表紙 > 漢文和訳 > 『資治通鑑』を翻訳し、三国の人物が学んだ歴史を学ぶ

180年、何皇后を立て、造園に励む

『資治通鑑』を翻訳します。
内容はほぼ網羅しますが、平易な日本語に置き換えます。

180年冬、何皇后を立てる

孝靈皇帝上之下光和三年(庚申,公元一八零年) 春,正月,癸酉,赦天下。 夏,四月,江夏蠻反。 秋,酒泉地震。 冬,有星孛於狼、弧。 鮮卑寇幽、並二州。
十二月,己巳,立貴人何氏為皇後。征後兄穎川太守進為侍中。後本南陽屠家,以 選入掖庭,生皇子辯,故立之。

180年春正月癸酉、天下を赦した。夏4月、江夏蠻が反した。 秋、酒泉で地震した。 冬、狼と弧(東南)に彗星あり。 鮮卑が、幽州と并州を寇した。
180年12月己巳、貴人の何氏を、皇后とした。皇后の兄・穎川太守する何進を、侍中とした。何氏は、南陽の屠家だ。掖庭に入り、劉辯を生んだ。ゆえに何氏は、皇后になった。

『考異』はいう。袁宏は、11月という。范曄に従う。


180年、荊州刺史が、零陵太守を陥れる

是歲作罼圭、靈昆苑。司徒楊賜諫曰:「先帝之制,左開鴻池,右作上林,不奢不 約,以合禮中。今猥規郊城之地以為苑囿,壞沃衍,廢田園,驅居民,畜禽獸,殆非所 謂若保赤子之義。今城外之苑已有五六,可以逞情意,順四節也。宜惟夏禹卑宮、太宗 露台之意,以尉下民之勞。」書奏,帝欲止,以問侍中任芝、樂松;對曰:「昔文王之 囿百裡,人以為小;齊宣五裡,人以為大。今與百姓共之,無害於政也。」帝悅,遂為 之。

この歳、罼圭苑と、靈昆苑をつくった。司徒の楊賜は、霊帝を諌めた。「もう充分に庭がある。民を動員して、庭をつくるな」と。霊帝は、楊賜を聞かず。
霊帝は、侍中の任芝と樂松に、造園について聞いた。任芝と樂松は、答えた。「むかし周の文王は100里を囲ったが、人は小さいと言った。斉の宣公は、5里だけ囲ったが、人は大きいと言った。霊帝が万民とともに、庭を造るなら、まだ小さいくらいだ」と。霊帝は、悦んだ。

胡三省は、洛陽のまわりにある「苑」を、くわしく解説する。知りたくなったら、ここに戻ってこよう。ぼくは思う。三公の楊賜は、鴻都門生(霊帝派)と対立した。このとき、袁氏はどこにいたんだろう。袁赦の退場後、袁氏は宦官とキレたのか?
曹節や王甫ら宦官と、鴻都門生の関係も、気になる。かたや、後宮の権力。かたや、皇帝の権力だ。霊帝が成長するほどに、鴻都門生が強くなりそうだが。もしくは、内朝は宦官で固まった。いっぽう外朝は、宦官の子弟と、鴻都門生がぶつかる?


巴郡板楯蠻反。
蒼梧、桂陽賊攻郡縣,零陵太守楊璇制馬車數十乘,以排囊盛石灰於車上,系布索 於馬尾;又為兵車,專彀弓弩。及戰,令馬車居前,順風鼓灰,賊不得視,因以火燒布 然,馬驚,奔突賊陣,因使後車弓弩亂髮,鉦鼓鳴震,群盜波駭破散,追逐傷斬無數, 梟其渠帥,郡境以清。

巴郡の板楯蠻が、反した。
蒼梧と桂陽の賊が、郡縣を攻めた。零陵太守の楊璇は、石灰をまき、火をつけ、鉦鼓を鳴らして、賊をやぶった。郡境は、おだやかになった。

荊州刺史趙凱誣奏璇實非身破賊,而妄有其功;璇與相章奏。凱 有黨助,遂檻車征璇,防禁嚴密,無由自訟;乃噬臂出血,書衣為章,具陳破賊形勢, 及言凱所誣狀,潛令親屬詣厥通之。詔書原璇,拜議郎;凱受誣人之罪。璇,喬之弟也。

荊州刺史の趙凱は、ウソを報告した。「楊璇は、みずから賊を破ったのではない。楊璇は、功績をいつわった」と。楊璇も、文書を提出した。楊璇は、戦況を詳しく書いた。楊璇がホントウだと、理解された。楊璇は、議郎となった。ウソをついた趙凱は、罪をうけた。楊璇は、楊喬の弟だ。101214

胡三省はいう。楊喬は、『資治通鑑』桓帝の永康元年にある。

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