表紙 > 考察 > 五胡の十六国のイメージを固める

1)五胡十六国ではない、成漢

何も知らなければ、何も語れない。淋しい。そういうわけで、五胡十六国時代について、何も知らないので、本を読もうと思います。
三崎良章『五胡十六国』 中国史上の民族大移動
ただ読むだけだと、眠くなる上に、何も手元に残らない。だから、内容をまとめながら、適当に感想を突っ込みながら、十六国の主な流れについて見ておこうと思います。
さっそく、やります。
載せている国は、三崎氏の本を真似ただけです。国の順序は、少しいじってます。

成漢

氐か巴蛮か・・・出自は不明。李雄の 祖父・李虎のとき、曹操に略陽(渭水上流)に移住させられた。296年の斉万年の乱で、流れ出した。

益州刺史の趙廞が西晋に逆らうと、李特は従う。だが趙廞が李特の兄を殺したから、趙廞を殺した。
つぎの刺史の羅尚が、流民対策に失敗し、李特に人が集まった。
302年5月、李特は益州牧・大将軍を名乗った。303年、羅尚は、荊州刺史の宋岱に助けられて、李特を殺した。
李特の子・李雄が成都王を称し、304年10月に成立。 310年7月まで、巴郡で羅尚が粘った。羅尚は、李雄に負けた。

李雄は、31年間も在位した。
中原から漢族が流れ込み、政権に入った。五斗米道の道士・范長生を「天地太師」として、政権に迎えた。
334年4月、李雄が死んだら衰退。 漢族の影響力が大きく、東晋と友好を保った。李雄を失うと、東晋に帰順をしたくなった。
後継争いで、殺しあった。「漢」を称したが、347年2月に滅亡。

巴人の李氏と、秦州、益州の豪族により構成された。丞相以下の百官を置き、郡県制を導入した。

◆成漢の感想
三崎氏が成漢をいちばん初めにもってきたのは、なぜか。自立がいちばん早いから。これは、1つの答え。だが、ぼくにはもう1つの答えがある。他の五胡の国と、性質がまるで違うからだ。
十六国のうち、益州を本拠にしたのは、成漢だけだ。以降は、荊州から西に進んだ東晋が併合するか、関中から南下した国が併合するかである。成漢は、再現性がない国なんだ。
というわけで、成漢を十六国の1つとは見なさず(さっそく暴走)、単体で評価してイメージを語っておく。

成漢は、蜀漢の亡霊である。劉禅の降伏の呆気なさに、驚かされたファンが、思いを託せる国である。三国ファンは、劉諶の勇ましい自決に、行き場のない感情をぶつけるのだが、なお欲求不満である。だったら、成漢をイフ物語として楽しめばいい。
李特だったかが、益州に入国したとき、
「劉禅は、こんなに険しく守りやすい地形なのに、降伏したのか!」
と驚いたらしい。ファンへの誘導はばっちりである。
李雄が死に、国家の求心力が低下すると、「漢」を掲げてしまう。李氏の政権は、主も従も、ぜったいに蜀漢を意識していた。そして、蜀漢と魏(西晋)の正統論が、成漢と東晋に持ち越され、成漢の晩年を彩った。

『漢晋春秋』を書いた習鑿歯は、桓温に従軍して、成漢を滅ぼした。「蜀漢から西晋に正統が移った」という、まるで歴史を無視したインスピレイションは、成漢にただよう、蜀漢の名残を浴びたから浮かんだ?

◆民族が対立しない国
五胡十六国時代は、民族感情が衝突&融合した時代だ。漢族のコンプレックスは、中原を奪われたことである。だが成漢においては、中原を奪う&奪わないという話は、直接は関係ない。
なぜそんなことを言うのか。
中原を乗っ取った五胡も、中原を取られて泣きながら江南に逃れた漢族も、いない。だから、五胡十六国時代らしさは、この国にはない。
存在するのは、中原の戦乱から逃げて、とりあえずの有力者に従った人の群れだ。言うなれば、孫呉の北方人と同じだ。孫呉の名士が、民族的なアイデンティティに悩んだ、なんて話は聞かない。

たまたまトップの李氏は漢族ではないが、それほど民族感情は刺激されない。氐や巴は、ルックスに漢族とのギャップが少ないんじゃないか。ハーフの王平だって、仲間外れにならなかったようだし。
五胡十六国の主役、匈奴や鮮卑など、北方から来た人たちは、鼻が高い。今でいう欧米風だ。後でやるけど、冉閔が、鼻の高い胡族がヒステリックに切り殺した。成漢では起こらなかった事件だ。そもそも成漢は、中原とは事情が違うんだ。

初回から、喋りすぎてしまった。最後までもつのだろうか。。

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