表紙 > 読書録 > 福井重雅『古代中国の反乱』で黄巾の乱と、旧斉自治区をむすぶ

旧斉の、遊侠集団と老荘思想という土地柄

読書の自分用メモです。
福井重雅『古代中国の反乱』教育社歴史新書1982

10年7月10日に名古屋を散歩しながら読んだ本。
この注釈こそ、マジに自分用メモでした。


本の指摘事項は3つ

 1.蒼天已死は「少典已死」が原義
 2.黄巾の乱は、赤眉の乱から、春秋戦国の斉の文化を受けつぐ
 3.黄巾の乱は、陳勝呉広からの、反乱の集大成である

これ以外は、正史の翻訳にもとづく紹介です。うまみは、この3つだけです。3つめは、やや苦しいと感じましたが、1と2は、目からウロコ。

以下、それぞれについて、詳しく書きます。

概説書っぽいものを読むときは、巻末に載っている、著者の論文のタイトルを、初めにチェックするとよいかも。
論文にあるテーマは、通説を破ります。論文にないテーマは、通説を踏みます。三国がらみの通説ならば、斜め読みは可能。


蒼天已死は「少典已死」

「蒼天」すなわち「あお」は、五行説では説明がつかない。
黄老思想の言葉だからだ。

『史記』五帝本紀はいう。「黄帝は、少典の子である」と。
少典は、伝説的な聖人で、黄帝の父である。
『国語』はいう。「少典は、地祇をめとり、黄帝と炎帝を生む」

少典は人格神である。だから「死」が使われた。
黄巾のスローガン以外で、「天」が「死」ぬという擬人表現はない。
「黄帝の父が死んだから、今こそ子である黄帝が、みずから立ち、理想的な世界を実現するときがきた」と。
黄巾のフレーズは、これが由来だ。

あとから、黄天との対応を整えるため、「蒼天」に書き換えられた。

福井氏は云っていないが、現代中国語の音を調べた。
少典は「shao3/shao4 dian3」で、蒼天は「cang1 tian1」だ。ぜんぜん似ていない。日本語だと、ショーテンとソーテンで、通じそうなのだが、、
もちろん中国語の音が変化しているのは、知っているが、、


黄巾の乱は、赤眉緑林から、旧斉の文化をつぐ

新末の赤眉緑林は、琅邪郡の呂母から始まった。呂母は、任侠集団を味方につけて、勢力を成長させた。また赤眉は「つねに斉巫あり」とあるように、軍団にはシャマンがついた。
琅邪郡は、青州黄巾と、地理的に近い。青州黄巾は、琅邪あたりに古くから根づく風潮を、赤眉緑林から継いだ。
すなわち継いだのは、任侠集団と、黄老信仰である。

福井氏は、黄巾を、過去の反乱「集大成」だという。ぼくが思うに、これは、ご自身の研究テーマである、黄巾を過大評価している。
しかし、福井氏のご指摘のように、共通点があるのは事実かな。共通点に関する考察について、いまから引用していきます。


◆黄巾は、冀州より青州
黄巾は、冀州鉅鹿の張角がトップだったと、史書に書かれる。しかし張角が病死しても、黄巾は鎮まらない。青州黄巾が、つぎの10年で、むしろ強くなった。

冀州黄巾は、呆気なさすぎだ。たかが数ヶ月しか、もたなかった。

黄巾は、張角を頂点とするピラミッドでなく、各地で並行して立ち上がったものだろう。

張角ら冀州黄巾と、青州黄巾の関係性が、よく分からない。『蒼天航路』では、冀州黄巾の子供たちが、青州黄巾だと描かれていた。これを強調するため、冀州黄巾が、やたら老人になった。
福井氏は、並行した別勢力だという。史料的な裏づけは、まるで取れない。でもぼくは、福井氏の読み方が、自然な気がする。フィーリングで!


◆斉の領域
漢代の青州は、春秋時代の姜斉と、戦国時代の田斉の領域である。
もともとの斉は、北は渤海を起点に、千乗をへて沿岸へ。東は、山東半島をまるまる含み、琅邪にいたる海岸線。西は、清河を中心に、北上する黄河をはさんで、平原や済南をむすぶ、黄河流域。南は、琅邪、城陽、泰山を結ぶ、斉の長城を国境とする。

後漢では、冀州の東南、兗州の東半分、徐州の北辺を切り取る。

斉は、秦と天下を二分した国である。

◆遊侠集団
斉には、都市の遊民層や、市井の悪少年の集団が、遊侠的にむすびつく文化があった。孟嘗君が、無頼の人たちを集めたのも、斉である。『水滸伝』の梁山泊も、斉の地域だ。
斉で遊侠が発達したのは、水陸の運送業が発達したからだ。

青州黄巾=任侠、という直接的な記述は、史料上、ぼくは知らん。福井氏も、イコールに結んでいるわけじゃない。だが、なんとなくなじむ。『蒼天航路』のせいか。笑


◆黄老思想
また「城陽景王」と呼ばれる淫祀があるように、斉には、民間信仰があった。神仙への憧れをかなえる、泰山がある。陰陽五行をはじめに整備した、スウ衍は、旧斉出身だ。蜃気楼が発生する。
前漢の曹参は、斉を治めるために、黄老の術をつかった。
張角がもとづいた『太平経』の元ネタは、前漢の成帝のとき、斉人の甘忠可がつくった。張角に『太平清領書』を与えたとされる于吉は、琅邪郡出身だ。ともに旧斉である。

陳勝呉広の乱は、イメージカラーの先がけ

陳勝呉広の乱は、奴隷を意味する「蒼頭」の集団とされた。赤眉や黄巾など、色をシンボルにするという意味で、反乱の先例である。
陳勝呉広への祭祀は、王莽の時代まで、継続された。王莽が赤眉緑林に滅ぼされたとき、陳勝呉広への祭祀がとだえた。

いま福井氏の本を読み返して思ったが、、陳勝呉広は、あんまり黄巾と関係ないよね。こじつけくさい。


おわりに

『後漢書』劉盆子伝が、おもしろそうです。福井氏が、翻訳しがてら紹介されているのを見て、興味を持ちました。劉氏による、漢室の再興について、いろいろヒントを与えてくれそう。

旧斉の地域は、「魏志」武帝紀を読んでいても、よく分からない地域です。群雄が根拠地にして、割拠にしない。曹操にせよ、旧斉の地域を征服した戦争が、描かれない。孫観や呉敦に「よろしく」と丸投げしたような、あいまいな描写だ。自治区っぽい?
秦漢帝国にとって、旧斉の土地は、なかば外国のまま、黙認していたのかも? 関中からの距離ならば、涼州や并州の入り口より、よほど遠いからね。
近代人の悪いクセが、史料を読むジャマをしているかも知れない。均等な支配を実現した、モレのない領域国家を想定したがってしまう。古代の、交通手段や通信手段の未発達を、もっと自分のなかにインストールすべきだ。100717

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