表紙 > 漢文和訳 > 『資治通鑑』を翻訳し、三国の人物が学んだ歴史を学ぶ

157年、九真蛮と長沙蛮が、暴れる

『資治通鑑』を翻訳します。
内容はほぼ網羅しますが、平易な日本語に置き換えます。

157年春夏、九真太守が戦死する

孝桓皇帝上之下永壽三年(丁酉,公元一五七年) 春,正月,己未,赦天下。
居風令貪暴無度,縣人硃達等與蠻夷同反,攻殺令,聚眾至四五千人。夏,四月, 進攻九真,九真太守兒式戰死。詔九真都尉魏朗討破之。
閏月,庚辰晦,日有食之。 京師蝗。

157年春正月己未、天下を赦した。
居風の県令は、貪暴だ。居風県の硃達らは、蛮夷とともに反した。県令を殺した。4、5千人があつまる。

胡三省はいう。居風県は、九真郡に属す。『交州記』はいう。山に風門がある。つねに風があると。

157年夏4月、硃達は、九真を攻めた。九真太守の兒式は、戰死した。九真都尉の魏朗は、硃達を破った。
閏月庚辰みそか、日食した。京師でイナゴ。

157年夏、劉陶が貨幣の大型化に反対

或上言:「民之貧困以貨輕錢薄,宜改鑄大錢。」事下四府群僚及太學能言之士議 之。太學生劉陶上議曰:

ある人が上言した。「民は貧しく、貨幣価値がひくい。貨幣のサイズを、大きくせよ」と。貨幣政策について、四府(大将軍府と三公府)の群僚と、太学の弁士に諮った。太学生の劉陶が、上議した。

「當今之憂,不在於貨,在乎民饑。竊見比年已來,良苗盡於 蝗螟之口,杼軸空於公私之求。民所患者,豈謂錢貨之厚薄,銖兩之輕重哉!就使當今 沙礫化為南金,瓦石變為和玉,使百姓渴無所飲,饑無所食,雖皇、羲之純德,唐、虞 之文明,猶不能以保蕭牆之內也。蓋民可百年無貨,不可一朝有饑,故食為至急也。議 者不達農殖之本,多言鑄冶之便。蓋萬人鑄之,一人奪之,猶不能給;況今一人鑄之, 則萬人奪之乎!雖以陰陽為炭,萬物為銅,役不食之民,使不饑之士,猶不能足無厭之 求也。夫欲民殷財阜,要在止役禁奪,則百姓不勞而足。陛下愍海內之憂戚,欲鑄錢齊 貨以救其弊,猶養魚沸鼎之中。棲鳥烈火之上;水、木,本魚鳥之所生也,用之不時, 必至焦爛。願陛下寬鍥薄之禁,後冶鑄之議,聽民庶之謠吟,問路叟之所憂,瞰三光之 文耀,視山河之分流,天下之心,國家大事,粲然皆見,無有遺惑者矣。伏念當今地廣 而不得耕,民眾而無所食,群小競進,秉國之位,鷹揚天下,鳥鈔求飽,吞肌及骨,並 噬無厭。誠恐卒有役夫、窮匠起於板築之間,投斤攘臂,登高遠呼,使怨之民響應雲合。 雖方尺之錢,何有能救其危也!」遂不改錢。

劉陶はいう。「民が飢えるのは、貨幣のせいでない。朝廷の政治がダメだからだ。貨幣を改鋳したところで、問題の解決にならない」と。改鋳をやめた。

ぼくは思う。劉陶は、きわめて前近代的な(前近代だから当然だ)考え方をした。貨幣政策で、経済が好転することは、あるよ。そしたら、民が飢えないかも知れないよ。今回は、劉陶の失敗だ。
董卓は、貨幣政策を、失敗ながらも実行した。感覚のすぐれた人だ。
もっとも。「桓帝の時代に、貨幣のサイズを大きくすれば、経済が好転したか」と聞かれても、ぼくには分からない。改鋳する前の、いま人民が持っている小さな貨幣が、ゴミになりそうな気がする。貯金が帳消しになるだろう。よけい、ひどい。


157年冬、長沙の蛮が、益陽を攻む

冬,十一月,司徒尹頌薨。 長沙蠻反,寇益陽。
以司空韓縯為司徒,以太常北海孫朗為司空。

157年冬11月、司徒の尹頌が薨じた。

『考異』はいう。袁紀は6月とする。いま范曄に従う。

長沙の蠻が反した。蛮は、益陽を寇した。

胡三省はいう。益陽県は、長沙郡に属す。

司空の韓縯を、司徒とした。太常する北海の孫朗を、司空とした。101202

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