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『漢書』元后伝で、王莽を知る 1)『漢書』のいじわる
『三国志』を知るには、王莽を知らねばならない。ここ最近は、とてもそんな気がしています。
『漢書』元后伝と王莽伝の日本語訳を、名古屋大学の図書館でコピーしてきました。購入したいんだが、新品は手に入らず。『日本の古本屋』で、大判の全3巻なら買えるが、使い勝手の良さのため、文庫版がほしい。こちらは、なかなか出品されていない・・・

今回は、元后伝を書き写しながら、思いつきで考察を挿入します。
このページをご覧になった方が、『漢書』の翻訳を探して読むよりは気楽に、王莽の伝記を知れるようにすることが目的です。気安さのため、過剰に登場する固有名詞は省きます。
ちなみに塚本青史氏の『王莽』は、飽きて最後まで読めなかった。。
元后伝第六十八
孝元皇后は、王莽の伯母だ。
王莽を知ろうと言い出したくせに、なぜ「王莽伝」から始めず、他の人の列伝からやるかと言えば、『漢書』を作った班氏のしわざだ。心憎い演出のせいだ。
『漢書』の列伝の後ろを飾るのは「外戚伝」だが、そこには元帝の皇后である王氏が含まれない。元后を後に追い出して独立した列伝を立て、最後の「王莽伝」へのつなぎにしている。
広義の「王莽伝」は、「元后伝」に始まっている。 その証拠に、王莽の祖先の話は、伯母の「元后伝」にある。ニコイチである。

◆王莽の祖先ばなし
王莽が自ら記した『自本』によれば、王氏は黄帝の子孫だ。黄帝の8世の孫は、虞舜だ。王氏は、帝堯から禅譲を受けた、虞舜の子孫だったのだ!
「漢から禅譲を受けるため、王莽は血筋を創作した」
なんて、したり顔の分析は、20世紀以降の歴史学者に言わせておけば宜しい(笑)ところが、班氏は辛くも、王莽の血筋にケチをつけている。『漢書』では、
「王莽は、黄帝の子孫を自称し・・・」
となっている。
「曹操は曹参の子孫で、夏侯惇は夏侯嬰の子孫。孫堅は孫武(孫子)の子孫で、劉備は中山靖王の子孫」
なんて言うとき、歴史書はいちいち、本人たちの祖先の申告にケチは付けない。せいぜい、
「蓋(けだ)し――」
なんて一文字を挟むだけで、それ以上、列伝の人物の批判に熱心にならない。班氏は、漢の正統を明らかにすべき立場から、王莽に厳しいのだ。
ぼくは漢室と利害関係がない人間だから(笑)ぼくが「王莽伝」を書くなら、いちいち疑義を挟まずに、シレッと、
「王莽は、虞舜の子孫なんだよー」
みたいな温度を保っていたい。

さらに班氏は、
「王莽の血筋に信憑性が薄いのは、自己申告だからだ」
と言いたいようで、王莽の血筋の出典は、王莽自身が書いた本であることを、わざわざ暴露している。でもさあ、
――他人の系図を、どこの誰が書くんだ?
と思うわけです。
よほどの暇人か、お節介焼きです。自分の血統は自分で管理する。必要があれば、自分で報告する。王莽は、別にマナー違反をしたわけじゃなかろう。
「自本」というネーミングセンスは、公正さを欠くイメージを読者に与えるから、いまいちだったが。プライベートな記録でも、公的な意味を持たせたければ、もう少しコピーライティングのセンスが必要だった。

◆王という姓の由来
虞舜の子孫には、完(あざなは敬仲)という人がいて、斉の桓公から卿に任じられた。姓は田氏と名乗った。
田氏は、春秋時代から戦国時代への移行期に、斉を乗っ取った。斉王の家柄だったから、秦に滅ぼされて在野に放り出されてからは、王氏を名乗った。
歴史書には、「公子某」とか「公孫某」とか「王某」とか、王室と関係性を表しているのか、姓を表しているのか、境界線がアイマイな人がけっこう出てくる。なし崩し的に定着したんだろう。
固いことを言うなら、公孫瓉の祖父は「公」じゃないんだから、公孫姓を名乗ってはいけないよなあ(笑)

斉を支配した田氏というのは、やたら人数が多い。いま田横について読み始めたが、田氏だらけ!
蜀の軍師で法正がいるが、法正の祖先も田氏だ。このサイト内の「元は斉王家、法正の先祖たち」でやりました。

◆1万人を助ける
のちに皇帝となる王莽には、繁栄のキッカケとなるエピソードが必要です。それが、前漢の武帝のときの王駕(あざなは翁孺)だ。彼の代あたりから、「近代的な」歴史学者たちも、王莽との血のつながりを認めてくれるんだろう。
あざながオキナとコドモという反対語だから、捻くれた人物だとぼくは思う。付き合いたくない。もしくは、少年の頃は老け顔で、成人してからは童顔だったか。下らん考察だなあ。。やめよう。

王駕は、役人の監督を任された。
あるとき魏郡の役人が、盗賊にビビッて、ろくに討伐をやれなかった。王駕は、この役人を裁くことになった。彼は、
ひるんだだけで死刑というのは、ひどい。役人は赦そう。盗賊たちも、理由なく徒党を組んだわけじゃなかろう。赦そう」
という采配をやった。
前漢の武帝期は、皇帝権力の羽振りがいちばん良いときだから、王駕のようなヌルい処置は、時世に合わない。別の監督官がやってきて、魏郡の役人も盗賊も、殺してしまった。1万余人が殺された。
王駕はクビになったが、
「千人を活かせば、子孫は出世する。これは格言だ。私は1万人を助けたんだから、子孫はめちゃめちゃ栄えるだろう
と感激した。
美談っぽくて煙に撒かれるが、騙されてはいけない。けっきょく1人も助かっていない。殺された事実は、動かない。王駕がやったのは、死刑のタイミングの引き伸ばしだ。本当に助けるなら、朝廷に働きかけて、政治的に解決してくれないと!
「だから王氏は、栄え損ねたのだ」
という結論を付けられても仕方ないと、ひそかに心配する。。

◆婚約者殺しの元后
王駕の孫が、元后です。
いきなりすっ飛ばしたが、王駕の子(元后の父)は、王禁という。
王禁は、長安で法律を学び、廷尉になった。そのくせ、乱交しまくって、子宝に恵まれた。 王駕が1万人を延命して積んだ徳は、早くも実現されたわけだ(笑)
王禁のたくさんの子たちが、宮廷で諸侯の位をみっちり独占するんだから、乱交も悪ばかりとは言えない?

元后の母が懐妊したとき、懐に月が飛び込んだ。『三国志』で孫策が受精したときも、母には月が飛び込んだらしいから、2人は歳の離れた姉弟に当たりますね(笑)ざっと200歳違う。
元后は女性であり、孫策は孫権の引き立て役だから、陰の象徴である「月」が宛がわれたんだろう。

元后は「王政君」という姓名があるんだが、いちいち呼び変えていると面倒くさいので、「元后」で統一して書きます。
元后は婚約が決まると、相手が死んだ。同じことが2回もあった。不吉だから、父の王禁が占者に見せると、
「この女の子は、口で言えないくらい高い身分になる」
と言った。
伝記の作成者の意図を汲むなら、
「元后は、皇后となるべき運命を持っている。他の男に嫁ぎ、皇帝に愛されるチャンスを失わぬよう、天が予防している」
となる。過保護なパパのようだ。
だが、
「呪われた少女を恐れ、占者がお世辞を言った」
と読むこともできる。口で言い表せない貴さって、具体的には何だよ、と突っ込みたい。べつに皇后という位の名前を口に出すことは、不敬罪ではない。やっぱり、適当に予言して逃げたのだ。
次回、皇帝に見出されます。
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このコンテンツの目次
『漢書』元后伝で、王莽を知る
1)『漢書』のいじわる
2)偶然の外戚権力
3)頼れる父性、王鳳
4)伝国璽を投げた心境
5)壊された元帝の廟
6)王莽はなぜ恩知らずか
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