表紙 > 読書録 > 岡田英弘『歴史とはなにか』より、三国志を誤解させる国民国家

後漢の中原も、点と線の支配?

岡田英弘『歴史とはなにか』文春新書2001
を読みました。
「歴史は科学でなく、文学なのだ」
と言い切った本。
あまりに明確に断言するものだから、
遅塚忠躬『史学概論』は、岡田氏におどろいていた。

岡田氏は直接は書いていませんが。岡田氏の史料にたいする立場を、ぼくなりに言い直します。
「史料の内容は、まったく信用できない。しかし史料が書かれた時代を知りたいとき、史料を書いた人間を知りたいとき、役に立つ」
史料の内側を全否定して、外側からのみ、史料をながめる人。
これにもっとも成功したのが『倭国の時代』などの記紀研究かな。
以前、このサイトでもあつかいました。
岡田英弘『倭国の時代』で、三国から日本史を知る

この本のテーマは、国民国家をわりびくこと。
国民国家によって、歴史の捉えかたが歪められた。
その歪みを、是正しましょうと。そういう本でした。

国民国家との対決に限定せず、東洋学者である著者の指摘のうち、
おもしろいと感じた部分を抜粋し、感想をくわえます。

司馬遷と班固について

『史記』において世界は、司馬遷の生きた時代とおなじ形。
「天下」は前漢武帝の版図で、黄河中下流域の東西に細長い地域だけ。黄帝の事績は、武帝の事績を投影したもの。
『漢書』で班固が書きたかったのは、 自分の固く信ずる儒教の英雄・王莽の伝記。

この部分は、ぼくが一昨日にツイッターで書いたことです。再掲載。


三国志がおもしろい理由

ヘロドトスがいう歴史の定義は、以下のとおり。
「人間の幸運は、不安定なものだ。つよいポリス(都市)が弱くなり、よわいポリスが強くなることがある」
このように定義すると、中国史は、歴史ではない。
中国史は、変化しない正統な天下の叙述だから。

日本人が『三国志』を好きな理由の説明がつく。
三国時代だけ、皇帝が複数いて「対外関係」というものがあった。
1人の皇帝のときは生じない、葛藤・対立、勢力の消長があった。
三国時代にだけ、相互の働きあいがある。
三国時代は、中国史のなかで例外的だが、日本人にとっておもしろい。

著者の主張の根幹とは、とくにつながらない部分。
でも、せっかく三国志についての言及だから、引用してみた。笑


国民国家の終焉

ここからが岡田氏の本番で、このページの本番でもあります。
岡田氏はいう。
「国家」「国民」とかいう枠組をつかって、
18世紀以前の歴史を叙述することは、時代錯誤だ。
あたらしい術語の体系をつくって、歴史を叙述しなければならない。

「国家」「国民」という術語は、国民国家のものだが、
その国民国家もガタがきている。
ガタがきた、国民国家の性質は以下の3つ。
 ・国民が平等に国家を所有し、経営に参加する
 ・国民がみんな、おなじ国語をしゃべる
 ・国民は、みんなおなじ血統にぞくする

岡田氏は書いていないことですが。
ぼくは国民国家の性質に「均質な国土を、一円的にたもつ」をくわえたい。岡田氏があげた3つから、矛盾なく、みちびくことは可能だと思います。


以下、岡田氏をうけて、ぼくが考えたことです。

後漢の中原を、国民国家で捉えていないか

自戒をこめ、三国ファンに注意をうながしてみます。笑
すでにファンのあいだで、長江以南の揚州や荊州を、
「後漢の支配がいきとどいた、国土の一部」
だと捉える人は、多くないと思います。

少なくとも、日ごろ私がしゃべっている範囲で、ですが。。

異民族の存在が、強調されています。だから孫権の南方開拓は、
「後漢の領域を、回復する戦い」
ではない。後漢人の目線からみた、新規開拓です。
もし孫権の戦いを「回復」と見るならば、それは中華人民共和国の領域を、後漢に投影していることになる。岡田氏に、もっともひどく怒られるパタンです。

長江以南だけじゃない。この例としては、西北の涼州でもいいし、東北の幽州でもいいし、北方の并州でもいい。また益州の南部でもいい。


ここからさらに進めて、ぼくはあたらしい疑いを持ちました。
黄河中下領域の「中原」と呼ばれるあたりに、
まるで国民国家のような体制があったと想定しているとしたら、
いそいで認識を改めるべきではないか。

岡田氏が言うところの、司馬遷が想定した「天下」の領域です。

ぼくは、長江以南はムリでも、少なくとも中原にだったら、
均質な士大夫が、おなじ言葉で、おなじ漢族出身で、
ひらたく一円的に領土を保っているような気がしていた

ぼくは後漢の中原に、かってに、
「中華人民共和国より、面積がちいさい国民国家」を見つけ、
まるで今日の日本とおなじような体制を、描いていたかも。

後日、史料に即して「中原にも国民国家はない」を唱えたい。

そろそろ会社に出勤する時間が迫っている。

よく論文にでてくる「豪族」の存在だとか、
人口や輸送技術にくらべて、広すぎる領土とか、
コロコロ&一斉に寝返る後漢末の諸勢力のうごきを見てると、
ぼくは中原も「点と線」の支配だった気がして仕方がない。

「点」が無限に大きくなれば「面」になるだろう。
しかし後漢末時点で、どこまで「面」が実現していたのか。

参考にすることすら、恥ずかしいが、
青木裕司『青木世界史B講義の実況中継』という受験参考書を100円で買ってきました。この本に「都市国家から領域国家へ」というイラストが載っている。春秋時代に、鉄製の農耕具が発明された。結果、都市国家が点在するだけの中原地域は、「面」の支配をするようになったんだって。
このイメージを、引きずっているファンは、どれくらいいるんだろう?


このように問題提起して、タイムリミットです。後日!100929

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