表紙 > 考察 > 呉書九(周瑜・魯粛・呂蒙伝)のウソを読み解く

01) 過去を美化しまくった孫権

呉書九のぼくなりの読み方を、まとめます。
2010年3月後半は、魯粛、周瑜、呂蒙について学んできました。その結果、忠誠な軍師の、美しき連携&バトンタッチなどなかった、と思うに到りました。本稿は、そのまとめです。

陳寿が、第九をまとめた意図

紀伝体では、立場や功績が似た人を、ひとまとめにします。周瑜、魯粛、呂蒙の3人で、1つの巻が形成されている。つまり陳寿は、3人を同類と見たわけです。
どんな同類と見たか。陳寿に聞くのが早い。

評曰:曹公乘漢相之資,挾天子而掃桀,新盪荊城,仗威東夏,于時議者莫不疑貳.周瑜、魯肅建獨斷之明,出人之表,實奇才也.呂蒙勇而有謀斷,識軍計,譎郝普,禽關羽,最其妙者.初雖輕果妄殺,終於克己,有國士之量,豈徒武將而已乎!

わたくし陳寿は評します。
曹操は漢の丞相だ。曹操は、丞相の立場を利用した。曹操は天子を挟み、ライバルを倒した。新たに曹操は、荊州を陥した。曹操の威勢は、揚州を脅かした。誰もが、曹操を恐れた。
周瑜と魯粛は、オリジナルに未来を見通し、曹操を迎撃せよと言った。じつに奇才だ。
呂蒙は、勇猛にして謀略もあった。呂蒙は軍計を知り、郝普をだました。関羽を捕らえた。絶妙である。はじめ呂蒙は、軽率に人を殺した。だが自己に勝ち、国士の度量を身につけた。呂蒙は、単なる軍人ではない。

翻訳はここまで。
周瑜と魯粛と呂蒙は、いわゆる「軍師」ぶりが評価されています。陳寿は、「軍師」を1巻にまとめた。今日のファンの評価と一致する。
そして陳寿の「評」には、続きがある。

孫權之論,優劣允當,故載錄焉.

(孫権の人物論は、当たっている。ゆえに引用した。)
というわけで陳寿は、孫権のセリフを、自説の補強に使っている。これを読まずには、いられない。次段より始めます。

孫権が「軍師」たちを評して曰く

孫權與陸遜論周瑜、魯肅及蒙曰:「公瑾雄烈,膽略兼人,遂破孟德,開拓荊州,邈焉難繼,君今繼之.公瑾昔要子敬來東,致達於孤,孤與宴語,便及大略帝王之業,此一快也.

孫権と陸遜が話した。話題が、周瑜と魯粛と呂蒙に及んだ。

時期は書いてない。孫権が、皇帝になった後でしょう。

孫権が言った。
「周瑜は雄烈な人だ。周瑜は曹操を破り、荊州を開拓した。周瑜の膽略は、いま陸遜が継いでいる。

つまり陸遜が、いま荊州を守っている、と。

むかし周瑜は、魯粛を連れてきた。魯粛はオレに、帝王の事業を教えた。嬉しかったこと、その1だ。

孫権は、魯粛を無視したくせに。魯粛伝によると、孫権は、
オレは漢室を助けたい。だが魯粛は、新王朝を興せという。魯粛の考えは、あり得ない」と言った。魯粛に官位を与えなかった。
孫権が後年に心変わりし、皇帝を称した。遡って、今さら魯粛をほめた。こんなことをしても、あの世の魯粛は浮かばれない。白々しい限りだ。


後孟德因獲劉琮之勢,張言方率數十萬水步俱下.孤普請諸將,咨問所宜,無適先對,至子布、文表,俱言宜遣使脩檄迎之,子敬即駮言不可,勸孤急呼公瑾,付任以,逆而擊之,此二快也.

のちに曹操は、劉琮の軍を手に入れた。数十万の歩兵&水軍で、曹操は長江を下った。オレは諸将に、対処を諮った。張昭や秦松は、曹操に降れと言った。魯粛は「曹操に降るな、周瑜を呼べ」とオレに勧めた。

周瑜伝では、周瑜が「降るな」と説得したことになっている。裴松之は、陳寿を批判した。裴松之は「説得したのは魯粛だ。周瑜は、魯粛の手柄を盗んだ」と注釈した。
いま孫権のセリフにより、説得したのが魯粛だと確定しました。もちろん周瑜も、抗戦を言っただろう。でも二番煎じだ。決定後のダメ押しだ。

オレは周瑜に任せ、曹操を返り討った。嬉しかったこと、その2だ。

じつは、孫権の気持ちは疑わしい。赤壁のとき、ほんとうに孫権は抗戦したかったか。漢臣として、曹操に降るはずではなかったか。
孫権は、魯粛にハメられて、開戦せざるを得なくなった。結果として勝ったから、良かったが。詳しくは、以前にこのあたりに書きました。


且其決計策,意出張蘇遠矣;後雖勸吾借玄德地,是其一短,不足以損其二長也.周公不求備於一人,故孤忘其短而貴其長,常以比方鄧禹也.

魯粛の計策は、戦国時代の弁舌家のようだ。のちに魯粛は、劉備に荊州を貸した。これは魯粛の失敗だが、前の2つの嬉しさは、帳消しにならない。理想の君主・周公だって、完璧な人間を求めなかった。私は魯粛は、鄧禹に匹敵すると思う。

孫権は、魯粛の思惑がよく分からなかった。だから、抽象的に語り、過去の偉人に比喩しているんだと思う。


又子明少時,孤謂不辭劇易,果敢有膽而已;及身長大,學問開益,籌略奇至,可以次於公瑾,但言議英發不及之耳.圖取關羽,勝於子敬.

呂蒙は若いときは変化&成長できず、胆力だけの人だった。だが大人になって学問をやり、奇抜な策略を出した。呂蒙は、周瑜に次ぐ。ただ英発さのみ、呂蒙は周瑜に及ばない。

いまだに孫権が、周瑜を畏れてるようなセリフだ。

呂蒙は関羽を捕らえた。呂蒙は、魯粛に勝る。

子敬答孤書云:『帝王之起,皆有驅除,羽不足忌.』此子敬內不能辦,外為大言耳,孤亦恕之,不苟責也.然其作軍,屯營不失,令行禁止,部界無廢負,路無拾遺,其法亦美也.」

魯粛が、オレに返信したことがある。
「帝王が起つとき、いつも露払いの先兵がいます。関羽は、呉のための露払いです。関羽を忌む必要はありません」
オレは思う。魯粛は、自分の考えをうまく表現できないから、ホラを吹いただけだ。

ちくま訳では、魯粛が関羽に「対処できないから」とある。違うだろう。
「辦」すなわち「弁」だ。
魯粛の表現が不親切なのか、孫権の理解力が足りないのか。コミュニケーションに失敗したときの、最大の検討課題。ともあれ、孫権は魯粛の考えを、理解していなかった。孫権が、自白してくれた。

オレは魯粛を許して、責めなかった。魯粛が軍を運営するときは、軍令は行き届いた。魯粛には、そんな長所もあったからな」

孫権のセリフから、何を読むか

素直に読めば、孫権は、周瑜たちを称えている。今日に皇帝になるまで、自分を助けてくれた功臣を、褒めている。
孫権の領土を拡大した行動は、ほめる。領土を減らすかも知れなかった行動は、責める。典型的な上から目線である。君主だからね。

しかしぼくが注釈したように、破綻が見えなくもない。
 ●過去の孫権自身の思いや行いを、歪めている
 ●周瑜の先天的な英雄性を、いまだに少し畏れている
 ●魯粛の思惑を、いまだに分かっていない

次のページで、周瑜たちが実際にはどう振舞ったのか、ぼくなりの仮説を述べてみようと思います。
孫権バンザイの『呉書』から、お化粧を剥ぎ取る作業です。

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