表紙 > 読書録 > 光文社新書『99.9%は仮説』から、禅譲を考える

禅譲の歴史は、科学の歴史に似ている

今回は、「禅譲」を科学してみようと思います。
竹内薫『99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方』に着想を得て、書き始めております。

2006年に、ちょっとした新書ブームがあった。そのときのラインナップに含められた1冊だと思います。出版当時も確かに目を通したんだが、ただの科学の本だと思ったので、ぼくの三国志のアンテナには引っかかりませんでした。このホームページもなかった。
いちおうぼくは、歴史学を大学でやった。「歴史学が提示する過去像は真理ではなく、仮説に過ぎない」というのは、自明すぎることで、ことさら発見はないと思ったのです。
著者は歴史と仮説の話を、忠臣蔵のドラマの時代考証を使って説明していたが、素人すぎてウンザリしたものでした。

演繹法のひとり勝ち

今回は、この本が言っていることの1つ、
「仮説を倒せるのは、仮説だけ」
を扱います。
科学の発想法には、2つの方法がある。帰納法と演繹法だ。

帰納法とは、実験データをコツコツと積み重ねて、新しい理論を作ること。ボトムアップの方法です。国民の署名活動によって、政策が決定されるプロセスは、帰納法に似ているそうで。うまい例えだ。
演繹法とは、初めに理論があり、その正しさを証明するために、実験データを集める。トップダウンの方法です。首相の鶴の一声に例えられてる。

帰納法と演繹法は、対等に見えるが、違う。
新しい理論は、演繹法によってしか生まれない。
なぜなら、初めに理論(仮説)がないと、実験・観察をしようとも思わない。もし理論に合わない実験・観察の結果が出ると、(本人の自覚がなくても)捨てられるか、捻じ曲げられる。
また本に、こんな指摘もある。
「古い仮説を倒すことができるのは、その古い仮説の存在に気づいていて、そのうえで新しい仮説を考えることができる人だけ」
存在に気づくとは妙な言い方ですが、、天動説を盲目的に信じている人は、天動説が真理だと思っている。真理(天動説)に新しい仮説(例えば地動説)をぶつけても、仮説は勝てない。それ以前に、仮説には真理と戦う資格がない。
天動説も仮説の1つで、地動説も仮説の1つだ、とちゃんと認識して初めて、議論ができるのですよ。そう書いてありました。

ガリレオと王莽は似てるかも

ぼくたち三国ファンが出会う人たちは、天動説を信じています。天動説とは何かと言えば、
「漢帝国は永遠に滅びない」
という教義です。
後世のぼくたちは、漢帝国が滅びることを知っています。しかし、『99.9%は仮説』の竹内氏が言うように、天動説を信じる人がバカだったのではない。そういう時代だった、というだけです。

見渡すと、漢永続説と天動説には、とても共通点が多い。

「漢永続説」なんて言葉はありません。このページでのみ、便宜的に使用。
漢王朝は絶対に滅びないんだよーという考え方。

天動説は、キリスト教の神を説明している。また西洋の科学は、もとは哲学であった。

ぼくは究極の専門外なので、本の指摘を流用するにとどめます。

漢永遠説は、天命を説明して、儒教と結びついた話です。
「儒教は哲学か」「儒教は宗教か」なんて難しい命題は、ぼくは責任もって説明できない。でも、人間のあるべき姿を、歴史記述のような体裁で解説するあたりで、漢永続説と天動説は似ていると思う。『聖書』と『春秋』の解釈本を、安易にイコールで結ぶなんて、テレビ番組みたいで、最強に軽率だと思いますが(笑)

天動説を否定すると、神を否定しなければならない。すなわち体制の否定につながる。
だからガリレオは裁判にかけられた。以後の科学者たちも、膨大な実験・観察データを持って挑んだが、次々と不幸な目にあった。
漢永続説を否定すると、これもまた体制批判となる。ガリレオほどスター性を備えて、漢永続説に挑んだのは、新の王莽だ。しかし、漢永続説を信じる人たちにより、葬り去られた。
王莽は、広義の「裁判」にかけられたんだと思う。天動説の裁判のカトリック教会の主張と、後漢成立を後押しした世論を比べたら、多くの共通点が見つかるかも知れない。史料には残らない、後漢の支持基盤になった人たちの胸のうちを補えるかも?
カレーの調理法とシチューの調理法は、そっくりである。カレーとシチューは、言うまでもなく別のメニューである。だがもしカレーのレシピが散逸したら、シチューのレシピから類推したって、いいじゃん(笑)
王莽は死ぬ前、「それでも王朝は遷り変わる」なんて言ったかも(笑)

曹操はティコのようだ

地動説を唱える西洋の科学者は、観察と実験によって、天動説に挑みかかった。
では、漢代の英雄たちは、漢永続説と戦うためには、何をすべきか。政治や軍事にて、支配的な影響力を持つことでしょう。それをやったのが、あの曹操だと思います。
だが冒頭に引いたように、仮説に勝てるのは仮説だけ。曹操がいくら実支配を実現しても、漢を滅ぼすことはできません。曹操はライバルを倒して帰納の材料を積み上げるのではなく、新しい仮説を提示して、演繹をしてこそ、漢に代わる王朝を立てることができるのです。
漢の中で官位を上げることも、敵対勢力を滅ぼすことも、漢に取って代わる仕事とはベツモノです。かなあり混同しやすいが、混同してはいけない。

曹操は、竹内氏の本に出てくるティコ・ブラーエに似ている。初見の横文字の人名を出しても、書いているぼくがビビるだけなのだが、ティコの主張はこうである。
「天動説には懐疑的だ。でも地動説にも無理がある。そこで折衷しよう。太陽は地球の周りを回るが、火星などの惑星は太陽の周りを回る。これにて、観測データとのズレが小さくなる」
苦しいなあ。。
太陽と火星の動きを観測すると、地動説でしか説明が付かない。でも地球を動かしたくない。この折衷は、曹操を連想させる。
「建安年間の天下の様子を見ると、漢は滅んだとしか説明できない。でも漢王朝を終わらせるには仮説が弱い」
という具合です。魏公になり、魏王になった曹操は、ティコにそっくりだと思う。

ティコの主張内容は、本から丸パクりで、裏を取ってません。
また、ティコよりも曹操に例えるに相応しい科学者がいるかも知れないが、本に載ってないから分かりません(笑)

曹丕はさながらコペルニクス

よく科学を知らないぼくみたいな人でも、「コペルニクス的転回」という言葉は知っている。コペルニクスは、地動説をきちんと説明した人です。だから、こんな言葉が浸透している。
これからは代わりに、
「曹丕的転回」
と言えばいいのになあ。流行らせたい!短くて便利じゃん。

『三国志』にて、漢永続説に正面から反論して、一定の支持を得ることに成功したのは、曹丕です。
曹丕は領土を広げていないから、
「父・曹操の後を継いだだけ」
と言われるが、そうではあるまい。禅譲に成功したんだから、新しい仮説を打ち立てたのだ。演繹の出発点を作った発想者に、「帰納的な手続きが足りないよ」と苦情を付けても、的外れである。
曹丕は、禅譲を受ける、受けないで、ダラダラと辞退を繰り返しました。あれは、偽善的な演技ではないと思う。論理の補強だった気がする。科学者が、自説を指示する観察・実験データを熱心に集めるようにね、書簡をやり取りしていたわけですよ。
まったくデータの裏づけのない仮説は、いくら画期的でも無意味だから。

蜀漢が成立できた理由

人は基本的に、変化を好みません。
「変化はチャンスだ」
とわざわざ高らかに宣言して、鼓舞する指導者は、図らずも人間の本性を暴いていると思う。
もし人が、いわゆる「チャレンジング」が好きならば、こんな掛け声はない。どうでもいいが、ぼくは「チャレンジング」という語感が嫌いです。好むビジネスマンは一定数はいると思うが、響きがダサくないか(笑)

既存の仮説を「真理」と錯覚し、固定化することで、人間は脳のキャパをそちらに割かずにすむ。別のことを考えられる。
いま東側の窓から朝日が昇ってきたが、ぼくはあれを見て、天動説と地動説を悩まない。まるでヨーロッパ中世の人が天動説を信じたように、ぼくは盲目的に地動説を信じている。地動説にも反論の余地があり得ることなど頭から叩き出し、空いたキャパをこの文章づくりに使っている。
ぼくが竹内氏の言う「バカではない」人間だったとして、中世のヨーロッパ人とどこが違うんだ。

長年支持された仮説には、「それを信じたら不幸になる」という毒がない。むしろ、社会や人の内面を安定させる効果がある。だから、支持され続けたわけで。天動説に実害なし。
仮説の無効性を暴かれたくない人も多い。全員が科学者だったら、うるさいのだ。百家争鳴どころじゃない。生産が止まるんだ。

匈奴の劉淵は、
「劉備は領土が益州1つしかなくて、弱小だったくせに、天下に張り合うことができた。それは、姓が劉で、国が漢だったからである」
と言った。きっとその通りで、天動説を信じ続けたい人が、一定数はいて、劉備の割拠を可能ならしめたんだと思う。
ちなみに劉淵は、後漢の滅亡から80年後くらいに、あやかるために同じ国号の「漢」を建国した。天動説が地動説に逆襲したわけです。結果は・・・

後の時代への展望

曹丕が唱えたのは、「魏永続説」ではありませんでした。
一般化して言えば、
(漢か漢でないかに関わらず)ひとつの王朝が永遠不滅ということはない。禅譲という手続きを減れば、平和的に、正統性を疑われることなく、皇帝の姓が遷り変わってくのだ」
でした。王莽が立てた国は「新」で、曹丕は「魏」だから、別物に思えるけれど、2人は同じ意見を持った、古代中国の「科学者」だと思うのです。
曹丕が「漢ではなく魏が永続する」と言っていたら、ただの二番煎じだし、支持を得ることができなかっただろう。
「漢でも魏でも、いくら腐敗しても淘汰されないなら、どちらでも同じである。いや、どちらでも願い下げである。だったら、漢から魏に変える意味がない」
となったのではないか。曹丕は、中夏の3分の2を支配しながらも、立ち枯れたのではないか。
王朝が遷り行くことを肯定したから、曹丕は禅譲に成功した。同時に、自分の王朝が滅びるという爆弾を、初代皇帝のくせに仕掛けてしまった。

曹丕の唱えた地動説は支持され続け、魏から晋、晋から南朝4つに継承された。宋まで続くらしい(ここは未確認)。
今回は思いつきで書いただけですが、「仮説」を巡っての人の心の営みは、古今東西に共通するところがあるので、興味深いです。091015

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