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『晋書』列14、漢魏からの名族 4)ミニ曹操、盧欽
盧欽
盧欽,字子若,范陽涿人也。祖植,漢侍中。父毓,魏司空。世以儒業顯。欽清淡有遠識,篤志經史,舉孝廉,不行,魏大將軍曹爽辟為掾。爽弟嘗有所屬請,欽白爽子弟不宜干犯法度,爽深納之,而罰其弟。除尚書郎。爽誅,免官。後為侍御史,襲父爵大利亭侯,累遷琅邪太守。宣帝為太傅,辟從事中郎,出為陽平太守,遷淮北都督、伏波將軍,甚有稱績。征拜散騎常侍、大司農,遷吏部尚書,進封大樑侯。武帝受禪,以為都督沔北諸軍事、平南將軍、假節,給追鋒軺臥車各一乘、第二駙馬二乘、騎具刀器、禦府人馬鎧等,及錢三十萬。欽在鎮寬猛得中,疆埸無虞。入為尚書僕射,加侍中、奉車都尉,領吏部。以清貧,特賜絹百匹。欽舉必以材,稱為廉平。

盧欽は、あざなを子若という。范陽郡は涿県の人である。
祖父の盧植は、漢代に侍中だった。父の盧毓は、魏代に司空だった。代々、儒学を家業として高官になった。
盧欽は清淡な性格で、遠識があり、經史を篤く志した。孝廉に挙げられたが、応じなかった。魏の大將軍である曹爽に召されて、掾となった。曹爽の弟は、かつて盧欽を手元に迎えたいと言ったことがあった。
「曹爽さまの子弟は、法度を犯すからのが良くない」
と言った。
曹爽は深くこれを受け容れ、弟を罰した。
尚書郎になった。
曹爽が誅されると、免官された。
のちに侍御史となり、父の爵位である大利亭侯を襲った。かさねて琅邪太守に遷った。司馬懿が太傅となると、盧欽を召して從事中郎とした。洛陽を出て、陽平太守となり、淮北都督、伏波將軍に遷った。盧欽の治績は、とても称えられた。
散騎常侍となり、大司農、吏部尚書に遷り、大樑侯に爵位が進んだ。
武帝が受禪すると、盧欽は都督沔北諸軍事、平南將軍、假節とされ、鋒軺臥車各一乘、第二駙馬二乘、騎具刀器、禦府人馬鎧らを追加で支給され、錢三十萬をもらった。
盧欽は出鎮しているとき、寬と猛(優しさと厳しさ)は中庸を得て、辺境に虞れがなくなった。
〈訳注〉入りては相、出でては将。盧欽は、後者の要件によく当てはまる人だったようです。
洛陽に入り、尚書僕射となり、侍中を加えられ、奉車都尉、吏部を領ねた。盧欽の生活が清貧だから、特に絹百匹を賜った。盧欽は才能によって人材を推挙し、廉平を実現したと称えられた。
〈訳注〉権力者(曹爽)に怖じず、出鎮してはよく治め、才能による人材登用をした。まるで曹操の「武帝紀」を意識して書かれたようだ。

咸寧四年卒,詔曰:「欽履道清正,執德貞素。文武之稱,著于方夏。入躋機衡,惟允庶事。肆勤內外,有匪躬之節。不幸薨沒,朕甚悼之。其贈衛將軍、開府儀同三司,賜秘器、朝服一具、衣一襲、布五十匹、錢三十萬。」諡曰元。又以欽忠清高潔,不營產業,身沒之後,家無所庇,特賜錢五十萬,為立第舍。複下詔曰:「故司空王基、衛將軍盧欽、領典軍將軍楊囂,並素清貧,身沒之後,居無私積。頃者饑饉,聞其家大匱,其各賜穀三百斛。」欽曆宰州郡,不尚功名,唯以平理為務。祿俸散之親故,不營貲產。動循禮典,妻亡,制廬杖,終喪居外。所著詩賦論難數十篇,名曰《小道》。子浮嗣。

咸寧四(278)年、盧欽は卒した。
詔があった。
「盧欽は、履道すること清正たり、執德にして貞素たり。盧欽の文武への称賛は、中原にとどろいた。高い視点からバランスを取り、些細なことは許した。内外での勤務でどちらも活躍し、曲がらない節度を持っていた。盧欽は不幸にして薨沒したから、朕は甚だ彼の死を悼む。衛將軍を贈り、開府は儀同三司とせよ。秘器、朝服一具、衣一襲、布五十匹、錢三十萬を与えよ」
〈訳注〉「躋」は高いところに登ること。「允」は角を立てずに相手の意見を受け容れること。文と武、大局と庶事、内と外。盧欽の人生を褒めると、対句がうまく出来るようだ。
「元」とおくり名された。
また盧欽は、忠清高潔で、金儲けに執着しなかった。盧欽が死んでから、遺族は雨露を凌ぐひさしがないほどだから、特別に錢五十萬を賜り、第舍を立てた。
また詔が下された。
もと司空の王基、衛將軍の盧欽、典軍將軍を領ねた楊囂は、普段から清貧で、死後には個人の遺産がなかった。飢饉のときは、彼らの遺族の懐を確かめ、それぞれ穀三百斛を賜るように」
盧欽は州郡の宰相を歴任したが、功名を尚ばず(偉ぶらず)ただ平理と職務をした。俸禄が遺族の手元に残らなかったのは、盧欽が貨営をやらなかったからだ。
〈訳注〉「貨営」の訳し方が難しいが、銭を増やすための事業か。役人として俸禄を受け取ることは、銭を増やすことが目的ではないから、含まれない。顕職でたっぷり稼いだのに、死後に手元に何もないことがカッコいいのだ。稼ぎが初めから少ないのとは違う。
盧欽は禮典を道循(遵守)した。妻が亡くなると、廬杖を制し、ルールどおりの喪の期間を終えるまで外出しなかった。盧欽が書いた詩・賦・論難は、數十篇になった。《小道》というタイトルが付けられた。
盧欽の子の、盧浮が嗣いだ。

盧浮、盧珽
浮字子雲,起家太子舍人。病疽截手,遂廢。然朝廷器重之,以為國子博士、祭酒、秘書監,皆不就。
欽弟珽字子笏,衛尉卿。珽子志。

盧浮は、あざなを子雲という。起家して太子舍人となった。病疽によって腕を切断し、健常者でなくなった。だが朝廷は、盧浮の器量を重視して、國子博士、祭酒、秘書監にした。盧浮は、どれにも就かなかった。
〈訳注〉名前は「浮」なのに、全然浮かばれない人生だ。
盧欽の弟は、盧珽といい、あざなは子笏である,衛尉卿となった。盧珽の子は、盧志である。

次は盧志の登場です。八王の乱で大活躍します。
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このコンテンツの目次
『晋書』列14、漢魏からの名族
1)司馬昭が脅した鄭袤
2)武帝と同格、鄭黙
3)海難の孫、李胤
4)ミニ曹操、盧欽
5)成都王の頭脳、盧志
6)晋臣にこだわる盧諶
7)魏恩を忘れぬ華表
8)王導の口利き、華恆
9)歴史家の華嶠
10)街で暮らせぬ石鑒
11)温恢の孫、温羨
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