表紙 > 読書録 > マルセル・モース『贈与論』ちくま文庫版を抜粋

贈与-受領-返礼という、3つの義務

モース『贈与論』を抜粋する。直接的には三国志の話じゃないけど、
これを道具に三国志を読むのが、ぼくのプラン。

序論:贈与と返礼義務_009

交換と契約は、贈物のかたちで表れる。義務として返礼される。_012
給付は、外見上は任意で、打算のない自由意思による正確のものである。だが、じつは拘束的で、打算がある。
給付は、つねに気前よく提供される贈物・進物というかたちをとる。取引にともなう行為においては、作りごと、形式、社会的虚言のみがある場合でも、実際に義務や経済的な利害が存在する場合でも、給付の形態は同じである。
さらに交換ー社会的分業そのものーの必要形態について考える。_014
未開といわれる社会において、受けとったり贈ったりした物に対して、その返礼を義務づける、法的・経済的な規則はなにか。贈られた物にひそむ、どんな力が、受けとった人に返礼をさせるか。_014
交換・取引の行為は、商人制度が発達する以前、おもに商人がつくった貨幣が用いられる以前にも見られる。 現代社会もなお、交換・取引に関する、道徳と経済が機能している。_015

◆給付、贈与とポトラッチ_016
未開や低級とよばれた社会において、「自然経済」に類似した経済がないとされてきた。
現代に先行する時代の経済・法において、取引による財・富・生産物の、いわば単純な交換が、個人相互のあいだで行われたことは、一度もない。
第一に、交換・契約の義務を相互に負うのは、個人でなく集団である。

ここ大事!1回目に読んだとき、忘れていた。

契約に立ち会うのは、氏族・部族・家族といった、法的集団である。あるときは集団で同じ場所に向かいあう。あるときは両方の首長を仲介にたてる。あるときは、同時にこれら2つの仕方で互いに、衝突・対立する。
彼らが交換するのは、経済的に役立つもの(財産、富・動産・不動産)だけでない。礼儀、饗宴、儀礼、軍事活動、婦人、子供、舞踊、祭礼、市である。経済的な取引は、1つの項目に過ぎない。そこでの富の流通は、いっそう一般的で、きわめて永続的な契約のなかの、一部に過ぎない。
以上のような給付・反対給付は、進物・贈物によって、任意な形式で行われる。だが実際には、まさに義務的な性格のものである。実施されない場合、私的あるいは公的な戦いがもたらされる。
これら全てを「全体的給付体系」とよぶことを提案する。
全体的給付体系の、最も純粋な型は、オーストラリア、北アメリカ北部にある。2つの半族のあいだで、補いあい、協同することが期待される。「2つの胞族が互いに敬意を表す」という。_018

「全体的」というのは、経済-非経済をふくみ、全てが給付の対象となる、という意味で「全体」なんだな。


アメリカ北西部の2つの部族のあいだでは、全体的給付が発展して、希な形態をとる。「ポトラッチ」である。ポトラッチは、「食物を与える」「消費する」のが原義。
儀礼、法的・経済的給付、政治的地位の決定などが、混淆して錯綜した網をしめす。注目すべきは、全活動を支配している、競争と敵対の原理。一方では戦闘となり、相手方の首長・貴族を殺す。他方では、協力者であり、競争相手でもある相手方の首長を圧倒するため、蓄えた富を惜しみなく破壊する。氏族全体が、首長を媒介として、氏族全員のために、所有する全てのもの、行動する一切のものを含む契約をむすぶ。そこに全体的給付が存在する。
競争的な性格をおびた給付である。本質的に高利をとる。浪費を余儀なくさせる。将来、自分たちの氏族が利する階層を確保するための、貴族同士の戦いである。 ポトラッチとは「闘争型の全体的給付」と呼ぶことが可能。_019

ヨーロッパ人も、破壊を伴わないまでも、贈物を競いあう程度の、おだやかな競争をする。祝儀、饗宴、婚姻、かんたんな招待をする。ドイツ人は「お返しをする」義務を感じる。贈物の返礼、契約の履行は、いかなる力によって強制されるか。これをモースが明らかにする。

1章:交換される贈与と返礼の義務

ポリネシアでは、紋章つきのゴザを交換する。_030
サモア島における、契約的な贈与の体系は、婚姻のほかにも広がる。出生、割礼、病気、初潮、葬式、商取引にともなって現れる。ポトラッチがある。
ポトラッチには、2つの要素がある。1つ、富が与えられる名誉・威信や「マナ」。2つ、返礼すべき義務。返礼しないと、マナ、権威、お守り、権威そのものである富の源泉などを失う恐れがある。_031
子供は、交換の手段である。
贈与は義務的・永続的であるが、贈与を強制する権利以外には、ほかの反対給付を伴わない。母方の財である子供は、母方の家族の財産と、父方の家族の財産とを交換するための手段である。
交換・賠償できるのは、財産、護符、紋章、ゴザ、神聖な彫像、伝統、祭祀、呪術的儀礼である。

◆贈られた物の霊(マオリ)_033
「タオンガ」は、人、氏族、土地に強く結びつく。タオンガは、マナ(呪術的、宗教的、霊的な力)を媒介する。タオンガを受けた人を殺すように祈られる。法、とりわけ返礼義務が守られないとき、タオンガは殺人する力を内蔵する。
返礼を義務づけるのは、組織や契約条項ではない。組織や契約条項を交わしていない、親しい部族のあいだ、家族のあいだでも行われるからだ。_034
誰かに品物(タオンガ)をもらったら、ハウ(タオンガの霊)をもらったことになる。私は、タオンガが望ましいものであっても、望ましくないものであっても、退蔵するのは正しくない。ハウを持ち続けると、悪いことが起こり、死ぬことになる。
タオンガや、純粋に個人的な所持品のすべては、霊的な力としてのハウを持っている。例えば、
あなたは私にタオンガを贈る。私は第三者に、そのタオンガを贈る。第三者は、別のタオンガを私に返す。第三者は、私の贈り物がもつハウによって、返礼せざるを得ない。つぎは私も、タオンガをあなたに贈らねばならない。あなたのタオンガのハウが、実際に生み出したものを、あなたに返礼する必要があるからである。_035

Aさんが私にくれたチョコを、私がBさんにわたす。Bさんは私に、クッキーを返礼する。Bさんが私にくれたクッキーを、和つぃはAさんに渡す。チョコが行きついた時点で、逆方向に動くクッキーが、起動せずにはいられない。


タオンガは、贈り物をした人が手放したあとでも、彼の一部となっている。もとの所有者が、それを盗んだ者に対して影響力を持つのと同様に、物を通じて、贈物を受領した者に対して、影響力をもつ。なぜか。タオンガは、その土地のハウ(霊)によって、生命を吹きこまれているからである。まさに「土着の」ものである。ハウは、つねに所有者を追い求める。

ハウは、最初の受贈者だけでなく、ときには第三者を追い求める。ハウは、生まれたところに帰りたがる。タオンガないしハウは、それ自体が一種の個体である。一連の保有者が、祝宴・祝祭・贈与によって、同等か同等以上の価値の財産・タオンガ・所有物・労働・交易を返礼しないかぎり、彼らにつきまとう。
返礼によって、その贈与者は、最後の受贈者となる、最初の贈与者に対して、権威と力を持つようになる。
これがサモアやニュージーランドにおいて、富・貢物・贈与の義務的な循環を支配している、主要な観念である。_036

以上は、ほかの地域にも存在する、社会現象の2つの重要な体系を明らかにする手がかりとなる。
1つ、物の移転がつくる、法的な結びつき。タオンガとハウの事例が、いかに義務の一般理論に結びつくか。ハウとハウ(霊と霊)の結びつきが、法的紐帯である。物そのものが霊であり、霊に属している
2つ、贈与交換(全体的給付とよぶ全てのもの、ポトラッチを含む)の性質を、よりよく理解することができる。他人の性質、身体の一部を、その人に返さねばならないことが、論理的に理解できる。物を保持しつづけると、霊的な本質・魂を保持しつづけることになる。受けとった物は、呪術的・宗教的な力を受けるからである。
物は、生命と個性を与えられ、「起源の地」に戻る傾向がある。あるいは物自身が戻らなくても、起源の地に、自身の代わりとなる等価物をもたらそうとする。_037

◆贈る義務と、受領する義務_038
全体的給付は、返礼の義務だけでは成立しない。贈物をあたえる義務と、贈物を受けとる義務もふくむ。

贈与、受贈、返礼。この3つの義務で、全体的給付が成立する。

受贈する義務は、いくらでも事例がある。歓待をもとめ、贈り物を受け取り、取引に応じ、婚姻をむすぶ。ボルネオでは、食事の準備を見てしまったら、その食事に同席しなければならない。義務である。
贈与する義務も、重要である。与えることを拒み、招待を怠れば、戦いを宣言するに等しい。結びつき、交わりを拒むことを意味する。受贈者は、贈与者に属するすべてに、一種の所有権をもつ。所有権は、霊的な絆として示される。

◆人に対する贈物と、神に対する贈物_040
神や自然のためになされる贈与がある。
アラスカでは、神、物、動物および自然の霊に対して、競争的な贈与をして(ポトラッチで刺激して)、これらに「人々に対して気前よくなってくれ」と仕向ける。シベリアの感謝祭では、饗宴の供犠ののこりものは、海または風のなかに投げ捨てる。殺された獲物は、元の場所に帰り、翌年また帰ってくると考える。

人と人との間の契約・交換と、人と神との間の契約・交換は、同じである。死者の霊・神々は、地上の物・財貨の、真の所有者である。霊・神々と交換することが、もっとも必要である。霊・神々と交換しないことは、極めて危険である。そかし、霊・神々と交換するこてゃ、最も容易で、最も安全である。供犠における破壊が、まさしく贈与である。必ずお返しをもらえる。
奴隷を殺し、大切なアブラを燃やし、銅製品を海に投げ捨て、豪華な家に火をつける。権力・富・無私無欲を誇示するばかりでない。霊・神々に、供犠を捧げているのである。

ぎゃくに、神々から買う(一方的にもらう)しかないのは、木を切り倒す、土地を耕す、家の柱を立てる。神々に代価を払わねばならない。
供犠は、人間同士の契約と同じ制度を前提とする。贈与・返礼をする神々は、小さい贈り物に対して、大きな物を返すことになる。契約に関するラテン語「汝が与えるから、私が与える」が、宗教的な原典に保存されたのは、偶然でない。_045

喜捨には2つの意味がある。1つ、贈与と財産に関する、道徳観念の所産。2つ、供犠の観念に由来する。
2つめが重要。女神ネメシスは、富者が財産を手放さないと、富者に復讐する。古代の贈与の道徳が、正義の原則だった。神々・精霊は、自分たちに捧げられた(ムダな供犠で破壊された)物を、貧者や子供に与えるべきだと考える。

2章:贈与制度の発展-鷹揚さ、名誉、貨幣

メラネシアは、「クラ」という取引の体系がある。_072
クラは、壮大なポトラッチ。諸島にいる部族のあいだで、巨大な交易をする。クラとは「環」の意味。諸部族、海路の遠征、貴重品、日用品、食物、祝祭、各種の奉仕活動、儀礼、性、男女などが、1つの環のなかにはめられる。環にそって、時間的・空間的に、規則的な運動が行われているかのように見える。
クラ交易は、貴族的な秩序を供えている。首長たちによって運営される。首長は、船団の指導者であり、交易人である。自分の子供や義兄弟でもある下臣や、配下である多くの村々の首長たちから、贈物をもらう。交易は無関心で慎ましく、貴族的な態度で行われる。
クラは、日常の単純な経済的交換(ギムワリ)と、厳しく区別される。ギムワリは、交換を行う双方が、激しく執拗に値切りあう。クラは値切らない。首長は、鷹揚な態度でクラに参加する。もし鷹揚でないと(値切ると)、「まるでギムワリのようだ」と非難される。
クラは、贈与と受贈からなる。今日の受贈者は、明日の贈与者になる。

クラのうち、もっとも広範囲で、厳粛で、高尚で、競争の激しいのは、海上遠征を伴うもの。ウヴァラクという。AがBに遠征したら、AはBから贈与を受ける。Aは、贈物をただ受けとるだけのような振りをする。翌年、BがAを訪問し返したとき、利息をつけて返礼する。
贈与は、きわめて厳粛にやる。受けとった物を軽蔑・警戒し、足許に投げ捨てたあとで、取りあげる。贈った側は、極度に謙遜した態度をよそおう。「残り物ですが」といい、物を投げつける。_075

交換=贈与における本質的な対象は、ある種の貨幣である、腕輪・首飾りである。マリノフスキーによると、腕輪・首飾りは、円形をなして、島から島へと回される。腕輪は西から東、首飾りは東から西に回される。
富の象徴である物は、絶えることなく循環する。長い間、保持してはいけない。次に渡すとき、ためらってはいけない。決まった相手以外に、渡してはいけない。渡す方向(西から東、東から西)を誤ってはいけない。
腕輪・首飾りは、なぜもらえるか。受贈した人が、別の人のために使用したり、第三者である「遠くにいる相手」に譲渡したりするから、もらえるのだ。自分のために使用したり、誰にも譲渡しないのなら、もらうことができない。

クラには、神話的、宗教的、呪術的な性格がある。腕輪・首飾りは、単なる貨幣ではない。もっとも貴重な、もっとも嘱望されるもの。威信をそなえ、名前があり、個性、来歴、伝承が結びつく。腕輪・首飾りから、自分の名前をつける人もいる。
だが、腕輪・首飾りは、信仰の対象ではない。さわるだけで徳が伝わる。人間の感情によって、生命が与えられるので、物そのものが契約に参加する。「ホラ貝の魔法」は、受領してくれる人を、まじないによって引き寄せる。_077
もし返礼がなければ、呪術により、悪口を浴びせて、怒りを報復する。皮膚にバシを突き刺し、噛み砕くことがない。取引を終わらせない。これは、延滞利息のようなもの。元の贈与者の気持ちを和らげる。
返礼せず、誠実ではないと、代わりに、ほかの物を失うかも知れない。_082

贈物の名前には、特別な名前がつく。名前には、高貴な性質、呪術の性質を表す物がアル。贈物の名前は、「受贈した者の法的な状態」を表すことがある。_084

首長の肩書で呼ばれたら、それはその首長の立場を「受贈」されたという、法的な状態をあらわす。代々務めると、本人の名前に同化するのだろう。

名前を引き受けることで、取引が成立したと見なされる。名前ごと贈られるのは、かなり貴重な物である。磨製石器、クジラの骨匙。
名前を受贈した人は、返礼の義務をおう。さらに、贈与-受贈の伝統に厳粛に従うことによって、両者は協同の関係になる。もともと贈与は、渡来した遠征団が激しい競争して、行うものだ。遠征団は、もっとも良い贈与の相手を探す。贈与することで、氏族の関係を作るからだ。
受けとってもらうため、相手の心を幻惑し、心を捉えねばならない。相手の身分を考慮し、他人に先んじて、他人よりも上手く、目的を果たさねばならない。もっとも裕福な者がもつ、もっとも高価な物との交換をめざす。競争、対抗、誇示、権威、利益を追求する。これが行動の動機である。_084
遠征団が到着したとき、このように競って贈物をわたす。遠征団が出発するときは、ぎゃくに到着の贈物よりも、上等なものを受贈する。給付と、紀利息のついた反対給付がおこなわれ、循環がクラとともに完成される。
女性の提供も行われており、クラの原初形態であろう。

首長同士が、遠征によって交換したものは、首長だけで完結しない。首長の従者である、ひくい身分の親類、義理の兄弟、息子たちも参加する。直接は遠征にいかない従者たちも、出発のとき、贈与する物を差し出し、帰還のとき、返礼された物を分配される。従者たちは、間接的に報いられる。_087

クラと似ているのが、ワシである。農耕民と漁猟民とのあいだで、規則的、義務的に交換が行われる。農耕民は、漁師の家に、自作の農作物をおく。べつのとき漁師は、大規模な漁猟から帰ると、利息をつけて農村を訪れる。ニュージーランドの分業である。
もう1つ、重要な交換は、展示の様相をもつ。サガリである。大規模な食糧の分配である。収穫時期、首長の家・カヌーの建造、葬儀のとき、行われる。首長や、氏族に奉仕した集団に対して、奉仕や分配が行われる。ポトラッチに似ている。戦闘や敵対関係のもと、対抗して分配をする。首長の個性が見られないほど、結束した集団行動である。_087
以上のような、集団の法、集団的経済は、個人のあいだでも同じ形態であろう。個人のあいだでは、単なる物々交換である。どのような手段であれ、自分のものになった物を、義兄弟などに譲渡する。同じ物が、同じ日のうちに、自分に戻ってくることもある。_089

◆アメリカ北西部_093
名誉と信用について。メラネシアとポリネシアでは、物質的、精神的生活と、交換とが、打算的でない、義務的な形態で行われる。この義務は、神話的、想像的、あるいは象徴的、集団的な方法で表現される。この義務は、交換される物に結びついた関心、という形をとる。交換される物は、交換する者から完全に切り離されない。交換される物によって作られる、人間の交わりや結合関係は、比較的、くずれない。
アメリカ北西部の先住民は、いっそう厳しく際だったものだ。物々交換がない。財産の移動は、ポトラッチの盛大な形でのみ行われる。ポトラッチの制度について考える。

アメリカ北西部のポトラッチは、激しさ、誇張、対立が、メラネシアより強い。法概念が粗野だが、契約の集団的性格が明確に現れる。全体的給付と呼んでいるものに、いっそう近い。_097
贈物は、確実にお返しを付けねばならない。その「確かさ」は、必ずお返しされるうという贈物の性質に含まれる。贈物それ自体が「確かさ」である。どんな社会でも、贈物の性質のなかに、期限つきで返礼する義務が含まれている。
ただし饗宴に招かれたら、その場ですぐに返礼するのでない。反対給付するには、一定の「時」が必要である。したがって、訪問・結婚・同盟・和睦・競技・戦闘・祭祀、儀礼的な奉仕、名誉の授与、互いに「敬意を表す」には、どうしても期間が必要である。

これは、かなり重要なこと!

社会がより豊かになるに応じて、いっそう期間が増加する。より贅沢なものになる、ほかの物と交換されることになる。_098

贈与される物の価値、返礼するときの利子、返礼までの期間が、いずれも大きくなる。これも重要なこと!

法律学者や経済学者の考える、出発点とは異なる。物々交換から販売へ、現金販売から信用販売へ、と移行したのではない。贈与と交換も、売買も、同じように生まれた。一定期間のなかで与え、返却される体系の上に、物々交換と売買とが、同じように生まれた。_099

インディアンがおこなうポトラッチは、名誉のため、消費と破壊を限りなくおこなう。所有するすべてを消費し、何も残してはならない。誰がもっとも裕福で、もっとも激しく消費するかを競う。対抗と競争の原理がひそむ。政治的地位、その他の地位、戦争、運と不運、相続、同盟、結婚と同じように、「財産の戦い」をやる。
「お返しを望んでいる」と思われないために、贈与や返礼をせず、ひたすら物を破壊する。破壊することで、自分や家族の、社会的な地位を高める。売却のように、目先の利益を求めない。礼節や気前のよさに満ちた、高貴な破壊である。_100

インディアンにとって名誉は、災禍のみなもとである。「マナ」の正しい訳の1つは、権威と富である。奉仕は、名誉である。名誉の意識は、贈与・給付・食物の提供・席次・儀礼などによって与えられる。

インディアンはポトラッチによって、わざと全財産を壊して(神や精霊に供犠して?)その代わりに、名誉を得るのかな。

ポトラッチは「全体的」であr。宗教的、神話的、シャーマニズム的である。ポトラッチに参加している首長たちは、先祖や神々の化身である。先祖や神々の名を持ち、舞踊して、霊に憑かれる。_102
ポトラッチには、4つの形態がある。1つ、胞族や首長の家族だけが参加する。2つ、胞族、氏族、首長、家族がほぼ同じ役割を果たす。3つ、対抗する種族の首長のあいだで行う。4つ、首長と結社のあいだでおこなう。
ただし4つとも、贈与、受領、返礼という、3つの主題がある。形態においては、比較的同一である。

◆3つの義務:贈与、受領、返礼_103
贈る義務は、ポトラッチの本質。首長は、自分・息子・婿や娘・死者のために、ポトラッチしなければならない。ポトラッチすることで首長は、部族・村・家族における権威をたもつ。民族内および他民族における、首長間の地位を維持できる。
首長が地位を維持できるのは、精霊につきまとわれ、精霊に好かれ、幸運に恵まれているときだけ。自分が財産によって所有され、また自分が財産を所有しているときだけである。
首長が財産を所有している証拠となるのは、それを消費し、共有し、他人をしのぎ、他人を「首長の名声の影」に入れることである。中国の文官や役人が持っている「面子」の観念と同じである。神話において、ポトラッチを与えなかった大首長は、「腐った顔」を持っていたという。「腐った顔」という表現は、中国のおける面子に例えるより、正確である。

流れのなかに、身を置かなければならない。

ポトラッチをせず、威信を失えば、舞踊の仮面(精霊を化身させる権利)を失う。贈与の競技で敗れると、地位を失う。

招待する義務は、氏族や部族のあいだで、とくに賑わう。招待するのは、外部の人でなければならない。 祭りやポトラッチに参加できる者、参加を望む者、実際に参加する者、すべてを招くことが重要。参加を忘れると、不幸な結果をまねく。招かれなかった首長は、禍いを起こす神話がある。
首長に息子が生まれると、盛大な祝宴をひらく。ポトラッチ(財産の分配)は、軍事・法律・経済・宗教について、すべて「知ってもらう」ための基本的な行為である。首長の息子は、祝宴によって知られる。首長の息子は、祝宴を開くことで「感謝」を受ける。

者を受領することも、義務である。だれも、贈物やポトラッチを拒否する権利を持たない。贈物を拒むとは、お返しすることを恐れていることを表す。お返しするまでの「やられた」状態になることを恐れる。「やられた」状態では、自分の名前が「重みを失う」ことになる。_106
クワキウトル族では、階層のなかで社会的に認められた地位にあり、前のポトラッチの勝者は、招待を拒むことができる。ポトラッチに出席しても、争わずに、贈物を拒むことができる。

ぎゃくに言うと、前のポトラッチで勝った人しか、受領を拒むことができない。前のポトラッチで、盛大に贈与しているのだから、そのバランスを取っているだけ。いきなり初戦から、拒むことはできない。

受領するとは、相手の贈与(挑戦)をに応じることである。お返しが確実にできるから、受領する。自分が、身分不相応でないことを示した。_108

返礼は、ポトラッチの本質。ただし破壊のみのポトラッチは、別である。精霊への供犠であり、精霊のために行われる。他の氏族が、自分の氏族のために破壊してくれたら、1年あたり 30%~100%の利息をつけて返礼しなければならない。同じ価値のものを、破壊しなければ、永久に「面子」をうしなう。
返礼の義務を怠ったときの制裁は、負債のために奴隷になること。地位を失い、自由人でいられなくなる。信用のない者が借りると、「奴隷を売る」という。

◆物の力_110
ポトラッチのなかで交換される物のなかに、循環を強制するような力が存在する。
家族の貴重品、護符や紋章のついた青銅品、毛皮の毛布、紋章で飾った織物など。女性が結婚のとき譲渡され、「特権」が婿に譲渡され、名前や役目が子供や婿に譲渡されるのとおなじように、貴重品などは譲渡される。譲渡というのは正確でない。売却・譲渡の対象というより、貸借の対象である。ポトラッチで移動しても、譲渡することはできない。家族が絶対に手放さない「財産」もある。
あらゆる部族において貴重品は、すべて霊的な起源に由来し、霊的な性格がある。貴重品は、紋章のついた箱に収められる。箱自体にも、霊的な力がある。装飾した内壁にも、生命がある。所有者の魂をやどし、しゃべる。_111
貴重品は、物の生み出す効力を所有する。単なる、記号や担保でない。富のしるし、富の担保、地位や繁栄の呪術宗教的な根源である。_112

◆高名な貨幣_113
紋章のついた銅器は、信仰の対象である。銅器は生きている。名前・個性・固有の価値がある。呪術的・経済的・永続的なものである。ある貴重な銅器は、「銅器を引き寄せるもの」と呼ばれる。銅器には、銅器の所有者の名前が「自分に財を引きつける者」であり、ほかの銅器が彼の周りにあつまる様子を描く。銅器の名前の1つに「財を持ってくる者」 というものがある。
銅器そのものが話し、不平をいい、与えられることを要求し、破壊されることを望む。分配すべき毛布をつかって首長を埋葬するように、銅器も毛布にくるんでもらう。

物を与えるとき、人は自らを与える。自らを与えるのは、なぜか。自分と自分の財産を、他人に「負っている」からである。_114

◆最初の結論_115
物の循環が、人間の循環に等しい。贈与・交換の原則は、氏族・家族のあいだの、「全体的給付」の段階を越えている。
純粋に個人的な契約、つまり貨幣が循環する市場(本来の意味での売買、とくに計算され、名前のついた貨幣で評価される価格の観念)には達していなかった社会の原則である。

◆その他、注釈からの抜粋など
敗戦した首長が侮蔑され、転居を余儀なくされた場合。制裁として、贈与やポトラッチをすることが強いられる。だが、返礼してもらえない。_117
交換される貴重品は、支払手段ではない。貴重品の価値は、用いられる取引の回数と、規模に左右される。_121
あるインディアンがポトラッチに友人を招待するとき。長年に蓄積した財産を一挙に失うように見える。だが、2つの点で賢明であり、称賛されるべきである。
1つ。債務を返すこと。公的な場でポトラッチして、返済したことを公証人に見てもらう。2つ、労働の成果を、自分と子供のために活用すること。ポトラッチは、利息をつけて返ってくるはずだ。_141

手許に財産があるとは、いくら長年せっせと蓄積したものでも、「誰かからもらったもの」に違いない。だから、蓄積しているなら、蓄積しているほど、ポトラッチをせねばならない。

ポトラッチとは、2つの戦さである。1つ、自分の財産を、他人に盗難されないように、さきに贈与してしまう。2つ、他人に返還の義務を負わせる。他人が返還できないような財産を、他人に背負わせてやる。

「食物に貪欲である」「速く富を築く」などの表現は、ケチな首長への呪詛である。「財産を求めるケチ、財産のためにだけ働くケチ」と、首長を罵倒する。このように、経済に反することを言うのは、その共同体が怠惰だからでない。首長は退蔵してはいけない、ということを物語っている。_147

精神的にも物質的にも貴重なのは、名前とトーテムの紋章である。紋章・饗宴・ポトラッチで得た名声は、他の人が返礼の義務をおう。饗宴の席で贈与-受領されるのは、「座るところ」と、秘密結社の「精神」である。

特定の価値観の人たちが群れて、財産を施し合っているとき。「座るところ」とは、すなわち番付や名声・キャッチフレーズである。精神とは「彼なら、秘密結社の目的を果たしてくれる」という期待である。_166


以上、2章まで。3章以降は、興味とちがうので、別途。120428

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