表紙 > 読書録 > 三中信宏『系統樹思考の世界』より、歴史学と版本研究

最適な仮説を選びとる

三中信宏『系統樹思考の世界-すべてはツリーとともに』
講談社現代新書2006

を読みました。連想がふくらんだので、メモ。
生物学者が、進化論がらみでツリーを論じていますが、
「歴史学とは、どんなか」を考えるのに有用だし、
文献の版本研究を、理解する助けにもなりそうでしたので、記します。

竹内真彦氏の「『三国志演義』における馬超および馬一族の形象について あるいは『演義』の成立についての一考察」2002
とも、関係がありそう。

かろうじて、三国志がらみのメモです。笑


1章「歴史」としての系統樹

章の副題は「科学の対象としての歴史の復権」

進化論は、歴史学に似ている。
進化論も歴史学も、自然科学5基準を満たさない。
進化論も歴史学も、基準に満たないから「科学でない」と云われた。
これが5基準です。
 ・観察できる:目の前で、理論をテストできる
 ・実験できる:実験して初めて、知見が得られる
 ・反復できる:なんど実験しても、おなじ結果
 ・予測できる:理論から予測をし、予測の正しさをテストできる
 ・一般化できる:普遍的な法則ができる

絶滅した動物と、過去の出来事はおなじ。
化石の断片と、散逸だらけの史料も、おなじ。

三中氏はいう。『進化論』のダーウィンは、歴史書と自然哲学書を、たくさん読んだ。生物の歴史に関心があったから、歴史学にも関心があった。

すでに失われたものを、推測するのだから、科学にならない。

著者の三中氏はいう。科学に新しい定義が必要。
進化論も歴史学も、定義を変えれば、科学になる

既存の自然科学は、経験的なデータにもとづいて、帰納と演繹をする。進化論も歴史学も、帰納や演繹をするには、データが手に入らない。過去のことだから、そもそもムリなのだ。
そこで、帰納も演繹もしない、あたらしい「科学」を打ち立てる。進化論や歴史学に、つかえる方法を「科学」と再定義してしまいましょうと。


◆アブダクション
帰納でも演繹でもない方法が、アブダクション。
最適な説明を、ほかの説明との比較から見つけること。

ここ、このページで、いちばん重要です。


カルロ・ギンズブルグはいう。
「資料は、実証主義者が妄信するような、窓じゃない。
 資料は、懐疑主義者が糾弾するような、壁でもない。
 資料は、ゆがんだガラスに例えることができる」
資料だけから、真偽の判定はできない。だが無視もいけない。
資料は、うっすらと、可能性を示すことはしてくれる。

劉備の三顧の礼に例えます。
実証主義「陳寿の本文にあるから、劉備は絶対に三顧したのだ」
懐疑主義「どうせウソなんだ。信じられない。劉備なんていない!」
ギンズブルグ「陳寿が記したことから、なにが読みとれるか、考えよう」
ギンズブルグはいう。証拠を読むときは、その証拠をつくりだした者たちが、意図していなかった観点で、読まねばならない。

アブダクションという方法を「科学」と定義すれば、
時間・空間に限定された、唯一の個物をあつかう進化論や歴史学も、
科学となることができる。

「あなたの仕事は、科学ではない」
研究者である著者にとって、これを言われることが、ツラいらしい。だから、こんなにも、こだわっているのだ。
進化論を擁護する目的の本ですが、ついでに歴史学も、議論の対象にピックアップしてもらえて、よかった。笑
ギンズブルグ2001を読みたいが、邦訳あるかなあ。


3章「推論」としての系統樹 - 推定・比較・検証

アブダクションするとは、系統樹をつくること。

思考には、2つある。断面的な「分類思考」と、時間の流れにまで注意を払った「系統思考」。ぼくが省略した2章には、これが書いてある。
系統思考をして、系統樹をつくることが「理解する」こと。人間の頭脳の、生得的な働きらしい。分類できたら、理解したとイコールだと。
・・・異論はいくらでも思いつくが、ここは著者にしたがおう。笑
系統樹とは、『三国演義』の版本の研究に、よく出てくる、あれです。とだけでも注釈しておけば、図を引用しなくても、分かっていただけますよね。もちろん進化の説明図でもいいです。

「もっともうまく説明できる」系統樹を、どうやって見つけるか。

まず関係ありそうな「点」をならべ、「線」でむすぶ。
つぎに「点」たちの祖先にあたる「根」を設定する。

「根」とするのは、すでに書いた「点」でもいいし、架空の「点」を想定してもいい。とにかく「根」がないと、議論が始まらない。
ぼくなりの比喩。磁石になったクリップは、ゴチャゴチャとくっつき合う。これじゃあ、つながりが理解できない。そこで、クリップのうち、ひとつを持ち上げるイメージ。残りは、持ち上げたクリップにぶら下がる。

いまある「点」の性格を明らかにするため、
わざと遠縁の「仲間はずれ」を設定する。

ヒトとサルとイヌが「点」ならば、わざとカブトムシを「仲間はずれ」設定する。これにより「点」の外枠が決まってくる。
すでにある「点」と「仲間はずれ」を結びつけるのが、「根」である。ぎゃくの言い方をすれば、「根」まで遡らないと、「点」と「仲間はずれ」は交わることがない。「仲間はずれ」を設定することで、「根」が見えてくる。

「根」は、直接観察できない。
「仲間はずれ」を設定することによって、「根」が想定されるだけだ。

竹内真彦氏が、馬超を題材に、『三国演義』の前バージョンである、「原三国演義」を想定された。さらに遡り「原原三国演義」を仄めかされた。このあたりに、ぼくは類似を感じました。
「うまく説明するため」に「根」を設定する、という方法論。


◆アブダクションの推論のやりかた
 前提1:データDがある
 前提2:ある仮説Hは、データDを説明できる
 前提3:H以外の仮説は、Hほどうまく、Dを説明できない
 結論:したがって、仮説Hを(最適と見なして)受け入れる

アブダクションのやりかたは、帰納や演繹とちがう。
帰納や演繹は、データのみから、仮説の真偽を判定する。
アブダクションは、仮説の比較によって、仮説を選択する。

ここ、このページで2番目に大切です。


ジョセフソン夫妻は、アブダクションをする条件をあげた。
 ・仮説Hが、ほかの仮説より決定的にすぐれている
 ・仮説Hそのものが、充分に妥当である
 ・データDが信頼できる
 ・仮説H以外の仮説も、網羅的に比較検討した
 ・仮説Hが正しいときの利益、誤ったときの損失を諒解した
 ・そもそも特定の仮説を選び出す必要性を、よく考えた

◆仮説をえらぶヒント
選ぶべき仮説とは、生物の進化や、書物の誤写のプロセスで、
 ・もっとも少ない変化の回数
 ・もっとも幅のちいさい変化
 ・もっとも、もっともらしい変化(最尤)
をしたものだ。
「あり得なくはないが、不自然だなあ」を選んではいけない。

三中氏は、伝言デームを例にする。もし伝言に失敗したなら、だれか1人が間違えたのだろう。これが最適解。「間違えた人がいたが、たまたま途中で直り、ふたたび間違えられた」というのは、不自然である。
ぼくは「不自然はダメ」を戒めに、袁術を読解せねば。笑


「点」を線でむすぶとき、分類の観点がしぼられる。
どこの違いを強調するかで、系統樹は変わる。

どんな理由で分けるかにより、どんな祖先を想定するかが、変わってくる。

また、すべての可能性を検討すると、天文学的な手間となる。
ゆえに、アタリをつけて分類しなければならない。
ぜったに正しい系統樹が、ひとつに決まるのではない。推論の連続。

4章 系統樹の根は広がりつづける

ツリーよりも、複雑な関係を描こうとすると、
ネットワークになる。

ぼくは思う。2次元の図だから、理解ができるのだ。3次元の図は(自分がつくったもの以外)理解できない。いかにカンタンに説明するかが、重要なのだ。3次元、禁止。笑
ある生物がもつ、複数の相違点のつながりを表すため、宗教画みたいな図を描いてはいけない。そんなもの、「説明」とは呼べないと思う。


学生Aと学生Bのレポートが酷似していたとき、
 ・学生Aと学生Bは、まったく関係ない。たまたま似ただけだ
と考えることはできる。さもなくば、
教師は何らかのつながり(仮想祖先)を考える。
 ・学生Aが、学生Bのレポートを写した(祖先はB)
 ・学生Bが、学生Aのレポートを写した(祖先はA)
 ・べつの学生Cのレポートを、AもBも写した(共通祖先)

ぼくは、ひとつ加えたい。
 ・さらにべつの学生Dが、AもBも代筆した
ぼくは大学時代、レポートを代筆する「バイト」をしたことがある。笑
しかし、事実は学生Dのしわざだとしても、アブダクションの手続では、この仮説は採用されない。「もっとも、ありそう」ではないから。しかしアブダクションは、この限界を織りこみ済なのです。


読後の感想

 ・歴史学は、アブダクションという手続で科学になる
 ・アブダクションとは、最適な仮説をえらぶこと
 ・祖先を設定し、祖先の性質を推測することで、系統を説明できる
この3つが確認できたので、満足です。
アブダクション、適切な日本語に訳さないと、使いづらい。100926

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