表紙 > 読書録 > 古代日本の独立は、孫権に特許があるかも?

孫呉と日本の共通点

全く関係ない本を読んでいて、ふっと思いついたことを書き留めるだけです。ぜんぜん吟味できていないし、史料的裏づけを取っていません。っていうか、史料を掘れば証拠がたくさん出てくるような予感はしているのだが、まずはメモります。
また、ナショナリズムの議論をする意図は全くありません。どこまで行っても『三国志』を知り、楽しむことが目的のサイトです。

まずは結論です

孫呉を筆頭とした六朝の自己正統化のロジックは、日本の古代&中世の歴史とほぼ同じなんじゃないかという話です。六朝時代の史料が、散逸などのせいで制約されたとしても、日本史の史料を援用すれば、六朝の実態を知る助けになってくれるはずです!
希望的観測の域を出ませんが。
日本史の史料について情報を集めるには、日本で生まれ育った日本人であるぼくは、中国の研究者よりも有利な立場にある。これを活かさない手はなかろう。
日本史を知るだけで、孫呉が分かる。なんとステキなマジックか。

大学で日本史学を専攻しました。日本の史料の難しさは、いちおうは分かっているつもりです。日本史がカンタンだなんて、口が裂けても言いません。
ただ、参考とできる情報は少しでも多いほうが、想像を膨らませるのに有利だと言いたいだけです。

悲しい第3勢力

孫呉は、正閏論の蚊帳の外です。

どこが正統な王朝だろうか。またどこが正統でなく、逆賊が皇帝を僭称しただけの王朝だろうか。そういう議論を、正閏論と言います。ぼくはこの言葉を、日本の南北朝(後醍醐天皇のころ)の話を通じて知りました。

曹魏は後漢から禅譲を受けた。蜀漢は、劉備が漢帝の子孫を名乗って、信憑性はどうであれ、後漢を継いだ立場である。正統を主張できる。しかし孫呉は、万人が認める正統=後漢との関係性を言及できるではなく、何だかよく分からないポジションです。
草創期の名臣たちが早死にするのは、孫呉に正統性が担保できないゆえに、ストレスを溜め込んだせいだと推測したことがあります。400年の漢帝国を経て、周瑜や魯粛や呂蒙や陸遜は、けっきょく自分が歴史の中でどういう意味のある戦いをしているのか、よく分かってなかった。

このサイト内で、凄惨なストレス社会、孫呉
として2年半前に書いています。レイアウトが旧式で文字が小さいですが。


孫呉が営まれた地は、後漢で言えばフロンティアです。フロンティアを日本語訳すれば、
「注目もされない(っていうか視線を送る価値さえない)ド田舎」
です。英和辞典にはこんな解釈は載っていないんだが、平たく言えばそういうこと。そんな場所に王朝を立てたって、胡散臭くて仕方ない。

地縛霊のセンチメンタリズム

六朝時代という歴史用語があります。
揚州の建業(建康)に都した6つの王朝のあった時期を指します。孫呉、東晋、南朝宋と続き、以降は斉、梁、陳です。北の隋に併合されるまで、割拠をしていました。

孫呉はもちろん、東晋もまた、中原を追われた人たちが仕方なく接木した、急ごしらえの割拠政権です。つねに中原から離れていることを気に病んでいる。これを継いだ残りの4王朝も同じ。彼らの泣き所は、正統性が危ういところ。
「夜空は華北と同じなのに、地上の風景がちょっと違う」
なんてセンチメンタリズムに浸っている王朝だ。
中国の正統とは、殷周の時代から、華北を本拠とするからね。そんな固定観念は捨ててしまえばハッピーなはずだが、彼らは華北に執着する。華北への地縛霊を自認しているのか、中原の王朝ごっこをする始末である。地名を華北風にアレンジしたり。滑稽な上に、涙ぐましい。

日本のことかー!

ここまで誘導してきてお気づきかも知れませんが、六朝の人々の胸のうちは、古代や中世の日本人と同じです。
華北を領有しない。それどころか、辺境と見下された未開の地で王朝を営んでいる。華北に憧れて、地名だけはパクってくる。

京都周辺の地名を見れば、いくらでも例を挙げることができるでしょう。洛水なんて川が流れていないのに、洛中洛外図屏風なんて描いてしまうほどだ。左京と右京を、長安と洛陽と言うんだって。ジオラマかよ。
蛇足ですが、ぼくが産まれたと聞かされているのは、愛知県の江南市の病院です。街の北を木曽川が流れているから、長江の南のエリアに準えたのでしょう。見ている方が恥ずかしいママゴトである。

華北の王朝と比べれば明らかに国力が弱いくせに、一人前を気取る。正統性に悩むから、悩むがゆえに、格式だけはバッチリ整える。
日本の国家形成の条件&思考のプロセスは、六朝と同じだ。

これは検証不可能で、しょーもない妄想ですが、
孫呉を初めとした六朝が、辺境における背伸び&強がりな国家の先例を作ってくれなかったら、日本は自立できなかったんじゃないか。航海術が進歩した後に、中国の1州として繰り込まれたんじゃないか。
まるで春秋戦国時代には異域として警戒された呉越や楚が、今では中国の一地方になっているように。
孫呉の人たちが、正統性のないことに悩んでストレスで過労に倒れたおかげで、秦漢との直接な連続性のない勢力でも、正統を主張できるようにんった。中華文化圏にありつつも、自立性を主張できるサンプルができた。

日本に古墳が作られたころ、渡来人と称する人たちが、秦の末裔だとか、後漢の霊帝の末裔だとか言っていた。さすがに直接に正統を継承していないものの、古代帝国との連続性をオーソライズの道具として使っていた。


中世の日本で「三国」と言えば、仏教の色が強いから、インドと中国と日本である。仏教が伝わったルートで言えば、インドが一番上なんだが、なぜだかそれを逆転させて、日本がいちばん貴いと言い出したりする。この「僭越」は、孫権にルーツがあると思う。
中国の南朝は、隋の文帝に片付けられてしまった。だが、もしも南朝が存続していたら、まるで日本が神の国を主張したように、独自のロジックを発明し続けたんじゃないだろうか。

諸説分かれますが、いちおう天皇家との繋がりが確認されているらしい「倭の五王」は、他でもない南朝に朝貢している。正統のアイディアを輸入したに違いない。
文字資料を対象とする人間には聖域ですが、日本で出土する考古学的な文物は、華北より華南に由来するものが多いらしい。稲作が伝わったのも、江南からだとか。発想を輸入するパイプも太かろう。

おわりに

孫権は煮え切らない男で、男らしくない。関羽をだまし討ちしたり、諸葛亮の北伐にあまり熱心に連携しなかったり、とにかく嫌われがちな脇役だ。しかし新しいことを始めるには、試行錯誤がツキモノで。
孫権は、西晋末に華北を奪われた漢人に、
「江南で別王朝を営む」
というアイディアを与えた。ぼくら日本人に、華北から隔てられた列島を独立国として営むアイディアを与えた。

今日的なナショナリズムの論争の席に、何かを提言したいんじゃない。時期が先行すれば偉いという話をしたいのではない。
ただ、いわゆる聖徳太子が登場する前あたりの情勢で語れば、何となくそうなるのかな、という思い付きです。他意はありません。

日本史の国家観は、孫権に特許料を支払って楽しむものかも知れない。そんな冗談?を思いつつ、孫権と『三国志』の魅力を味わえたら楽しいと思います。091129

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