきゃないんだろう。   『演義』で222年に関興に殺されたが、大勢に影響はないわけだ。 ただ潘璋が自慢話をする、悠々自適な時間が減っただけだ。別に『演義』の読者はそんなシーン望んでないしね。潘璋が早死にさせてしまった方が、部下は喝采を叫んだのかも知れない笑
  考察をしてるのが愚痴ってるのか分からなくなってきたけど、当サイトの潘璋伝はこんな感じで。おしまい。
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