表紙 > ~後漢 > 『後漢書』陳球伝、陽球伝を抄訳し、『三国志』を補う

陽球を司隷校尉として、曹節を謀殺する陳球

吉川版で、陳球伝、陽球伝をやります。ただ抄訳して、読みなおしやすくした。
上表文のたぐいをはぶき、、関連する事件と人物にしぼった。どうぞ。

訓読された文書を見て、口語に要約する。それほど意味のある活動ではない。では、なぜやっているか。「読んだ」という行為の痕跡を、ホームページに叩きつけているだけ。あとで読み直すとき、自分用のガイドとする。

ふたりとも、名が「球」で、しかも関係がある。
『後漢書』では、陳球は列伝46、陽球は列伝67(酷吏)だ。はなれてる。

魏郡太守の賄賂をこばみ、荊州平定

陳球字伯真,下邳淮浦人也。曆世著名。父F131,廣漢太守。球少涉儒學,善律令。陽嘉中,舉孝廉,稍遷繁陽令。時魏郡太守諷縣求納貨賄,球不與之,太守怒而撾督郵,欲令逐球。督郵不肯,曰:「魏郡十五城,獨繁陽有異政,今受命逐之,將致議於天下矣。」太守乃止。

陳球は、あざなを伯真という。下邳の淮浦の人だ。曆世、著名だ。 父の陳ビは、廣漢太守となる。

謝承『後漢書』はいう。祖父の陳屯は、令名あり。これは、下邳の陳氏だ。呂布とか袁術と、ふかくからむ。「歴世、著名」という記述は、とても興味ぶかい。呂布や袁術を苦しめるのは、陳氏が広陵にいるときだ。陳ビのときから、広陵に縁があれば、強いよな。
ビの文字は、「亹」と書く。文字化けしそう!

陳球は、儒學、律令にくわしい。陽嘉中(132-135)、孝廉にあがる。繁陽(魏郡)の県令となる。魏郡太守は、賄賂をもとめた。陳球は、賄賂せず。太守は督郵をやり、「陳球を取り締まれ」と言った。督郵は、陳球の肩をもった。「魏郡15県のうち、陳球だけが優れている」と。魏郡太守は、あきらめた。

復辟公府,舉高第,拜侍御史。是時,桂陽黠賊李研等群聚寇抄,陸梁荊部,州郡懦弱,不能禁,太尉楊秉表球為零陵太守。球到,設方略,期月間,賊虜消散。而州兵朱蓋等反,與桂陽賊胡蘭數萬人轉攻零陵。零陵下濕,編木為城,不可守備,郡中惶恐。掾史白遣家避難,球怒曰:「太守分國虎符,受任一邦,豈顧妻孥而沮國威重乎?複言者斬!」乃悉內吏人老弱,與共城守,弦大木為弓,羽矛為矢,引機發之,遠射千余步,多所殺傷。賊複激流灌城,球輒於內因地勢反決水淹賊。相拒十餘日,不能下。會中郎將度尚將救兵至,球募士卒,與尚共破斬朱蓋等。賜錢五十萬,拜子一人為郎。遷魏郡太守。

ふたたび三公府に辟された。高第にあがる。侍御史となる。
このとき、桂陽で、賊がつよい。州郡は、賊を制御できない。太尉の楊秉は、上表して、陳球を零陵太守とした。掾史(属官)は、陳球の家族を、避難させたい。陳球は怒った。「私は零陵太守となり、国家の軍権をもらった。妻子を逃がし、国家の威信を損なわせるか」と。たまたま、中郎將の度尚がきた。荊州を平定できた。子1人が郎になる。陳球は、魏郡太守となる。

征拜將作大匠,作桓帝陵園,所省巨萬以上。遷南陽太守,以糾舉豪古,為勢家所謗,征詣廷尉抵罪。會赦,歸家。

將作大匠となる。桓帝の陵園をつくる。費用を、巨萬はぶく。南陽太守にうつる。豪族を糾弾したので、勢家からそしられた。廷尉にゆく。大赦あり、帰宅する。

これが「南陽に豪族がいる」という話につながるのか。


曹節、王甫、趙忠をやぶり、竇太后を埋葬する

征拜廷尉。熹平元年,竇太后崩。太后本遷南宮雲台,宦者積怨竇氏,遂以衣車載後屍,置城南市舍數日。中常侍曹節、王甫欲用貴人禮殯,帝曰:「太后親立朕躬,統承大業。《詩》雲:'無德不報,無言不酬。'豈宜以貴人終乎?」於是發喪成禮。

廷尉となる。熹平元年(172)、竇太后が崩じた。竇太后は、宦官に悪まれる。遺骸を放置された。中常侍の曹節、王甫は、皇后からランクをおとし、竇武を貴人として葬りたい。霊帝は言った。「竇太后は、私を即位させてくれた。貴人でなく、皇后として葬りたい」と。

及將葬,節等複欲別葬太后,而以馮貴人配礻付。詔公卿大會朝堂,令中常侍趙忠監議。太尉李咸時病,乃扶輿而起,搗椒自隨,謂妻子曰:「若皇太后不得配食桓帝,吾不生還矣。」既議,坐者數百人,各瞻望中官,良久莫肯先言。趙忠曰:「議當時定。」怪公卿以下各相顧望。

葬るとき、曹節らが妨害して、竇太后を馮貴人とセットで葬るという。趙忠が、結論をゴリ押した。太尉の李咸は、趙忠に反対したい。李咸は家を出るとき、「もし竇太后が、桓帝とセットで葬られなかったら、私・李咸は(宦官に命をかけて反論して)、生きて帰れない」と言った。李咸は、病身だ。陳球だけが、趙忠に反論した。

球曰:「皇太后以盛德良家,母臨天下,宜配先帝,是無所疑。」忠笑而言曰:「陳廷尉宜便操筆。」球即下議曰:「皇太后自在椒房,有聰明母儀之德。遭時不造,援立聖明,承繼宗廟,功烈至重。先帝晏駕,因遇大獄,遷居空宮,不幸早世,家雖獲罪,事非太后。今若別葬,誠先天下之望。且馮貴人塚墓被發,骸骨暴露,與賊並屍,魂靈污染,且無功于國,何宜上配至尊?」忠省球議,作色俯仰,蚩球曰:「陳廷尉建此議甚健!」球曰:「陳、竇既冤,皇太后無故幽閉,臣常痛心,天下憤歎。今日言之,退而受罪,宿昔之願。」公卿以下,皆從球議。

陳球は言った。「馮貴人の陵墓は発掘され、骸骨が暴露している。竇太后を、馮貴人の陵墓に葬ってはいけない」と。陳球は趙忠に勝った。竇太后を皇后として、桓帝とセットで葬った。

范曄は、このがんばりを高く評価して、論を書いてた。


李鹹始不敢先發,見球辭正,然後大言曰:「臣本謂宜爾,誠與臣意合。」會者皆為之愧。曹節、王甫複爭,以為梁後家犯惡逆,雖葬懿陵,武帝黜廢衛後,而以李夫人配食。今竇氏罪深,豈得合葬先帝乎?李咸乃詣闕上疏曰:「臣伏惟章德竇後虐害恭懷,安思閻後家犯惡逆,而和帝無異葬之議,順朝無貶降之文。至於衛後,孝武皇帝身所廢棄,不可以為比。今長樂太后尊號在身,親嘗稱制,坤育天下,且授立聖明,光隆皇祚。太后以陛下為子,陛下豈得不以太后為母?子無黜母,臣無貶君,宜合葬宣陵,一如舊制。」

病気である太尉の李咸は、だまっていた。だが陳球のしゃべりを見て、李咸は言った。「私も、陳球と同じ意見だ」と。

帝省奏,謂曹節等曰:「竇氏雖為不道,而太后有德于朕,不宜降黜。」節等無複言,於是議者乃定。咸字元貞,汝南人。累經洲郡,以廉幹知名,在朝清忠,權幸憚之。

霊帝は、曹節に言った。「竇氏は不道なおこないが、あったかも知れない。だが、竇太后は、私を即位させたという徳がある。竇太后を、貶めるな」と。

以下、お情け程度の、李咸伝。太尉なのに、簡略だなあ。

李咸は、あざなを元貞という。汝南の人だ。州郡の長官を経た。働きぶりが廉幹だった。権力をにぎる近習は、李咸をはばかった。

司空、太尉となり、司空の劉郃と、宦官を謀殺

六年,遷球司空,以地震免。拜光祿大夫,複為廷尉、太常。光和元年,遷太尉,數月,以日食免。複拜光祿大夫。明年,為永樂少府,乃潛與司徒河間劉郃謀誅宦官。

六年(177)、陳球は司空となるが、地震で免じられた。光祿大夫、廷尉、太常となる。光和元年(178)、太尉となる。数ヶ月して、日食で免じられた。光祿大夫となる。翌年、永樂少府となる。
ひそかに、司空する河間の劉郃と、宦官を謀殺しようとした。

宦官殺しの陰謀は、竇武と陳蕃より以来か。


初,郃兄侍中B34A,與大將軍竇武同謀俱死,故郃與球相結。事未及發,球複以書勸郃曰:「公出自宗室,位登臺鼎,天下瞻望,社稷鎮衛,豈得雷同容容無違而已?今曹節等放縱為害,而久在左右,又公兄侍中受害節等,永樂太后所親知也。今可表徙衛尉陽球為司隸校尉,以次收節等誅之。政出聖主,天下太平,可翹足而待也。」又,尚書劉納以正直忤宦官,出為步兵校尉,亦深勸於郃。郃曰:「凶豎多耳目,恐事未會,先受其禍。」納曰:「公為國棟樑,傾危不持,焉用彼相邪?」郃許諾,亦結謀陽球。

劉郃の兄は、侍中の劉鯈だ。劉鯈は、大将軍の竇武とともに、宦官を謀殺しようとした。敗死した。ゆえに劉郃は、陳球とむすんだ。陳球は、劉郃に言った。「劉郃は、宗室で三公だ。曹節を殺そう。霊帝の母・永楽太后は、あなたの兄・劉鯈の無念を知っている。衛尉の陽球を司隷校尉にして、曹節を誅そう」と。劉郃は、許諾した。

陽球、出てきました。これが見たくて、陳球伝をやった。


球小妻,程璜之女,璜用事宮中,所謂程大人也。節等頗得聞知,乃重賂於璜,且脅之。璜懼迫,以球謀告節,節因共白帝曰:「郃等常與籓國交通,有惡意。數稱永樂聲勢,受取狼籍。步兵校尉劉納及永樂少府陳球、衛尉陽球交通書疏,謀議不軌。」帝大怒,策免郃,郃與球及劉納、陽球皆下獄死。球時年六十二。

陳球の小妻(めかけ)は、宦官・程璜の女だ。曹節は、程璜をつうじて、陳球の謀略を知った。曹節は、霊帝にチクった。「劉郃、陳球、陽球は、謀反するつもりだ」と。霊帝は怒り、劉郃を免じた。陳球、陽球を獄死させた。陳球は62歳だった。

子瑀,吳郡太守;瑀弟琮,汝陰太守;弟子珪,沛相;珪子登,廣陵太守:並知名。

陳球の子は、陳瑀だ。吳郡太守となる。陳瑀の弟は、陳倉琮だ。汝陰太守となる。陳瑀の弟の子は、陳珪だ。沛相となる。陳珪の子は、陳登だ。廣陵太守となる。みな、名を知られた。

ここだけで、ご飯10杯はいけるでしょう。


つぎ、陽球伝です。名前つながり。邪道だなあ。

陽球伝は、酷吏列伝より。酷吏列伝だと、陽球伝と、つぎの王吉伝をやれば、ぼくの興味は、だいたい満足します。時期的な問題で。

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