表紙 > 人物伝 > ほんとうは偉かった外戚、呉夫人と呉景伝

01) 危険な孫堅の餌食

「呉志」より、呉夫人&呉景伝をやります。
『三国志集解』を片手に、ていねいに翻訳します。
グレーかこみのなかに、ぼくの思いつきをメモします。

「呉志」が描くより、呉景は強かったことを云います。

孫堅は、呉景の父が手なずけた海賊

孫破虜吳夫人,吳主權母也。本吳人,徙錢唐,早失父母,與弟景居。孫堅聞其才貌,欲娶之。

孫堅の呉夫人は、孫権の母である。もとは呉郡の人だ。錢唐にうつり、早くに父母を失った。

年代は不明。となりの会稽で、許昌が挙兵したのが172年だ。この少し前あたり、呉郡で何があったっけ。

弟の呉景と、銭唐に住んだ。

趙一清がひく。姑蘇山の西北20里に、漢の奉車都尉で、衡州刺史であった、呉[火軍]の墓がある。呉[火軍]は、あざなを光脩という。丹楊太守・呉景の父である。
盧弼がいう。漢代には、衡州という地名はないから、誤りだろう。
ぼくは思う。もしこの墓が本当なら、呉景の父は、少なくとも都尉レベルだ。揚州?刺史だったかも知れない。呉夫人たちは、故郷を出て、父の赴任地に移住したことになる。治安が悪いからだろうね。

孫堅は、呉夫人の才貌を聞いて、めとりたいと望んだ。

孫堅も、呉郡の人だ。孫堅伝にある。
孫堅は、銭唐に行き、海賊たちが、盗品を山分けするシーンに出会った。官軍を率いるふりをして、海賊を脅かした。孫堅は成功し、「由是顯聞,府召署假尉」と。つまり、役所に召され、仮の軍人になった。
このとき孫堅を召したのが、呉景の父だったら面白い! すると孫堅は、上司の娘をほしがった。そういう絵になる。


吳氏親戚嫌堅輕狡,將拒焉,堅甚以慚恨。夫人謂親戚曰:「何愛一女以取禍乎?如有不遇,命也。」於是遂許為婚,生四男一女。

呉氏の親戚は、孫堅が輕狡なので、断ろうとした。

ちくま訳は「軽薄で、ぬけ目がない」です。
孫堅は出身がいやしい。父の名前すら、記されていない。手柄を立て、名前を売ろうと、ギラギラしてたのかな。
「マグレの手柄を褒め、雇ってやったら、上司の娘をよこせと言い出した。調子に乗るにも、ホドがあるだろう!
というのが、呉氏の親戚の気持ちだろう。

孫堅は、ひどく慚恨した。呉夫人は、親戚に云った。
「どうして1人の小娘を大切にして、呉氏にわざわいを招くのですか。もし孫堅に嫁ぎ、私が不遇であっても、それは運命なのです」

呉夫人から見て孫堅は、気に食わないことがあると、呉氏を族殺しかねない乱暴ものだ。良心なんて、なし。
孫堅は役所から見れば、海賊と同じだろう。ほっておくと、何をするか分からない。とりあえず官位を与え、形式だけでも手なずた状況だ。上で見た、海賊から財宝を奪った話も、たんなる海賊同士の抗争かも。

呉夫人は、孫堅との結婚をゆるした。四男一女を生んだ。

銭大昭がいう。諸葛瑾伝にある。孫堅の姉婿・曲阿の弘咨は、ここにある1女と結婚したのだろうか。
盧弼がいう。孫堅伝によれば、4男とは、孫策、孫権、孫翊、孫匡である。
潘濬伝がひく『呉書』がいう。孫権の姉は、陳氏の娘で、潘濬にとついだ。
先主伝がいう。孫権の妹は、劉備にとついだ。
これらを見ると、孫堅の娘は1人ではない。もしくは別の女とのあいだに、娘をもうけたのだろうか。


搜神記曰:初,夫人孕而夢月入其懷,既而生策。及權在孕,又夢日入其懷,以告堅曰:「昔妊策,夢月入我懷,今也又夢日入我懷,何也?」堅曰:「日月者陰陽之精,極貴之象,吾子孫其興乎!」

べつに、訳さなくてもいいや。
『宋書』符瑞志が、この話を載せる。孫権伝の注にもあり。


孫策を保護して、袁術のために戦う

景常隨堅征伐有功,拜騎都尉。袁術上景領丹楊太守,討故太守周昕,遂據其郡。孫策與孫河、呂范依景,合眾共討涇縣山賊祖郎,郎敗走。

いつも呉景は、孫堅にしたがい、手柄を立てた。騎都尉となった。
袁術は上表し、呉景を丹楊太守にした。

官歴からすれば、呉氏は、孫氏より上だ。袁術は、地元の有力氏族として、呉氏に目を付けたようだ。べつに孫氏との血縁が、理由ではない。むしろ孫氏とのつながりは、呉氏にとって汚点のようでもあり。笑

もとの丹楊太守の周昕をうち、呉景は、丹楊郡に拠った。

周昕は、孫静伝にある。武帝紀の初平元年にある。
ここですね。
會稽典錄曰:昕字大明。少游京師,師事太傅陳蕃,博覽群書,明於風角,善推災異。辟太尉府,舉高第,稍遷丹楊太守。曹公起義兵,昕前後遣兵萬餘人助公征伐。袁術之在淮南也,昕惡其淫虐,絕不與通。
獻帝春秋曰:袁術遣吳景攻昕,未拔,景乃募百姓敢從周昕者死不赦。昕曰:「我則不德,百姓何罪?」遂散兵,還本郡。


孫策と孫河、呂範は、呉景をたよった。

孫河は、孫堅の族子。孫韶伝にひく『呉書』に見える。
吳書曰:河,堅族子也,出後姑俞氏,後複姓為孫。河質性忠直,訥言敏行,有氣幹,能服勤。少從堅征討,常為前驅,後領左右兵,典知內事,待以腹心之任。又從策平定吳、會,從權討李術,術破,拜威寇中郎將,領廬江太守。
孫策伝に見える。孫策の舅の呉景は、丹楊太守となった。孫策、呂範、孫河は、呉景に従った。
ぼくは思う。呉氏はこの時期、壮年の家長を失い、たまたま強い孫堅に従った。呉景の父が存命なら、軽薄な孫堅になど、仕えなかったはず。
だが孫堅さえ死ねば、こんどは孫氏に、壮年の家長がいない。ちょうど呉景は、風格が身についた。呉氏が「主」で、孫氏が「従」に、元どおりだ。
いくら「呉志」でも、孫策が保護を受けたことを、隠さない。

兵を合わせて、ともに涇縣の山賊・祖郎を討った。
祖郎は、敗走した。

祖郎のことは、孫策伝にひく『江表伝』にある。また孫輔伝がひく『江表伝』にある。これです。
江表傳曰:策既平定江東,逐袁胤。袁術深怨策,乃陰遣間使齎印綬與丹楊宗帥陵陽祖郎等,使激動山越,大合眾,圖共攻策。策自率將士討郎,生獲之。策謂郎曰:「爾昔襲擊孤,斫孤馬鞍,今創軍立事,除棄宿恨,惟取能用,與天下通耳。非但汝,汝莫恐怖。」郎叩頭謝罪。即破械,賜衣服,署門下賊曹。及軍還,郎與太史慈俱在前導軍,人以為榮。


次回、袁術が皇帝を名のります。でも、自立させません!

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