表紙 > 読書録 > 上谷浩一『三国志』研究ノート、2編を抜書き

01) 劉備玄徳の青年時代

上谷浩一氏が、勤務先の大学で講義した内容。
「なるほど、知らなかった!気づかなかった!」
という箇所を、メモりました。ほぼ、自分の復習用です。

劉備の生没年と郷里、家系

劉備は、曹操と孫権よりも短命。
劉禅の在位40年は、「漢」で武帝54年につぐ長さ。
琢県は、北京の南西50キロ。大阪市街地と関空の位置。

関空は、けっこう遠い印象です。鉄道は整備されてますが。

洛陽-冀州-幽州に縦断する、幹線道路に面す。

叔父が劉備に「一族を滅ぼす気か」と云ったのは、
皇帝を自称する叛乱が頻発したから。多田 介『漢魏晋史の研究』

劉備の父祖

和帝のとき、孝廉は20万人に1人。順帝のとき、涿郡7県は63万人。祖父・劉雄は、定員3名の孝廉だが、県令どまり。家柄が不利。
劉備の家が、盧植に師事する金があるのに、ムシロを売ったのは、清貧の名声のため?

盧植への入門、党錮事件

盧植が弟子をとったのは、168年の後ごろ。
竇武とのコネを保つため、洛陽にちかいコウ氏の山中で教えた。
これは『後漢書』公孫瓚伝にあること。
劉備は、174年に盧植へ入門。党錮に絶望し、ドッグレースで遊ぶ。
知識人との付き合い方を体得。諸葛亮の獲得に活かされた。

劉備の相貌、立志、黄巾

7尺5寸。後漢の1尺=24センチとすると、180センチくらい。
関羽と張飛は、記述なし。劉備のほうが、関羽と張飛より長身かも。

まあ、否定はできないが、肯定もまたできない。

諸葛亮は、8尺。趙雲は、8尺だと、正史にある。

関羽と張飛と同じ床で寝たのは、資金不足から。
『後漢書』皇甫嵩伝にある。黄巾のとき、五校尉の部隊、三河の騎士、民間の精勇を募ったとある。劉備が応募した。

安喜県は、黄巾の最終拠点・下曲陽から40キロ。荒廃して、税収が期待できず。恩賞が追加されるウワサを聞いて、劉備は督郵に会いに行った。督郵に会えず、殴った。犯罪者として、亡命した。軽率である。

ちくま訳は『典略』を訳して、劉備が自分が「免官組」に該当するとおそれた。恩賞の追加と、免官と、どちらだろう。督郵をヤケになって殴るくらいだから、免官だっただろう、では短絡的。
ぼくは前に原文を見ましたが、よく分かりませんでした。笑

内心は非常に動揺しやすいのが、劉備の性格。

おもしろい! 今回で、いちばんおもしろい指摘。


劉備と公孫瓚

公孫瓚の別府司馬になった。
朱儁が孫堅を別部司馬に、同時期に張超が別部司馬に。
ほかに平原相の劉備が、関羽と張飛を。曹操が、夏侯淵や曹仁を。
非正規で臨時的な任用というポジション。
黄蓋、韓当、蒋欽、潘璋、周泰、凌統、陳武、凌統も。

劉備が劉平に暗殺されかかったのは、下密や高唐から逃げてきたから。無頼集団の頭目として、怪しまれたせいだ。

大学の入門者用の授業だけあって、これで終わりという「お手軽」ぶりです。次回は、呂布の反逆について。

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