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『晋書』列39、元帝の逃げ場 7)周顗-上
周顗
周顗,字伯仁,安東將軍浚之子也。少有重名,神彩秀徹,雖時輩親狎,莫能媟也。司徒掾同郡賁嵩有清操,見顗,歎曰:「汝潁固多奇士!自頃雅道陵遲,今複見周伯仁,將振起舊風,清我邦族矣。」廣陵戴若思東南之美,舉秀才,入洛,素聞顗名,往候之,終坐而出,不敢顯其才辯。顗從弟穆亦有美譽,欲陵折顗,顗陶然弗與之校,於是人士益宗附之。州郡辟命皆不就。弱冠,襲父爵武城侯,拜秘書郎,累遷尚書吏部郎。東海王越子毗為鎮軍將軍,以顗為長史。

周顗は、あざなを伯仁という。安東將軍の周浚の子である。
少くして重名があり、神彩は秀徹だった。仲間たちが狎れ合っても、周顗はベタベタと付き合わなかった。
〈訳注〉「狎」も「媟」も馴れ合うこと。
司徒掾で同郡出身の賁嵩は、清操があった。賁嵩は周顗に会って、感激をして言った。
「汝南郡と頴川郡は、もとより奇士が多い。だが近ごろは、雅道が陵遲していた(ろくな人材が出なかった)。いま周伯仁に会った。彼は、かび臭い旧風を振り払ってくれそうだ。私たちの故郷の人材たちを、清めてくれるだろう」
廣陵郡の戴若思は、東南之美とされ、秀才に挙げられて洛陽に入った。戴若思は平素から周顗の名を聞いていたから、交流を求めた。戴若思は話し終えて退出しても、周顗の才能をペラペラ宣伝しなかった。
周顗の從弟である周穆もまた、美譽があった。周穆は、周顗を打ち負かしたいと思った。
〈訳注〉「陵」とは、しのぐこと。「陵折」はしのいで負かすこと?
だが周顗は、陶然として周穆の相手をしなかった。
〈訳注〉「校」とは、比べること、やり返すこと。
このエピソードにより、人士はますます周顗を評価して、交流したいと思った。州郡が周顗を辟命したが、どれにも着任しなかった。
弱冠(20歳)で、父の爵位である武城侯を継いだ。秘書郎を拝し、かさねて尚書吏部郎に遷った。
東海王の司馬越の子である司馬毗が鎮軍將軍になると、周顗を長史にした。

元帝初鎮江左,請為軍諮祭酒,出為甯遠將軍、荊州刺史、領護南蠻校尉、假節。始到州,而建平流人傅密等叛迎蜀賊杜弢,顗狼狽失據。陶侃遣將吳寄以兵救之,故顗得免,因奔王敦于豫章。敦留之。軍司戴邈曰:「顗雖退敗,未有蒞眾之咎,德望素重,宜還複之。」敦不從。帝召為揚威將軍、兗州刺史。顗還建康,帝留顗不遣,複以為軍諮祭酒,尋轉右長史。中興建,補吏部尚書。頃之,以醉酒為有司所糾,白衣領職。複坐門生斫傷人,免官。

元帝がはじめ江左に出鎮すると、周顗を招いて軍諮祭酒とし、建康を出て甯遠將軍、荊州刺史となり、護南蠻校尉を領ね、假節を与えられた。
周顗は荊州に初めて到着すると、建平郡出身の流人である傅密らが叛逆し、蜀賊の杜弢を迎えた。周顗は狼狽して、拠点を失った。
陶侃が、呉寄に兵を率いさせて救援しようとしたとき、周顗は荊州刺史を罷免された。
これにより、王敦が豫章郡で好き勝手をするようになった。
〈訳注〉豫章郡は揚州だ。呉寄が豫章郡を抑えていたのか?
王敦は、豫章郡に留まった。軍司の戴邈が言った。
「周顗は敗れて退いたが、蒞眾之咎があるわけではない。德望はもとより重いから、豫章郡を周顗に返すべきだ」
王敦は従わなかった。
元帝が周顗を召して、揚威將軍、兗州刺史とした。周顗は建康に還ると、元帝は手元に置いて兗州に行かせなかった。
〈訳注〉兗州は異民族が支配してるから、そら行けないだろ(笑)
周顗はふたたび軍諮祭酒となり、右長史に転じた。晋が中興されると、周顗は吏部尚書になった。このころ周顗は、酒癖が悪いので有司に弾劾され、白衣領職。
〈訳注〉白衣領職って?
また門生が人を傷つけたので、周顗は免官になった。

太興初,更拜太子少傅,尚書如故。(中略)
轉尚書左僕射,領吏部如故。


太興初(318年)、さらに太子少傅となったが、尚書は元のままだった。周顗は上疏して辞退した。(中略)
周顗は尚書左僕射に転じ、吏部を領ねることは元のままだった。

庾亮嘗謂顗曰:「諸人咸以君方樂廣。」顗曰:「何乃刻畫無鹽,唐突西施也。」帝宴群公於西堂,酒酣,從容曰:「今日名臣共集,何如堯舜時邪?」顗因醉厲聲曰:「今雖同人主,何得複比聖世!」帝大怒而起,手詔付廷尉,將加戮,累日方赦之。及出,諸公就省,顗曰:「近日之罪,固知不至於死。」尋代戴若思為護軍將軍。尚書紀瞻置酒請顗及王導等,顗荒醉失儀,複為有司所奏。詔曰:「顗參副朝右,職掌銓衡,當敬慎德音,式是百辟。屢以酒過,為有司所繩。吾亮其極歎之情,然亦是濡首之誡也。顗必能克己復禮者,今不加黜責。」

庾亮はかつて、周顗に言った。
「諸人はみな、キミが樂廣みたいだと言うよ」
周顗は応じた。
「何乃刻畫無鹽、唐突西施也」
〈訳注〉樂廣が誰なのかを調べてから訳します。
元帝が宴を開き、群公は西堂に集まった。酒席がたけなわになり、從容として元帝が言った。
「今日は名臣が共に集まった。堯舜の時代と比べたら、どうだろうね
周顗は泥酔していて、声を励まして言った。
「いま君主は同じでも、なぜ聖世と比較などできましょうか!」
〈訳注〉「(百歩譲ってお世辞を言えば)司馬睿は尭舜のように理想的な君主かも知れないが、臣下の顔ぶれは、まるでゴミだ。アホな質問はやめてくれ」と言ったんだ。
元帝は大いに怒って立ち上がり、手ずから詔を発行した。
「周顗を廷尉に引き渡せ。殺せ」
周顗は今にも死刑になりそうだったが、日が経って赦された。出所して、役所に出勤してから周顗は言った。
「先日の罪は、もとより死刑でも仕方ないと思っている」
戴若思に代わって、周顗は護軍將軍になった。
尚書の紀瞻は酒を持参して、周顗や王導らと飲み会をやった。周顗はひどく酔って礼儀を失い、また有司に告げ口をされた。
詔に曰く、
「周顗は王朝を佐ける立場なんだから、德音を敬慎せよ。しばしば飲みすぎて、有司に指摘されている。有志たちの極歎之情をよく理解して、濡首之誡をせよ。周顗はきっとアル中を克服して、礼儀を取り戻せる人だから、今回はクビを切らない」

初,顗以雅望獲海內盛名,後頗以酒失。為僕射,略無醒日,時人號為「三日僕射」。庾亮曰:「周侯末年,所謂鳳德之衰也。」顗在中朝時,能飲酒一石,及過江,雖日醉,每稱無對。偶有舊對從北來,顗遇之欣然,乃出酒二石共飲,各大醉。及顗醒,使視客,已腐脅而死。

はじめ周顗は、雅望だから海内に盛名を獲得していた。だが後にアル中で盛名を失った。
僕射となり、酔っていない日がなかったから、時の人は周顗を、
「三日僕射」
と呼んだ。
〈訳注〉どうせ職務怠慢で、すぐに首になるだろ、という評価だ。
庾亮が言った。
「周侯の末年(晩年)は、鳳德之衰というやつだ」
周顗が中朝(洛陽)にいたとき、一石の酒を飲むことができた。だが過江してからは、日中でも酔っていて、呼んでも答えなかった。たまたま北方から旧友が訪ねてきたので、周顗は欣然として酒を2石出して共に飲んだ。2人とも大いに酔った。周顗が目を覚まして、客を見に行かせると、すでに腐脅して死んでいた。
〈訳注〉友人は、急性アルコール中毒になったんだろう。キツい酒を、ペースを合わせて飲まされたんだ。

周顗伝はもう少しだけ続きます。
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このコンテンツの目次
『晋書』列39、元帝の逃げ場
1)劉隗-上
2)劉隗-下
3)劉隗の親戚
4)刁協、刁彝
5)戴若思
6)戴邈
7)周顗-上
8)周顗-下、周閔
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