表紙 > 旅行他 > イベント「三国志街道」第2回で、満田剛先生に教わったこと

01) 三国ファンとしての初体験

イベント参加のレポートと、学んだことのメモです。
第一線で活躍されている研究者のお話を聞けた、貴重な体験記。

イベントの概要

株式会社ティー・ゲート主催「三国志街道」というイベントに、参加してきました。参加した日付は、10年2月28日です。
旅行社の案内を引用しますと、

ナビゲーターは、
大三国志展の監修や三国志関連の著書で有名な「満田剛先生」

満田先生は、ぼくが数年前から著作をチェックしていた研究者です。
「お会いしたい!もし質問できたら、幸せだろうなあ・・・
と、わくわくしました。
参加の障壁は、距離のみ。ぼくは愛知に住み、イベントは東京。
だが、ひとりで引きこもって、三国志を勉強するのに飽きてます。思い切って、ネットで予約。外に出てみました。

枠内に、ぼくの所感を書きます。注釈みたいな位置づけです。
ぼくは大学で日本史学を専攻し、卒業の直前に三国ファンに転向。キッカケはPS2のゲーム『真・三國無双3』です。
日本史のゼミなら飽きるほど出席しました。っていうか飽きました。でも三国志の研究者の話を聞くのは、あまり経験がありません。このイベントは、三国志を学ぶ者として「記念すべき初体験」でした。

地図を塗り分ける話

イベントの開始前に、先生に質問しに行きました。さっそく先生と話せました。
「先生の『図解 三国志 群雄勢力マップ』を拝見しました」

この本は、ぼくが知っている中でいちばん、勢力地図が詳しい。
三国ファンなら誰もが、勢力地図を自作します。根拠はありませんが、断言できます。ぼくも地図を自作して、気づくと夜、気づくと朝、ということが何回もありました。
満田先生の本は、ファンの誰もが通る道の、道標かも。

ここからがぼくの質問です。
「勢力範囲の着色に、濃いところと薄いところがあるのは、なぜですか。例えば劉表の勢力を示す色は、はじめは荊州北部だけ濃くて、南部が薄いです。のちに荊州全土が濃くなっています

地図を自作したファンは、長江以南の広さに、必ずや疑問を持つ。
正史でも小説でも、あまり強いイメージのない君主が、妙に広い領土を獲得してしまう。曹操が狭くて弱そうに見える。なんかおかしいぞ!と、何夜も悩むのだ。
ぼくがおかしいと思った荊州南部を、先生の本では薄く塗ってある。

先生がお答えになるには、
「支配が及んでいる範囲を予想して、塗り分けています。初期の劉表は、荊州の南部に支配が及んでいないと考えて、薄く塗りました」

もうひとつ、聞いてみました。
「州の内側を塗り分けるときは、郡境が目安ですか」

地図を自作した経験があるからこそ、聞きたい質問です(笑)
同じ質問をしたいファンは、たくさんいる。と思う。

「ほんとうは、もっと細かく塗り分けたかったのですが、出版社との打ち合わせの結果、いまのようになりました」

おそらく「定価の5倍でいいから、先生がはじめに作った、もっとも細かい地図を買いたい」というファンは、たくさんいるはず!

プロの言葉

上の図解の本に絡め、先生がこう仰ったのが忘れられない。
『三国志―正史と小説の狭間』で書いたことを、そのまま地図にしたら、『図解 三国志 群雄勢力マップ』ができました。それだけです。編集者に企画を提案されたときも、そういう意図でした」
だそうです。
まるで、
「お客様への思いやりをカタチにしたら、この製品ができました」
「あの情景を見たら、メロディーができました」
と同じようなレベルで、玄人ぶりがカッコいいです。満田先生のような語調で、腕のいいパン職人が、
「小麦粉をこねて焼いたら、パンになりました」
と当たり前のことを言っても、ぼくは熱心に支持をすると思う・・・

蜀漢の人民は、ほぼ異民族?

先週ぼくは、たまたま『後漢書』の本紀で年表を作ったばかりです。

そのとき気になったことを、質問してみました。
「『後漢書』では、揚州では漢族が多く叛乱し、益州や荊州では異民族が多く叛乱します。揚州と、益州や荊州では、異民族の分布に、違いがあったのですか」
揚州では漢族と非漢族の混血がすすんでいた可能性があります(他の地域もありえますが)」
「なるほど・・・」
「ただ注意すべきなのは、漢族か異民族かの判定は、すべて役所がしたということです。漢族の租税を納めれば漢族、非漢族向けの租税を納めれば異民族。歴史書を読むとき、気に留める必要があります」

本日1回目の、目からウロコです!


満田先生が仰るには、
「最近の研究者の間では、異民族の観点から、三国志を読むべきだという話をします。例えば蜀漢では、劉備が連れてきた役人以外は、みんな異民族だったかも知れません。諸葛亮の死後、成都のそばで、非漢族の叛乱が起きています。成都のそばに、異民族が住んでいた証拠でしょう」

頭の中の三国志の風景が、ガラリと変わる瞬間です。
(漢族の容姿も、巴や氐の容姿も、まったくの妄想ですが)
今さら、三国志の武将が一騎打ちをしなかったと言われても「ふーん」と受け流せますが、蜀漢の異民族の話には、驚きました。

さらに後に曰く、
「四川盆地は、四方から異民族が行き来する、交差点のような場所でした。『華陽国志』によると、成都の裏から酒泉に抜ける道(「天空の道」というべきでしょうか)があったとされています。 関中を通らない、裏の道です。敦煌で見つかる魏晋期の画像せん(土+專)に、益州との共通点があります」
とのことです。すごい。東京に来てよかった (笑)

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