表紙 > ~後漢 > 『後漢書』何進伝を抄訳し、霊帝と献帝初を整理

くわしい宦官全滅のいきさつ

吉川版で、竇武伝やります。ただ抄訳して、読みなおしやすくした。
上表文のたぐいをはぶき、、関連する事件と人物にしぼった。どうぞ。

訓読&注釈された吉川版を見て、口語に要約する。それほど意味のある活動でない。では、なぜやっているか。自分で、何進伝を「読む」という行為の痕跡を、ホームページに叩きつけているだけ。あとで何進伝を読み直すとき、ガイドとなる。


潁川太守、河南尹、大将軍となる

何進字遂高,南陽宛人也。異母女弟選入掖庭為貴人,有寵於靈帝,拜進郎中,再遷虎賁中郎將,出為潁川太守。光和三年,貴人立為皇后,征進入,拜侍中、將作大匠、河南尹。

何進は、あざなを遂高という。南陽の宛県の人。異母妹が、掖庭にはいって貴人となる。霊帝に愛された。何進は、郎中、虎賁中郎將、潁川太守となる。光和三年(180)、妹が皇后となる。何進は、侍中、將作大匠、河南尹となる。

中平元年,黃巾賊張角等起,以進為大將軍,率左右羽林五營士屯都亭,修理器械,以鎮京師。張角別党馬元義謀起洛陽,進發其奸,以功封慎侯。
四年,滎陽賊數千人群起,攻燒郡縣,殺中牟縣令,詔使進弟河南尹苗出擊之。苗攻破群賊,平定而還。詔遣使者迎于成皋,拜苗為車騎將軍,封濟陽侯。

中平元年(184)、張角が起兵。何進は大将軍となる。左右羽林の五營にいる兵士をひきいて、都亭にいる。器械を修理し、京師をまもる。張角の別党・馬元義は、洛陽で起ちたい。何進は、馬元義をあばく。慎(汝南)侯になる。
中平四年(187)、滎陽の賊が、郡県をやき、中牟の県令をころす。何進の弟・河南尹する何苗を、出撃させた。使者は、成皋で何苗をむかえた。何苗は、車騎将軍となり、済陽侯に封ぜらる。

五年,天下滋亂,望氣者以為京師當有大兵,兩宮流血,大將軍司馬許涼、假司馬伍宕說進曰:「《太公六韜》有天子將兵事,可以威厭四方」。進以為然,入言之於帝。於是乃詔進大發四方兵,講武于平樂觀下。起大壇,上建十二重五采華蓋,高十丈,壇東北為小壇,複建九重華蓋,高九丈,列步兵、騎士數萬人,結營為陣,天子親出臨軍,駐大華蓋下,進駐小華蓋。禮畢,帝躬擐甲介馬,稱「無上將軍」,行陳三匝而還。詔使進悉領兵屯於觀下。是時,置西園八校尉,以小黃門蹇碩為上軍校尉,虎賁中郎將袁紹為中軍校尉,屯騎都尉鮑鴻為下軍校尉,議郎曹操為典軍校尉,趙融為助軍校尉,淳于瓊為佐軍校尉,又有左右校尉。帝以蹇碩壯健而有武略,特親任之,以為元帥,督司隸校尉以下,雖大將軍亦領屬焉。

中平五年(188)、望気する人はいう。「京師で大兵があり、両宮で流血する」と。大將軍司馬の許涼、假司馬の伍宕が勧めた。「天子の兵をあつめて、四方を圧倒しよう」と。何進はこれを、霊帝に薦めた。平楽観で、閲兵した。

閲兵の様子は、はぶく。何進が、小さいカサの下にいるとか、写実的!

霊帝は、無上将軍を自称した。西園八校尉をおく。
  小黃門の蹇碩=上軍校尉、虎賁中郎將の袁紹=中軍校尉、
  屯騎都尉の鮑鴻=下軍校尉、議郎の曹操=典軍校尉、
  趙融=助軍校尉、淳于瓊=佐軍校尉、ほかに左右校尉。
蹇碩は霊帝に信任された。蹇碩は、司隷校尉より以下、みなを督した。何進は大将軍だが、蹇碩の指揮のもとに入った

碩雖擅兵於中,而猶畏忌於進,乃與諸常侍共說帝遣進西擊邊章、韓遂。帝從之,賜兵車百乘,虎賁斧鉞。進陰知其謀,乃上遣袁紹東擊徐、兗二州兵,須紹還,即戎事,以稽行期。

蹇碩は、何進を畏れ忌む。常侍たちとともに、霊帝に言った。「何進を西にゆかせ、辺章と韓遂を撃たせよ」と。霊帝はみとめた。
これを知った何進は、袁紹に徐州、兗州から、兵を集めさせた。「袁紹がもどってから、出撃する」と言い、出撃を延期した。

賈充とおなじ状態だ。賈充は、娘を恵帝の妻にして、逃げきった。
在外三公の張温が、辺章と韓遂を撃ちにゆく。董卓や孫堅、陶謙がしたがう。いまの何進と、前後関係が、どうなっているのだろう。ともかく、三公クラスが出撃するほど、辺章らは強かった。後漢にとって脅威だった。


劉弁を即位させ、蹇碩を殺す

初,何皇后生皇子辯,王貴人生皇子協。群臣請立太子,帝以辯輕佻無威儀,不可為人主,然皇后有寵,且進又居重權,故久不決。
六年,帝疾篤,屬協於蹇碩。碩既受遣詔,且素輕忌于進兄弟,及帝崩,碩時在內,欲先誅進而立協。及進從外入,碩司馬潘隱與進早舊。迎而目之。進驚,馳從B367道歸營,引兵入屯百郡邸,因稱疾不入。碩謀不行,皇子辯乃即位,何太后臨朝,進與太傅袁隗輔政,錄尚書事。

はじめ、何皇后は、劉辯を生む。王貴人は、劉協を生む。郡臣は、劉協がいい。だが何皇后、何進が重んじられ、劉辯のまま。
中平六年(189)、霊帝は重病。蹇碩に、劉協をあずける。蹇碩は、霊帝の遺詔をもらう。蹇碩は、何進をころし、劉協をたてたい。蹇碩の司馬・潘隠は、何進に目配せした。何進はにげて、こもる。
劉辯が即位。何太后が臨朝。何進は、太傅の袁隗とともに、尚書を録す。

進素知中官天下所疾,兼忿蹇碩圖己,及秉朝政,陰規誅之。袁紹亦素有謀,因進親客張津勸之曰:「黃門常侍權重日久,又與長樂太后專通姦利,將軍宜更清選賢良,整齊天下,為國家除患。」進然其言。又以袁氏累世寵貴,海內所歸,而紹素善養士,能得豪傑用,其從弟慮賁中郎將術亦尚氣俠,故並厚待之。因複博征智謀之士逄紀、何顒、荀攸等,與同腹心。

天下は宦官をにくむ。何進は、蹇碩をにくむ。何進は、蹇碩を殺したい。親客の張津は、何進に言った。「宦官は、長楽太后(霊帝の母)につうじる。宦官を除け」と。
また袁氏は、累世に寵貴だ。海內に歸される。袁紹は、士人や豪傑にかこまれる。従弟の虎賁中郎将・袁術は、気侠をたっとぶ。何進は、袁紹と袁術を、厚遇する。逄紀、何顒、荀攸らを、腹心とする。

何進が、袁紹、袁術や、逢紀、何顒、荀攸と接近するのは、ここ。時期的に、もっと前から付き合いはあるかも知れない。しかし、何進伝では、霊帝の死後、蹇碩との対立が深刻になってから、この記述がでてくる。それは事実。確認した。


蹇碩疑不自安,與中常侍趙忠等書曰:「大將軍兄弟秉國專朝,今與天下黨人謀誅先帝左右,埽滅我曹。但以碩典禁兵,故且沈吟。今宜共閉上閣,急捕誅之。」中常侍郭勝,進同郡人也。太后及進之貴幸,勝有力焉。故勝親信何氏,遂共趙忠等議,不從碩計,而以其書示進。進乃使黃門令收碩,誅之,因領其屯兵。

蹇碩は、不安になる。中常侍の趙忠に、文書をあたえた。「何進は、党人とともに、宦官を滅ぼす気だ。私は、禁兵を動かせる。何進を召しだし、何進を殺そう」と。中常侍の郭勝は、何進と同郡だ。何太后は、郭勝をかわいがる。郭勝が、蹇碩の作戦を、何進にバラす。何進は蹇碩をころし、蹇碩の兵をうばう。

何進、袁紹のライバルは、蹇碩。蹇碩は、軍権をもち、趙忠とも近い。霊帝の権力は、何進と蹇碩に、二分して継承されたと見なしてよいかも。


袁紹が太后をおどし、宦官を殺したい

袁紹複說進曰:「前竇武欲誅內寵而反為所害者,以其言語漏泄,而五營百官服畏中人故也。今將軍既有元舅之重,而兄弟並領勁兵,部曲將吏皆英俊名士,樂盡力命,事在掌握,此天贊之時也。將軍宜一為天下除患,名垂後世。雖周之申伯,何足道哉!今大行在前殿,將軍受詔領禁兵,不宜輕出入宮省。」進甚然之,乃稱疾不入陪喪,又不送山陵。遂與紹定籌策,而以其計白太后。太后不聽,曰:「中官統領禁省,自古及今,漢家故事,不可廢也。且先帝新棄天下,我奈何楚楚與士人對共事乎?」進難違太后意,且欲誅其放縱者。紹以為中官親近至尊,出入號令,今不悉廢,後必為患。而太後母舞陽君及苗數受諸宦官賂遺,知進欲誅之,數白太后,為其障蔽。又言:「大將軍專殺左右,擅權以弱社稷。」太后疑以為然。中官在省闥者或數十年,封侯貴寵,膠固內外。進新當重任,素敬憚之,雖外收大名而內不能斷,故事久不決。

ふたたび袁紹は、何進に説いた。「竇武は、作戦が漏れて、宦官に殺された。禁兵は、宦官をおそれた。竇武の失敗を、くり返すな。いま何進は、禁兵を動かせる。軽々しく、何進が宮省に出入りしなければ、宦官を殺せる」と。何進は、霊帝の葬儀に、参列しない。何進は、何太后に「宦官を殺す」と言った。何太后は、許さない。「宦官は、後漢の制度だ」と。何進は、太后に逆らえない。何進は「宦官のうち、放縦なものだけ、殺そう」と言った。
袁紹は、宦官を全滅させたい。何太后の母・舞陽君と、何苗は、宦官からワイロをもらう。舞陽君と何苗は、何進に言う。「宦官を殺すな」と。何進は、宦官に手出しできない。

紹等又為畫策,多召四方猛將及諸豪傑,使並引兵向京城,以脅太后。進然之。主簿陳琳入諫曰:「《易》稱'即鹿無虞',諺有'掩目捕雀'。夫微物尚不可欺以得志,況國之大事,其可以詐立乎?今將軍總皇威,握兵要,龍驤虎步,高下在心,此猶鼓洪爐燎毛髮耳。夫違經合道,無人所順,而反委釋利器,更征外助。大兵聚會,強者為雄,所謂倒持干戈,授人以柄,功必不成,秖為亂階。」進不聽。遂西召前將軍董卓屯關中上林苑,又使府掾太山王匡東發其郡強弩,並召東郡太守橋瑁屯城皋,使武猛都尉丁原燒孟津,火照城中,皆以誅宦官為言。太后猶不從。

袁紹は、四方から猛将や豪傑をあつめ、洛陽にむかわせ、何太后を脅したい。主簿の陳琳は、袁紹を諌めた。陳琳の言葉は、はぶく。袁紹は、きかず。
ついに、前将軍の董卓を、関中の上林苑におく。府掾する泰山の王匡は、東から強弩をもってくる。東郡太守の橋瑁は、成皋にくる。武猛都尉の丁原は、孟津を焼く。洛陽は、火に照らされる。何太后は、ゆるさず。

苗謂進曰:「始共從南陽來,俱以貧賤,依省內以致貴富。國家之事,亦何容易!覆水不可收。宜深思之,且與省內和也。」進意更狐疑。紹懼進變計,乃脅之曰:「交構已成,形勢已露,事留變生,將軍複欲何待,而不早決之乎?」進於是以紹為司隸校尉,假節,專命擊斷;從事中郎王允為河南尹。紹使洛陽方略武吏司察宦者,而促董卓等使馳驛上,欲進兵平樂觀。太后乃恐,悉罷中常侍小黃門,使還裏舍,唯留進素所私人,以守省中。諸常侍小黃門皆詣進謝罪,唯所措置。進謂曰:「天下匈匈,正患諸君耳。今董卓垂至,諸君何不早各就國?」袁紹勸進便於此決之,至於再三。進不許。紹又為書告諸州郡,詐宣進意,使捕案中官親屬。

何苗は、何進に言った。「南陽のいなかから、宦官のおかげで出てきた。宦官と和そう」と。何進はまよう。袁紹は、何進をおどす。「はやく決断を」と。何進は、袁紹を司隷校尉、仮節とする。従事中郎の王允を、河南尹とする。董卓を、平楽観にうつす。何太后はおそれて、帰宅した。

何太后をおどすという袁紹の作戦は、成功した!

宦官は、何進にあやまる。何進は言った。「董卓がくる。宦官らは、はやく郡国にゆけ」と。袁紹は何進に、「宦官の殺害を命じろ」と、せまる。何進は許さない。袁紹は、文書を州郡にまわす。何進の命令だといつわり、州郡にいる、宦官の親属を捕えさせた。

進謀積日,頗泄,中官懼而思變。張讓子婦,太后之妹也。讓向子婦叩頭曰:「老臣得罪,當與新婦俱歸私門。惟受恩累世,今當遠離宮殿,情懷戀戀,願複一入直,得暫奉望太后、陛下顏色,然後退就溝壑,死不恨矣。」子婦言于舞陽君,入白太后,乃詔諸常侍皆複入直。

何進の作戦はもれた。宦官は、日に日にビビる。張譲の子の嫁は、何太后のめいだ。張譲は、何太后のめいに言った。「いちど何太后に会えれば、私は死んでよい」と。何太后のめいは、何太后につげた。何太后は、宦官らを身近におく。

何進が、張譲や段珪に殺される

八月,進入長樂白太后,請盡誅諸常侍以下,選三署郎入守宦官廬。諸宦官相謂曰:「大將軍稱疾不臨喪,不送葬,今郯入省,此意何為?竇氏事竟複起邪?」又張讓等使人潛聽,具聞其語,乃率常侍段珪、畢嵐等數十人,持兵竊自側闥入,伏省中,及進出,因詐以太后詔召進。入坐省闥,讓等詰進曰:「天下憒憒,亦非獨我曹罪也。先帝嘗與太后不快,幾至成敗,我曹涕泣救解,各出家財千萬為禮,和悅上意,但欲托卿門戶耳。今乃欲滅我曹種族,不亦太甚乎?卿言省內穢濁,公卿以下忠清者為誰?」

189年6月、何進は長楽宮にはいり、太后に言った。宦官をころし、士人の郎官に役所をまもらせたい。宦官は言った。「何進は、霊帝の葬儀をさぼりながら、長楽宮に入った。竇武とおなじ計画か」と。張譲は、ひそかに状況を知る。常侍の段珪、畢嵐ら数十人と、かくれる。張譲は、何太后の詔だといつわり、何進をよぶ。張譲は、何進をなじる。「天下が乱れたのは、宦官のせいでない。何太后が王貴人がころしたとき、何太后を弁護して、霊帝をなだめたのは、宦官だ。何進は、宦官が濁流というが、公卿より以下で、いったい誰が清いのか」と。

ぼくは思う。張譲も、自分が清くないことを、みとめてる?


於是尚方監渠穆拔劍斬進於嘉德殿前。讓、珪等為詔,以故太尉樊陵為司隸校尉,少府許相為河南尹。尚書得詔板,疑之,曰:「請大將軍出共議。」中黃門以進頭擲與尚書,曰:「何進謀反,已伏誅矣。」

尚方監(宦官の官)する渠穆は、剣をぬいて、何進を嘉德殿前で斬った。張譲と段珪らは、詔をつくる。もと太尉の樊陵を、司隸校尉とする。少府の許相を、河南尹とする。尚書は、詔がニセモノだと疑う。尚書は言った。「大将軍の何進に、確かめたい」と。宦官は、何進のクビを投げつけた。「何進は、すでに誅した」と。

袁紹が何進を仇討ち、董卓が何氏を滅ぼす

進部曲將吳匡、張璋,素所親幸,在外聞進被害,欲將兵入宮,宮閣閉。袁術與匡共斫攻之。中黃門持兵守閣。會日暮,術因燒南宮九龍門及東西宮,欲以脅出讓等。讓等入白太后,言大將軍兵反,燒宮,攻尚書闥,因將太后、天子及陳留王,又劫省內官屬,從複道走北宮。尚書盧植執戈於閣道窗下,仰數段珪。段珪等懼,乃釋太后。太后投閣得免。

何進の部曲将は、呉匡や張璋だ。何進が殺されたと聞き、宮に入りたい。門が開かない。袁術は、王匡と門を攻めた。宦官がふさぐ。日が暮れた。袁術は、南宮の九龍門、東西宮をやく。張譲を、あぶりだす。張譲は、何太后、劉協をつれ、複道で北宮ににげる尚書の盧植は、ほこを握り、複道の段珪をとがめた。段珪は、何太后をはなす。何太后は、宦官から解放された。

袁紹與叔父隗矯詔召樊陵、許相、斬之。苗、紹乃引兵屯朱雀闕下,捕得趙忠等,斬之。吳匡等素怨苗不與進同心,而又疑其與宦官同謀,乃令軍中曰:「殺大將軍者即車騎也,土吏能為報仇乎?」進素有仁恩,士卒皆流涕曰:「願致死!」匡遂引兵與董卓弟奉車都尉旻攻殺苗,棄其屍于苑中。紹遂閉北宮門,勒兵捕宦者,無少長皆殺之。或有無須而誤死者,至自髮露然後得免。死者二千余人。紹因進兵排宮,或上端門屋,以攻省內。

袁紹と袁隗は、詔を偽造した。樊陵、許相を召して、斬った。何苗、袁紹は、朱雀門のもとにいる。趙忠を斬る。呉匡は、何苗に怨みがあり、何苗と心をあわせない。呉匡は、何苗が宦官と通じると疑う。

呉匡と何苗は、仲がわるい。忘れがち。

呉匡は言った。「何進を殺したのは、何苗だ。仇討せよ」と。呉匡は、董卓の弟・奉車都尉する董旻とともに、何苗を斬った。袁紹は、北宮の門を攻めた。宦官を、みな殺し。ひげのない人は、身体をさらす。2千余人が死ぬ。

張讓、段珪等困迫,遂將帝與陳留王數十人步出穀門,奔小平津。公卿並出平樂觀,無得從者,唯尚書盧植夜馳河上,王允遣河南中部掾閔貢隨植後。貢至,手劍斬數人,餘皆投河而死。明日,公卿百官乃奉迎天子還宮,以貢為郎中,封都亭侯。
董卓遂廢帝,又迫殺太后,殺舞陽君,何氏遂亡,而漢室亦自此敗亂。

張譲、段珪は、追いつめられる。穀門を出て、小平津にくる。公卿は、平常観にくる。尚書の盧植だけが、黄河で追いつく。王允は、河南中部掾の閔貢をやり、盧植をおう。

盧植、活躍場面がおおい。さっき太后をはなし、いま黄河を追う。

閔貢は、剣で数人を斬る。宦官は、黄河に飛びこむ。明日、公卿や百官は、劉辯をつれて宮にもどる。閔貢を、郎中、都亭侯とする。董卓は、劉辯を廃した。何太后、舞陽君をころす。何氏がほろび、ここから漢室も敗乱した。

戦闘の経過が、こまかく書いてあり、よく分かりました。110422

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