表紙 > 考察 > 三国の君主は、みな袁術を模倣した

魏呉蜀に生き続ける、袁術さま

袁術について、史料を読んでいます。
曹丕、劉備、孫権は、3人とも袁術をまねた
と、思うようになりました。

まだ構想段階ですが、書き留めておきます。

10年のGWには「袁術本紀」を偽作する予定。


曹丕は、禅譲を袁術からマネた

曹丕は、後漢の献帝から、禅譲を受けました。
禅譲を発明したのは王莽で、曹氏は、王莽にならった形跡がある。

『魏書』で王莽は、ひどく批判されている。
でも曹操と曹丕が踏んだ手続きは、まさに王莽だ。

永遠に続くかと思われる漢室を倒すのは、至難のわざ。
参考がほしい。王莽では、古すぎて、ちょっと使いにくい。。
曹丕が禅譲を成功させるため、
近年の例として、袁術もまた、ヒントになったのではないか。

袁術伝にひく『典略』には、袁術が帝舜の子孫だとある。
「帝舜は土徳だ。その子孫の袁術が、火徳の漢室をつぐのは正しい」
という政治的なメッセージだ。
いま袁術の血筋の真偽を論じても、仕方ない。どうせ分からない。
大切なのは、袁術が「禅譲」を演出した形跡があることだ。

『後漢書』と『三国志』で袁術は、
なんの前触れもなく、なんの裏づけもなく、いきなり皇帝になる。
「袁術は、計画も見境もないバカで、支持されなくて当然」
と読者は思う。だが、本当にそうだろうか。
平均レベルの知能があれば、巧拙はべつにして、正当化するはずだ。
ぼくが思うに、
「曹丕の禅譲は、袁術のまるパクリだから、魏のメンツがつぶれてしまう。だから陳寿は、袁術の禅譲プロセスを、わざと隠した」
んじゃないかな。

袁術の禅譲が描かれない理由が、もう1つある。
即位の詳細を記載しないことは、歴史家による「無言の攻撃」だ。
例えば陳寿は、
曹丕の即位文を載せない。劉備の即位文は載せるのに。

曹丕の即位文は、裴注で読むことができます。

これを満田剛氏は、陳寿が魏ではなく、蜀を支持した証拠とする。
同じ話を当てはめると、
袁術伝の即位のくだりがスカスカなのは、歴史家による攻撃である。
袁術が、裏づけゼロで即位したことを意味しない。
袁術には、曹丕がマネたくなるような、麗しい建前があったかも。

魏のはじめに三公となり、曹丕の禅譲を助けた人に、王朗と華歆がいる。揚州で、袁術や孫策と関わった人だ。袁術の禅譲の生き証人として、曹丕が重く用いたのかも知れない。…と、思いつきで書いてみた。笑


劉備は、袁術の進攻ルートをマネた

199年、袁術が死んだ。
同じ歳、劉備が曹操を裏切り、徐州で独立した。
劉備は徐州で曹操に敗れると、青州、冀州へと逃げた。
ここで、ぼくの仮説です。
劉備は、袁術が予定していたルートを、綺麗になぞっている!
劉備は、袁術の戦略を横取りして、天下を狙ったのではないか。

「軍師がいないから、戦略は君主が自分で考える」
は、下策です。他人の戦略を盗めばいいのだ。合理的!


「他人の戦略を奪い、自分で演じる」なんて、あり得るのか。
あり得ますよ!
石井仁氏によれば、曹操は、袁紹の戦略を横取りした。
ノープランの曹操は、袁紹が死んだのをいいことに、
「河北を平定して元手とし、中原を制覇する」
を踏襲した。
曹操と劉備に共通点が多い。劉備は袁術に、成り代わったのでは?

「天下の英雄は、曹操と劉備」という台詞は、
「天下の英雄は、袁紹と袁術」の焼き直しです。

代理戦争でなく、ほんとうに代理になった。

袁紹に代わることを考えていた曹操だから、
劉備が袁術に代わることを恐れ、警戒したんだろう。
ここに到って、
曹操が、徐州で自立した劉備を、最優先に潰した理由が判明した。
曹操は、背後を袁紹に襲われるリスクを犯してでも、
徐州に「第2の袁術」が誕生するのを防いだ。かもね。

袁術討伐のため、曹操は劉備をそとに出した。
先見のある文官たちは、口をそろえて、劉備を警戒した。
劉備の人柄だけを懼れたにしては、騒ぎすぎである。劉備が袁術と合流するか、劉備が袁術になり代わることを懼れたのでは?
「いま徐州は、袁術が食指を動かすほど、美味しい土地です。劉備が、それを狙いに行きましたよ」と。


劉備の行動を見てると、袁術が未遂した戦略が見える。
まず揚州を捨て、徐州に本拠をおく。

最期の行軍を開始した袁術は、徐州を攻める前に死んだ。袁術が、徐州を本拠にしようとした意図が、隠れてしまった。
袁術は、帝位だけを携え、はだしで袁紹に逃げ込もうとしたように見える。だが、劉備の徐州攻めを見ていると、違うと分かる。

徐州を確保したら、青州の袁譚と呼応し、冀州の袁紹と連携する。
曹操を南北から挟み撃ちにし、献帝をどうにかしてやる。

ニ袁が献帝をどうする計画だったかは、別の機会に考えます。

劉備は袁術を踏まえた。
劉備が袁紹を頼った理由は「袁紹は、曹操の敵の敵」だけではない。
袁術の戦略で、もともと同盟する予定の相手だからだ。

孫呉王朝は、袁術の後継政権

孫呉には、正統性がない。
後漢から明白な禅譲を受けるわけでなく、漢室の血筋でもない。
苦しいね。

この苦しさに、見覚えがある。袁術です。
長江のあたりに建国する新勢力として、袁術は先例でした。
孫堅と孫策は、袁術の部将だった。
「孫呉は袁術の後継政権だ」と言っても、自然なことでしょう。

石井仁氏がそう書いていると、満田剛氏に言われた。
まえに読んだはずなのに、ぼくは忘れていました。ばか。。

また孫呉は、玉璽の神話を創作して、無理やり正統性をつくった。
奇しくも?袁術は、玉璽の神話に多くからむ。

ただし袁術とのつながりは、また歴史書で隠される。
孫呉が「袁術を継いだ」と明確に宣言しては、
孫策は、主君を攻めた不忠者だ。
だから韋昭『呉書』は、孫策が袁術に絶縁状を突きつけさせ、
袁術からの独立を、歴史書で宣言した。

先週の土曜、韋昭のウソを、暴きました。こちら参照。
孫策は袁術に、絶縁状を突きつけていない


以上、袁術の影響力を、膨らましてみました。
劉備のことは、けっこう説得力があると自負してます。100422

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