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01) 曹操の武帝紀ほか

関羽に関する正史の記述を網羅するため、
中央研究院 漢籍電子文献 http://hanji.sinica.edu.tw/
で「羽」をキーワードに検索。後日のための原材料を作りました。

「関羽」「関」では、けっこう漏れると思います。

このページの価値は2つです。
 ①ちくま訳8冊を携え、索引から本文を行き来する手間を省く
 ②「羽」でヒットする関羽と関係ない膨大な文章を見なくて済む

役職名「羽林」とか、人名「項羽」とか、文書の中の「ハネ」とかね。

 ③どんな史料か、いちおう日本語の注釈が付いてる
完訳にはほど遠いメモですが、どうぞ。

魏書一/武帝操

-18- 五年春正月,董承等謀泄,皆伏誅.公將自東征備,諸將皆曰:「與公爭天下者,袁紹也.今紹方來而棄之東,紹乘人後,若何?」公曰:「夫劉備,人傑也,今不擊,必為後患.[一]袁紹雖有大志,而見事遲,必不動也.」郭嘉亦勸公,遂東擊備,破之,生禽其將夏侯博.備走奔紹,獲其妻子.備將關羽屯下邳,復進攻之,羽降.昌豨叛為備,又攻破之.公還官渡,紹卒不出.

郭嘉は曹操に、徐州で叛いた劉備を討てと言った。どうせ袁紹は、空隙をついてこないから、と。果たして劉備は逃げ、曹操は関羽を捕えた。


-19- 二月,紹遣郭圖﹑淳于瓊﹑顏良攻東郡太守劉延于白馬,紹引兵至黎陽,將渡河.夏四月,公北救延.荀攸說公曰:「今兵少不敵,分其勢乃可.公到延津,若將渡兵向其後者,紹必西應之,然後輕兵襲白馬,掩其不備,顏良可禽也.」公從之.紹聞兵渡,即分兵西應之.公乃引軍兼行趣白馬,未至十餘里,良大驚,來逆戰.使張遼﹑關羽前登,擊破,斬良.遂解白馬圍,徙其民,循河而西.紹於是渡河追公軍,至延津南.公勒兵駐營南阪下,使登壘望之,曰;「可五六百騎.」有頃,復白:「騎稍多,步兵不可勝數.」公曰:「勿復白.」乃令騎解鞍放馬.是時,白馬輜重就道.諸將以為敵騎多,不如還保營.荀攸曰:「此所以餌敵,如何去之!」紹騎將文醜與劉備將五六千騎前後至.諸將復白:「可上馬.」公曰:「未也.」有頃,騎至稍多,或分趣輜重.公曰:「可矣.」乃皆上馬.時騎不滿六百,遂縱兵擊,大破之,斬醜.良﹑醜皆紹名將也,再戰,悉禽,紹軍大震.公還軍官渡.紹進保陽武.關羽亡歸劉備.

官渡前哨戦。関羽は顔良を斬って、劉備のところへ帰った。


-50- [二] 三輔決錄注曰:時有京兆金禕字德禕,自以世為漢臣,自日磾討莽何羅,忠誠顯著,名節累葉.漢祚將移,謂可季興,乃喟然發憤,遂與耿紀﹑韋晃﹑吉本﹑本子邈﹑邈弟穆等結謀.紀字季行,少有美名,為丞相掾,王甚敬異之,遷侍中,守少府.邈字文然,穆字思然,以禕慷慨有日磾之風,又與王必善,因以閒之,若殺必,欲挾天子以攻魏,南援劉備.時關羽彊盛,而王在鄴,留必典兵督許中事.文然等率雜人及家僮千餘人夜燒門攻必,禕遣人為內應,射必中肩.必不知攻者為誰,以素與禕善,走投禕,夜喚德禕,禕家不知是必,謂為文然等,錯應曰:「王長史已死乎?卿曹事立矣!」必乃更他路奔.一曰:必欲投禕,其帳下督謂必曰:「今日事竟知誰門而投入乎?」扶必奔南城.會天明,必猶在,文然等散,故敗.後十餘日,必竟以創死.

吉邈が献帝のために叛乱。南の関羽と呼応した。


-51- 冬十月,宛守將侯音等反,執南陽太守,劫略吏民,保宛.初,曹仁討關羽,屯樊城,是月使仁圍宛.

はじめ曹仁は、関羽を討つために樊城に入った。

[一] 曹瞞傳曰:是時南陽閒苦繇役,音於是執太守東里袞,與吏民共反,與關羽連和.南陽功曹宗子卿往說音曰:「足下順民心,舉大事,遠近莫不望風;然執郡將,逆而無益,何不遣之.吾與子共力,比曹公軍來,關羽兵亦至矣.」音從之,即釋遣太守.子卿因夜踰城亡出,遂與太守收餘民圍音,會曹仁軍至,共滅之.

東里袞は、関羽に味方した。曹仁に滅ぼされた。


-52- 秋七月,以夫人卞氏為王后.遣于禁助曹仁擊關羽.八月,漢水溢,灌禁軍,軍沒,羽獲禁,遂圍仁.使徐晃救之.

関羽は、水没した于禁を降し、曹仁を包囲した。

冬十月,軍還洛陽.[一]孫權遣使上書,以討關羽自效.王自洛陽南征羽,未至,晃攻羽,破之,羽走,仁圍解.王軍摩陂.[二]

孫権は関羽を攻めると、曹操に申し出た。曹操も関羽を自ら討とうとしたが、徐晃が関羽を破った。曹仁の包囲が解けた。


-53- 二十五年春正月,至洛陽.權擊斬羽,傳其首.

孫権は関羽の首を斬り、曹操に送り届けた。

魏書三/明帝叡

-101- [一] 魏氏春秋曰:朗字元明,新興人.獻帝傳曰:朗父名宜祿,為呂布使詣袁術,術妻以漢宗室女.其前妻杜氏留下邳.布之被圍,關羽屢請於太祖,求以杜氏為妻,太祖疑其有色,及城陷,太祖見之,乃自納之.宜祿歸降,以為銍長.及劉備走小沛,張飛隨之,過謂宜祿曰:「人取汝妻,而為之長,乃蚩蚩若是邪!隨我去乎?」宜祿從之數里,悔欲還,飛殺之.朗隨母氏畜于公宮,太祖甚愛之,每坐席,謂賓客曰:「世有人愛假子如孤者乎?」

秦朗の父は、秦宜禄だ。秦宜禄の妻を、関羽はほしがった。曹操が、秦宜禄の妻を先に手に入れてしまった。

魏書九/曹仁

-275- 太祖討馬超,以仁行安西將軍,督諸將拒潼關,破超渭南.蘇伯、田銀反,以仁行驍騎將軍,都督七軍討銀等,破之.復以仁行征南將軍,假節,屯樊,鎮荊州.侯音以宛叛,略傍縣數千人,仁率諸軍攻破音,斬其首,還屯樊,即拜征南將軍.關羽攻樊,時漢水暴溢,于禁等七軍皆沒,禁降羽.仁人馬數千人守城,城不沒者數板.羽乘船臨城,圍數重,外內斷絕,糧食欲盡,救兵不至.仁激厲將士,示以必死,將士感之皆無二.徐晃救至,水亦稍減,晃從外擊羽,仁得潰圍出,羽退走.

曹仁は関羽に包囲されたが、徐晃が退けた。

魏書十一/管寧/ 胡昭

-362- 胡昭始避地冀州,亦辭袁紹之命,遁還鄉里.太祖為司空丞相,頻加禮辟.昭往應命,既至,自陳一介野生,無軍國之用,歸誠求去.太祖曰:「人各有志,出處異趣,勉卒雅尚,義不相屈.」昭乃轉居陸渾山中,躬耕樂道,以經籍自娛.閭里敬而愛之.[一]建安二十三年,陸渾長張固被書調丁夫,當給漢中.百姓惡憚遠役,並懷擾擾.民孫狼等因興兵殺縣主簿,作為叛亂,縣邑殘破.固率將十餘吏卒,依昭住止,招集遺民,安復社稷.狼等遂南附關羽.羽授印給兵,還為寇賊,到陸渾南長樂亭,自相約誓,言:「胡居士賢者也,一不得犯其部落.」一川賴昭,咸無怵惕.天下安輯,徙宅宜陽.

孫狼らが関羽に味方して叛乱したが、胡昭が平定した。

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