表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』虞溥伝を訳し、『江表伝』の作者を知る

旧孫呉の地で、記録を集めた西晋人

『晋書』の虞溥伝をやります。
だれ?
と突っこまれそうですね。『江表伝』を書いた人です。
周瑜伝にある裴註で、『江表伝』は、やたらと周瑜のキャラを曲げる。強いはずの周瑜を、孫権にひざまずかせようとする。
これを書いたのは、どんな奴なのか、と興味を持ちました。

ちくま訳の解説になく、ググッた結果でも分からなかったが、
虞溥は、西晋から東晋へ交代する時期の人です。

古いもの好きの、変な若者

虞溥字允源,高平昌邑人也.父祕,為偏將軍,鎮隴西.溥從父之官,專心墳籍.時疆埸閱武,人爭視之,溥未嘗寓目.
虞溥は、あざなを允源という。高平郡昌邑の人である。
父の虞祕は、偏將軍となり、隴西に鎮した。

西晋のはじめは、涼州方面が不穏でした。

虞溥は、父に従って、隴西に行った。虞溥は、陵墓の記録を読むことに熱中した。

「墳籍」ってなんだろう。墓誌でいいのか?
幼いころから、過去の記録に興味をもつあたり、歴史家の素質を感じる。

ときに国境で、閲兵(軍事訓練かな)が行われた。人は争って見物にいったが、虞溥はサッパリ関心がなかった。

シケた墓誌に興味があっても、ハデな戦闘に興味はない。いいねえ!
友達ができないタイプだ。


郡察孝廉,除郎中,補尚書都令史.尚書令衛瓘、尚書褚並器重之.溥謂瓘曰:「往者金馬啟符,大晉應天,宜復先王五等之制,以綏久長.不可承暴秦之法,遂漢魏之失也.」瓘曰:「歷代歎此,而終未能改.」
虞溥は、孝廉にあげられ、郎中となった。尚書都令史となった。
尚書令の衛瓘と、尚書の褚□は、どちらも虞溥の器量を、重んじた。

文字化け…誰だろうか。

虞溥は、尚書令の衛瓘にいった。
「わが西晋は、天命に応えるべきです。古代の先王が定めた、五等之制を復活させるべきです。そうすれば西晋は、長く栄えるでしょう。始皇帝の秦が定めた法制を、マネてはいけません。漢と魏は、秦をマネたせいで、滅びました

虞溥は、古いものが、大好きなんだ。

衛瓘が、虞溥の提案にこたえた。
「みんなそう思っているんだが、難しくてねえ」

現代の制度は、大人たちが、改良を重ねた結果だ。ベストではないかも知れないが、ベターなんだ。若者は、それが分かっていない。

孫呉の史料を、手に入れた!

稍遷公車司馬令,除鄱陽內史.大修庠序,廣招學徒,移告屬縣曰:
「學所以定情理性而積善者也.情定於內而行成於外,積善於心而名顯於教,故中人之性隨教而移,善積則習與性成.唐虞之時,皆比屋而可封,及其廢也,而云可誅,豈非化以成俗,教移人心者哉!自漢氏失御,天下分崩,江表寇隔,久替王教,庠序之訓,廢而莫修.今四海一統,萬里同軌,熙熙兆庶,咸休息乎太和之中,宜崇尚道素,廣開學業,以讚協時雍,光揚盛化.」

虞溥は、公車司馬令に遷った。鄱陽内史になった。

鄱陽郡への赴任が、『江表伝』につながる。
鄱陽郡は、旧孫呉の領域ですから。

虞溥は、文書の編纂事業をはじめた。広く学者を集めた。治めている県に、虞溥は呼びかけた。
「(大意)儒学で教化して、古代の理想社会を復活させるべきだ。後漢が滅びてから、天下は乱れた。たとえば江表の地には孫氏が割拠し、正しい学問が途絶えた。いま西晋が天下を一統した。学問を盛んにしよう」

「江表」という表現が出てきましたね!


乃具為條制.於是至者七百餘人.溥乃作誥以訓之,曰:(後略)
虞溥は、つぶさに法を整えた。虞溥のプロジェクトに、700余人が集まった。虞溥は、パンフレットを作った。

パンフレットの内容の引用は、省略。儒教を盛んにしましょう、という内容を、難しく書いてあるだけだ。
このとき鄱陽郡で集めた人が、孫呉の史料を持ち込んだんだろう。

堅苦しく儒学を体現した、学者役人

時祭酒求更起屋行禮,溥曰:「君子行禮,無常處也,故孔子射於矍相之圃,而行禮於大樹之下.況今學庭庠序,高堂顯敞乎!」
ときに祭酒は、礼を行うため、建物を作りたいと言った。
虞溥は答えた。
「君子が礼を行うには、決まった場所はない。孔子だって非常時は、大樹の下で礼を行った。立派な建物なんて、いちいち要らんよ」

溥為政嚴而不猛,風化大行,有白烏集于郡庭.注春秋經、傳,撰江表傳及文章詩賦數十篇.卒於洛,時年六十二.
子勃,過江上江表傳於元帝,詔藏于祕書.

虞溥の政治は厳しかったが、猛くなかった。風化は大いに行われ、白烏が郡府の庭に集まった。
虞溥は、『春秋』の經と傳に注釈をつけた。
虞溥は、江表傳を編纂した。文章や詩賦を、數十篇つくった。
虞溥は、洛陽で死んだ。62歳だった。

いつ洛陽に帰ったのだろうか?

子の虞勃は、長江を渡り、『江表伝』を東晋の元帝に提出した。元帝は詔して、『江表伝』を祕書にしまった。

『江表伝』を書いた動機は

西晋が新しく平定した辺境を、教化すること。
これが、虞溥が自らに課していたミッション。
虞溥は、辺境でせっせと学問に励む、下級官僚でした。『江表伝』は、学問のために現地人を集めた、副産物でした。

もうすぐ東晋が揚州に立ち、虞溥のいた場所が「中央」になる。しかしそれを待たずに、虞溥は死んでしまう。
ぼくは『江表伝』が孫呉を正当化するのは、東晋を正当化するためだと思っていた。だが、どうやら違うらしい。ちょっと残念だ。

「周瑜=桓温」という図式を想定したのに!

『江表伝』の編集方針は、もっとピュアだ。赴任地に残っている、被征服者の伝説をまとめただけだったようです。100327

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